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  • 算数・数学の学び方・教え方について、あれこれ

  • 投稿者:積分定数
 
 似たようなタイトルで遠山啓の本があったけど、まねしたわけではありません。掛け算の順序指導をしている教師とやり取りしていて、そもそも目指すべき方向が私と根本的に異なると思うことがあるので、算数・数学を学ぶ・教えるとはどういうことなのか、総論・各論、一般論・具体論含めて考えていきたいと思います。

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  • [59]
  • 「中学入試で方程式は駄目」は都市伝説

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2019年 3月15日(金)17時27分49秒
  • 返信
 
https://sekibunn.at.webry.info/201903/article_1.html

 朝日新聞2019年3月11日朝刊において、興味深い記事が掲載された。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13928022.html?iref=pc_ss_date (フォーラム)中学入試、方程式はNG?
中学入試において、小学校算数では扱わない方程式を使ってもいいのか、を調べたものである。しばしば話題になりこのブログでも何度か書いた「かけ算の順序」に関して書かれていて、なかなか興味深い。そこで今回は算数の文章問題を方程式で解くことの是非について考えてみる。

 中学受験指南の世界においては「特殊算」と呼ばれるものがあり、独特の解法があるらしい。有名なのは「2本足の鶴と4本足の亀が合わせて20匹、足の数の合計が68本。鶴と亀はそれぞれ何匹?」という「鶴亀算」である。「特殊算」で検索すると他にも、旅人算、仕事算、差集め算など沢山の“ナントカ算”があるらしく、これらに関してそれぞれ独特な解法があり、そららを覚えて、問題が出されたらそれがどのタイプなのかを見極めて、そのタイプに特有な解法で答えを出す、というのがスタンダードな中学受験対策らしい。

 沢山のタイプと独特の解法を覚えないとならない、問題文を見てどのタイプか判断しないとならないとしたら、面倒なことであろう。入試問題は「鶴と亀が・・・」などというベタな形では出てこない。例えば「目的地までの距離が260km。最初時速40kmで走行し、途中から時速60kmで走行して到着まで5時間を要した。速度を変更したのは出発から何時間後か?」を見て「これは鶴亀算の問題」と判断しないとならない。
「2本足の鶴と4本足の亀が合わせて20匹、足の数の合計が68本。鶴と亀はそれぞれ何匹?」の場合、鶴も亀も足を2本引っ込めたら28本残る。亀が足を2本ずつ出しているはずだから、亀の数は28÷2で14匹。鶴は4匹、という具合に解くらしい。
 上記の速度の問題を同様に解くには、時速40kmで5時間走行すると200kmで、実際の走行距離はこれより60km大きい。これを時速40kmと時速60kmの差である時速20kmで割ることで、時速60kmで走行した時間が出る。60÷20=3で3時間。よって時速40kmで走行した時間は2時間。
 結構ややこしい。

 で「この手の問題は中学で習う方程式で解けばもっと簡単に求まるではないか?入試で方程式を使っては駄目なのか?」という声が出てくることになる。
 これに関して、「中学入試で小学校算数で教わらない方程式を使って解くと減点される」という噂があったのだが、この朝日新聞の記事によるとそれは都市伝説らしく、複数の私立中学が「減点しない」と明言している。
 ところが、記事に出てきた中学受験対策の塾は、入試で方程式を使っても減点されないことを分かった上で、小学生には難しい、負の数など新しい概念を教えないとならない、というような理由で方程式は教えない方針のようである。


ややこしいナントカ算ではなく、小学生にも方程式を教えるべきなのか?
方程式を使わないで解く方法を教えるべきなのか?

私の考えはこのどちらとも異なる。詳細は次回


※大場数理学院は、原則として中学受験に特化した指導はやっていない。算数・数学そのものを理解するような指導を行っている。そのことが結果的に受験(高校入試や大学入試も含めて)でも有効だと考える。鶴亀算や方程式に関しても、中学受験とは関係なく、数学を理解する上でどのように取り組むべきかを考えていく。

  • [57]
  • 教え忘れていること

  • 投稿者:まー
  • 投稿日:2017年11月23日(木)13時14分10秒
  • 返信
 
かけ算を
「一つ分」×「いくつ分」=「全部の数」
で導入した後に,かけられる数,かける数の対称性をゆっくりでも確実に教えないと,高学年での割合や,比の計算に支障が出ます。
これを,かけ算にはいくつもの種類があるとして,問題によって,かけ算の種類を選ばせる教育をしたら,これは,数学的な活動とは,真逆の行為です。

低学年では,かけ算の対称性を九九で教え,問題文によってかけられる数とかける数を入れ替えても,それは適切なことを教師が納得させることです。
これを,「一つ分」が何かを認識させるために,本来数学的に正しいはずの立式に×を与えることは,完全に誤った指導といわざるをえません。
高学年になり,分数が導入された後に,じっくり一つ分の教育を行うべきです。

  • [56]
  • かけ算に順序があると言っている教育方針が間違っていることについて

  • 投稿者:まー
  • 投稿日:2017年11月19日(日)18時03分33秒
  • 返信
 
「ひとつ分」「ひとつあたりの数」「ひとつあたりの量」を強調するのは,将来学習する割合や単位の次元の理解に必要だからです。しかし,「ひとつあたりの量」の概念をしっかり教えるためには,分数が既習であることが必要です。ですから,分数を学んだあとで,高学年で「単位量当たりの大きさ」を学びます。

小学校2年生に「単位量当たりの大きさ」の概念のさわりを教えるために,過剰反応を起こしているとしか思えません。
かけ算の順序によって数学的に正しい式に×をつけるという指導の目的は,本来は,「単位量当たりの大きさ」の概念のさわりを教えるためだったはずなのに,その目的さえ達成されず,しかも,児童の頭に混乱を導入しています。

例えるならば,子供の成長を願い,少しでも身長を伸ばしたい母親が,ある時,子供の頭をたたいたところ,コブができて,少し身長が伸びた。頭をたたくことが身長を伸ばすことにつながると受け止めた母親が,子供の頭を思いっきりたたき始めた。子供は悲鳴をあげているのに,コブがいよいよ膨らんで身長が伸びているから,なおも母親は子供の頭をたたき続ける。

かけ算に順序があるといって,数学的に正しいことに×をつけて,しかも本来の教育的目的も達成していない現状と,とても似ています。

被害者は,子供。(一部の)親と教師は子供のためと思い込んでいる。
もう少し冷静になってください。

  • [55]
  • 頭の使い方をおぼえよう

  • 投稿者:まー
  • 投稿日:2017年11月17日(金)22時38分38秒
  • 編集済
  • 返信
 
かけ算をおぼえよう。

1人あたり4こを3人に配るとき,
4こ+4こ+4こ=12こ
4+4+4=12
ですが,
100人にくばる式を書くと
4+4+4+4+4+4+… もっと 4+4=400
と書ききれないので,
4×100と書いて4かける100とよみます。

4が3つあることを
4×3とかきます。そのあたいは12です。
これを
4×3=12
とかきます。

いろいろなかけ算をけいけんしよう。
2が3つあるときは? 2×3=6
3が2つあるときは? 3×2=6

3が4つあるときは? 3×4=12
4が3つあるときは? 4×3=12

あれ,3×4と4×3は同じ数値になったね。

3つ4があるときは?
3×4?
4×3?
どちらも同じ数値だね。

さいしょ3が4つあるときは
3×4=12
とかくと決めたけど,
3つ4があるときと同じ数値だね。
4×3=12


かけ算の対称性をけいけんしよう。

九九でかけ算の数値の交換法則を体験しよう。
2×3=6
3×2=6


 | 1  2  3  4 …
ー+ーーーーーーーーーーーーー
1| 1  2  3  4 …
2| 2  4  6  8 …
3| 3  6  9 12 …
4| 4  8 12 16 …
…| …  … …… …… …



九九でかけ算の数値の交換法則を体験したら,数量のかけ算の交換法則を体験しよう。

ひとりに
配るみかんの数 人数 みかんの数の合計
     4× 3=12
     4× 2= 8
     4× 1= 4
「人数1人あたり」みかんの数の合計はいくつふえるでしょう。

ひとりに
配るみかんの数 人数 みかんの数の合計
     4× 3=12
     3× 3= 9
     2× 3= 6
     1× 3= 3
「ひとりに配るみかんの数1こあたり」みかんの数の合計はいくつふえるでしょう。

かけられる数×かける数=合計
さいしょに書く数×つぎに書く数=かけ算のこたえ

かけられる数とかける数のどちらが1あたりの数と決めることができるかな。
どちらを1あたりの数と考えることもできるね。

「同じこと」が二つの数のかけ算で表されるときに,考え方によってどちらでも1あたりと考えることができるね。
みかんを2こずつ3人に配るという「同じこと」でも何を1あたりと考えるかは自由だね。
自由ってすばらしいね。
この自由は,頭の中の自由だね。
頭の中は,自由なんだよ。
どんな見かたをしてもいいんだよ。
「同じこと」をいろいろな見方をしてみよう。


面積の出し方を習いましたか?

     ●
    ● ●
   ● ● ●
  ● ● ● ●
 ● ● ● ●
● ● ● ●
 ● ● ●
  ● ●
   ●
●はいくつありますか。

   ●
  ● ●
 ● ● ●
● ● ● ●
 ● ● ● ●
  ● ● ● ●
   ● ● ●
    ● ●
     ●
●はいくつありますか。

めんせきの計算はヨコ×タテだけど,どちらをヨコ,タテときめることができるかな。
見る人の位置によって「同じこと」がちがって見える。だけど「同じこと」
見る人は頭の中でいろいろな方向から見ることを自由に想像できるね。
自由ってすごいね。
自由を大切にしたいね。


分数を習いましたか?

5km/時間 × 4時間 =20km
4km/時間 × 4時間 =16km
3km/時間 × 4時間 =12km
2km/時間 × 4時間 = 8km
1km/時間 × 4時間 = 4km

1km/時間あたり,何kmふえますか。

5km/時間 × 4時間 =20km
5km/時間 × 3時間 =15km
5km/時間 × 2時間 =10km
5km/時間 × 1時間 = 5km

1時間あたり,何kmふえますか。

3こ/皿×4皿=12こ
2こ/皿×4皿= 8こ
1こ/皿×4皿= 4こ

1こ/皿あたり何こふえますか。

3こ/皿×4皿=12こ
3こ/皿×3皿= 9こ
3こ/皿×2皿= 6こ
3こ/皿×1皿= 3こ

1皿あたり何こふえますか。

  • [54]
  • 問題の例

  • 投稿者:まー
  • 投稿日:2017年10月30日(月)12時06分24秒
  • 返信
 
赤い団子と白い団子と緑の団子が一つづつ串にささった三色だんごが4串あります。
1)一串当たりいくつの団子がささっていますか。
2)赤い団子はいくつありますか。
3)白い団子はいくつありますか。
4)緑の団子はいくつありますか。
5)団子は全部でいくつありますか。
こんな感じの問題を何回かやって,式を立てるときは色々な考え方で順番が変わってくることをとりあえず低学年では教える。
高学年になると割合などが出てきて,そもそも式の順番に意味がなくなるから,もう一回掛け算の順序に意味がないことを教える。

一つの文章が表す事実をいろいろな視点で眺めると,式の立て方は色々あることを教えることが,数量の概念を理解するには重要だと思うのです。
数学的な頭の使い方(数学的活動)を通して学習することが求められていると思う。

数学的に正しいことを間違っていると教えることだけはしてはならない。それは,児童の心に大きな傷を残す。ある種の虐待みたいなものだ。

  • [53]
  • Re: 教え方と方針

  • 投稿者:θλ
  • 投稿日:2017年10月27日(金)21時04分15秒
  • 返信
 
>>52
なるほど、実感は大切ですよね。
法則自体は習いながらも「偶々結果が同じになるだけ。計算テクニックにすぎず、立式で使ってはいけない。」といった発言をする人が数多くいる現状は嘆かわしく思います。

  • [52]
  • Re: 教え方と方針

  • 投稿者:まー
  • 投稿日:2017年10月26日(木)21時03分19秒
  • 返信
 
>>51
> >>47
> 交換法則は六の段を習う前あたりできちんと教えられるものだと思うのですが、
> 「経験的に学習する」というのは、どのタイミングを指すのでしょうか?

子供が九九の表や,アレイ図から発見する経験を通して,
「かけられる数とかける数を入れかえてもこたえは同じ」
と学んだことをもって「経験的に学習する」と表現しました。

上級生になって,「分数」,「逆数」,「割合」や「単位量当たりのおおきさ」
を学べば学ぶほど,この交換則は普遍的なものであり,
かけ算の順序に意味はないことが実感できるはずです。
これを実感させることが重要だと考えています。

  • [51]
  • Re: 教え方と方針

  • 投稿者:θλ
  • 投稿日:2017年10月26日(木)16時01分31秒
  • 返信
 
>>47
交換法則は六の段を習う前あたりできちんと教えられるものだと思うのですが、
「経験的に学習する」というのは、どのタイミングを指すのでしょうか?

  • [50]
  • Re: 教え方と方針

  • 投稿者:まー
  • 投稿日:2017年10月25日(水)12時49分35秒
  • 返信
 
>>49
> >>47
> > 「一つ分×いくつ分」の理解を確認するために,問題文に登場する順序を変えることは間違った指導方法です。
> >
> > 交換法則を経験的に学習するまで,文章題は一つ分,いくつ分の順序で数字を示すべきです。
> >
> > これは,負の数を教える前に,回答が負になる問題を出さないことと同じです。
>
>
> 私は、特定の問題文のパターンにならない方がいいと思っています。

なるほど。
様々な状況で視点を変えて考えることができるようにということでしょうか。
それでしたら,私もそう思います。
何を一つ当たりと考えるかは,解釈次第であるということに気づいて,
色々な視点で一つの現象を眺めることができるようになることが重要だと思います。

  • [49]
  • Re: 教え方と方針

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年10月25日(水)00時32分52秒
  • 返信
 
>>47
> 「一つ分×いくつ分」の理解を確認するために,問題文に登場する順序を変えることは間違った指導方法です。
>
> 交換法則を経験的に学習するまで,文章題は一つ分,いくつ分の順序で数字を示すべきです。
>
> これは,負の数を教える前に,回答が負になる問題を出さないことと同じです。


私は、特定の問題文のパターンにならない方がいいと思っています。

  • [48]
  • Re: 教え方と方針

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年10月25日(水)00時31分52秒
  • 返信
 
>>46
>  一つ分×いくつ分で掛け算を導入することは仕方がないと思っています。

私は累加での導入の方がいいと思いますが、どちらにしても最初は順序による意味づけは不可避だと思います。それを否定している人は多分いないと思います。

掛け算順序批判を批判している人の脳内には「最初から順序不問で導入すべき」と主張している順序批判派が存在するようですが。

  • [47]
  • Re: 教え方と方針

  • 投稿者:まー
  • 投稿日:2017年10月24日(火)13時27分33秒
  • 返信
 
「一つ分×いくつ分」の理解を確認するために,問題文に登場する順序を変えることは間違った指導方法です。

交換法則を経験的に学習するまで,文章題は一つ分,いくつ分の順序で数字を示すべきです。

これは,負の数を教える前に,回答が負になる問題を出さないことと同じです。

  • [46]
  • 教え方と方針

  • 投稿者:まー
  • 投稿日:2017年10月24日(火)13時17分25秒
  • 返信
 
積分定数さん,「掛け算順序問題」について良い方向に向かうことを願っています。

過度に掛け算の順序を強制するのは,「理屈の上では正しいことを×にしている」ことで,教わる子供に対する悪影響しかありません。

一つ分×いくつ分で掛け算を導入することは仕方がないと思っています。
しかし,次に教えるべきは,かける数とかけられる数を入れ替えても結果は変わらないことであり,如何に交換則を納得させ,自由に発想できるようにするかです。

九九を習う時点で,かける数とかけられる数は交換できることを習います。
その後に,順番で×をつけることは厳禁であり,教師の行うべきは,子供に対し,かける数とかけられる数が交換されることに対する無矛盾性を如何に経験させ,納得させるかということだと思います。

応援しております。

  • [45]
  • 私案 かけ算指導 その2 式なしでやれるところまでやる

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年10月 2日(月)14時50分19秒
  • 返信
 
■ 牛刀で鶏を割く必要はない

 新しい道具は、それを使う必要性・必然性のある場面で導入すべきである。そうしないと、道具を使うことが目的になってしまい、その道具を使う必然性・必要性がないのに、「今はこの道具を使う授業だから」となりがちである。現在の算数教育はそういう本末転倒な事態に陥っている。

 7人に1個ずつ蜜柑を配るときの蜜柑の総数などは、問題を出された瞬間に7個とわかるだろう。かけ算を使う必要性は全くない。ここでかけ算を無理に使わせようとするから、「式は答えを求めるのが手段ではなく、場面を表すもの」という意味不明な考えが生まれ、「この場面を表すのは1×7、7×1、どちらなのか?」などという馬鹿げたことになってしまう。


■ 概念が本質で、言葉・表記は二次的

 概念を理解していることと、それを表す言葉・表記を知っていることは異なるり、<言葉や表記を知らないが概念を理解している>と言うことがあり得る。算数・数学教育ではここも混乱しがちで、言葉や表記を覚えさせることが概念を理解させること、と勘違いした不適切な指導が行われることがある。

 生徒が概念を獲得した後にそれを表す言葉や表記を教えるべきである。これを逆にするとやっかいなことになる。「移項」という言葉を知らなくても、ちゃんと理解していれば移項を自然に行うことが出来る。理解が不十分なうちに、「移項」という言葉を教えると混乱する。

概念の理解が本質であり、言葉や表記は二次的なものである。
 この立場からすると、式という表記を教える前に文章問題をある程度やるべきである。


■ ということで、式を教えないである程度文章問題に取り組んでもらう。

4人に3個ずつ蜜柑を配ると、蜜柑はぜんぶで何個必要か?
15個の蜜柑を5人で同じ数ずつ分けると、1人何個か?
15個の蜜柑を5個ずつ分けると、何人に分けることが出来るか?

このような、「掛け算の問題」「割り算の問題」と称される問題も、数の概念を獲得していて文章を読み取ることが出来るなら、時間を掛ければ解くことが出来るだろう。

 オハジキなどの補助具を用いてもいいだろうし、図や絵を描いて解いてもいいだろう。ただし、あくまで子どもが自由に作業することが原則。現在の算数教育では「ブロック操作」などというものがあり、「この問題ではこのように操作する」というようなことが決められている。余りに馬鹿馬鹿しいからなのか、現場の先生も適当にスルーしているようだが、算数指導の指南書にはそのようなことが書かれている。


■ 一連の文章問題は、まずは文章を読み取っているか、数の概念を獲得しているかを確認するのが目的だから、最初は簡単な数でやるのが望ましい。徐々に数値を大きくしていき、図や絵を利用したり、整理して数えたり、工夫して数えることの必要性を認識させていく。

  • [44]
  • 私案 かけ算指導 その1 足し算を教える以前に割り算の文章問題

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年10月 2日(月)14時47分39秒
  • 返信
 
数の概念を理解している
文章題の意味を理解できる

加減乗除を教える際には子どもがこのような状態であることが前提であるはず。ところが現状の算数教育ではこのあたりが非常に混乱している。

「4人に3個ずつ蜜柑を配る問題を、4×3としてしまう子は、問題文をきちんと理解してない」「掛け算の順序を正しく書けない子は、4人に3個ずつと、3人に4個ずつを区別できないというようなことを言う人がいるが、もしそれが本当なら、教えるべきは掛け算の順序ではないだろう。

「足が8本のタコが2匹いるときの足の総数を2×8と求める子は、2本足のタコが8匹と認識している」という考えはかなり倒錯している。
「足が8本のタコが2匹いるときの足の総数は8×2と求めるのが正しくて、2×8と求めると2本足のタコが8匹の意味になる」という考えも倒錯している。

教える上で問題を解かせる目的は2つある。

生徒が理解しているかどうかを判断するため
生徒が問題に取り組むことで思考して理解が深まる

「4人に3個ずつ蜜柑を配る。蜜柑の総数は?」で、3×4のみを正解とし4×3を不正解とするのは、このどちらの目的にも合致しない。

理解していても4×3とする子がいる。理解していなくても3×4とする子もいるだろう。
特定の解法のみを強要することは、思考することを阻害する。下手に自分で考えて、正しい答えに至っても「やり方が違うから」とバツになるなら、自分で考えることよりも、指定された解法を覚えることに腐心することになるだろう。


出題の目的・目標を明確にしよう。

数の概念を理解している
文章題の意味を理解できる

まずは子どもがこういう状態になっているのか確認する必要がある。


そのためには指や絵やおはじきなどを数えることで答えが出せるような簡単な数値の文章問題を出せばいい。

これは私自身が教えるときも実践している。

例えば、順列組み合わせで、「ABCDEFを並べ替える方法は何通りあるか?」という問題を出す前に、「ABCを並べ替える方法は何通りあるか?」という問題を出す。これは虱潰しに全部掻き上げても大した手間ではないから、ともかく答えを出してもらう。ここで6通りと正しく答えられたなら、問題の意味は理解できていると判断できるので、次にABCDEFの問題に取り組んでもらう。

四則演算を習う前の子供たちに出す問題も同様。

「4人いるところに2人来たら、何人になるか?」というような問題なら、足し算を習っていなくとも、数の概念を理解していて、文章問題の意味を理解できていれば答えることが出来るだろう。

「3人いて1人帰ったら何人になるか?」
「3人に2個ずつ配るには何個必要か?」
「8個の蜜柑を2人で同じ数ずつ分けると1人何個か?」

などは「引き算の問題」「掛け算の問題」「割り算の問題」などとされるが、あえてこれらも織り交ぜて出題してみる。

「4人いるところに何人かやって来たので7人になった。何人やって来たか?」というようないわゆる「逆思考の問題」も出してみる。
この手の問題は「難問」とされているが、問題文に対応する式がある、と教えることでかえって難しくなってしまうと思われる。


 現状の算数教育だと、問題文を見て「足し算かな?引き算かな?」などと「どの式で解くのか?」を判断するように教えられている。「演算決定」などという算数教育用語まである。それでは「いくつかの解法の中からどれかを選ぶ」という発想になってしまって、理解が出来なくなる。

 同様のことは、小学校算数に限らない。順列組み合わせの問題を見て「Pで解くのかな?Cで解くのかな?階乗かな?」と思案する高校生がいるが、ちゃんと理解しているならこのような発想にはならない。こうなってしまわないためには、PやCや階乗を教わる前に、まずは順列組み合わせの問題を素で解くことが必要である。

子どもは、足し算も引き算も習っていないのだから、「足し算の問題」だの、「引き算の問題」だの意識することなく、素で考えることが出来る。このことは将来、大きな数値の文章問題を扱うときの考える手がかりともなる。


 これらの問題が解けない場合、文章問題の意味を理解していないのか、数の概念の理解が不十分なのかを見極めて丁寧な指導が必要となるだろう。具体的には、子どもの反応を見て対応することになる。

  • [43]
  • 私案 かけ算指導 その0 演算指導と文章問題の分離

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年10月 2日(月)14時46分32秒
  • 返信
 
 私自身は主に高校生対象に数学・物理などを教えてきた。小学生を教えた経験は少なく、低学年を教えたことはない。
 しかし私は、小学校算数も、高校の数学も大学の数学も、その根幹は変わりないと思っている。算数教育に関しては、10年ほど前に「掛け算の順序」の存在を知り、以来徹底的に調べてきた。それを踏まえて、小学校1年生の数の概念からかけ算までをどう教えるかを考えてみた。



 現在の算数教育は、加減乗除の四則演算と文章題がセットになってしまっているようだ。
足し算を習う授業では足し算を使う文章題、引き算を習う授業では引き算を使う文章題という具合である。これでは、かけ算を習う授業で出された文章題は「かけ算で解けばいい」となるのは当然である。

 このような指導は、子どもが、素で問題に取り組むことを阻害し、様々な弊害を生みかねない。「逆思考の問題」と称される以下のような文章題での混乱もその1つである。

「4人いるところに、何人か来たので7人になった。やって来たのは何人か?」

この類いの問題は「足し算の場面なのに、答えは引き算で求める必要があり、子どもにとっては難問」とされるのだが、むしろ難問になるような教え方がなされている疑いがある。

子どもはどのような間違いを犯すのか?「足し算の場面だから足し算の式を書いてしまう」といわれるのだが、そうすると次の2つが考えられる。

【式 4+3=7  答え 3人】
 これが「式が間違っている」とされることがあるらしい。しかしこれは明確に理解している答案であり答えも正しい。「間違い」とするのは言語道断である。


【式 4+7=11  答え11人】
 これは明確に間違いだから、指導する必要があるが、そのためにはなぜこのような間違いをしてしまったのかの分析が不可欠である。

以下のようなケースが考えられる

<問題文を理解した上で、答えが本当に11人だと思っている>
「4人いるところに11人来たら7人になる」と本当に認識しているとしたら、逆思考の問題がどうこう言う以前の話であり、相当慎重に指導する必要がある。

 <問題文を理解していなかった>
この場合、教えるべきは文章の読み取り方である。

 <深く考えず、取りあえず式を立てて計算して解答欄を埋めた>
このケースが最も多いのではないだろうか?

では、この問題を、足し算や引き算を教わっていない子に出したらどうなるだろうか?
数の概念を習得していて、問題文を読み取ることが出来たらなら、指を折って数えるなりして、なんとか正解に行き着くのではないだろうか?

もしそうであるなら、この手の逆思考の問題が難問になってしまうのは、演算など教わって問題を素で考えることが出来なくなった結果だろう。
何かを教わってしまった結果、かえって出来なくなるということは、数学全般でありがちである。


 そこで、加減乗除の四則演算と文章問題は一旦切り離して教えるようにする。

 これは現行の算数教育の常識から大きくはずれるだろうし、教科書もこのような教え方は想定されていないので、現状のまま、小学校教師がこのような授業を行うことは不可能だろう。

 ここでは、教科書や指導要領、これまでの慣習などは度外視して、どのような教え方が効果的で望ましいのかを模索してみる。

  • [42]
  • 東京新聞・中日新聞記事でのコメントへの補足 その3 特定の解法を使わせたいなら

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年10月 2日(月)14時45分43秒
  • 返信
 
東京新聞 2017年7月10日付け朝刊   中日新聞  2017年7月13日付け朝刊 の記事「掛け算の順序、学び始めに必要? 新指導要領で論争再燃」での私のコメントの一部
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
文科省の問題例について「掛け算でなく足し算で求めてもいいし、みかんを一つずつ数えて解答してもいい。掛け算で順序を求められると、算数は『決められた手順を使って解かないといけない』ものだと思い込み、理解を阻む」と批判する。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

これに対して、「じゃあ掛け算を使うことはどうやって教えるのか?」「掛け算の授業で出された問題なのだから、掛け算を使うべき」という批判もあるだろうから、それについて述べる。


■ 暗黙の指示で解法を指定・限定してはならない

 まず重要なことだが、生徒は問題文の意味を素直に受け取り、そこで要求されている答えを見つけることに全力を傾けるべきである。「出題者の意図」だのという余計なことを気にする必要はない。

 問題を素で考えることで、数学の力が付く。4つの皿に5個ずつ蜜柑が乗っている場合の蜜柑の総数を、絵に描いて1つ1つ数えても全く構わない。

 暗黙の指示で特定の解法を要求すると、問題そのものを考えるよりも「先生はどういう風に解いてほしいと思っているのか?」という発想になってしまう。生徒が「この問題ではこの解法を使わないとならない」と思ってしまうと、問題と解法の対応を暗記することが数学の勉強だと思ってしまうことになる。

 これでは数学が分からなくなるのは時間の問題。

 問題-解法の対応パターンは,学年が上がるごとに増加し、高校数学ともなると到底覚えきれなくなる。また仮に覚えたとしても、未知の問題を目の前にしたら対応できなくなる。結局、高校数学あたり破綻することになるが、10年以上染みついた勉強法から抜け出せず四苦八苦する高校生は多い。



■ 特定の解法を使わせたいならどうすべきか?

 教える側からすると、特定の解法を使ってほしいという状況はあり得る。

その場合は、直接そのように指示するということもあるだろう。ただし限定的な場合にとどめるべきだろう。

 ある問題に関して、生徒が手法Aで正解に行き着いたら、「じゃあ手法Bでもやってみて」という具合である。こうしてどちらの方法でも出来ることを確認し、どちらがやりやすいかを実感させて、その後は生徒の判断にゆだねるべきだろう。

 テストの問題として解法を指定することはあまり望ましいとは思えない。

 ましてや、明示的に解法を指定しないでおいて、後から「教えた手法を使わなかったから減点」などというだまし討ちは採点として言語道断であり、,生徒を公式・解法の暗記に駆り立てるもという点で、指導法としても不適切である。


■ 牛刀を使わせたいと思ったら鶏ではなく牛を出すべき

「等差数列の和の公式を理解しているかどうかを見たいから」と、テストで1+2+3を出題して、生徒が公式を使うことを期待するのは無理な話である。

 仮に、生徒が「先生はあの公式を使わせたいのだな」と判断して、期待通り公式で解いたなら、それはそれで指導の失敗ともいえる。

 1+2+3で等差数列の公式を使うのは、牛刀をもって鶏を割く典型例。もちろん、どんなやり方でもいいのだから公式を使ってもかまわないが、普通に計算した方が早いだろうし、そういう判断が出来ることの方が重要である。

 公式が成り立つことの確認として、普通に計算するのと公式を使った場合で答えが一致することを確認させるということはあり得るだろうが、公式を理解しているかどうかを確認するテスト問題としてはふさわしくない。

 公式理解の確認のためには、1+2+・・・+100など、普通に計算したら手間がかかるが公式ならすぐに解けるような問題を出せばいい。

 それでも、普通に計算して正解に行き着いたならマルとすべきだし、やっていくうちに結果的に公式を再構成したのならそれはそれで大いに褒めるべきだろう。
1+2+・・・+100を頭から足すのは大変だからと、1+99、2+98,というような100になる組を計算していくようにしたら、それは実質的に公式を使っているのと同じことになる。

 またどうしても公式を使わざるを得ないようにするには、1+2+・・・+nという具合に、文字を絡めた問題にすべき。m+(m+1)+・・・+nという具合にちょっとアレンジすると、公式を暗記していただけの生徒は困惑し、きちんと理解していた生徒のみが正解を書けるので、理解の確認のテストとしては、よりふさわしい。

 なお私自身は、公式を教える前に、まずはこの手の問題をいきなりやらせてみる、といのが好みではある。


■ 算数かけ算での出題例

小学校低学年で文字式が使えないなら、こういうのはどうだろうか?

求める最終的な答えだけを答案として要求する。
答えは式でもいい。12が正解なら、14-2,3×4、4+8など、計算すれば12になるような式の全てを正解とする。

この前提で「37人に29個ずつ蜜柑を配る。蜜柑の数は全部で何個か?」と出題する。

2桁のかけ算を知らなくても、かけ算で表すことは出来るだろう。

もちろん、37×29 29×37 どちらも正解だし、29×36+29なども正解とすべき。

こうすれば、楽をするにはかけ算の式を書かざるを得なくなる。

「楽をしたい」「面倒臭いことを回避したい」というのは、算数・数学の力をつける大きな原動力となる。公式は「楽をしたい」という人間の性によって生み出される。 1+2+・・・+100を頭から足すのは面倒くさいから、1+99,2+88、・・・とすることになる。この考えを推し進めれば公式が得られる。

 「楽をしたい」という人間の性をうまく利用して、目標とする解法を使わざるを得ない状況を作り出すのが、教える側の腕の見せ所である。
 特定の式を使わせたいのなら、そのために努力すべきは教える側である。「かけ算で式を立てられることを見るのがこの問題を出す目的だから、かけ算を使っていない答案は不正解」などというのは、教える側の責任放棄ともいえる。

  • [41]
  • 東京新聞・中日新聞記事でのコメントへの補足 その2  どんな解法でもいいから答えを出そう

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年10月 2日(月)14時44分47秒
  • 返信
 
東京新聞 2017年7月10日付け朝刊   中日新聞  2017年7月13日付け朝刊 の記事「掛け算の順序、学び始めに必要? 新指導要領で論争再燃」での私のコメントの後半

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 さらに、西沢氏は「こういう指導だと将来的に『問題を見て、解法のパターンに当てはめて解答しようとする』悪い癖がついてしまう」と指摘する。文科省の問題例について「掛け算でなく足し算で求めてもいいし、みかんを一つずつ数えて解答してもいい。掛け算で順序を求められると、算数は『決められた手順を使って解かないといけない』ものだと思い込み、理解を阻む」と批判する。
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 教える側は、「こういう解法で答えを出して欲しい」と思って問題を出すことが多い。問題を出す目的が、ある特定の解法の習得のためであることもしばしばある。
 しかしそれは教える側の都合であり、問題を解く側がそれを忖度する必要はない。

 問題が出されたときに、生徒は「どういう解法なら先生は満足するだろうか」などと考える必要はないし、そのような余計なことを考えないで問題そのものに取り組むことが数学上達の秘訣である。もちろん、そうやって取り組んだ結果、教える側が望んでいる解法と一致することはあり得るし、それは別に構わない。

 教える側の立場でみたら、生徒が「先生の望んでいる解法はなんだろうか?」と考えてしまったとしたら、それは教え方が失敗していると言える。ましてや、「望んでいる解法と異なるからバツ」などというのは言語道断である。


1皿に5個ずつ蜜柑が乗っていて、4皿ある時の蜜柑の総数を、掛け算を知らないでもとめるなら1つずつ数えたり、5個ずつ足し上げたりすることになるだろう。そのような作業こそが、掛け算の理解へとつながる。

 掛け算を習った後であっても同様である。掛け算を習ったからと言って、無理に掛け算を使う必要はない。もちろん使っても構わない。

 与えられた問題に対して、素で考えることをしないで「何らかの式を立てて求めないとならない」となってしまうことが、いわゆる[逆思考の問題」を難問にしている原因であろう。

「何人かで遊んでいるところに2人やってきたので5人になった。最初に何人いたのか?」

この手の問題は算数教育の世界では"難問"とされている。「やってきた」という足し算の場面なのに、5-2と引き算で求めないとならないから難しいのだという。多くの児童が5+2にしてしまうと言う。

しかし本当に難問なんだろうか?難問になるように教えてしまっているのではないだろうか?

文章を理解でき、数か数えられるなら、最初にいた人数は5人よりも少ないと分かるし、そこから色々考えて3人と分かるのではないだろうか?

もし分からないなら、そのような児童に式を立てさせることは意味がないであろう。

またこのように式に頼らないなら答えが出せるのに、式を5+2としてしまうなら、式が問題を解くために何の役にも立たないどころかむしろ有害になってしまっている。

どちらにしろこの状態で式を立てさせることは有害である。

同様のことは、高校数学までずっと続く。

「ABCDEの5文字から2文字、アイウエの4文字か2文字を取り出して、その4文字を並べる方法は?」という問題で、「Cを使うのかな?Pを使うのかな?」などとしてしまう生徒がやるべきことは、CだのPだの階乗だの一旦忘れて、問題そのものを考えることである。その場合、問題を簡単な数に置き換えて虱潰しにするなどが有効である。


いずれにしても、算数・数学では試行錯誤が重要で、それによって理解が深まり、やがて結果的に問題を見て瞬時に解法が分かるようになる。試行錯誤の過程をすっ飛ばして、最初から一発で式を立てて答えを出そうとすると、算数・数学は分からなくなる。

 当然、教える側が生徒に、「最初から一発で答えを出すように」などと求めてはならない。

  • [40]
  • 東京新聞・中日新聞記事でのコメントへの補足 その1 抽象化

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年10月 2日(月)14時43分50秒
  • 返信
 
東京新聞 2017年7月10日付け朝刊   中日新聞  2017年7月13日付け朝刊 の記事「掛け算の順序、学び始めに必要? 新指導要領で論争再燃」での私のコメントの前半
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 一方、静岡県三島市の学習塾「大場数理学院」代表の西沢宏明氏は「解説でも書かれているように、この例題は4個が5回分と捉えることができ、1つ分×幾つ分の順序でも、5×4、4×5のどちらも正しい。1つ分と幾つ分の区別も、掛け算の順序も意味がないことになる。でも、これが重要で面白いところ。抽象化して捉えることこそが算数を学ぶ意義なのに、この指導では、それが適切に学べない」と強く反発する。
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新聞記事でのコメントというのは本来の発言を短く要約している。「抽象化して捉えることこそが算数を学ぶ意義」というコメントから、「抽象化して捉えることが最大の意義」だとか、「それ以外に算数を学ぶ意義がない」と読み取ることは避けて欲しい。

 では、抽象とは何か?これを「曖昧」という意味に捉えている人がいるが、それは間違いである。「具象」「抽象」の「象」は、エレファントのことではなく、「気象」、「現象」、「事象」、「森羅万象」の「象」と同様の、「ものごと」というような意味である。

 具象というのは、個々の具体的な物事、そこから共通の性質に着目することが抽象である。「抽象」の「抽」は「抽出」の「抽」である。つまり、多数の具体的ものごとから共通の性質を抽出するのが「抽象化」。その過程で、個々の具象での余計な情報は捨て去ること(「捨象」という)になる。

 数を数えるというのも、抽象化である。蜜柑が3つ、人が3人、個々の蜜柑や人の違いは捨象される。蜜柑や人という大きな違いも無視して、「3」という概念が抽象される。

「蜜柑が3個あって更に2個貰った。蜜柑の数は?」
「3人いるところに2人やってきた。何人になったか?」

どちらも3+2で求められる。さらに、やってきた2人の側に視点を置くと、最初2人だったのが、3人増えたように見える。

そうすると、「3人いるところに2人やってきた場合は、3+2で表すべきで、2+3ではない」という一部の算数教育関係者の主張が誤りであることが分かる。

つまり、足し算において、時間の前後関係は捨象され、3+2も2+3も同じ事になる。

 こうやって余計な情報を捨て去り(捨象して)、抽象化していくことで、簡潔に理解できるようになることがある。算数・数学においてはこのような抽象化が極めて重要である。

 この記事では、掛け算について述べている。4つの皿に5個ずつ蜜柑が乗っている。、新指導要領解説算数編では、蜜柑の総数は、5個が4つで5×4で求めるのが自然であると書かれているが、視点を変えたら、4個が5つで4×5と求めることが出来る。

 そうなると、5個が4つ と 4個が5つ を区別する必要もなくなり、4×5と5×4を区別する必要もなくなる。

 このことは、以下のようなイメージで捉えたら一目瞭然である。

● ● ● ● ●
● ● ● ● ●
● ● ● ● ●
● ● ● ● ●


更に抽象化して考えていけば、このようなイメージすらなくなり、5×4と4×5は全く同じものと認識してしまう。

これが抽象化である。

算数教育でしばしば行われる掛け算の順序に拘る指導は、このような算数・数学において極めて有効な抽象化を妨げるものでしかない。

掛け算の順序だけではない。

割り算の等分除と包含除の区別
足し算の増加(ふえるといくつ)と合併(あわせていくつ)の区別
引き算の求残(のこりはいくつ)と求差(ちがいはいくつ)の区別

これらは全て不必要な区別であり、この区別を子供にさせることは抽象化の阻害である。

  • [39]
  • 東京新聞・中日新聞記事でのコメントへの補足 その0

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年10月 2日(月)14時42分49秒
  • 返信
 
東京新聞 2017年7月10日付け朝刊   中日新聞  2017年7月13日付け朝刊
に以下のような記事が掲載された。

http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?comment_id=472992&comment_sub_id=0&category_id=116&from=news&category_list=116 (中日新聞サイトより)
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掛け算の順序、学び始めに必要? 新指導要領で論争再燃

2017/7/13 朝刊

次期学習指導要領の下での教科書作成を考えるセミナー=昨年9月、文科省で
 小学2年生で教わる「掛け算」。5×4も4×5も答えが同じ20になるのは、大人なら常識だ。しかし、学び始めの指導法によっては「式に順序がある」と教えられ、5×4は「○(まる)」でも4×5は「×(バツ)」になることがあるという。戦後、数学者、教育関係者らの間で論争が行われてきたこの問題が、再燃し始めている。2020年度からの新学習指導要領の解説書に、掛け算の順序を肯定するかのような記述が盛り込まれたためだ。順序否定派からは「算数嫌いの子どもを増やしかねない」と反発の声が上がっている。
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ネットで公開されているのはここまで。


この記事に私のコメントが掲載されている。

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 一方、静岡県三島市の学習塾「大場数理学院」代表の西沢宏明氏は「解説でも書かれているように、この例題は4個が5回分と捉えることができ、1つ分×幾つ分の順序でも、5×4、4×5のどちらも正しい。1つ分と幾つ分の区別も、掛け算の順序も意味がないことになる。でも、これが重要で面白いところ。抽象化して捉えることこそが算数を学ぶ意義なのに、この指導では、それが適切に学べない」と強く反発する。
 さらに、西沢氏は「こういう指導だと将来的に『問題を見て、解法のパターンに当てはめて解答しようとする』悪い癖がついてしまう」と指摘する。文科省の問題例について「掛け算でなく足し算で求めてもいいし、みかんを一つずつ数えて解答してもいい。掛け算で順序を求められると、算数は『決められた手順を使って解かないといけない』ものだと思い込み、理解を阻む」と批判する。
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私の考えは要約されているとは思うが、短いので真意が十分に伝わらないかも知れない。以下、私の考えをもう少し詳しく述べる。

  • [38]
  • Re: dfの定義

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 4月 1日(土)04時44分1秒
  • 返信
 
>>37
> twitterの方にも書きましたが、添付図の通り。
> 図のdfの定義に従えば接線の傾きはdf÷dxにぴったり等しい。
> たったこれだけの話をどうして普通に教えようとしないのやら。


積分の方も、原始関数を表す単なる記号・面積を求める演算を表す記号  とされているような気がします。「dy/dxは分数ではない」なら当然そう言うことになってしまう。

  • [37]
  • dfの定義

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2017年 4月 1日(土)00時18分36秒
  • 返信
 
twitterの方にも書きましたが、添付図の通り。
図のdfの定義に従えば接線の傾きはdf÷dxにぴったり等しい。
たったこれだけの話をどうして普通に教えようとしないのやら。





  • [36]
  • 微分は比例定数

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 3月28日(火)22時46分58秒
  • 返信
 
■ 微分は分数だったはずでは?

 微分は比例定数である。前回、微分は分数でdy/dxは見た目通り、dyをdxで割ったものと見なして構わないと述べたが、y=axと見るか、a=y/x と見るかの違いに過ぎず、本質的には同じことである。




■  f(x)の変化はxの変化に、ほぼ比例する

 前回述べたように、[f(x+Δx)- f(x)]/Δx のΔxを0に近づけた極限値がdf/dxである。ここで文字をxをa、Δxをhに変更する。便宜的なもので深い意味はない。hが0に非常に近いと、[f(a+h)- f(a)]/h = f’(a) という近似式が成り立つことになる。

これを f(a+h)- f(a)= f’(a)*h と変形する。近似式だから厳密性は欠く。微積分の理解には、このような“厳密ではない大雑把なイメージ”が不可欠。ここで、aを定数、hを変数と見なせば、f(a+h)- f(a)はhに比例していて、比例定数はf’(a)となっている。

大雑把に言うと、関数f(x)のxをちょっと動かすと、それに応じてf(x)もちょっと変化する。その変化の度合いを表したものが微分係数ということになる。



■ 例 f(x)=x^3 の微分

f(x)=x^3(xの3乗)のx=2での微分係数(「微分」とか「導関数」とか「微分係数」とか色々な言葉が出てくるが、あまり気にする必要はない)を求めてみる。

(2+h)^3-2^3がhに比例しているとしたときの比例定数を求めればいいのだが、
(2+h)^3-x^3=12h+6h^2+h^3 で比例式にならない!

しかし、hは0に極めて近い微小な値である。そうするとh^2、h^3はものすごく小さな値となるので0と見なして、2次と3次の項は無視してしまう。
そうすると、(2+h)^3-x^3=12h となり、比例定数は12となる。

一方、[(2+h)^3-x^3]/hでhを0に近づけても同じ結果になる。
どちらも似たような計算をすることになるので、この例では、比例定数と見なすことのありがたみはさほど感じない。分数と見なすのも比例定数と見なすのも本質的には同じことだから、当然とも言える。



■ 積の微分

積や合成関数の微分の公式を求めるには比例定数という見方は有用かもしれない。

f(x)とg(x)のx=aでの微分係数をそれぞれ、f’(a) 、g’(a)として、f(x)とg(x)の積:f(x)*g(x)のx=aでの微分係数を求めてみる。

これは、
f(a+h)-f(a)=f’(a)*h
g(a+h)-g(a)=g’(a)*h
という条件の下で、f(a+h)*g(a+h)-f(a)*g(a)をhの比例式と見なして比例定数を求めるということである。

f(a+h)=f(a)+f’(a)*h  g(a+h)=g(a)+g’(a)*h  なので、

f(a+h)*g(a+h)-f(a)*g(a)
=[f(a)*g’(a)+f’(a)*g(a)]*h+f’(a)*g(a)*h^2

先ほど同様、hは微小だから2次の項は無視すると[f(a)*g’(a)+f’(a)*g(a)]*hとなり、比例定数はf(a)*g’(a)+f’(a)*g(a)となる。これが求めるべき微分係数である。

合成関数の微分の公式も同様に求めることが出来る。
微分を分数・割り算と見なしてこれらの公式を導くことも出来るが、若干の技巧を要する。
比例定数と見なせば、特に工夫することなく、粛々と計算して求めることが出来る。


■ 多変数関数

 高校数学ではあまり出てこないが、大学以降の数学や物理などでは変数が2つ以上の関数(多変数関数)の微分を扱うことがある。この場合も、変数をちょっと動かしたらそれに応じてどう変化するかを見ることになり、比例定数に相当するのは、その拡張概念である行列・線型写像(※)である。

(※)行列・線型写像は微積分同様極めて応用範囲が広く有用。比例概念の拡張と認識していると理解しやすい。かつては高校数学で扱ったが、残念ながら、学習指導要領の改訂によって、扱わないことになってしまった。

  • [35]
  • 微分は分数 dy/dxを「dx分のdy」と読んでも構わない

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 3月24日(金)22時19分41秒
  • 返信
 
「微分は分数ではないから、dy/dxを『dx分のdy』と読むのは間違い。『dy dx』と読むのが正しい」と言う人がいる。その人自身はちゃんと理解した上でそう言っているのだろうが、微積分を学ぶ人への助言としてはあまり望ましいものとは思えない。


■ 数式・数学記号の読み方は本質的ではない。

 記号の読み方は理解とは関係ない。極端に言えば仮に「×」を「たす」、「+」を「かける」と読んだとしても、正しく理解しているということはあり得る。
 とはいえ、敢えて一般的ではない読み方をする必要はない。「×」は「かける」、「+」は「たす」と読むのが普通だから、それに従った方がいいだろう。
 しかし、数式・数学記号の読み方は、完全に統一されているわけではない。高校数学以降で学ぶ数学記号は、人によって読み方が違うことはざらにある。「正しい読み方」に拘る必要はない。dy/dxの読み方は、「dx分のdy」、「dy dx」どちらが正しいのか?、などと悩む必要はない。どちらでも構わない。重要なのは読み方ではなく、概念の理解。



■ 微分は分数か?

「dy/dxを『dx分のdy』と読むのは間違い。」という人は、「微分は分数ではない」を理由に挙げるが、 [f(x+Δx)- f(x)]/Δx このΔxをどんどん0に近づけた極限値がdf/dxであり、 f(x+Δx)- f(x)=Δf とすれば、Δf/ΔxがΔx→0で、df/dxになるわけで、やはり df/dx は分数に見える。
 ではなぜ「微分は分数ではない」と言われるのだろうか?おそらく、極限値をあらわしているので普通の数とは違う、ということだろう。Δf/Δx であれば、Δxには0に近い具体的数値が入っていると考えることが出来る。Δx=0.1、0.01、0.001、とどんどん0に近づけていくと、Δf/Δx はある値に近づく、それをdf/dx と表す、ということであってdxに具体的数値が入るということではない。
 そうすると、「2/3は分母が3で分子が2の分数というのと全く同様に、dy/dxは分母がdxで分子がdyの分数と言うのは厳密性に欠く」というのも一理ある。ただし、そのような厳密なことに拘らないなら、「dxは0に極めて近い値で、dyはそれに応じた極めて0に近い値。dy/dxは見た目通り分数で、dyをdxで割ったもの」と捉えておいて問題ない。


■ 理解のためには、微分は分数、と捉えることが有益

 「微分は分数」と捉えると、厳密性に拘った場合に色々厄介なことになるので、それを回避するために「微分は分数ではない。微分という操作の結果がdy/dx」と説明されることが多い。しかし初学者が「微分は分数ではない」と思い込むと、微分のイメージを欠いたまま、「とにかく何か分からない操作があってそれで出てくる」と認識してしまうことになる。
 高校でやる微積分や極限は、「曲線も微小部分に着目し拡大したらほぼ直線」というような“厳密ではない大雑把なイメージ”が重要である。「厳密ではないから」ということでこのようなイメージを排除すると、理解を伴わないで公式を暗記することになりかねない。
 微積分や極限は、大学の数学で教えられている“εδ論法”によって厳密な裏付けがなされるが、高校数学レベルでの大雑把な直観的イメージなしでこれを理解するのは難しい。




■ まとめ

◆ 数式・数学記号の読み方は本質的なことではない。dy/dxをどう読むかは原則自由
◆ 厳密性に拘らないならdy/dxは分数と捉えて構わない。
◆ 微積分の理解のためには、dy/dxを分数と捉えることは有用



  • [34]
  • Re: 「問題解決型授業」について その4

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 2月28日(火)16時51分7秒
  • 返信
 
>>33

私自身が算数・数学をどのように理解してきたかを思い起こすと、授業の最中に分かったと言うよりも、それ以外のときにあれこれ考えて理解してきたように思う。

授業時間のみで、

与えられた問題を考えて、他の人の意見も聞いて、討論して、採取的な結論で腑に落ちる、

というのは無理だと思う。


「与えられた問題を考える」は、授業時間に教室でやる必要性はないのだから、ここを持ち帰りの課題とするというだけのこと。


私自身、小学校時代の算数の宿題は、計算をひたすらやらされて苦痛だった記憶しかない。

「こういうのを考えてきて」というような解法を教わっていない問題を与えられたのなら、面白く取り組めたのではないかと思う。

  • [33]
  • 「問題解決型授業」について その4

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 2月28日(火)16時41分2秒
  • 返信
 
>>32

問題を出すのは授業の最後にしたらどうだろうか?


分数の掛け算・割り算をやる前に
「2/3mで8kgのロープは、1mだと重さはどうなるのか?」というのを次の授業でやると予告しておく。「意欲がある人は考えてみて」と言っておく。


これなら、自分で考えたい子が時間を掛けて試行錯誤することが可能である。

考えてこない子もいるだろうが、それは仕方ない。


で、次の授業では、「考えてきた子もそうじゃない子も、ここで改めて考えてみて」として通常通りの問題解決型をやるなり、やり方を教師が説明するなり考えてきた子に説明させて助言するなりしてもいい。


授業をどうするかはともかく、


意欲がある子に問題を与えて、考える十分な時間を与える、というのがポイント


それが保証されるなら、授業が多少稚拙であっても、あるいは分からない子への対処が優先されることになっても、さほど問題ないと思う。

  • [32]
  • 「問題解決型授業」について その3

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 2月28日(火)16時28分44秒
  • 返信
 
>>31

私は算数・数学は、公式・解法を教わりそれに当てはめて解くのでは面白くないし身につかないと考えている。そういう意味では問題解決型授業が目指す方向には賛成だが、子供の発言を上手に制御して目標とすべき結論に持って行って全員が分かるような授業にするには、教師の側にも技量が要求されると思う。

また、子供が各自で考える時間は10分から15分ぐらいに設定されているようだが、これだと時間が短すぎる。問題にもよるし子供によるが、30分掛けたら自分で分かったような子も、15分で強制的に終了させられて他の子の考えを聞かないとならない、というのもどうかと思う。


時間制限なしに好きなだけ試行錯誤してあれこれ考えるのが望ましいと思う。


でもそうなると授業時間が足りなくなる。

  • [31]
  • 「問題解決型授業」について その2

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 2月28日(火)16時17分31秒
  • 返信
 
>>30

また、ネットなどで指導案を見ると、子供たちに議論させるといいうつつもある程度のシナリオが用意されている。

そうすると、そのシナリオにそぐわない子供の発言は望ましくないとなってしまう。子供の側もそれを察して、自分の役割を演じるようになりはしないだろうか?

分からない子にとっては最後まで分からないままになる、という批判があるが、分かる子が最初から正解に行き着いて理路整然とそれを説明してしまったら、それはそれでシナリオが台無しになりかねない。

子供を含めて授業の目的が算数を理解することではなく、シナリオ通りに演ずることになりはしないだろうか?


↓こういうシナリオにない子供の反応は嫌われてしまいそう
http://math.artet.net/?eid=1421816
>小5の「単位量あたりの大きさ」の学習で、「こみぐあい」を勉強しているときに、「広さが同じである場合は人数が多いほうが混んでいる」という話になったときに、ある子どもが「人数が少ないほうがおすもうさんだったらどうなるんだ?」というツッコミを入れたそうです。そのときに先生は「関係ない」というような反応をしたそう。

  • [30]
  • 「問題解決型授業」について その1

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 2月28日(火)16時07分5秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>29

それ以外にも私は以下のようなデメリットがあると思う。


教師自身が誤った算数認識を持っていて、誘導尋問で子供たちに誤った考えを吹き込むことになる。

等分除・包含除の区別は便宜的なものでこんなもの区別する必要もないし区別できないのに、わざわざ教え込んでいる。
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t2/616

Cちゃんの答えは全く正しく極めて合理的な考えなのに、それを否定するために教師が誘導尋問する授業
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/936115.html

「たしざんできるもの、できないもの」などという誤ったことを教えている。
http://www.hm.aitai.ne.jp/~itoh/jugyou/tasizannk.htm


掛け算の順序を教えるためにがんばる花まる先生
http://elem.educ.kumamoto-u.ac.jp/blog/article.php?story=20140813091354728


問題解決だろうがTOSSのような号令で子供を動かそうが、間違ったことを教えている段階で駄目な授業。

問題解決型は、子供たちが自分たちで考えて、教師が想定する「正しい考え方」(実際は誤った考え方)に行き着く体裁になっている。

ということは、表面上どのように見えようと、教師が持って行きたい結論に誘導していると言うことである。教師の介入なしに子供たちだけで考えたのなら、「等分除と包含除は異なる」などという算数教育界の恣意的な誤った考えに行き着くはずがない。


http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html
4人乗りボートに2人だけ乗るのはいいのかどうか?という出題者が設定すべきことを子供に議論させている。

これを見ると、とにかく子供に議論させさえすればいい、と思っているのではないかと勘ぐってしまう。


教える側が何を教えるべきなのかを見失っていては、どんな授業法であっても、話にならない。

  • [29]
  • 「問題解決型授業」について その0

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 2月28日(火)15時49分10秒
  • 返信
 
https://twitter.com/sekibunnteisuu/status/835578159168774145
ツイッターの方で話題になったのでそれに関連して、考えをまとめておく。

「問題解決型授業」というのは、算数の場合だと、いきなり解法や公式を教えないで子供に考えさせて議論させて結論に導くというものらしい。

ネットや指南書を読むと

問題を出す(「発問」というらしい)
各自が考える
何人かが発表する
討論
結論

というような流れが一般的なようである。

これに関しては以下のようなデメリットも指摘されている。


分からない子は、いろんな考えを聞かされても分からなくて、結局最後まで分からないまま

時間がかかるので進度が遅くなる

  • [28]
  • 余計なことは教えない 一次方程式編

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 8月21日(日)22時45分42秒
  • 返信
 
一次方程式で以下のような間違いをしてしまう生徒がいる。

A 【3x+2=14】→【3x=14+2】
B 【3×(2x+4)=10】→【3×2x=10-4】
C 【3x=12】→【x=12/(-3)=-4】
D 【3x+7+2x=20】→【3x-2x+7=20】



一次方程式は両辺に同じ操作をすることで未知数を求めることが出来る。
やり方によって楽になったり面倒になったりはするが、両辺に同じ操作をしている限り、間違った解に行き着くことはないはずである。

例 【3x+2=14】
両辺から2を引く→【3x=12】→両辺を3で割る→【x=4】
両辺を3で割る→【x+2/3=14/3】→両辺から2/3を引く→【x=4】



では、A~Dのようなミスはなぜ生じるのか?
これらをもう少し詳しく見てみる。

A 両辺から2を引くべきなのに、左辺から2を引いて、右辺に2を足している。
B 左辺の括弧内の4を引いて、右辺から4を引いている。
C 両辺を3で割るべきなのに右辺を-3で割っている。
D 左辺だけを式変形しているのだが、【3x+7+2x】→【3x+2x+7】とすべきを【3x-2x+7=20】としてしまっている。

実はこれらはすべて、ある余計なことを教えた結果誘発されたミスである。
その余計なこととは「移項」である。

中学1年の数学教科(書学校図書)では、

x-9=3
x=3+9

2x=6+x
2x-x=6

を例示して、
---------------------------------
等式では、一方の辺にある項を、符号を変えて他方の辺に移すことができる。
このような操作を、移項という
---------------------------------
と述べている。

しかしやっていることは両辺に同じ操作をするということである。「移項」などということをわざわざ教える必要はない。余計なことを教えることで、ミスを誘発してしまう。

■「項を移動させる」という考えに陥ることで誘発されるミス

【x-9=3】→両辺に9を足す→【x=3+9】
単に両辺に9を足しただけのことである。しかし「移項」を教えることで、「項の移動」と見ることになってしまう。そうすることで、AやBのミスが生じる。

A 【3x+2=14】→【3x=14+2】
B 【3×(2x+4)=10】→【3×2x=10-4】

Aは、左辺の「2」を符号を変えないでそのまま右辺に移動してしまっている。
Bは、左辺の括弧内の数字を取り出して右辺に移動させてしまっている。

いずれも、「項を反対側に移動させる」と発想することが原因である。


■「符号を変える」というのを過剰に行ってしまう。

【3x=12】→両辺を3で割る→【x=12/3=4】
この場合も、左辺の「3」が右辺に移動しているように見えるが、この場合は「移項」とは呼ばない。何か特別な名前がついているのかどうかは知らない。
 とはいえこれも「項の移動」に見えてしまう。「移項では符号を変える」というの覚えていると、
C 【3x=12】→【x=12/(-3)=-4】
という誤りをおかしてしまう。

D 【3x+7+2x=20】→【3x-2x+7=20】
このDのケースも、「項を動かしたら符号を変えないとならない」と思ってしまったのが原因である。


これらのミスをなくすには「移項」というのを教えなければいいだけである。

ところがなぜか、中学数学では何の役にも立たないでミスを誘発する「移項」を教えることになっている。なぜそうなってしまっているのか、理由は分からない。

 おそらく今後も、数学教育の専門家の怠慢によって、是非が検証されることもなく惰性で「移項」が教えられ続けるであろう。

自衛策として、一次方程式を解くには、『移項』などというのは全く意識しないで、両辺に同じ操作をして未知数を求めるようにすればいい。


  • [27]
  • 初めての文章問題に計算式は必要?余計なことは教えない

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 7月23日(土)19時25分33秒
  • 返信
 
小学校1年生で、足し算や引き算の文章問題を扱う。この段階で、もし数の概念を習得していなかったり、文章問題の意味が理解できないとしたら、足し算・引き算よりも先に、これらを身に着ける必要がある。

 学校で、小学校1年生に対して行われている「文章問題は足し算か引き算のどちらかで解く。キーワードに着目してどちらなのかを決定する」という指導だと、文章問題の意味を理解しなくても、数の概念が不十分でも、とりあえず正解が出せてしまう。
 「理解なしでも答えが出せる方法」というのは便利でいいと思う人もいるかもしれない。しかし実際は逆で、こういう解法に頼ってしまうと、算数・数学がどんどん分からなくなり、ますます解法の暗記に頼らざるを得なくなり、悪循環に陥ってしまう。

 ある解法が有効なのは限られた範囲だけである。キーワードに着目する方法は”逆思考の問題”には通用しない。学年が進むごとに覚えるべき解法がどんどん増えていくが、それと同時に、それらを適切に使い分けないとならない。しかし、理解しないでそれを行うのは不可能である。結局、高校数学あたりで行き詰ってしまうことになる。

 そうならないためには、小学生の段階から理解のための学習を行うことが望ましい。そのためには小学校1年生の足し算・引き算の教え方から改善する必要がある。

教える上で守るべき原則は以下の2点である。

■ 余計なことは教えない。
■ 予備知識なしで解けるさまざまなタイプの問題を、易しい順に与える。


まず、小学校1年生の段階の子が以下のような状態だと想定する。

◆数の概念を習得している。物の数を数えられる。
◆簡単な文章は理解でき、文章題の意味も理解できる。
◆足し算も引き算も知らない。

 この想定は十分現実的である。冒頭で述べたように、もし数の概念や文章読解が不十分であれば、まずはそこをしっかり教えるべきである。これらが不十分なまま足し算だの引き算だの教えて、文章問題でとりあえず正解を出させる手法を教えるというのは、砂上に楼閣を築く行為である。

 こういう状態の子に以下のような問題を出してみる。

A「3人いるところに1人来た。何人になったのか?」
B「3人いたが1人帰った。何人になったのか?」
C「3人がミカンを2個ずつ持っている。全部で何個か?」
D「6個のミカンを2人で同じ数ずつ分ける。1人何個か?」

Aは足し算の場面、Bは引き算の場面、Cは掛け算の場面、Dは割り算の場面
などというのは、余計なことであり教えてはならない。

子供は、足し算も引き算も知らないのだから、そんなこと意識することなく、素で考えるしかない。遊んだりお菓子の数を巡って兄弟と喧嘩したりとさまざまな経験を積んでいて、数の概念を習得していて問題文の意味が分かれば、この程度の数値なら、答えを出せるだろう。

「何人かいるところに1人来て5人になった。最初に何人いたのか?」という逆思考の問題も同様である。問題文が理解しにくいようなら「最初に( )人いた。1人来たので5人になった」の括弧に適切な数値を入れされるようにしてもいいかもしれない。

 簡単な数値で、様々なタイプの問題をランダムに出す。子供がこれらに正しく答えることが出来たら、問題文の内容を理解した上で答えを出していると判断していい。また、足し算も引き算も教えていないのだから、「これは何算の問題か?」などと発想していないことは明らかである。

 数値を大きくして、「8人いるところに15人来た。何人になったのか?」ともなると、答えを出すのが困難になるかもしれない。それでも、「8より15だけ大きい数」「8、9、10、・・・と数えればいい。大変だけど、十分な時間を掛ければ出来る」と思うかもしれない。こう認識していれば、答えそのものは出せなくても十分理解しているといえる。

 このあたりから、効率よく数を数える方法や加減乗除の演算や式が有効となってくる。これらは子供にとっては問題を解く手段となる。

 教える側は、これら加減乗除などを習得させたくて、問題を出す。だからそれらを使って問題を解いてほしいと思ってしまうのだが、数値が簡単でそれらを使わなくても答えが出せる問題にまで使わせようとするから、話がややこしくなる。

「3人いるところに1人来た。何人になったのか?」は足し算を知らない子供でもすぐに「4人」と分かる。足し算を使う必要性も必然性もない。

 ところが算数教育界では、こういう問題で足し算を使わせることが目的になってしまっている。必要性も必然性もないのに足し算を使わせようとするので、「この問題文は足し算の場面」などという強引なこじつけが必要となってしまう。これは間違った教え方である。

 教える側がある手段を使わせたいと思ったら、その手段を使わざるを得ない問題を与えるべきである。

 その手段なしで解ける問題でその手段の使用を強要すれば、子供は「このような問題では、このような手段を使わないとならない」と思い込んでしまう。そうすると、「問題パターンごとに解法パターンを覚える」という間違った勉強法に突き進んでしまうことになってしまう。

  • [26]
  • 「逆思考の問題」で混乱するのは必至

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 7月17日(日)13時54分13秒
  • 返信
 
 小学校1年で足し算と引き算を教わる。この段階で、「文章題は足し算か引き算で求める。」となってしまう。算数教育界では「演算決定」という専門用語まであり、子供がこのように発想することを肯定的に捉えている。さらにまた、キーワードに着目して演算決定するように教えている。

ネットに公開されている指導案より
---------------------------------
これまでに子供たちは、文章題について、たし算では増加場面や合併場面を学習し、ひき算で は求残場面や求差場面を学習してきた。その中で、たし算やひき算が適切に利用できるよう、文章中の「みんなで」、「ふえると」、「ちがいは」、「どちらが」などのキーワードに着目をして、演算決定の手がかりとすることを学んできた。
---------------------------------
http://www.oklab.ed.jp/sugaku/sidouan/sidouan_syo/s1/s1191108.pdf


 これ自体が、「問題が与えられたら、これまで教わった解法のどれかで解くはずである。」「どの解法を使うかは、問題文の意味を捉える必要はなくて、一部を見て判断すればいい」という態度を助長し、その後の算数・数学の学習において多大な悪影響を及ぼすことになる。「問題文に『組み合わせ』とあるからCで解く」「面積を求めるのだから、とにかく積分すればいい」と、問題文の断片から条件反射的に解法を判断するのは、数学が苦手になる近道である。


前回書いたように、これだと、「金魚がいて2匹取ったら3匹残った。最初は何匹いたのか?」というような、「逆思考の問題」で行き詰る。このあたりをもう少し詳しく見ると、実に馬鹿らしいことになっていることが分かる。

1年では以下のようなことが教えられる。

■足し算の意味は「ふえるといくつ(増加)」、「あわせていくつ(合併)」の2種類
引き算の意味は「のこりはいくつ(求残)」、「ちがいはいくつ(求差)」の2種類
■文章問題は、増加場面・合併場面・求残場面・求差場面のどれかに当てはまる。
■場面に即した式を作る。

では、以下のような場合はどうなるのか?

問題「水槽に金魚が4匹いる。3匹追加した。何匹になったのか?」
答案「式 3+4=7  答え 7匹」

「それだと3匹いるところ4匹追加したことになってしまって場面に即していない。4+3=7とするのが正しい」と矯正されることになるのか?

「掛け算の順序」は時々世間の話題となるが、「足し算の順序が違うからバツ」という例はそれほど多くは報告されていない。しかし、皆無でもない。

 実際の学校現場でどの程度徹底されているかは不明だが、教科書会社や算数教育の専門家の意見を総合すると、算数教育の世界では、「この問題は『4+3=7』が正しくて『3+4=7』は間違い」とされているようである。実に馬鹿馬鹿しい話である。

教科書会社:啓林館のサイトより
問題「車が5台あるところに2台来たら何台になるか?」
「5+2が正しくて、2+5は間違い」と教える授業。
http://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/jissen/0709/1nen/

【友人ら3人と公園に行ったら、そこにはすでに4人いた。何人になったか?】
この場合、「正しい式」は、「4+3=7」なのか?「3+4=7」なのか?

「3人」の側に視点を置けば、「最初は3人で、その後4人」と見えるし、公園に視点を置けば「最初は4人で、そのあと3人」と見える。

「3に4加わった」と「4に3加わった」を区別する意味はないし、ましてそれらを「3+4」と「4+3」の違いで表現する意味もない。

ちょっと考えたら足し算の順序に拘るなど馬鹿げていることが分かるが、算数教育ではそういう馬鹿げたことが大真面目に教えられていることがある。

 そして、すでに指摘したように、2年生になって、逆思考の問題で実に困ったことになる。

問題「教室に4人いるところに何人か入ってきて11人になった。入ってきたのは何人か?」


「足し算の意味」「引き算の意味」「場面に即した式」などと散々教わっていたら、この問題で「11-4=7」とするのは躊躇するだろう。

 そこで、「式 4+7=11  答え 7人」としたとする。
足し算の意味「ふえるといくつ(増加)」で、問題文の場面にも合致する。

ところがこれだとバツになる可能性がある。
算数教育の専門雑誌に掲載されたある論説は、この答案を
「式は、わかっている数量だけを使って書くという考えが出来ていない。」と断じている。
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t52/1-2

 これでは、答えがわかっても、さらにどういう計算で求めればいいかがわかっても、答案にどういう式を書けば丸がもらえるのか、大人でも判断に迷うだろう。学校では、逆思考の問題では、それまで散々教えてきたことを忘れたかのように、「この問題は『11-4=7』が唯一の正しい式」とするようである。

 「逆思考の問題は子供にとっては難しい」というが、わざわざ子供を混乱させるように有害無益なことを教えた結果ともいえる。

 これは小学校算数に限った話ではない。中学・高校の数学教育全般についても同様のことがいえる。

■ 余計なことは教えない。
■ 予備知識なしで解けるさまざまなタイプの問題を、易しい順に与える。

たったこれだけのことで、算数・数学教育は今よりずっとスリムになる。



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