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  • 「セルフ塾のブログ」でのやり取り その7 まとめ

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 5月 9日(月)01時59分57秒
  • 編集済
  • 返信
 
これ以上の意見交換は不毛だと思います。
 それで、ぼくはこの意見交換を終わりにしようと思います。



とのことなので、これまで書いたこととも重なる点もあるが、まとめる。

なお、当然ながら、ブログ主の人格を攻撃することが目的ではなく、あくまでブログの内容に関しての私の考えである。

なお「セルフ塾のブログ」に書かれたことに関しての考えであって、ブログ主であるselfyojjiさんが実際に塾でどう教えていたのかは分からない。

もしかしてブログで書いてある教え方に対して、積分定数が批判しても、実際にselfyojjiさんはそうは教えていなくて、私の批判はあたっていない、ということもありえる。

 結局は文面でしか分からないから仕方がない。
また、ブログとして不特定多数に公開されていて、小・中学生や教える立場の人も見る可能性が高く、ブログ主もそれを望んでいるのだから、ブログ主が実際に塾でどう教えたかとは独立に、ブログの内容で批判すべきことがあれば批判すべきだと思っている。

http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4763.html
ケーキ1/3個で100g。1個では何gか。
 上の場合と似ています。3個が1/3個になっているだけです。
 1個の重さを求めているという点でも同じです。

 だから100÷1/3 で求めるのです。

 1/3個で100gなら1個では300gというのは分かります。
 そして、式を書かせると
 100×3 と書く子が多いです。

 答えは正解になりますが、問題文の中の3が使われていません。
 だから、式は100×3ではいけないのです。

 式は、100÷1/3でなければいけないのです。


はっきり言うと、これはやってはいけない最悪の教え方である。
あのブログを読んだ小・中学生は、「100×3では駄目で00÷1/3でなければいけない」などというのは無視しないとならない。
算数・数学を教えている人は、やってはいけない最悪の教え方であると認識しないとならない。


 まず原則として、どんな方法であれ正解が出ている以上、基本的にそれは認めるべきである。

 とはいえ、教えたい側が望んでいない方法で解かれた場合に、望んだ方法に誘導することが全て否定されるわけではない。
効率の悪いやり方をやっていれば、「もっといい方法があるよ」と誘導することもありえる。

 「はじき」を使って解くという私が蛇蝎の如く嫌う方法も一応は認めざるを得ないが、その場合は、単純に公式を当てはめたら解けない問題を出して、理解することを促すことになる。


 しかし、今回のケースは、「ケーキ1/3個で100g。1個では何gか。」という問題で100×3と解いたというケースである。

この問題を100×3で解くのはもっともエレガントで簡潔で優れた解法である。

これを敢えて否定する指導などありえないし、あってはならない。

例え分数の割り算を知っていても、こういう場合には100×3と求めることが出来るようになることこそ、目標とされないとならない。

 そのためには、誰に気兼ねすることなく、教師の意図など気にしないで、「先生はどんな解法を望んでいるのだろうか?」などと余計なことを考えずに、算数・数学それ自体に取り組むようにさせるべきである。

 算数・数学は伸び伸びと自由に取り組むべきである。



 ところがブログ主はまったく逆のことを主張している。


 算数・数学教育の目的・目標は、このような問題で「100gの3倍」と発想できるようにさせることである、と私は考える。

 それをさせない指導と言うのは、そもそも算数・数学教育とはいえない。

 ブログ主は色々理由を述べているが、まったく説得力がない。

仮に指導上の都合で、「ケーキ1/3個で100g。1個では何gか。」を「100gの3倍」と発想することを押さえつけないとならないとしたら、そのような指導は間違っている。



では、ブログ主はなぜ「100×3」では駄目だといっているのか?


 わり算というのは、1あたり量(単位あたり量)を求めたり、いくつ分を求めるときに使う計算です。
 ここでは、1あたり量を求めることに限ることにします。

 ケーキ3個で300g。1個では何gか。
 300÷3 で求めますね。わり算です。分けています。そして、1個の重さを求めているのです。

 ケーキ1/3個で100g。1個では何gか。
 上の場合と似ています。3個が1/3個になっているだけです。
 1個の重さを求めているという点でも同じです。

 だから100÷1/3 で求めるのです。

 1/3個で100gなら1個では300gというのは分かります。
 そして、式を書かせると
 100×3 と書く子が多いです。

 答えは正解になりますが、問題文の中の3が使われていません。
 だから、式は100×3ではいけないのです。

 式は、100÷1/3でなければいけないのです。


不可解と言うほかない。a個でbgなら1個の重さは割り算で求められるが、それ以外の方法で求めてはいけない理由はまったくない。


その後、ブログ主は以下のような理由を書いた。

問題文の数を使って式を立てる
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4765.html

さて、式はなぜ書くのか。
 それは、自分がどのように解いたのか、その思考した過程を他人に知らせるためです。

これは、算数教育界に蔓延しているおかしな考え方である。思考を伝えたければ言葉を使えばいい。教える側も、「どういう風に考えたの?」と言葉で聞けばいいだけ。

なぜ、式と言う乗せられる情報がかなり限定されている簡潔な記号列で思考を伝えないとならないのか、まったくわからない。

いろいろ考えて、ああ、あなたはこのように考えたのですね、というのではなく、式を見たらすぐにその考えが分かるようにするのです。

ケーキ3個で300g。1個では何gか。 という問題で、100×3という式を立てた子がどのように考えたのか分からないとしたら、その人には算数・数学を教える資格はない。


でも、問題文の中の数を使って式を立てる、ということを指導するのは難しいことではありません。それが他人に自分の思考を見てもらう一歩です。

 小学生のときから、そのような指導をすべきだと思うのです。


 100×3 と書いてきたら、これではだめだ、文中の数を使って書き直しなさい、と言うのです。もちろん、そでができるように前もって指導する必要はあります。


何度も書いているが結局ブログ主からの回答はなかったことがある。


式を見たらすぐにその考えが分かるようにするのです。
という指示に従うなら、

問題文を見てすぐに「100gを3倍すればいい」と発想した場合
100×3 以外にどんな式を書けというのか? 


「考えを式で表せ」かつ「100×3は駄目」となると、
ブログ主は「3倍すればいい」と発想してはいけない」、と教えるべきだと主張していることになる。

一体、ブログ主はどういう生徒を育てたいのだろうか?


自己流で解いていると、壁にぶつかることが
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4766.html

ぼくは、自分なりに工夫して、問題を解くことは大切だと思っています。
 確かに、100×3は間違いではありません。

 だから、分数のわり算を習っていないときに、100×3という式を立てたら、無条件でほめてあげるでしょう。

 しかし、分数のわり算を教えた。しかし、問題文では1/3が与えられているのに、100÷1/3 ではなく、100×3 という式を立てた、ということは、分数のわり算を理解していないということです。
 逆に言えば、ぼくら指導者がその子が十分に理解できるように教え込んでいないということです。

 分数のわり算の意味はきちんと理解して欲しい。だからこそ、100÷1/3 という式を立てるように指導しなければいけないのです。



ここもまったく意味が分からない。分数の割り算を理解している人であっても、100×3と発想して式を立てるのは、ごく普通のことである。

分数の割り算を教えたあとだからといっても、掛け算で簡潔に短時間で効率よく出せるのだから、そのほうが合理的である。

分数のわり算を教えたから、例え効率が悪くても分数の割り算を使うべき、という発想は一体どこから出てくるのだろうか?

これでは教わる側は、与えられた問題の答えを求めることよりも、指導者の意図を忖度することに神経を使わないとならなくなる。

私が教える場合、等差数列の総和の公式を教えた直後に、もし1+2+3をこの公式に当てはめて解く生徒がいたら、不安になる。その生徒が、和の公式が成り立つかどうかを確認するために簡単な数値でやっているのならもちろん問題ないが、等差数列の和は公式を使わないとならない、と思い込んでいたら、その考えを訂正する必要がある。

この点もブログ主とまったく逆である。

ちょっと勘のいい子がいました。
 中1になり、方程式を学びます。

 でも、両辺を同じ数でわる、移項する、ということは教わっても、それは使わずに自己流で解いていました。
 適当な数を代入するのです。

 「3x+5=11 xは?」、というとき、勘を働かせてxに2を代入し、
 3(2)+5=11 成り立った、だからx=2 のように。

 間違いではありませんね。よく考えたものです。

 でも、解が分数になるような方程式になると、パニックにおちいて、「こんな問題が解けるはずがない」と怒っていました。壁にぶち当たったのです。

  新しい知識を学ぶとき、それが理解できないから、既知のもので代用するという場合は、新しい知識をきちんと教えるべきです。
 それをしないのは、指導の放棄です。



ブログ主は、「100×3を認める」というのを「分数の割り算を理解していなくても放置する」と勘違いしている節があるが、もちろんそんなことは誰も言っていない。

方程式を当たりをつけて代入して求めるのもなんら問題ない。


ブログ主は解が分数になると代入で求める方法が通用しなくなるといっているが、それなら解き方を教えればいいだけである。
代入で求められるケースまで移項などでやらせる必要はない。

 ブログ主は水道方式の影響か、「一般から特殊」というのを重視しているようだ。私はそのように教える順序を固定することに疑問があるが、いずれにしても、「一般から特殊」というのは教える側が配慮すべきことで、教わる側がそんなことを気にする必要はない。

 ブログ主はもしかして、「代入で求められるのは数値が簡単な特殊な場合である。それよりも移項などで求める方法がまずは基本で一般的」と考えているかもしれないが、

方程式と言うものを広く見た場合には、代入で求めるほうが一般的である。

例えば割り算の筆算、仮商を立てるというのはまさに当たりをつけて代入してもとめることになる。
2次以上の方程式や因数分解、代入して当てはまるものを見つける。
積分は、微分したらその形になる関数をあれこれ探すことである。
√1000の整数部分は? 当たりをつけて代入して求める

こうしてみてくると、移項などで求める、という一般的解法は、1次方程式という特殊なケースだから使えるのであって、代入で求めるほうがむしろ一般的とさえ言える。

つまり、特殊だとか一般だとか言っても、それらは相対的であり、また見方によって逆転するものであり固定されたものではない。

 さらに「一般→特殊」がいいか、「特殊→一般」がいいかと言うことも、それこそ一般的なことは言えないでケースバイケースである。


 以上長くなったが、再度もう一度言う。

1/3個で100g、1個の重さは?

100×3という発想を否定する指導は最悪である。

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