一つ最初に触れておきたいのは,数学教育に限らず,スポーツでもなんでもそうですが,良い方法・悪い方法の別(good or bad)はあっても,最高の方法(best)を決めることはできないだろうということです.数オリ金メダリストを生んだ方法であってもそれが最高というわけではない.丸暗記のようにこれは良くないと分かるものもあっても,これが最高だ,というのは決められないと思います.そのうえで,僕は自分の数学教育に関する考え方に自信があり積分定数さんの方法には不備があると思っています.同時に,積分定数さんもご自身の指導法に自信を持っていて,私の指導法に問題があると考えていらっしゃると思います.しかし,それは別に構わないというか,僕としてはどちらもgoodな方法であり,どちらかがbadなのでもなく,どちらかがbestなのでもない,という風に考えています.
先ほどのツイートを見る限り,積分定数さんはかなりレベルの低い先生を仮定しているように感じました.正直なところ,そのようなレベルの低い先生には「答えがあっていたら〇」の採点はできても,本質的な算数の授業はできないと思うので,積分定数さんが仮定している先生には積分定数さんが理想とする算数教育はできません.また,先生と生徒の信頼関係は成立していないのかなとも感じました.自身の経験からでしか判断できませんが,先生が生徒の答案と真摯に向き合っていれば生徒側が「マルを貰える方法を覚える」ことはないと思います.
僕が経験してきた算数教育であり今時点で“自分のbest”だと思っている採点法を紹介します.
端的に言うと「過程を重視する採点」です.ただし,これで生徒がパターン暗記をしているかどうかを見極めるのはほぼ不可能です.もちろんそれは「解答だけを見る採点」も同じことで,どちらかというと過程をしっかり書かせた方が多少は解答暗記勢をあぶりだせるかもしれません.
ルールは,「新しい数を作るときはそれが何かを説明する」だけで,答案をどんなに冗長にしても,絵をかいても,図で考えてもとにかくその数が何なのかの説明があり,先生が理解できれば(あるいは生徒が先生を納得させられれば)丸になる.だから昨日3×4を6×2で求めたらバツなのか,という話を見て小学生の時にそういう話をよく先生がしていたなと大変懐かしく思いました.
当時の先生はよく「○○君のそんな普通の答えは見たくない!(笑)」とか「独創性を!」と話していて,普通の問題をいかに正確かつ独創的に解くかが僕たちの関心事でした.それはそれ以降の証明問題に直接的につながっていたし,物事を複数の視点から捉えさせる指導だったし,自分の考えを相手に伝える練習でもあったと思います.
ここで,なぜ新しい数には説明をつけるのか,と疑問に思われると思います.これは,一つは曖昧さ回避です.それに対して一部の人は「25%から÷4することは明らか」と言うのですが,その「明らか」の範囲は非常にあいまいで,私たちのような算数オタクには78.125%という数字を見て何をすればよいかすぐに分かりますが,ほかの人には分からないかもしれない.僕は「25%は1/4なので」などのひと言をつけるだけだと思うのですが,なぜ批判されるのかが良く分かりません.そのひと手間が自由にできないと生徒に思わせる教育や教員の在り方自体に問題があると思います.もう一つは,正確な論証と曖昧で不正確な論証を区別することです.これは以下の②,③とつながっていますが,その新しい数が何なのかが分からないのに答えが求まることはない,ということです.
この方法が優れていると思う点をいくつか挙げます.
① 人に説明する能力がつく
これはそれほどここで説明しなくても分かると思います.義務教育・初等教育なので数学や算数の中にコミュニケーション的な色合い(授業でほかの人に説明するというのはよくあると思います.それを答案上でやるだけです)を持っていても良いし,むしろ適切だと思います.
② 正しく考えたけど計算ミスをした生徒と適当に考えたけど答えが当たった生徒を区別できる
意味は分からないけど4+6+7=17で求めた生徒が〇をもらえて,意味が分かっていたけど計算ミスで間違えた人が点をもらえないのは生徒からしたら「先生は答えの求め方や考え方じゃなくて答えの正誤しか興味ないんだな」「じゃあどう勉強したって同じじゃないか」という印象を抱かざるを得ません.逆に,間違えても方針をしっかり評価してくれれば「やっぱり先生は見てくれた」「考え方が大事なんだな」と感じてそういう勉強をすると思います.
③ 自分で簡単な問題を難しくすることができ,算数力を高めることができる
これは僕が小学生の時に強く感じたことです.答えさえ合っていればよい,という指導では,800円の25%は200円→200が答えになる式を書こう→160+40=200.というあまり意味のない答案が生まれます.
しかし,なぜそうなったかを書かせる指導では,単に160+40では点がもらえません.しかし先生は「160+40になる理由が書いてあれば点をあげたのに」と言っている.つまり,800×0.25=800×(0.2+0.05)=160+40=200 という答案を書ければ〇.これに限らずどんな式変形でも良いし,図でも絵でも何でもいいのでとにかく160+40になる理由を探して説明する.これは同時に,首都圏でありがちな「塾で勉強済で学校が退屈な生徒」と「初めて勉強した生徒」が同時に同じ問題を解かないといけない状況で,それぞれのレベルで各自の算数力を鍛えることができます.
④ むしろ「別解を書いてやろう」という意欲が生徒側に生まれる
③と似ていますが,僕は多少算数が得意だったので「算数的に正しければ先生は絶対丸にする.だから面白い方法,誰も思いつかないような方法で解いてみろ」とよく言われ,教科書的な答案を出すと「この解き方つまんなーい」「ほかの方法ないの?」と言われてテストを返却されました.「先生が理解できないような,見たことないような答案を出してやろう」という欲が生まれました(揚げ足を取られないように補足して言うと,この数字が何を表すのか分からない,など説明不足のために理解できないのは減点です.適切な説明があるのに先生が理解できないような答案を,ということ).「新しい数を置くときや生むときは必ずそのことを書く」「それさえ守ってくれれば絶対に先生は頑張って解読する」というルールがあったからこそ,あの教室の算数は(掛け算の問題を●をひたすら書いて数えて求めてもよいなどの)自由な発想をすることが保証され,かつ算数の力を鍛えるような指導ができたのだと思います(まあ④に関しては答えだけを見る方法でも同じといえば同じかもしれませんが,生徒の意欲は桁違いに増えるはずです).
以上の①~④が自身の教育法が積分定数さんの教育法と比べて優れていると思う点です.もちろん様々な反論が考えられると思うので,ぜひご返信いただければと思います.強調しておきたいのは,教員が少し工夫するだけで生徒は「どんな解法でも良いんだ!」と感じるようになるということです.当然ですが,僕のクラスに「これは良くない求め方だ」などと考えている生徒はいなかったはずです.
テストが生徒にはどのように受け止められているかも重要になると思います.良い点を取りたい(悪い点を取りたくない)という気持ちが10歳前後の子供なら多かれ少なかれあるはずですし,また先生が真剣に採点してくれているか,適当に採点しているか,も生徒は見ています.自分がしっかり考えたところを見てくれたら嬉しいし(承認欲求的な),それを冷酷に×とされるのは悲しいし,算数を嫌いになるはずです.また,ちゃんと考えた自分と暗記で答えただけの隣の子が同じ点を取ったり,むしろ暗記の子の方が点が高かったりすればその子の教員への信用はなくなります.
最後に具体的な採点の手法についてです.僕は初めから強調している通り,単答式の問題と,考え方まで書く問題の2つに分け,その間のグレーゾーンをできるだけ減らす必要があると思っています.特に,「式と答えを書く問題」が業者テストにある場合は教員側が,答えだけを見るのか方針も見るのかを明確に伝える必要があると思っています.そのうえで,考え方まで書かせる場合は,上の方針に従って採点します.僕がいた小学校のクラスでは,テストの「式と答えを書く問題」の周りに大量に文字の説明をつけたり,不必要に式変形をしたりして遊びながら〇をもらっている人が多かったです.