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  • 「言語活動の充実」、「言語能力の向上」

  • 投稿者:TaKu
 
現行学習指導要領・生きる力
第1章 言語活動の充実に関する基本的な考え方
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/gengo/1300857.htm

言語力育成協力者会議
平成18年(2006年)-平成19年(2007年)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/036/index.htm#pagelink3

教育課程部会 言語能力の向上に関する特別チーム
平成27年(2015年)-
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/056/index.htm

気になる内容なので、スレッドを立てておきます。

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  • [9]
  • 用語の多用

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2017年 1月 8日(日)22時22分46秒
  • 返信
 
https://twitter.com/sekibunnteisuu/status/816941680054005761
>概念を理解することと用語を覚えることは別なんだけど、小学校でも「かける数・かけられる数」やら、「仮分数」「帯分数」「真分数」やら出てきますね。教科書に書いてあると「覚えるべき用語」とみなされるのが怖い。

言葉を思考の中核と考え、言葉を重要視している人達がいると思っています。
 概念と言葉をセットにように考える人。
 まず言葉を使い、概念は後から付いてくればいいと考えている人。(はじきを推奨するのも同様の考えかも)
 概念を考えたら、コミュニケーションの為に言葉にする必要があると考える人。
 言葉にしないと考えを纏められない人。
 言葉が使えるかで理解度を判断する人。
 言葉を覚える努力を評価する人。
等々・・・

新しい言葉を使うと、知的になった気がしたり、理解している気になったりする効果もありそうです。
同じ言葉を使っていても、人によってイメージが違うのは当然なのを理解しているのか不安になる事もあります。


>用語の使用は必要不可欠な最小限にすべき。

言葉に対する認識の違いが大きいですし、用語を多用するデメリットを考慮しない人達が数多くいると思われます。
個人的には、これも教育界wの大きな問題だと思っています。

  • [8]
  • Re: 言語能力の向上に関する特別チーム(第5回)

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年10月29日(土)08時10分40秒
  • 返信
 
>>6

とにかく「言語能力」ということで、言語を過大評価しているように思えます。

彼らは、頭では理解しているけどそれを言葉に出来ないもどかしさとか経験したことがないのでしょうか?

教えていると、「この生徒は理解しているな」とこちらが分かるけど、「説明してみて」というとうまく出来ないことはざらです。もちろん他人に説明できることは重要ですが、説明できることは理解することの必要条件ではありません。

一方で、難しい言葉を使って説明らしきものはするけど理解が頓珍漢なケースも多々あります。

私は、数学にしろ他にしろ、思考を外と遮断して自問自答したりすることで理解が深まると考えています。それだけでは妄想になりかねませんが。

 言語というのは、外との交渉であり、ここが異様に強調されることで、深く考えることがおろそかにならないかと心配です。

 例えば「説明する力」がもとめられ、「自分の考えを説明せよ」ということになったら、説明しやすい考えしかしなくなるかもしれません。

 授業でやった解法や公式(往々にしてこれらは名前がついている)を使うなら、「なんとかの公式で」で済むけど、自分なりに考えた方法だと説明するのに苦労するとなれば、公式や解法を使う方を選ぶことになる。

 本を読むたびに読書感想文を書くことを要求されたら、読みたい本ではなくて感想文を書きやすい本を読むことになる。

  • [7]
  • Re: 言語能力の向上に関する特別チーム(第5回)

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2016年10月28日(金)20時59分13秒
  • 返信
 
>>6

折角なので、言いたい事を書いておきます。

https://twitter.com/temmusu_n/status/791258356241477633
確かに言語でメタ認知、深い思考などが可能という話は聞くことがあるが、あまりにも多くの卵を一つの籠にもるものではないか。

メタ認知や深い思考には、言語活動が必要となりそうで怖いです。
更に、メタ認知や深い思考を評価(教師が把握)しようとすると、言語による表現を要求するようになると思われます。
言語活動をしたのだから、言語による表現は当然という流れです。
その先に、言語活動を充実したからこそメタ認知や深い思考に繋がったという、根拠の薄い倒錯した事を言い出す可能性が高そうです。


これらの発言も気になります。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/056/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/05/24/1371093_1.pdf
○ また、音や色、イメージ、身体表現などの非言語により対象や事象を捉えることを主とする教科(音楽や図画工作、美術、体育等)においては、非言語をどのように言語化するかというところに言語活動の特徴がある。非言語で捉えたことを言葉にするという言語活動を行うことにより、当該教科における自分の学びをメタ認知し、思考・判断・表現してより深い理解につなげる「深い学び」としたり、学習活動を振り返って次につなげる「主体的な学び」としたり、自分の感じたことを言葉にすることで他者に伝え、自らの考えを広げ深める「対話的な学び」としたりして、学習過程の質的改善を図ることができる。

非言語をどのように言語化するかというところに言語活動の特徴がある。
言語活動が目的に見えますね。

自分の学びをメタ認知し】、【より深い理解につなげる「深い学び」としたり】、【学習活動を振り返って次につなげる「主体的な学び」としたり
言語化は一つの手段でしかないのに、言語化しないと駄目のようにしか受け取れません。

自分の感じたことを言葉にすることで他者に伝え、自らの考えを広げ深める「対話的な学び」としたり
言葉“だけ”で伝えさせようとするなら、問題のある教育だと思います。
自分の感じた事を、他者に正確に伝えるのは無理筋だし、伝えようと努力するするなら、言葉“だけ”に頼ってはいけないでしょう。


また、非言語で捉えたことを、例えたり、見立てたり、置き換えたりしながら言葉にする力を育むことは、自己表現の観点や語彙力向上の観点などから、言語能力の向上に大きく寄与するものである。

完全に、言語能力の向上の為という発言ですよね。
下手に飾り立てようとしないで、「言語活動」の目的は「言語能力の向上」の為と言えないんですかね。



ついでに、言語活動についてつらつら思う事を箇条書きしておきます。

・理解していなくても、とにかく言葉にする訓練になる可能性がある。
 理解せずに四則演算の式に当て嵌めるのと類似。

・言葉は思考の中では低速(個人的な感覚では間違いない)。
 低速思考しか出来ない人材を育成しそう。

・言葉にして書くというのは、更なる低速作業。
 それを重視しては、思考の足をひっぱるのを懸念。

・何でもノートに書かせようとする風潮がありそう。
 自分で重要な事を把握しておらず、分量も多くなるので、結果的に読み直さない資料となってしまう。

・言葉では思考を正確に表現していないのに、言葉にした内容こそが自分の考えと思ってしまう。

・言葉にし辛い内容も、言葉で要求するのは当然としてしまう。

・言語活動に自信のある人は、自分の言葉は正しい筈なので、納得しない人がいた場合、その人の読解力が足りない事にする。

  • [6]
  • 言語能力の向上に関する特別チーム(第5回)

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2016年10月25日(火)19時55分37秒
  • 返信
 
教育課程部会 言語能力の向上に関する特別チーム(第5回) 配付資料:文部科学省
平成28年5月12日(木曜日)10時00分~12時00分
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/056/siryo/1371093.htm
資料1 言語能力の向上に関する特別チームにおけるこれまでの議論の取りまとめ(案)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/056/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/05/24/1371093_1.pdf

○ 中央教育審議会答申(平成 20 年 1 月 17 日)2では、児童生徒の思考力・判断力・表現力等を育むために、記録、要約、説明、論述といった言語活動の充実が提唱された。これを踏まえ、平成 20 年 3 月に告示された小学校・中学校学習指導要領及び平成 21 年 3 月に告示された高等学校学習指導要領では、各教科等において、言葉による記録、要約、説明、論述、討論のほか、歌、絵、身体による表現など、言語及び非言語による学習活動を「言語活動」として重視し、その充実を図っている。
>○ このように、広義の「言語」には、日本語や英語などの個別言語における話し言葉や書き言葉(文字)のほかに、数字や音符なども含まれ、また、 「言語能力」は、話し言葉や書き言葉以外の言語や非言語をも含めた広範な能力として捉えられる場合もあるが、本取りまとめにおいては、 「言語」は、日本語及び英語などの個別言語における話し言葉や書き言葉のことを指すこととし、それ以外の数字や音符などを指し示すときは、その都度、それらを明記することとする。


「言語能力」と言っただけでは、範囲は決まらないようです。


・言語能力は、それぞれの発達段階に応じた差異はあるものの、論理的に組み立てて物事を考える論理的思考の前提となるものであり、全ての子供たちに身に付けさせる必要がある能力である。

言語能力が論理的思考の前提とか言っちゃってますね。
例えば数式を変形するのにも、言語能力が前提になるんですかね。
こんな勘違い発言をされると、まともに論理的思考が出来ない人達が議論しているようにしか見えません。


・情操、情感が発達していく中での中心的要素が言葉であり、言葉によって自分の思いや感情を意識化することで、自分の感情をコントロールすることができる。このため、 言語能力を支える心をいかに育むかが重要である。

言葉で意識化すると自分の感情をコントロール出来るとか、激しい妄想に取り付かれているようにしか思えません。


① 創造的思考とそれを支える論理的思考の側面情報を多角的・多面的に精査し、構造化する力が重要であり、主にこの側面を高めることにより、言葉を通じて、自分のものの見方や考え方を深めようとする態度につながると考えられる。

何故、言葉を通じないといけないのか、わかりませんね。


○ 言語活動には、音声・文字の軸と、表現・理解の軸で4種の活動形態-話す、聞く、書く、読む-がある。また、これらの活動が行われている時には、自己の内部だけで展開される「考える」という活動が必ず伴って行われている。

「考える」-「考える」では言語活動は必須でありません。
言語は手段の一つでしかないです。


非言語で捉えたことを言葉にするという言語活動を行うことにより、当該教科における自分の学びをメタ認知し、思考・判断・表現してより深い理解につなげる「深い学び」としたり、学習活動を振り返って次につなげる「主体的な学び」としたり、自分の感じたことを言葉にすることで他者に伝え、自らの考えを広げ深める「対話的な学び」としたりして、学習過程の質的改善を図ることができる。

言語活動は手段の一つの筈が、完全に目的化されています。
「メタ認知」「思考」「判断」「深い学び」「主体的な学び」等に言語活動は必須とは思えません。
読んだり聞いたりして言語による情報を把握するのと、表現として言語化する時は、言語活動は必須でしょう。
しかし、それ以外の状況では、言語活動は必須ではありません。
言語活動が特に有効という状況はありますが、とにかく言語活動が重要だという態度はいただけません。


評価を含めた「俺に分かるように表現しろ」という考えがあって、それと絡んで言語活動の充実と言っている可能性も高いように思っています。

  • [5]
  • 言語力育成協力者会議(第1回)

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2016年 9月24日(土)20時28分0秒
  • 返信
 
言語力育成協力者会議(第1回)議事要旨
平成18年6月12日(月曜日)15時~18時
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/036/gijiyoushi/07051011.htm
 技術というと型にはめたことを教えるというイメージがあるが,小さい頃には型を教える,そしてその型を使ってものを考えるうちに,それが身に付いてくると次第に型を崩して自分の能力として自在に使えるようになる。

言語技術教育のみについての発言なのか、式を含んでいるのか不明確ですが、基本的に危うい考えだと思います。
この手の考えからは、式の順序とか「はじき」とか肯定する方向に進むのは当然になります。
【次第に型を崩して】とありますが、教師からすれば、型を崩するのを認め難くなるでしょう。
何時から型を崩していいのか不明確なのも気になります。
初っ端からかまされて、気が滅入りますね。

気力が無いので、とりあえずここだけ取り上げておきます。

  • [4]
  • Re: 啓林館サイトから

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2016年 9月24日(土)20時07分52秒
  • 返信
 
>>3
> https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/WebHelp/04/page4_19.html
> >概念は,言語でもって明確に規定されて,初めて概念として確立されるわけです。
>
>
> そんなことないと思うよ。定義は唯一無二で固定されているかのような印象を与える書き方といい、気に入らない。

数学的な考え方
http://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/WebHelp/02/page2_25.html
>数学的な考え方にはいろいろな見解があり,これを定義することは難しいといえます。

言語でもって明確に規定されていないので、「数学的な考え方」は概念として確立されていないのでしょう。
乗法についても、啓林館のサイトで、言語でもって明確に規定されているのが見当たらないので、概念として確立されていないと思われます。
だからこそ、順序とか良い出せるのでしょうね。

  • [3]
  • 啓林館サイトから

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 9月24日(土)13時43分52秒
  • 返信
 
https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/WebHelp/04/page4_19.html
>概念は,言語でもって明確に規定されて,初めて概念として確立されるわけです。


そんなことないと思うよ。定義は唯一無二で固定されているかのような印象を与える書き方といい、気に入らない。

  • [2]
  • 言語活動重視の危惧

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2016年 8月27日(土)21時31分7秒
  • 返信
 
言語活動を重視すると、生徒が考えを言語化し、教師に伝えるのが当たり前のように扱われそうです。
教師が生徒の考えを読み取ろうと努力する姿勢も希薄になっていきそうです。
評価という面でも、評価されるように言語化して伝えろと言い出しそうです。

言語活動の重視を前面に押し出すと、思考という面でも言語化が中心に扱われそうです。
個人的な見解ですが、ある時間で言語のみの思考だと100の考えが出来るとして、言語に捉われない思考だと1000-10000程度は考えられると思っています。
又、思考した事を言語で表しきれないのは当然だと思っています。
言語化とは、思考の面では枷にもなります。

話し合えば考えが深まるという安直な発想もありそうですし、考えを深めるには言語化が必要とか言い出す人もいそうです。
考えを深める為に、話し合いや言語化も役に立ちますが、一つの手段でしかありません。

メリットばかりを押し出して、デメリットを考慮しているのか不安がありますし、教える側の都合ばかり押し付けている可能性もあります。
教育現場では収拾がつかない状況だと思っているので、まずは中央教育審議会の内容をチェックしていきたいです。

  • [1]
  • 書籍もいっぱい

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 8月27日(土)08時45分31秒
  • 返信
 
「言語活動」が出てきた背景や実際教育現場でどうなっているのかまでは把握していないけど、この手の目新しい言葉が指導要領に載るたびに、大量の書籍が出版されるというのは、普遍的な現象なんでしょうね。

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