• [0]
  • 「言語活動の充実」、「言語能力の向上」

  • 投稿者:TaKu
 
現行学習指導要領・生きる力
第1章 言語活動の充実に関する基本的な考え方
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/gengo/1300857.htm

言語力育成協力者会議
平成18年(2006年)-平成19年(2007年)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/036/index.htm#pagelink3

教育課程部会 言語能力の向上に関する特別チーム
平成27年(2015年)-
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/056/index.htm

気になる内容なので、スレッドを立てておきます。

投稿者
題名
*内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
URL
sage

  • [19]
  • Re: 中高生の読解力ピンチ

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2019年10月29日(火)18時36分36秒
  • 返信
 
>>18
> >>17
> > https://twitter.com/sneijderbot/status/1188207728029626369
> > >これマジか、中学生の43%が間違える学力....
> >
> > 算数教育が数字を拾って演算決定すると考えると、単語を拾う作業を重視する生徒が育ったかもしれないというのは因果関係があるのかも。
>
> この調査をした新井紀子の国語力もまあ褒められた物じゃないと思ってしまう。
>
> https://togetter.com/li/1382761
>

文科省が「言語能力の向上」とか言っていますが、現場では空気を読めという指導に陥っている可能性が高いと思っています。(新井紀子氏も空気を読めと言っているように感じる)
算数教育学wの特定の式を要求するのもその一環だし、論理的というのが蔑ろにされていそうです。

  • [18]
  • Re: 中高生の読解力ピンチ

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2019年10月29日(火)16時11分24秒
  • 返信
 
>>17
> https://twitter.com/sneijderbot/status/1188207728029626369
> >これマジか、中学生の43%が間違える学力....
>
> 算数教育が数字を拾って演算決定すると考えると、単語を拾う作業を重視する生徒が育ったかもしれないというのは因果関係があるのかも。

この調査をした新井紀子の国語力もまあ褒められた物じゃないと思ってしまう。

https://togetter.com/li/1382761



  • [17]
  • 中高生の読解力ピンチ

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2019年10月28日(月)20時21分42秒
  • 編集済
  • 返信
 
https://twitter.com/sneijderbot/status/1188207728029626369
>これマジか、中学生の43%が間違える学力....

算数教育が数字を拾って演算決定すると考えると、単語を拾う作業を重視する生徒が育ったかもしれないというのは因果関係があるのかも。

  • [16]
  • Re: 過剰情報を含む算数文章題

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2019年 3月 5日(火)14時30分48秒
  • 返信
 
>>15
> 教員紹介 | 保育学科 | 小田原短期大学 通信教育課程
> https://tsushin.odawara.ac.jp/school/staff.html
> ■末松加奈 ■担当科目:教育の方法と技術
> 研究業績
> https://tsushin.odawara.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00006983.pdf&n=2018%E6%9C%AB%E6%9D%BE%E5%8A%A0%E5%A5%88.pdf
>
> >2.過剰情報を含む算数文章題の誤りに関する一考察
>
> >小学校 1 年生児童を対象とし、過剰情報を含む算数文章題に対する児童の誤りの原因と指導法との関係について調査した。その結果、児童は幼児期を通して発達させた数概念を用い、数字や立式を伴わない状況下で問題に正答した。一方で、正しい場面理解を立式に適用することなく、授業で学んだ方略を暗記再生的に使用し立式を行うことが過剰情報を含む文章題の誤りの原因であることが示唆された。(査読あり)

>


ここだけ見ての推測だけど、式などを教えることが理解に役立たないばかりかむしろ妨げになっているようにさえ思えます。

  • [15]
  • 過剰情報を含む算数文章題

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2019年 3月 2日(土)21時36分34秒
  • 返信
 
教員紹介 | 保育学科 | 小田原短期大学 通信教育課程
https://tsushin.odawara.ac.jp/school/staff.html
■末松加奈 ■担当科目:教育の方法と技術
研究業績
https://tsushin.odawara.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00006983.pdf&n=2018%E6%9C%AB%E6%9D%BE%E5%8A%A0%E5%A5%88.pdf

2.過剰情報を含む算数文章題の誤りに関する一考察

>小学校 1 年生児童を対象とし、過剰情報を含む算数文章題に対する児童の誤りの原因と指導法との関係について調査した。その結果、児童は幼児期を通して発達させた数概念を用い、数字や立式を伴わない状況下で問題に正答した。一方で、正しい場面理解を立式に適用することなく、授業で学んだ方略を暗記再生的に使用し立式を行うことが過剰情報を含む文章題の誤りの原因であることが示唆された。(査読あり)


過剰情報に関する他の文献も参照しましたが、過剰情報を含む算数文章題は、文科省の主導する「言語能力の向上」に貢献するのではないでしょうか。
過剰情報に批判的な声も聞こえますが、正答率が下がるのを危惧しているだけのように感じます。(教師の評価が下がるのを嫌っているだけ?)
これでは、読解力が身に付かないまま先に進もうとしているようにしか思えません。

論文は参照していませんが、小学校1年生でも過剰情報を含む算数文章題に正答する生徒はいるようですし、誤答する生徒は立式に拘っているように見受けられます。

  • [14]
  • 言語能力の確実な育成

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2018年12月29日(土)22時52分58秒
  • 返信
 
学習指導要領について
平成29年4月
28文科初第1828号
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/__icsFiles/afieldfile/2017/08/22/1389010_3_1.pdf
>5)小・中学校の教育内容の主な改善事項
>① 言語能力の確実な育成
>・ 発達の段階に応じた,語彙の確実な習得,意見と根拠,具体と抽象を押さえて考えるなど情報を正確に理解し適切に表現する力の育成を図ることとしたこと。
>・ 学習の基盤としての各教科等における言語活動(実験レポートの作成,立場や根拠を明確にして議論することなど)を充実させたこと。


各都道府県教育委員会教育長
各指定都市教育委員会教育長
各都道府県知事
附属学校を置く各国立大学法人学長
構造改革特別区域法第12条第1項の認定を受けた各地方公共団体の長

宛ての資料のようです。

  • [13]
  • Re: 言語と思考

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2018年 9月29日(土)13時16分23秒
  • 返信
 
>>12

>  考え方を式や言葉で表現できると思っている人って、その程度の薄っぺらな考えしかしたことないのだろうか?

そうだと思いますよ。

もしくは、式や言葉で表現する事自体が優れた考え方だと思っている可能性もあります。
思考そのものは、かなり漠然としたものがたゆたっている感じです。(個人的見解)
それを方向付けして、自分とって意味のある形で掬い取る必要があります。
漠然としたものを判然とした形にするイメージですかね。
この手の人達の思考の最終形態(判然とした形)は、式や言葉で表現する事なのかもしれません。

自分の考えはこうだったんだ、というような自己暗示のように言い聞かせないと不安になる人達もいるかもしれません。
自己暗示するのに必要なのが言語で、それで自己対話をしないと安心出来ない心理の人達もいそうですね。

仮説は色々考えられますが、様々な人達の自己分析を聞いてみたいですね。

  • [12]
  • Re: 言語と思考

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2018年 9月28日(金)14時18分2秒
  • 返信
 
>>11

算数教育でも、どう考えたかを言葉で表現することを強要し続けたら、言葉で表現できることしか考えない、あるいは、実はそれ以上のことも考えているが面倒くさいから言葉で表現できる範囲のことしか考えていない振りをする、ということになりかねないと思っています。

 考え方を式や言葉で表現できると思っている人って、その程度の薄っぺらな考えしかしたことないのだろうか?

  • [11]
  • 言語と思考

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2018年 9月27日(木)22時32分34秒
  • 返信
 
数学における発明の心理
ジャック・アダマール(著) 1990年12月
P82
私は『ル・タン』(Le Temps,1911)で次の文章を読んだとき、初めてこの問題に気づいた。「概念は言語を通すよりほかに認知されることはなく、言語によってのみ存在する。」私がそれを読んだときの感じは、それを書いた人の考えは貧困だということであった。

やはり、まず言語ありきのような考えがあるようです。

P82
私にとってさらに驚くべきことは、有名な言語学者であり東洋学者であったマックス・ミュラーほどの人が、言語なしには思考できないと主張し、さらに私にはまったく理解できないが、次の文章を書いていることであった。「空があるとか、それが青色であるとかいうことをどうして知るだろうか。そのための名前を知らなければ、われわれは空の存在を知るだろうか。」彼はヘルダーとともに、「言語なしには人間は決して理性に到達できなかっただろう」ということを認めるばかりでなく、さらに言葉なしには人間は感覚にさえ到達することはできなかっただろうとつけ加えた。

>>6-7 で取り上げた、おかしな主張に通じるものがありそうです。

P84
一人の哲学者バークレーは、逆方向に断定的である。彼は、言語は思考にとって大きな障害であると信じている。

こちらは逆方向ですね。

P85
ゴールトンの心にみられるこのような性質は、彼にとって不便な面がある。彼がいうには、「私にとって、言語で考える方が他のやり方で考えるほどやさしくないことは、ものを書きとめるときや、とりわけ自分の考えを説明するときにかなりの欠点になる。大いに働いて、自分にとってはまったく明快で満足のいく結果に到達したあと、それを言語で表そうとする段になると、私は、まったく別の知的状態に自分をおくことから始めなければならないと感じる。私の思考にうまく歩調の合わない言葉に自分の思考を翻訳しなければならない。そのため適当な単語や句を探すのに非常に多くの時間を費やしてしまう。また突然話をするように求められると、私は、認識が明快でないからではなくて、ただ口下手のせいで非常にわかりにくいではないかと気になる。このことが私の生涯の小さな悩みの一つである。」
>私がゴールトンの記述を長々と再録したのは、そのなかにたしかに自分自身をみるからであって、彼と同様のなげかわしい経験までも含まれる。


私も、この意見に同感します。

P87
ゴールトンがいうには、彼は、機会の許す限り調査をして、思考する際に頭の中か口に出して言葉をいうことをしない人々の割合を調べ、小さな値ではあったがある値を得た。

個人的な見解では、言葉を介するより、より多くの事を高速に思考していると思われます。

P91
研究の仕事の場合は、もちろん、まるで違ってくる。そのことを知るために、私は、私が数学上の議論を積み重ねたり理解しようとするときに(この本の冒頭で述べたように両者に本質的な差異はない)、私自身の頭のなかに起こることを理解したいと思っていた。
>私が実際に思考しているときには、頭のなかに言語はまったく存在しないと主張できる。私は、質問を読んだり聞かされたあとでも、それについて考えはじめると、途端にすべての言語は消え失せてしまう。その意味で私の場合はゴールドンとまったく同類である。私が研究をし終えるか放り出してしまうまで、私の意識のなかに言語が再現することはなく、そのことはゴールドンと同様である。私は、「思考は、言語で具体化されるとき死滅する」と書いたショーベンハウエルにまったく同意する。
>私は言語に対してだけではなく、代数の記号にさえ同様にふるまっていることを強調しておくことも大切だと考える。私はやさしい計算のときは記号を用いるが、もっと難しそうな問題の場合には、記号は私にとってあまりにも重荷になる。


【「思考は、言語で具体化されるとき死滅する」】とは言い得て妙ですね。
個人的な経験でも、言語化した内容は、思考した事から歪んでいると感じる事はよく有ります。


言語化だけでなく、思考を可視化とか外化とかいう表現がされる事があります。
それらは、思考をそのまま表してはいないでしょう。
又、それらの訓練を重視すると、思考能力の幅を狭め、例えば高い数学の能力が身に付き難い等の負の効果が出てくる可能性があります。

個人的な見解では、ある程度のコミュニケーション(他人の考えを読み取る、自分の考えを伝える)の訓練等に留めないと、負の効果も大きくなっていくと思っています。

  • [10]
  • 言語中心主義

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2018年 5月 7日(月)21時55分46秒
  • 返信
 
数覚とは何か?―心が数を創り、操る仕組み
スタニスラス ドゥアンヌ(著), Stanislas Dehaene(原著), 長谷川 眞理子(翻訳) 2010年7月1日
P55
哲学者の心には、人間の数学能力が言語能力に由来するという考えしかない。だから、言葉を持たない動物が数えることができ、ましてや計算もするといったことは、彼らにとっては思いもよらないことなのである。

哲学者ではなくても、言語能力を重要視しすぎる人達は沢山いそうです。
「言語活動の充実」とかも、その手の人達の影響が大きい可能性があります。
用語を問う問題を出す輩は、用語を覚えるのが基本的な行為と思っている可能性があります。

  • [9]
  • 用語の多用

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2017年 1月 8日(日)22時22分46秒
  • 返信
 
https://twitter.com/sekibunnteisuu/status/816941680054005761
>概念を理解することと用語を覚えることは別なんだけど、小学校でも「かける数・かけられる数」やら、「仮分数」「帯分数」「真分数」やら出てきますね。教科書に書いてあると「覚えるべき用語」とみなされるのが怖い。

言葉を思考の中核と考え、言葉を重要視している人達がいると思っています。
 概念と言葉をセットにように考える人。
 まず言葉を使い、概念は後から付いてくればいいと考えている人。(はじきを推奨するのも同様の考えかも)
 概念を考えたら、コミュニケーションの為に言葉にする必要があると考える人。
 言葉にしないと考えを纏められない人。
 言葉が使えるかで理解度を判断する人。
 言葉を覚える努力を評価する人。
等々・・・

新しい言葉を使うと、知的になった気がしたり、理解している気になったりする効果もありそうです。
同じ言葉を使っていても、人によってイメージが違うのは当然なのを理解しているのか不安になる事もあります。


>用語の使用は必要不可欠な最小限にすべき。

言葉に対する認識の違いが大きいですし、用語を多用するデメリットを考慮しない人達が数多くいると思われます。
個人的には、これも教育界wの大きな問題だと思っています。

  • [8]
  • Re: 言語能力の向上に関する特別チーム(第5回)

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年10月29日(土)08時10分40秒
  • 返信
 
>>6

とにかく「言語能力」ということで、言語を過大評価しているように思えます。

彼らは、頭では理解しているけどそれを言葉に出来ないもどかしさとか経験したことがないのでしょうか?

教えていると、「この生徒は理解しているな」とこちらが分かるけど、「説明してみて」というとうまく出来ないことはざらです。もちろん他人に説明できることは重要ですが、説明できることは理解することの必要条件ではありません。

一方で、難しい言葉を使って説明らしきものはするけど理解が頓珍漢なケースも多々あります。

私は、数学にしろ他にしろ、思考を外と遮断して自問自答したりすることで理解が深まると考えています。それだけでは妄想になりかねませんが。

 言語というのは、外との交渉であり、ここが異様に強調されることで、深く考えることがおろそかにならないかと心配です。

 例えば「説明する力」がもとめられ、「自分の考えを説明せよ」ということになったら、説明しやすい考えしかしなくなるかもしれません。

 授業でやった解法や公式(往々にしてこれらは名前がついている)を使うなら、「なんとかの公式で」で済むけど、自分なりに考えた方法だと説明するのに苦労するとなれば、公式や解法を使う方を選ぶことになる。

 本を読むたびに読書感想文を書くことを要求されたら、読みたい本ではなくて感想文を書きやすい本を読むことになる。

  • [7]
  • Re: 言語能力の向上に関する特別チーム(第5回)

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2016年10月28日(金)20時59分13秒
  • 返信
 
>>6

折角なので、言いたい事を書いておきます。

https://twitter.com/temmusu_n/status/791258356241477633
確かに言語でメタ認知、深い思考などが可能という話は聞くことがあるが、あまりにも多くの卵を一つの籠にもるものではないか。

メタ認知や深い思考には、言語活動が必要となりそうで怖いです。
更に、メタ認知や深い思考を評価(教師が把握)しようとすると、言語による表現を要求するようになると思われます。
言語活動をしたのだから、言語による表現は当然という流れです。
その先に、言語活動を充実したからこそメタ認知や深い思考に繋がったという、根拠の薄い倒錯した事を言い出す可能性が高そうです。


これらの発言も気になります。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/056/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/05/24/1371093_1.pdf
○ また、音や色、イメージ、身体表現などの非言語により対象や事象を捉えることを主とする教科(音楽や図画工作、美術、体育等)においては、非言語をどのように言語化するかというところに言語活動の特徴がある。非言語で捉えたことを言葉にするという言語活動を行うことにより、当該教科における自分の学びをメタ認知し、思考・判断・表現してより深い理解につなげる「深い学び」としたり、学習活動を振り返って次につなげる「主体的な学び」としたり、自分の感じたことを言葉にすることで他者に伝え、自らの考えを広げ深める「対話的な学び」としたりして、学習過程の質的改善を図ることができる。

非言語をどのように言語化するかというところに言語活動の特徴がある。
言語活動が目的に見えますね。

自分の学びをメタ認知し】、【より深い理解につなげる「深い学び」としたり】、【学習活動を振り返って次につなげる「主体的な学び」としたり
言語化は一つの手段でしかないのに、言語化しないと駄目のようにしか受け取れません。

自分の感じたことを言葉にすることで他者に伝え、自らの考えを広げ深める「対話的な学び」としたり
言葉“だけ”で伝えさせようとするなら、問題のある教育だと思います。
自分の感じた事を、他者に正確に伝えるのは無理筋だし、伝えようと努力するするなら、言葉“だけ”に頼ってはいけないでしょう。


また、非言語で捉えたことを、例えたり、見立てたり、置き換えたりしながら言葉にする力を育むことは、自己表現の観点や語彙力向上の観点などから、言語能力の向上に大きく寄与するものである。

完全に、言語能力の向上の為という発言ですよね。
下手に飾り立てようとしないで、「言語活動」の目的は「言語能力の向上」の為と言えないんですかね。



ついでに、言語活動についてつらつら思う事を箇条書きしておきます。

・理解していなくても、とにかく言葉にする訓練になる可能性がある。
 理解せずに四則演算の式に当て嵌めるのと類似。

・言葉は思考の中では低速(個人的な感覚では間違いない)。
 低速思考しか出来ない人材を育成しそう。

・言葉にして書くというのは、更なる低速作業。
 それを重視しては、思考の足をひっぱるのを懸念。

・何でもノートに書かせようとする風潮がありそう。
 自分で重要な事を把握しておらず、分量も多くなるので、結果的に読み直さない資料となってしまう。

・言葉では思考を正確に表現していないのに、言葉にした内容こそが自分の考えと思ってしまう。

・言葉にし辛い内容も、言葉で要求するのは当然としてしまう。

・言語活動に自信のある人は、自分の言葉は正しい筈なので、納得しない人がいた場合、その人の読解力が足りない事にする。

  • [6]
  • 言語能力の向上に関する特別チーム(第5回)

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2016年10月25日(火)19時55分37秒
  • 返信
 
教育課程部会 言語能力の向上に関する特別チーム(第5回) 配付資料:文部科学省
平成28年5月12日(木曜日)10時00分~12時00分
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/056/siryo/1371093.htm
資料1 言語能力の向上に関する特別チームにおけるこれまでの議論の取りまとめ(案)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/056/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/05/24/1371093_1.pdf

○ 中央教育審議会答申(平成 20 年 1 月 17 日)2では、児童生徒の思考力・判断力・表現力等を育むために、記録、要約、説明、論述といった言語活動の充実が提唱された。これを踏まえ、平成 20 年 3 月に告示された小学校・中学校学習指導要領及び平成 21 年 3 月に告示された高等学校学習指導要領では、各教科等において、言葉による記録、要約、説明、論述、討論のほか、歌、絵、身体による表現など、言語及び非言語による学習活動を「言語活動」として重視し、その充実を図っている。
>○ このように、広義の「言語」には、日本語や英語などの個別言語における話し言葉や書き言葉(文字)のほかに、数字や音符なども含まれ、また、 「言語能力」は、話し言葉や書き言葉以外の言語や非言語をも含めた広範な能力として捉えられる場合もあるが、本取りまとめにおいては、 「言語」は、日本語及び英語などの個別言語における話し言葉や書き言葉のことを指すこととし、それ以外の数字や音符などを指し示すときは、その都度、それらを明記することとする。


「言語能力」と言っただけでは、範囲は決まらないようです。


・言語能力は、それぞれの発達段階に応じた差異はあるものの、論理的に組み立てて物事を考える論理的思考の前提となるものであり、全ての子供たちに身に付けさせる必要がある能力である。

言語能力が論理的思考の前提とか言っちゃってますね。
例えば数式を変形するのにも、言語能力が前提になるんですかね。
こんな勘違い発言をされると、まともに論理的思考が出来ない人達が議論しているようにしか見えません。


・情操、情感が発達していく中での中心的要素が言葉であり、言葉によって自分の思いや感情を意識化することで、自分の感情をコントロールすることができる。このため、 言語能力を支える心をいかに育むかが重要である。

言葉で意識化すると自分の感情をコントロール出来るとか、激しい妄想に取り付かれているようにしか思えません。


① 創造的思考とそれを支える論理的思考の側面情報を多角的・多面的に精査し、構造化する力が重要であり、主にこの側面を高めることにより、言葉を通じて、自分のものの見方や考え方を深めようとする態度につながると考えられる。

何故、言葉を通じないといけないのか、わかりませんね。


○ 言語活動には、音声・文字の軸と、表現・理解の軸で4種の活動形態-話す、聞く、書く、読む-がある。また、これらの活動が行われている時には、自己の内部だけで展開される「考える」という活動が必ず伴って行われている。

「考える」-「考える」では言語活動は必須でありません。
言語は手段の一つでしかないです。


非言語で捉えたことを言葉にするという言語活動を行うことにより、当該教科における自分の学びをメタ認知し、思考・判断・表現してより深い理解につなげる「深い学び」としたり、学習活動を振り返って次につなげる「主体的な学び」としたり、自分の感じたことを言葉にすることで他者に伝え、自らの考えを広げ深める「対話的な学び」としたりして、学習過程の質的改善を図ることができる。

言語活動は手段の一つの筈が、完全に目的化されています。
「メタ認知」「思考」「判断」「深い学び」「主体的な学び」等に言語活動は必須とは思えません。
読んだり聞いたりして言語による情報を把握するのと、表現として言語化する時は、言語活動は必須でしょう。
しかし、それ以外の状況では、言語活動は必須ではありません。
言語活動が特に有効という状況はありますが、とにかく言語活動が重要だという態度はいただけません。


評価を含めた「俺に分かるように表現しろ」という考えがあって、それと絡んで言語活動の充実と言っている可能性も高いように思っています。

  • [5]
  • 言語力育成協力者会議(第1回)

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2016年 9月24日(土)20時28分0秒
  • 返信
 
言語力育成協力者会議(第1回)議事要旨
平成18年6月12日(月曜日)15時~18時
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/036/gijiyoushi/07051011.htm
 技術というと型にはめたことを教えるというイメージがあるが,小さい頃には型を教える,そしてその型を使ってものを考えるうちに,それが身に付いてくると次第に型を崩して自分の能力として自在に使えるようになる。

言語技術教育のみについての発言なのか、式を含んでいるのか不明確ですが、基本的に危うい考えだと思います。
この手の考えからは、式の順序とか「はじき」とか肯定する方向に進むのは当然になります。
【次第に型を崩して】とありますが、教師からすれば、型を崩するのを認め難くなるでしょう。
何時から型を崩していいのか不明確なのも気になります。
初っ端からかまされて、気が滅入りますね。

気力が無いので、とりあえずここだけ取り上げておきます。

  • [4]
  • Re: 啓林館サイトから

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2016年 9月24日(土)20時07分52秒
  • 返信
 
>>3
> https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/WebHelp/04/page4_19.html
> >概念は,言語でもって明確に規定されて,初めて概念として確立されるわけです。
>
>
> そんなことないと思うよ。定義は唯一無二で固定されているかのような印象を与える書き方といい、気に入らない。

数学的な考え方
http://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/WebHelp/02/page2_25.html
>数学的な考え方にはいろいろな見解があり,これを定義することは難しいといえます。

言語でもって明確に規定されていないので、「数学的な考え方」は概念として確立されていないのでしょう。
乗法についても、啓林館のサイトで、言語でもって明確に規定されているのが見当たらないので、概念として確立されていないと思われます。
だからこそ、順序とか良い出せるのでしょうね。

  • [3]
  • 啓林館サイトから

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 9月24日(土)13時43分52秒
  • 返信
 
https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/WebHelp/04/page4_19.html
>概念は,言語でもって明確に規定されて,初めて概念として確立されるわけです。


そんなことないと思うよ。定義は唯一無二で固定されているかのような印象を与える書き方といい、気に入らない。

  • [2]
  • 言語活動重視の危惧

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2016年 8月27日(土)21時31分7秒
  • 返信
 
言語活動を重視すると、生徒が考えを言語化し、教師に伝えるのが当たり前のように扱われそうです。
教師が生徒の考えを読み取ろうと努力する姿勢も希薄になっていきそうです。
評価という面でも、評価されるように言語化して伝えろと言い出しそうです。

言語活動の重視を前面に押し出すと、思考という面でも言語化が中心に扱われそうです。
個人的な見解ですが、ある時間で言語のみの思考だと100の考えが出来るとして、言語に捉われない思考だと1000-10000程度は考えられると思っています。
又、思考した事を言語で表しきれないのは当然だと思っています。
言語化とは、思考の面では枷にもなります。

話し合えば考えが深まるという安直な発想もありそうですし、考えを深めるには言語化が必要とか言い出す人もいそうです。
考えを深める為に、話し合いや言語化も役に立ちますが、一つの手段でしかありません。

メリットばかりを押し出して、デメリットを考慮しているのか不安がありますし、教える側の都合ばかり押し付けている可能性もあります。
教育現場では収拾がつかない状況だと思っているので、まずは中央教育審議会の内容をチェックしていきたいです。

  • [1]
  • 書籍もいっぱい

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 8月27日(土)08時45分31秒
  • 返信
 
「言語活動」が出てきた背景や実際教育現場でどうなっているのかまでは把握していないけど、この手の目新しい言葉が指導要領に載るたびに、大量の書籍が出版されるというのは、普遍的な現象なんでしょうね。

アマゾンで、「言語活動」を検索した結果
https://www.amazon.co.jp/s/ref=sr_pg_1?rh=n%3A465392%2Ck%3A%E8%A8%80%E8%AA%9E%E6%B4%BB%E5%8B%95&keywords=%E8%A8%80%E8%AA%9E%E6%B4%BB%E5%8B%95&ie=UTF8&qid=1472254857

こちらは「アクティブラーニング」
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