• [0]
  • 「言語活動の充実」、「言語能力の向上」

  • 投稿者:TaKu
 
現行学習指導要領・生きる力
第1章 言語活動の充実に関する基本的な考え方
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/gengo/1300857.htm

言語力育成協力者会議
平成18年(2006年)-平成19年(2007年)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/036/index.htm#pagelink3

教育課程部会 言語能力の向上に関する特別チーム
平成27年(2015年)-
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/056/index.htm

気になる内容なので、スレッドを立てておきます。

 <思いやりのあるコミュニティ宣言>
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 いつもご協力いただきありがとうございます。

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  • [23]
  • デジタル時代にも漢字の手書きは大事 言語能力発達に影響も

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2021年 2月22日(月)17時41分11秒
  • 返信
 
デジタル時代にも漢字の手書きは大事 言語能力発達に影響も | Science Portal - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」
2021年02月16日
https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/clip/20210216_g01/
>村井さんは「漢字習得につまずく子供たちに同じ指導法で臨むのは効果的ではなく、それぞれの困難の側面とその要因である苦手な認知能力を考える必要があることを、この結果は示唆しています。個人に合わせたトレーニングが大切ということです」と説明する。

>ただ研究グループは説明にあたり、慎重な姿勢も崩さない。村井さんは「研究はあくまでスタートポイントにある。子供から大人までの生涯を大きく語っているが、わずか30人の大学生を調査しただけだ。今回は着想を得たので、今後はトレーニングの影響を調べるなどして研究を進めたい」と話す。大塚さんは「手書きの能力は調べたが、デジタルデバイス自体が良くないなどと調べたのではない」と念を押す。ただ少なくとも、デジタル時代にも手書きが大事だ、とはいえるはずだ。

  • [22]
  • 村中直人の雑記帳より

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2020年11月15日(日)16時07分52秒
  • 返信
 
掛け算の順序問題から人の能力のあり方の多様性を考えてみた | 村中直人の雑記帳
https://inthevillege.com/nouryokutayousei/
また、(twitterでもつぶやきましたが)言語と数の処理が独立した能力であり、ほぼ言語を介さずに数を処理する人が存在するということは、言語処理優位な人にとってはなかなか理解や想像がしにくいだろうなあとも強く感じました。
>これらのことから私が掛け算の順序問題から感じたのは、過度な言語理解重視の教育的価値観の存在です。つまり、「言葉で説明できないということは、理解できていないし身についていない」とする考え方が強く多数派を占めているのではないかということです。



掛け算順序問題から人の能力の多様性を考えてみた② | 村中直人の雑記帳
https://inthevillege.com/nouryokutayousei2/
そして、掛け算にも「正しい順序」があると指導することは、「数式で正しく自分の考えを表現出来るようにする」ための指導とは真逆の指導だと思っています。なぜなら数学的にはそれは明確に間違った考え方だからです。例えるなら、英語で表現させるためにわざと誤った日本語文法を指導しているようなものです。
>数的処理が得意で言語処理が苦手な人なら、まずは数的処理で理解し評価され、その後に言語的に翻訳することを学んでいったとしても本来何も問題はないはずだと思います。算数において「言葉にしなくては伝わらない」と考えることは「言葉だけが伝える手段である」と決めつける傲慢な考えではないかと私は思っています。


  • [21]
  • 初等中等教育分科会(第124回)議事録の抜粋

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2020年 3月22日(日)21時58分25秒
  • 返信
 
初等中等教育分科会(第124回) 議事録:文部科学省
令和元年12月13日
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/gijiroku/1422565_00003.htm
【梶田 叡一委員 桃山学院教育大学長、学校法人聖ウルスラ学院理事長】
読解力が余り振るわないということで思い出しました。2007年頃でしたでしょうか,前回の指導要領の改訂の前に,言語力育成協力者会議というのをやりました。これは一応,私,座長をさせていただきましたが,今日も御出席の合田哲雄財務課長が,当時,教育課程企画室長でまとめ役をされたんですが,そのときに,こういうことについてどう対応するか既に出ていたんです。どういうことか。2000年のときも2003年のときも,日本の子供は読解力的なものは余りよくないんです。読解力と言ってしまうから,何か分かったような気がするんですけれども,日本の国語なんかでやっている読解力というのは,心情の読解なんです。共感によって心情を読解する,これはとっても大事なことなんです。非常に大事です。この点は非常にいいんですけど,もう一つ,論理によって状況を分析的に捉えて,それを自分の認識にしたり,あるいは伝えたり,コミュニケーションにしたりというところは余りやっていない。これは当時,その言語力育成協力者会議の中で何人かの委員の方が,欧米の,特にヨーロッパの言語技術,ランゲージアーツ,これのトレーニングといいますか,言葉の教育の中で,例えば絵本だとか,余り言葉でまだ表現されていないようなものもテキストとして与えて,それを5W1Hでどう表現するか。誰がどこで何をいつとか。主として,それをそういうふうに読み解いた根拠は何かということを自分の中で明確にして,人にも伝達するという,これは余り日本ではそういうことまでやりません,5W1H的な。それで最後は,Why,Becauseなんです。Why,Becauseのところは非常に大事になるわけだけれども。
こういうことが議論されて,前回の指導要領の改訂のときに,言葉の力ということで,どの教科でも心情の読み取り的なものではない意味での読解力,論理によって分析的にきちっと状況を把握して,それを組み立てる力,これを考えていかなきゃいけないんじゃないかということが,文科省から出ているいろんな文書にも出ていたと思いますし,いろいろと言われたと思うんですが,そのことが十分に浸透しないまま今日に至ったのかなというのが私の率直な印象です。
日本の国語教育の中の一つの――すごくいいところはあるんだけれども,弱さをあえて言うとすれば,ここでOECDが言っている読解力的な弱さですので,我々はここをきちっと受け止めて,次に向かって,やはり,もう具体は指導の中で,授業が,あるいはそこの中での先生の子供に対する活動というものの組み立て方,これを一工夫しなきゃいけないんじゃないかなと。今までの流れの中で頑張りますというだけでは済まないんじゃないかなということを率直に思いますので,ちょっと申し上げておきたいと思います。


  • [20]
  • 教育課程部会(第114回)議事録の抜粋

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2020年 2月21日(金)20時32分53秒
  • 返信
 
教育課程部会(第114回) 議事録:文部科学省
令和元年12月4日(水曜日)9時45分~12時00分
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/gijiroku/mext_00176.html
【今村主任教育企画調整官】
読書は大好きな趣味の1つだというように読書を肯定的に捉える生徒は,日本はOECD平均よりは多いという状況で,こうした読書を肯定的に捉える生徒の読解力の平均点も高いという状況がございます。

【耳塚青山学院大学学部特任教授】
最下位の25%の層を見ますと,読解力レベル1以下の生徒が4人に1人以上になっております。レベル2を合わせると約半数に及んでいます。これは放置されてよいとは思われません。

【髙木横浜国立大学教授】
それから,読書に対する課題と思われるところですけども,生徒の興味・関心がフィクションに日本の場合特に強くて,ノンフィクションや新聞などを含む様々なテキストに向いていないことが,読解力得点の低下にかなり関連しているのではないかということが推測されます。

【喜名朝博委員】
現行の学習指導要領のキーワードになった言語活動,このことで,どちらかというと,しっかり読むということよりも,意見を発表するとか書くとか,そういう活動が重視されるようになってきた状況があります。伝えるということを重視した言語活動に焦点が当たってしまって,本来の文字をしっかり読む,一文字一文字というのでしょうか,言葉を意識しながら精細に精緻に読んでいくということをする時間がかなり減ってしまっているというのも事実だなと思っています。

その意味では,全国学テもそうですけれども,算数の文章題の題意が分からない子や,長文になると諦めてしまって先を読み進めなくなってしまう子がいるということも事実だと思います。

また,これも,国語に限らず,算数や理科や社会の教科書をしっかり読むということが減っているような気もします。

【西橋瑞穂委員】
先ほど喜名委員もおっしゃいましたけれども,私は,高校で生徒が入っていたときにいつも感じるのが,ワークシートとかで勉強することに慣れている生徒が増えているなということです。そういうところから,教科書をきちんと読まない,読めない,そういう子供が増えているなというのを非常に強く感じます。

  • [19]
  • Re: 中高生の読解力ピンチ

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2019年10月29日(火)18時36分36秒
  • 返信
 
>>18
> >>17
> > https://twitter.com/sneijderbot/status/1188207728029626369
> > >これマジか、中学生の43%が間違える学力....
> >
> > 算数教育が数字を拾って演算決定すると考えると、単語を拾う作業を重視する生徒が育ったかもしれないというのは因果関係があるのかも。
>
> この調査をした新井紀子の国語力もまあ褒められた物じゃないと思ってしまう。
>
> https://togetter.com/li/1382761
>

文科省が「言語能力の向上」とか言っていますが、現場では空気を読めという指導に陥っている可能性が高いと思っています。(新井紀子氏も空気を読めと言っているように感じる)
算数教育学wの特定の式を要求するのもその一環だし、論理的というのが蔑ろにされていそうです。

  • [18]
  • Re: 中高生の読解力ピンチ

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2019年10月29日(火)16時11分24秒
  • 返信
 
>>17
> https://twitter.com/sneijderbot/status/1188207728029626369
> >これマジか、中学生の43%が間違える学力....
>
> 算数教育が数字を拾って演算決定すると考えると、単語を拾う作業を重視する生徒が育ったかもしれないというのは因果関係があるのかも。

この調査をした新井紀子の国語力もまあ褒められた物じゃないと思ってしまう。

https://togetter.com/li/1382761



  • [17]
  • 中高生の読解力ピンチ

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2019年10月28日(月)20時21分42秒
  • 編集済
  • 返信
 
https://twitter.com/sneijderbot/status/1188207728029626369
>これマジか、中学生の43%が間違える学力....

算数教育が数字を拾って演算決定すると考えると、単語を拾う作業を重視する生徒が育ったかもしれないというのは因果関係があるのかも。

  • [16]
  • Re: 過剰情報を含む算数文章題

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2019年 3月 5日(火)14時30分48秒
  • 返信
 
>>15
> 教員紹介 | 保育学科 | 小田原短期大学 通信教育課程
> https://tsushin.odawara.ac.jp/school/staff.html
> ■末松加奈 ■担当科目:教育の方法と技術
> 研究業績
> https://tsushin.odawara.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00006983.pdf&n=2018%E6%9C%AB%E6%9D%BE%E5%8A%A0%E5%A5%88.pdf
>
> >2.過剰情報を含む算数文章題の誤りに関する一考察
>
> >小学校 1 年生児童を対象とし、過剰情報を含む算数文章題に対する児童の誤りの原因と指導法との関係について調査した。その結果、児童は幼児期を通して発達させた数概念を用い、数字や立式を伴わない状況下で問題に正答した。一方で、正しい場面理解を立式に適用することなく、授業で学んだ方略を暗記再生的に使用し立式を行うことが過剰情報を含む文章題の誤りの原因であることが示唆された。(査読あり)

>


ここだけ見ての推測だけど、式などを教えることが理解に役立たないばかりかむしろ妨げになっているようにさえ思えます。

  • [15]
  • 過剰情報を含む算数文章題

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2019年 3月 2日(土)21時36分34秒
  • 返信
 
教員紹介 | 保育学科 | 小田原短期大学 通信教育課程
https://tsushin.odawara.ac.jp/school/staff.html
■末松加奈 ■担当科目:教育の方法と技術
研究業績
https://tsushin.odawara.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00006983.pdf&n=2018%E6%9C%AB%E6%9D%BE%E5%8A%A0%E5%A5%88.pdf

2.過剰情報を含む算数文章題の誤りに関する一考察

>小学校 1 年生児童を対象とし、過剰情報を含む算数文章題に対する児童の誤りの原因と指導法との関係について調査した。その結果、児童は幼児期を通して発達させた数概念を用い、数字や立式を伴わない状況下で問題に正答した。一方で、正しい場面理解を立式に適用することなく、授業で学んだ方略を暗記再生的に使用し立式を行うことが過剰情報を含む文章題の誤りの原因であることが示唆された。(査読あり)


過剰情報に関する他の文献も参照しましたが、過剰情報を含む算数文章題は、文科省の主導する「言語能力の向上」に貢献するのではないでしょうか。
過剰情報に批判的な声も聞こえますが、正答率が下がるのを危惧しているだけのように感じます。(教師の評価が下がるのを嫌っているだけ?)
これでは、読解力が身に付かないまま先に進もうとしているようにしか思えません。

論文は参照していませんが、小学校1年生でも過剰情報を含む算数文章題に正答する生徒はいるようですし、誤答する生徒は立式に拘っているように見受けられます。

  • [14]
  • 言語能力の確実な育成

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2018年12月29日(土)22時52分58秒
  • 返信
 
学習指導要領について
平成29年4月
28文科初第1828号
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/__icsFiles/afieldfile/2017/08/22/1389010_3_1.pdf
>5)小・中学校の教育内容の主な改善事項
>① 言語能力の確実な育成
>・ 発達の段階に応じた,語彙の確実な習得,意見と根拠,具体と抽象を押さえて考えるなど情報を正確に理解し適切に表現する力の育成を図ることとしたこと。
>・ 学習の基盤としての各教科等における言語活動(実験レポートの作成,立場や根拠を明確にして議論することなど)を充実させたこと。


各都道府県教育委員会教育長
各指定都市教育委員会教育長
各都道府県知事
附属学校を置く各国立大学法人学長
構造改革特別区域法第12条第1項の認定を受けた各地方公共団体の長

宛ての資料のようです。

  • [13]
  • Re: 言語と思考

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2018年 9月29日(土)13時16分23秒
  • 返信
 
>>12

>  考え方を式や言葉で表現できると思っている人って、その程度の薄っぺらな考えしかしたことないのだろうか?

そうだと思いますよ。

もしくは、式や言葉で表現する事自体が優れた考え方だと思っている可能性もあります。
思考そのものは、かなり漠然としたものがたゆたっている感じです。(個人的見解)
それを方向付けして、自分とって意味のある形で掬い取る必要があります。
漠然としたものを判然とした形にするイメージですかね。
この手の人達の思考の最終形態(判然とした形)は、式や言葉で表現する事なのかもしれません。

自分の考えはこうだったんだ、というような自己暗示のように言い聞かせないと不安になる人達もいるかもしれません。
自己暗示するのに必要なのが言語で、それで自己対話をしないと安心出来ない心理の人達もいそうですね。

仮説は色々考えられますが、様々な人達の自己分析を聞いてみたいですね。

  • [12]
  • Re: 言語と思考

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2018年 9月28日(金)14時18分2秒
  • 返信
 
>>11

算数教育でも、どう考えたかを言葉で表現することを強要し続けたら、言葉で表現できることしか考えない、あるいは、実はそれ以上のことも考えているが面倒くさいから言葉で表現できる範囲のことしか考えていない振りをする、ということになりかねないと思っています。

 考え方を式や言葉で表現できると思っている人って、その程度の薄っぺらな考えしかしたことないのだろうか?

  • [11]
  • 言語と思考

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2018年 9月27日(木)22時32分34秒
  • 返信
 
数学における発明の心理
ジャック・アダマール(著) 1990年12月
P82
私は『ル・タン』(Le Temps,1911)で次の文章を読んだとき、初めてこの問題に気づいた。「概念は言語を通すよりほかに認知されることはなく、言語によってのみ存在する。」私がそれを読んだときの感じは、それを書いた人の考えは貧困だということであった。

やはり、まず言語ありきのような考えがあるようです。

P82
私にとってさらに驚くべきことは、有名な言語学者であり東洋学者であったマックス・ミュラーほどの人が、言語なしには思考できないと主張し、さらに私にはまったく理解できないが、次の文章を書いていることであった。「空があるとか、それが青色であるとかいうことをどうして知るだろうか。そのための名前を知らなければ、われわれは空の存在を知るだろうか。」彼はヘルダーとともに、「言語なしには人間は決して理性に到達できなかっただろう」ということを認めるばかりでなく、さらに言葉なしには人間は感覚にさえ到達することはできなかっただろうとつけ加えた。

>>6-7 で取り上げた、おかしな主張に通じるものがありそうです。

P84
一人の哲学者バークレーは、逆方向に断定的である。彼は、言語は思考にとって大きな障害であると信じている。

こちらは逆方向ですね。

P85
ゴールトンの心にみられるこのような性質は、彼にとって不便な面がある。彼がいうには、「私にとって、言語で考える方が他のやり方で考えるほどやさしくないことは、ものを書きとめるときや、とりわけ自分の考えを説明するときにかなりの欠点になる。大いに働いて、自分にとってはまったく明快で満足のいく結果に到達したあと、それを言語で表そうとする段になると、私は、まったく別の知的状態に自分をおくことから始めなければならないと感じる。私の思考にうまく歩調の合わない言葉に自分の思考を翻訳しなければならない。そのため適当な単語や句を探すのに非常に多くの時間を費やしてしまう。また突然話をするように求められると、私は、認識が明快でないからではなくて、ただ口下手のせいで非常にわかりにくいではないかと気になる。このことが私の生涯の小さな悩みの一つである。」
>私がゴールトンの記述を長々と再録したのは、そのなかにたしかに自分自身をみるからであって、彼と同様のなげかわしい経験までも含まれる。


私も、この意見に同感します。

P87
ゴールトンがいうには、彼は、機会の許す限り調査をして、思考する際に頭の中か口に出して言葉をいうことをしない人々の割合を調べ、小さな値ではあったがある値を得た。

個人的な見解では、言葉を介するより、より多くの事を高速に思考していると思われます。

P91
研究の仕事の場合は、もちろん、まるで違ってくる。そのことを知るために、私は、私が数学上の議論を積み重ねたり理解しようとするときに(この本の冒頭で述べたように両者に本質的な差異はない)、私自身の頭のなかに起こることを理解したいと思っていた。
>私が実際に思考しているときには、頭のなかに言語はまったく存在しないと主張できる。私は、質問を読んだり聞かされたあとでも、それについて考えはじめると、途端にすべての言語は消え失せてしまう。その意味で私の場合はゴールドンとまったく同類である。私が研究をし終えるか放り出してしまうまで、私の意識のなかに言語が再現することはなく、そのことはゴールドンと同様である。私は、「思考は、言語で具体化されるとき死滅する」と書いたショーベンハウエルにまったく同意する。
>私は言語に対してだけではなく、代数の記号にさえ同様にふるまっていることを強調しておくことも大切だと考える。私はやさしい計算のときは記号を用いるが、もっと難しそうな問題の場合には、記号は私にとってあまりにも重荷になる。


【「思考は、言語で具体化されるとき死滅する」】とは言い得て妙ですね。
個人的な経験でも、言語化した内容は、思考した事から歪んでいると感じる事はよく有ります。


言語化だけでなく、思考を可視化とか外化とかいう表現がされる事があります。
それらは、思考をそのまま表してはいないでしょう。
又、それらの訓練を重視すると、思考能力の幅を狭め、例えば高い数学の能力が身に付き難い等の負の効果が出てくる可能性があります。

個人的な見解では、ある程度のコミュニケーション(他人の考えを読み取る、自分の考えを伝える)の訓練等に留めないと、負の効果も大きくなっていくと思っています。

  • [10]
  • 言語中心主義

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2018年 5月 7日(月)21時55分46秒
  • 返信
 
数覚とは何か?―心が数を創り、操る仕組み
スタニスラス ドゥアンヌ(著), Stanislas Dehaene(原著), 長谷川 眞理子(翻訳) 2010年7月1日
P55
哲学者の心には、人間の数学能力が言語能力に由来するという考えしかない。だから、言葉を持たない動物が数えることができ、ましてや計算もするといったことは、彼らにとっては思いもよらないことなのである。

哲学者ではなくても、言語能力を重要視しすぎる人達は沢山いそうです。
「言語活動の充実」とかも、その手の人達の影響が大きい可能性があります。
用語を問う問題を出す輩は、用語を覚えるのが基本的な行為と思っている可能性があります。

  • [9]
  • 用語の多用

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2017年 1月 8日(日)22時22分46秒
  • 返信
 
https://twitter.com/sekibunnteisuu/status/816941680054005761
>概念を理解することと用語を覚えることは別なんだけど、小学校でも「かける数・かけられる数」やら、「仮分数」「帯分数」「真分数」やら出てきますね。教科書に書いてあると「覚えるべき用語」とみなされるのが怖い。

言葉を思考の中核と考え、言葉を重要視している人達がいると思っています。
 概念と言葉をセットにように考える人。
 まず言葉を使い、概念は後から付いてくればいいと考えている人。(はじきを推奨するのも同様の考えかも)
 概念を考えたら、コミュニケーションの為に言葉にする必要があると考える人。
 言葉にしないと考えを纏められない人。
 言葉が使えるかで理解度を判断する人。
 言葉を覚える努力を評価する人。
等々・・・

新しい言葉を使うと、知的になった気がしたり、理解している気になったりする効果もありそうです。
同じ言葉を使っていても、人によってイメージが違うのは当然なのを理解しているのか不安になる事もあります。


>用語の使用は必要不可欠な最小限にすべき。

言葉に対する認識の違いが大きいですし、用語を多用するデメリットを考慮しない人達が数多くいると思われます。
個人的には、これも教育界wの大きな問題だと思っています。

  • [8]
  • Re: 言語能力の向上に関する特別チーム(第5回)

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年10月29日(土)08時10分40秒
  • 返信
 
>>6

とにかく「言語能力」ということで、言語を過大評価しているように思えます。

彼らは、頭では理解しているけどそれを言葉に出来ないもどかしさとか経験したことがないのでしょうか?

教えていると、「この生徒は理解しているな」とこちらが分かるけど、「説明してみて」というとうまく出来ないことはざらです。もちろん他人に説明できることは重要ですが、説明できることは理解することの必要条件ではありません。

一方で、難しい言葉を使って説明らしきものはするけど理解が頓珍漢なケースも多々あります。

私は、数学にしろ他にしろ、思考を外と遮断して自問自答したりすることで理解が深まると考えています。それだけでは妄想になりかねませんが。

 言語というのは、外との交渉であり、ここが異様に強調されることで、深く考えることがおろそかにならないかと心配です。

 例えば「説明する力」がもとめられ、「自分の考えを説明せよ」ということになったら、説明しやすい考えしかしなくなるかもしれません。

 授業でやった解法や公式(往々にしてこれらは名前がついている)を使うなら、「なんとかの公式で」で済むけど、自分なりに考えた方法だと説明するのに苦労するとなれば、公式や解法を使う方を選ぶことになる。

 本を読むたびに読書感想文を書くことを要求されたら、読みたい本ではなくて感想文を書きやすい本を読むことになる。


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