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sage

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  • 東京新聞・中日新聞記事でのコメントへの補足 その1 抽象化

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年10月 2日(月)14時43分50秒
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東京新聞 2017年7月10日付け朝刊   中日新聞  2017年7月13日付け朝刊 の記事「掛け算の順序、学び始めに必要? 新指導要領で論争再燃」での私のコメントの前半
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 一方、静岡県三島市の学習塾「大場数理学院」代表の西沢宏明氏は「解説でも書かれているように、この例題は4個が5回分と捉えることができ、1つ分×幾つ分の順序でも、5×4、4×5のどちらも正しい。1つ分と幾つ分の区別も、掛け算の順序も意味がないことになる。でも、これが重要で面白いところ。抽象化して捉えることこそが算数を学ぶ意義なのに、この指導では、それが適切に学べない」と強く反発する。
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新聞記事でのコメントというのは本来の発言を短く要約している。「抽象化して捉えることこそが算数を学ぶ意義」というコメントから、「抽象化して捉えることが最大の意義」だとか、「それ以外に算数を学ぶ意義がない」と読み取ることは避けて欲しい。

 では、抽象とは何か?これを「曖昧」という意味に捉えている人がいるが、それは間違いである。「具象」「抽象」の「象」は、エレファントのことではなく、「気象」、「現象」、「事象」、「森羅万象」の「象」と同様の、「ものごと」というような意味である。

 具象というのは、個々の具体的な物事、そこから共通の性質に着目することが抽象である。「抽象」の「抽」は「抽出」の「抽」である。つまり、多数の具体的ものごとから共通の性質を抽出するのが「抽象化」。その過程で、個々の具象での余計な情報は捨て去ること(「捨象」という)になる。

 数を数えるというのも、抽象化である。蜜柑が3つ、人が3人、個々の蜜柑や人の違いは捨象される。蜜柑や人という大きな違いも無視して、「3」という概念が抽象される。

「蜜柑が3個あって更に2個貰った。蜜柑の数は?」
「3人いるところに2人やってきた。何人になったか?」

どちらも3+2で求められる。さらに、やってきた2人の側に視点を置くと、最初2人だったのが、3人増えたように見える。

そうすると、「3人いるところに2人やってきた場合は、3+2で表すべきで、2+3ではない」という一部の算数教育関係者の主張が誤りであることが分かる。

つまり、足し算において、時間の前後関係は捨象され、3+2も2+3も同じ事になる。

 こうやって余計な情報を捨て去り(捨象して)、抽象化していくことで、簡潔に理解できるようになることがある。算数・数学においてはこのような抽象化が極めて重要である。

 この記事では、掛け算について述べている。4つの皿に5個ずつ蜜柑が乗っている。、新指導要領解説算数編では、蜜柑の総数は、5個が4つで5×4で求めるのが自然であると書かれているが、視点を変えたら、4個が5つで4×5と求めることが出来る。

 そうなると、5個が4つ と 4個が5つ を区別する必要もなくなり、4×5と5×4を区別する必要もなくなる。

 このことは、以下のようなイメージで捉えたら一目瞭然である。

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更に抽象化して考えていけば、このようなイメージすらなくなり、5×4と4×5は全く同じものと認識してしまう。

これが抽象化である。

算数教育でしばしば行われる掛け算の順序に拘る指導は、このような算数・数学において極めて有効な抽象化を妨げるものでしかない。

掛け算の順序だけではない。

割り算の等分除と包含除の区別
足し算の増加(ふえるといくつ)と合併(あわせていくつ)の区別
引き算の求残(のこりはいくつ)と求差(ちがいはいくつ)の区別

これらは全て不必要な区別であり、この区別を子供にさせることは抽象化の阻害である。