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  • 投稿者:積分定数
 
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  • 鼬ごっこ

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月27日(火)01時51分36秒
  • 編集済
  • 返信
 
「便所」は直接的すぎるので、「手洗い」「化粧室」となったが、これも長く使われると、・・・

そもそも「便所」自体が婉曲表現だったらしい。


算数教育でも似たようなことがあると思う。

「答えさえ出せればいい」という風潮に対して、

「答えだけでは、考え方がわからない。式を書きなさい」となる。「これこそが考えることを重視した、すばらしい教え方だ」となる。

で、「式 答え」が答えになるので、結局「正しい式が書けさえすればいい」となり、サンドイッチなどというのが出てくる。教える方も「正しい式」を書かせようとする。


それじゃあいかん、麻雀パイやおはじきやらを使って、操作させることが大切だ

となって、

「正しい操作の仕方」が教え込まれることになる。




うぜ~



答えさえだせばいいんだよ。答えが出せたったことは、偶然でないなら、ちゃんと正しく考えた蓋然性が高いのだから、それでいいんだよ。

こうなってほしい。

  • [99]
  • Re: 「何算?」と子供ではなく、教える側が質問するあほらしさ

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月27日(火)01時42分24秒
  • 返信
 
>>93

> 「この問題を図示するとこうなっている。だから・・・」という推論でないといけませんかねえ…

もしかして、「何算か」という式の方ではなく、図や操作の方が重要だ、

と私が主張していると受け取ったのかな?


そういうことではない。式だろうが図だろうが麻雀パイだろうが、子供が必要だと思えば勝手に使えばいいし、使うことを強要するような話でもない。

http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t7/18
>たし算では、片側(右側)から寄せるか、両方を一気に寄せるか、「問題の意味をつかむため」としてその練習をさせる人(真面目な…)も多いです。(指導書基本その流れですから)ひき算でも、たとえば7-5が求差の問題なら、7個から5個をとったらaut!!7個と5個を両方並べて、同じ数ずつ(この場合は5個)を一度にとらなくてはいけません。(笑)…と書いたけど笑えませんね。


麻雀パイ(算数ブロックというらしい)だの、おはじきだのを使って教えれば、イメージをとらえることができていいだろうと思うかもしれないが、

結局、子供が自由に操作することになっていなくて、求差と求残で違う操作をしないとならない。

そういうこと自体がナンセンス。



子供に自由に考えさせて試行錯誤させることが大切なのに、「試行錯誤の仕方」まで指定してしまうあほらしさ。

  • [98]
  • Re: 中日新聞

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月27日(火)01時34分58秒
  • 返信
 
>>94

1つあたり と いくつ分 は視点の違いで逆転する、ということにも言及してほしかった。1972年の朝日新聞はそのことに触れている。

 贅沢を言えばきりがないけど、

 「かけ算で逆に書いてバツになった。そんなのおかしい。」というだけの問題ではなく、すごく深い問題が潜んでいるのだけど、そのことを簡潔に説明するすべはないものか・・・

  • [97]
  • Re: 「何算?」と子供ではなく、教える側が質問するあほらしさ

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月27日(火)01時31分23秒
  • 返信
 
>>96
> なかなか厳しいですなあ

これは私自身が教えていて痛感することがあるのです。

「どうやって解くの?」と聞いてくるケースがとても多い。

たとえば (x-3)(xー1)(x+5)(x+9)<0を解け

「2次不等式は習ったけど、こんなの習っていない」と平気で言う。

結局、問題の意味を分かっていなくて、何か手順があってその通りに出すのだと思っている。

こんなの、不等式や方程式をを解くとは、成り立つxを求めることだ、ということさえわかっていれば、xに片っ端から具体的数値を入れて、成り立つ範囲を予想する、という原始的方法でもできるのに、そういう発想がない。

 小学校算数あたりの授業が原因じゃなかろうかと疑っている。


今日も、x^2+6x+10>0という問題を出して、「解なし」と言われてがっかりした。


x^2+6x+1>0 これなら、x^2+6x+1=0を解いて求められた。
同じようにやろうとしたが、x^2+6x+10=0を解こうとしてできなかった。だから、「解なし」としてしまった。

「2次不等式の解き方」として、「まず=0にしてxを求めて、・・・」というのがインプットされてしまったということ。

素で考えればいいだけのこと。
x^2+6x+10>0にあてはまるxはあるだろうか?試しにx=1でも入れてみよう、

こうすれば「解なし」などとは言わないはず。


前に報告した事例もそう。

通分ができるのに、1/a+1/bの通分ができない。
1次方程式は解けるのに、ax+b=cをxについて解くことができない。

原因は、「通分は最大公約数でなくてはならないが、aとbの最大公約数がわからない」
「方程式の係数が小数や分数の場合は、何倍かして整数にして解かないとならないが、a,b,cだと整数なのか小数か分数なのかわからない」というもの。

「こう解かないとならない」ということではないんだよ、と説明してあげたのだが、


「唯一の正しいやり方がある」という幻想は困ったものである。


  • [96]
  • Re: 「何算?」と子供ではなく、教える側が質問するあほらしさ

  • 投稿者:ゴルゴ・サーディーン
  • 投稿日:2012年11月27日(火)01時14分38秒
  • 返信
 
>>95
> 幸か不幸か、算数文章題は、四則演算のどれかを使うと解ける場合が多いので、「何算かな?」が通用してしまう。
> 最初から、なんとか算があるのではなく、考えたら結果として足し算になった、というのが望ましい。

なかなか厳しいですなあ

  • [95]
  • Re: 「何算?」と子供ではなく、教える側が質問するあほらしさ

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月27日(火)01時02分3秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>93

何算か? というのはそもそも問いとしてまずいと思います。

3人帰ったので5人残っている。最初は何人いたのか?

○-3=5 ○にあてはまるのは8

と足し算で考えてもいい。


4人に3個ずつ蜜柑を配る。蜜柑の数は?

3+3+3+3=12 と足し算で考えてもいい。


式なんか書かなくても、○を書いて数えたり、指を折ったりして求めてもかまわない。


式を書くように誘導することも、ときとしては必要かもしれないが、まずは答えさえ出ればいい、を原則にすべき。



「何算か?」を聞くことで、子供は問題を見て、「足し算なのか、引き算なのか、かけ算なのか、わり算なのか、どれなのか?」と考えるようになってしまう。これはまずい。


 高校数学で例えてみる。


y=f(x)のグラフの(a、f(a))から(b、f(b))までの曲線の長さは?

「微分かな?積分かな?」などという発想はまずい。

微少なΔxに対して、縦方向の変化はf'(x)Δx
だから、斜辺の長さは√{(Δx)^2+(f'(x)Δx)^2}で、・・・

というようにして、結果的に微分や積分を使うようにならないとよろしくない。


これができないと、結局問題パターンごとに解法を覚えることになる。



幸か不幸か、算数文章題は、四則演算のどれかを使うと解ける場合が多いので、「何算かな?」が通用してしまう。


最初から、なんとか算があるのではなく、考えたら結果として足し算になった、都下、わり算になった、というのが望ましい。

http://


  • [94]
  • 中日新聞

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年11月27日(火)00時51分12秒
  • 返信
 
 この問題が、大手マスコミで報道されたのは、大きな進歩です。
 しかし、若干の問題もある。

 小学校でも交換法則を教えていることや、長方形の形に並べる方法を教えているにもかからわらず、そのような事実を指摘していないばかりか、交換法則は中学校で学習することになっていると誤解を招くような表現がある。

 今後、さらに適切な内容の報道が大手マスコミから発信されるようにはたらきかけていきましょう。

 みんなで資料を集めたり、この記事を書かれた栗山記者に応援のメッセージを送りましょう。

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
2012年 11月 5日 中日新聞 教育面(6面) 「2×3? 3×2? 文章題の掛け算の式」

 小学2年生は毎秋、学校で掛け算を習い始める。多くの子どもが掛け算の式には”正しい順序”があると教わるが、式の順序を逆にしても答えは同じ。このため、保護者や教育関係者らの論争が毎年のように繰り返される。どの教科書も順序にこだわっているように見えるが、子どものためになっているのか。 (栗山真寛)

■ 掛け算の式に順序はある?
【問】 3人に2個ずつリンゴを配ります。リンゴは何個必要ですか?
【式】 3×2=6 → 2×3=6
【答】 6個 → ○

■ 学校での掛け算の教え方
(1つ分の数)×(いくつ分)=(全部の数)
2個ずつ、3人分で6個
2×3=2+2+2=6個
3×2 と書くと…
3×2=3+3=6
3個ずつ、2人分の意味になる。

■(写真)算数の楽しさを伝える授業をする朝倉仁塾長=大阪市北区の朝倉算数道場大阪教室で


”正しい順序”にこだわる?
算数嫌い助長の恐れ
教員指導書「逆は誤り」 問題文の理解を重視

 大阪駅前に近いビルの一室で開かれている朝倉算数道場の大阪教室。この日の講座では、小学四年生約二十人が主宰の朝倉仁塾長の出す問題に元気よく答えていた。「子どもがいかに難しい問題に取り組んでいるか分かるように」と保護者の見学を推奨しており、教室の後ろでは親たちが熱心にメモを取る。
 保護者会では、勉強について相談が寄せられる。文章題の答えで「2×3」を「3×2」と書くと誤りとされるような掛け算の式の事例など、学校での指導に保護者が納得できない内容も多い。
 「うれしいことに算数はいくつも解き方があるね」と呼び掛ける朝倉塾長の教え方に、兵庫県芦屋市の鈴木皐君は、「ここに来て算数が好きになった」。他の塾生も「学校の授業はつまらん」「解き方が制限されとる」と同調した。

 「毎年この時期、掛け算の式の順序が話題になります」と話すのは、東北大学理学部数学科の黒木玄助教。先生によって掛け算の式を直された答案用紙がインターネットに出回り、「バツを食らった子どもの親が怒りだす」と言う。自身も学校での指導法に疑問を持ち、インターネット上で情報を発信している。
 中学の数学では乗法の交換法則として ab=ba と習うにもかかわらず、黒木助教らが調べたところ、小学校の算数の教科書を発行している六社とも、掛け算は「『一つ分の数』掛ける『いくつ分』」という順序の教え方をする。さらに、各教科書に対応した教師向けの指導書では、順序が逆なら誤りとする教え方を載せている。
 教科書会社はどう考えているのだろうか。東京書籍の編集局は「掛け算の意味を理解させることに尽きる」と説明する。2×3とは2が三つ分、つまり2+2+2の意味であり、3×2=3+3とは区別される、という主張だ。「文章に出てきた数字の順で式に書く子は多い」と、文章題の意味を理解しているかを判別する一つの手掛かりとして式の順序を見るという。
 「文部科学省の学習指導要領に、そのような説明はない」と主張する黒木助教らに対し、東京書籍は文科省が発行する指導要領の解説に「10×4は、10が四つあることから、40になる」といった記述があることを挙げ、「順序に意味がある」と反論する。
 これらの議論について文科省初等中等教育局教育課程課は「掛け算の意味を理解させるよう定めているが、順序については国が定めるものではない」と距離を置く。ただ、指導要領の解説に対する教科書会社の解釈には「深く考えすぎだと思う」と打ち消す。
 結局、掛け算の式の順序にこだわる教え方は何に基づくのか。教科書会社と文科省の主張はかみ合わない。「指導要領に書かれている」と誤解している教員もいた。黒木助教は「子どものやる気が下がってしまう」と、掛け算の順序など枝葉にこだわるあまり、子どもの算数嫌いを助長しないかと心配する。
 教員の間にも順序にこだわる教え方を危ぶむ声はある。岡山県総合教育センターの研修では、小学校の算数の公開授業を見学した中学教諭から「こだわるとかえって混乱を来たす」と指摘されたという。
 朝倉塾長は、掛け算の式の順序に意味があることを認めつつ「子どもにとってはただの理屈」とみる。受験塾ではない算数道場を運営するのは、楽しい授業が求められていると実感した結果であり、授業には「双方向性が重要」という。答案用紙で正誤を断じるのではなく、「子どもがなぜそのように考えたのかを聞けるように、人間関係をつくらなくてはならない」と、指導書頼りの教育現場に警鐘を鳴らす。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

> 中学の数学では乗法の交換法則として ab=ba と習うにもかかわらず、黒木助教らが調べたところ、小学校の算数の教科書を発行している六社とも、掛け算は「『一つ分の数』掛ける『いくつ分』」という順序の教え方をする。

→ 実際には、小学校2年生で、かけ算を導入してすぐに交換法則を学習するようになっており、ものを長方形の形にならべてかけ算で数を求める方法(当然、このようなやり方であれば”正しい順序”などあるはずもない!)も学習する。要するに、「交換法則は教えていない」「順序にこだわらないでいい解法は教えていない。」「教えていないことをやったからバツ。」という理屈は通用しない。

 「教えていないやり方でやったからバツ」というのがそもそも一般的に通用する考え方ではない。なんらかの理由で解法を制限しなければならないときに、事前に説明したうえで「教えていないからバツ」なら問題ないだろう。

 この場合、そもそも「教えているやり方」で解いてもバツにされてしまうのだから、もはや 「俺様ルール」「空気読みゲーム」 でしかなく、数学教育でもなんでもない。国語の問題ですらない!


> さらに、各教科書に対応した教師向けの指導書では、順序が逆なら誤りとする教え方を載せている。

→ 指導書がおかしいということを指摘しているのは素晴らしい。ただ、この文章だと説明不十分で、

 指導書は、一般人が閲覧するのはほとんど不可能。
 指導書は、外部から批判をされることもなく、教科書会社がやりたい放題。

ということまで、しっかり説明してほしかったところである。


  • [93]
  • Re: 「何算?」と子供ではなく、教える側が質問するあほらしさ

  • 投稿者:ゴルゴ・サーディーン
  • 投稿日:2012年11月26日(月)23時56分24秒
  • 返信
 
>>88
>でも、教える側が「これは何算?」と質問して、まずは何算かを考えさせるようにしているのだから世話はない。

「『これ何算?』と出題者(教師)に聞くな。そこを自分で考えろ。」というのだから、ある意味いいんじゃないかと…

「この問題を図示するとこうなっている。だから・・・」という推論でないといけませんかねえ…

  • [92]
  • 算数教育ウィキリークス

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月26日(月)23時29分43秒
  • 編集済
  • 返信
 
 ÷0=0問題は、教える側もまちがうことがあるという偶発的事故だと思う。

 これが訂正されるような雰囲気があるかどうかが問題。


 かけ算の順序が典型だが、批判に対して防御することでおかしな教え方が温存される、という算数教育業界の構造が問題。

「算数と数学は違う」「発展段階」「できない子にはこういう指導の方が・・・」

などと幾重にも守られていて、その教え方の是非を検証されることは決してない。


しかし、このような状況にも、ネットの普及で風穴があきつつある。

実態を世間に知らしめよう!

  • [91]
  • 私のマイミクにもいましたよ!

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月26日(月)23時24分25秒
  • 返信
 
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1882206142&owner_id=6456074
日記で情報を募ったら、÷0=0と習ったという報告がありました。

マイミクさんが抗議して他の先生に聞くなどして、結局訂正されたそうです。


 どこかに出所があるというよりも、何かの拍子でそう勘違いしてしまった教師が出現する、

ということかもしれない。


 このケースのように、訂正・修正がはかられるのであれば、さほど問題はない。

  • [90]
  • Re: ÷0=0 の理由

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2012年11月26日(月)20時57分17秒
  • 返信
 
コンピュータでは0にならない事が明確ですね。
こんな事を習うと、電卓が壊れているとか言い出す人が出てきそうです。

  • [89]
  • 「8個のリンゴを4人で分けると1人何個になるでしょう?」 「2個」は誤答! 

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月26日(月)17時26分9秒
  • 返信
 
http://blog.livedoor.jp/nagayume/archives/51927856.html
>「8個のリンゴを4人で分けると1人何個になるでしょう?」
 私は4問とも間違えました。何でか?当時の先生の指導では、答えは「2個/人」って書かなければならないのですが、私は「2個」と書いたからです。


12㎞を3時間で歩きました。1時間で歩いた距離は?

これを4㎞/hと答える方が間違いだと思うが・・・


奇妙なイデオロギーにはまった教師かもしれない。

  • [88]
  • 「何算?」と子供ではなく、教える側が質問するあほらしさ

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月26日(月)16時33分54秒
  • 返信
 
以上の2つの事例は、まずい指導の仕方だと思う。

しかし、これを「まずい」と思えるには、ある程度、算数・数学を理解している必要があるのかもしれない。

このあたり、私自身が数学が好きで得意なので、そうでない人がどう考えるのかは想像しにくいのでよくわからない。

 それは、数学が好きで得意な人に関しても同様。他人がどう考えるかは想像するしかない。


 しかし、好きで得意な人の多くは、私と同様、ここで報告したような指導法はまずいと思うのではないだろうか。

 数学が苦手な人でも、きちんと物事を考えることが出きる人であれば、「この指導はまずい」という主張は、同意できるかどうかはともかく、理解はできると思う。

 かけ算順序派は言う。

「これ何算?」と安易に聞く子がなんと多いことか。
「今はかけ算の授業だからかけ算だろう」と式をたてる子が多い。だから、・・・


でも、教える側が「これは何算?」と質問して、まずは何算かを考えさせるようにしているのだから世話はない。

  • [87]
  • 「考える力を育てる」のだそうです

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月26日(月)16時24分21秒
  • 返信
 
http://www.niigata-inet.or.jp/k-shoken/chosa/20kyouryokukou/kasi%20sann145.pdf

>あかいくるまが3だいあります。きいろいくるまが8だいあります。どちらがなんだいおおいでしょうか。
3, 見通しを立てる。
○何算を使えば解決できそうか考える。
・「おおい」だからたしざんかもしれない。
  ・「いくつおおい」のときは、ひきざんだったよ。
    ・ブロックをつかってみよう。
  ・「8は 3より 5おおい」


>「どちらが いくつ おおい」 「ちがいは いくつ」のときも引き算が使える。

  • [86]
  • 何算になるかな?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月26日(月)16時16分34秒
  • 返信
 
東京都算数教育研究会 「どんな計算になるかな」
http://tosanken.main.jp/data/H22/1022/3bunkakai

p5
>赤いばらの花が12こ、白いばらの花が5こさいています。あわせて何こさいていますか。
>ブロックを並べて何算か考えてみましょう。

p7
>公園で子供が何人かあそんでいました。そのうちの5人がかえったので、のこりは13人になりました。はじめは何人いましたか。
>何算になりそうですか。
>たし算になりそうです。
>ひき算になりそうです。



こうやって教わった子供たちは高校生になり、

「ABCDEFから3文字、GHIJKLMから4文字選んで、その7文字を並べる方法は何通り?」

という問題を見て


「これはCで解くの?Pで解くの?順列の問題?それとも組み合わせの問題?」

と質問するようになってしまう予感がする。


  • [85]
  • 数列の問題

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月26日(月)09時12分36秒
  • 編集済
  • 返信
 
「2項演算として÷0=0と定義することは不可能じゃないから、・・・」と、“高尚な数学”の立場から、÷0=0を擁護することも可能だと書いた。

 正方形は長方形か否かも、「長方形の定義として、正方形を取り除くということは可能」ではある。ただし、教科書の定義は、4つの角が直角としかなくて、辺の長さには言及していないので、この擁護論には無理がある。


 さて、このような“高尚な数学”をもてあそび、算数教育の現状を憂いている人に冷ややかな視線を浴びせる人は、以下の数列問題をどう考えているのだろうか?




1,2,3,□,5,6,・・・

□に入る数を求めよ。

答案1 47
数が並んでいれば数列だから何でもいい。

答案2 すべての実数
慣習に従う。特に断りがなかったら「数」とは実数のことのようだ。(確証がないが)
x^2-5x+6=0の解を求めよ、については、「すべての解を求めよ」と書いていなくても、2と3の両方を書かなくてはならない。これに準じて、□に当てはまる実数を過不足なく挙げるためには「すべての実数」としなくてはならない。


これは屁理屈だろうか?


教える側の屁理屈のみが“高尚な数学”から擁護されるのだろうか?

  • [84]
  • 思い込み、民間伝承、都市伝説、・・・

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月26日(月)08時55分42秒
  • 返信
 
 思想信条とか価値観とか倫理とかの話ではなく、客観的な認識の話として、

 間違った認識をしたままそれが修正されないままずっときてしまうというのはありがちかもしれない。

 些細な例では、漢字の読み方や書き方など。

私の例だと、√5を2.2360679・・・だと思いこんでいた。

正しくは、2.2360679・・・

富士山麓鸚鵡鳴く. これを 富士山麓鸚鵡鳴く.と覚えてしまったのが原因。

他にもあるかもしれない。


 また個人レベルではなくて、ある社会集団においてそういうこともあるだろうし、一部の人がそういう誤った情報を共有してしまうこともあるだろう。

 諺や慣用句の意味に関しては、誤用がたまに話題になる。言葉に関しては圧倒的多数が誤用したら、そっちが正しくなってしまう。

 昔仕事をしていて、「じゃあ適当にやります」と言ったら、「適当じゃ困る」と怒られたことがある。



 ということで、人は誤った認識から逃れることは避けられないと思う。教師もまた同様。そして間違ったことを教えてしまうことも、ある程度は避けられないと思う。

 しかし、中には命に関わることもあるので、それは避けなければならない。
「運動中は水飲むな」説↓
http://suugaku.at.webry.info/201102/article_11.html


また、「かけ算の順序」は、算数業界ぐるみで推進している誤りで、小学校でそれがスタンダードになっている様である。


これらと比較したら、÷0=0の件は、問題は小さいのかもしれない。

0で割る問題自体普通は出されないから、「÷0=0」と教わってもそれが発覚しにくいし、また実害がないとも言える。

かけ算の順序は、もっと広く「式の意味」ということから、文章題をキーワードやパターンで腑分けするという、算数・数学の理解には致命的な学習方法を助長しかねない意味で有害。



 しかし、「÷0=0」というのが一部で教えられている、ということの背景は気になる。


 こういったことが修正されるような仕組み・雰囲気が必要だと思う。

  • [83]
  • 私自身が学校で教わった、誤り

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月26日(月)08時21分23秒
  • 返信
 
■ 0は偶数ではない



■ 牡蠣の養殖では牡蠣の殻を沈めておく。次の子供がその殻をまた使う。

小学校2年の社会で教師がこう言った記憶がある。
ヤドカリじゃあるまいし、貝は自分でからを作るのだから、そんなことないと思うが・・・、と子供心に思った。

 最近知ったのだが、ホタテの殻を牡蠣の養殖に利用するらしい。これを教師が勘違いしたのか、あるいは私が聞き間違えたのかもしれない。



■ 太陽から地球に光が届くのに8分かかる。だから、日の出が7時だとすると、本当の日の出は6時52分

理科が専門の教師がこういっていた。その説明はおかしいと思った。地球が回っていて、自分がいるところが日の当たるところに到達したのが日の出時刻なんだから、日の出が7時なら7時だろうが。その瞬間に見ている太陽の光は8分前に太陽を出発した、ということだろうけど・・・
と思った。

  • [82]
  • Re: 筑波大学附属小・山本良和氏 「式」に関する考え方 発達段階説

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年11月25日(日)23時36分37秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>76

>  このように同じ「3+2」という「式」で表現されるにもかかわらず、その「式」の意味が異なるということを子ども自身が実感的に体験することは、言語としての「式」を理解する上で重要な体験だと考えられる。つまり、「3」と「2」という数字を記号「+」でつないで併記したものが「式」であるという認識ではなく、「式」は「話」を表しているという見方であり、1年生の子どもの発達段階としてはとても自然で理解しやすいわけである。


1年生の子どもの発達段階としてはとても自然で理解しやすいならば
嘘を教えるのが教育的に正しいというのが筑波大の考え方なのだろうか。

たとえ理解できなくても事実を事実として認めて追求するのが科学のスタンスだと思う。

真逆の考えを布教する彼らの思想こそが疑似科学をはびこらせる
根源になっているのではないだろうか。


  • [81]
  • 算数教育の専門家は小学生の垢を煎じて飲みなさい

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月25日(日)23時31分25秒
  • 返信
 
>  つまり、「合併」の事象である問題①は被加数、加数の順序は関係ないと判断し、「増加」の事象である問題②は被加数、加数の順序に意味があると考えるのが子どもなのである。

何度か紹介したが再度

https://twitter.com/SciCom_hayashi/status/157742787440295937
研究室卒業生が小学1年算数指導で苦労したのは,「あわせていくつ」「ふえるといくつ」を区別する文章題をつくらせる研究授業。どちらも同じ足し算だとふつうに理解できるのに,わざわざちがうものだと強いてしまうので子どもたち大混乱。無理に教えるのが無理

「あわせていくつ」「ふえるといくつ」が同じことだという抽象化ができています。子供は算数教育の専門家よりも賢いです

  • [80]
  • 田中博史氏 「形式が使いこなせる子どもにしよう」

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年11月25日(日)23時31分22秒
  • 返信
 
>>76 で紹介した「算数授業研究 VOL.82 特集 式の「よさ」を味わう授業」 ですが、田中博史氏も寄稿されています。

 一読して、田中氏はいささか無責任ではないかと感じました。

↓ 引用します。

 イメージを豊かに持てないうちから形式に走るのでは確かに活用する力にはならないだろう。
 しかし、いつまでも具体にばかり頼っていては、中学校以降の数学に太刀打ちできない。もっと形式を使いこなせる子どもにしたいものだ。
 その意味では今回の指導要領が文字式を積極的に活用できる子どもを育てようとしているのはよいことだと思う。
 中1プロブレムを克服するポイントは小学校5,6年の算数で形式の活用場面をもっと取り入れることだと私は思う。
 最近提案している4マスの関係表も実は同じ想いで取り入れている。数学の道具に表現しなおした時に情報は整理され、新しい発見が成される。ここに大きな意味がある。

↑ 引用終わり。


 九九トランプ・九九かるた など、「かけ算の順序こだわりトンデモ教材」を多数開発して、「低学年では具象にこだわるべき」「低学年と高学年は違う」と散々言ってきたのは田中氏ではないか?

 5・6年になったら、突然、「形式を活用しよう!」ですか?

 またしても、「発達段階説」である。


  • [79]
  • Re: 筑波大学附属小・山本良和氏 「式」に関する考え方 発達段階説

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年11月25日(日)23時23分30秒
  • 編集済
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>>76

>  ところが、これらの2つの問題場面を「2+3」という「式」で表現したらどうなるだろう。和を求めるという点では「3+2」であろうが「2+3」であろうが数学的にはどちらの式も間違いではない。しかし、1年生の子どものとらえ方は違う。
>
>  問題①は「3+2」でも「2+3」でもよいが、問題②の場合は、3+2でなければだめだという。
>
>  つまり、「合併」の事象である問題①は被加数、加数の順序は関係ないと判断し、「増加」の事象である問題②は被加数、加数の順序に意味があると考えるのが子どもなのである。時系列という点から考えると、問題②のほうは確かに被加数、加数の順番に重要な意味合いが込められていることになる。
>
>  このように同じ「3+2」という「式」で表現されるにもかかわらず、その「式」の意味が異なるということを子ども自身が実感的に体験することは、言語としての「式」を理解する上で重要な体験だと考えられる。つまり、「3」と「2」という数字を記号「+」でつないで併記したものが「式」であるという認識ではなく、「式」は「話」を表しているという見方であり、1年生の子どもの発達段階としてはとても自然で理解しやすいわけである。


説明に齟齬がある部分は都合よく子どもを引っ張ってきてあたかも教育的配慮であるかのように装いつつ
自説を補強してしまうところが悪どいと思いました。

  • [78]
  • Re: 筑波大学附属小・山本良和氏 「式」に関する考え方 発達段階説

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月25日(日)23時22分29秒
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  • 返信
 
>>76
>  ところが、これらの2つの問題場面を「2+3」という「式」で表現したらどうなるだろう。和を求めるという点では「3+2」であろうが「2+3」であろうが数学的にはどちらの式も間違いではない。しかし、1年生の子どものとらえ方は違う
>  つまり、「合併」の事象である問題①は被加数、加数の順序は関係ないと判断し、「増加」の事象である問題②は被加数、加数の順序に意味があると考えるのが子どもなのである

赤字は積分定数による強調

ここの部分に、算数教育の専門家の混乱が現れている。

http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t3/134にも書いたが再度書く。


A 小学校1年生は、「3+2」と「2+3」は異なる と認識する
B 小学校1年生は、「3+2」と「2+3」は異なる と認識しなくてはならない

AとB、どちらの主張なのか?

AとBの意味は全く異なる。これが分かっていないとしたら、混乱しているとしか思えない。

ましてや、

小学校1年生は、「3+2」と「2+3」は異なる と認識するのだから、
小学校1年生は、「3+2」と「2+3」は異なる と認識しなくてはならない

というのであれば、全く意味不明である。

仮に後者のようなことが必要だとしても(私は全く不要だと思うけど)、前者が事実なら指導の必要はない。

足し算に順序などない。前者のようなことがあるのであればそれは誤った認識である。「3+2と2+3は全く同じこと」、と指導しなくてはならない。

というなら話は分かる。



いずれにしても、発展段階を持ち出した場合に、「子供はこう考えがちである」と「子供はこう考えなくてはならない」を混同混乱するケースが多い。

三島市教委指導主事も混乱していた。

 彼らの逃げ口上は、「できる子には不要な指導だとしても、できる子なんだから適応できる」

 実際、カード配りの説明で「逆順も正当化できる」と言ったら、「そこまで考えられる子であれば、教師が求める順序に書くこともできるだろう」と言っていた。

http://


  • [77]
  • なぜ0で割ってはいけないのか?

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年11月25日(日)23時09分18秒
  • 返信
 
ニコニコ動画より
「なぜ0で割ってはいけないのか?」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1324200
けっこう楽しかった

  • [76]
  • 筑波大学附属小・山本良和氏 「式」に関する考え方 発達段階説

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年11月25日(日)22時54分41秒
  • 返信
 
 筑波大学附属小学校算数部の算数授業研究を入手できました。

 すでに twitter で、おおくぼさんが言及されていますが、筑波大学附属小学校算数部は、『式にたいする考え方がおかしい』と批判されたことを受けたのか、 「発達段階説」 を前面に出してきています。

 おおくぼさんは山本良和氏の 「たし算の正しい順序」 の文章を引用されていますが、 VOL.84 では田中博史氏がかけ算について書かれています。田中氏も、やはり 「発達段階説」 を出してこられました。

 今後、「発達段階」を前面に押し出した理論を展開していくつもりなのでしょうか?

 筑波大学附属小学校算数部の動向には、要注意であると感じました。

 気になった点。

① 子どもは「式は話を表わす」と認識するから、たし算の順序に意味があると考える。
② たし算の交換法則を学習すると ===計算処理の過程では=== 意味にこだわらない。
③ 「3+2」は演算の意味を表す式である。
④ 「3+2=5」は関係を表す式である。
⑤ 演算の意味を表す式と関係を表す式は違うので、子どもに意識させる。

 「計算処理の過程では」と言われると、では、あなたがたの用語でいう 「立式」 とやらではどうなんだ? という疑問が出てくるわけですが、「演算の意味を表す式」と言ってます。

 「算数教育業界の常識」に染まっている人間が読んだら、「式の意味が違うからバツ」にしてもいいんですね、「立式」が正しくないときは「式のらん」はバツ、答えはマル、「算数は答えがあっていればいいのではありません、正しい過程で解くことが大切」(笑)というふうに解釈できそうである。

 2+3 と 2+3=5 の違い、というようなことは、坪田耕三氏も発言されているので、坪田氏も算数教育業界独特の式に対する考え方に影響されていると思われる。そのあたりについて、今後、坪田氏の著書をしっかり調べていきたいと思います。

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
『算数授業研究 VOL.82』 p2~3 「特集 式の「よさ」を味わう授業」
 
◆ 算数科における言語活動を支える「式」
 新学習指導要領になって1年が過ぎ、算数科の授業における言語活動のあり方に対する関心が高まっている。しかし、だからこそ気をつけたいのは、子どもが「話す」、「聞く」、「書く」、「読む」といった言語を用いた活動を行えばそれでいいという安易な言語活動のとらえである。算数科における言語活動といったとき、このような表面的な学習形態に注目するだけでは明らかに不十分である。
 大事にしなければならないのは、算数科だからこそ身につけさせる言語の活用であり、すなわち、数、形、式、図、数直線、表、グラフ、そして具体物や反具体物(原文ママ)の操作等を用いて行われる算数的活動の充実ということを意識しなければならない。
 本特集では、そんな算数科だからこそ用いられる言語の中でも特に「式」に着目した。「式」は、子どもにとって算数で初めて出会う言語であり、その「式」を使いこなせるようになるためには、算数科の授業においてそれなりの体験が必要となる。
 単純に考えると、例えば、「式」による表現の意味を理解していない子どもは「式」を用いることはできない。小学校算数では、1年生で「たし算」と「ひき算」の「式」に出会い、2年生で「かけ算」の「式」、3年生で「わり算」の「式」に出会う。すなわちそれぞれ4つの演算の意味理解とともにそれらの表現方法として「式」に出会うわけである。
 さらに、4年生ではこれらの四則演算を今後した総合式が扱われ、分解式と総合式それぞれのよさを意識させていく。
 そして、4年生以降、数の範囲を整数から小数、分数へと拡張させながら、それぞれの演算の意味も拡張していくことになる。
 子どもがこのような学習を体験していく中で、「式」を適切に用いられるようになるためには、子ども自身が「式」による表現方法のよさを感得していることが前提となる。
 そこで、本特集では、「式」のよさを味わう授業をテーマとして設定した。
 
◆ 「式」のよさを味わう授業とは?
 第1学年で「たし算」を学習する場面で、例えば、「赤い車3台と白い車2台があります。車は全部で何台あるでしょう?」(問題①)という場面において、この事象を「3+2」と表すことを指導する。
 このとき、まず文章を書き写させてみる。次に、場面を具体的な絵に描かせてみたり、ブロックで操作させてみる。どの表現も手間がかかる。しかし、「式」による表現はシンプルで、あっと言う間に完成する。
 また、同じ1年生のたし算でも、例えば「駐車場に赤い車が3台停まっていました。後から白い車が2台やってきました。駐車場の車は何台になりましたか?」(問題②)という事象も扱う。ここでも、同様に文章を書き写させ、絵に描かせてみたりブロック操作をさせてみたりすると、子どもはやはり手間どる。一方、「式」に表わす場合は、やはり単純に「3+2」と表わすことができる。
 これらのことから、「式」は具体的な事象を抽象化して簡単に表現できる方法であるということを子どもに認識させられそうである。
 ところが、これらの2つの問題場面を「2+3」という「式」で表現したらどうなるだろう。和を求めるという点では「3+2」であろうが「2+3」であろうが数学的にはどちらの式も間違いではない。しかし、1年生の子どものとらえ方は違う。
 問題①は「3+2」でも「2+3」でもよいが、問題②の場合は、3+2でなければだめだという。
 つまり、「合併」の事象である問題①は被加数、加数の順序は関係ないと判断し、「増加」の事象である問題②は被加数、加数の順序に意味があると考えるのが子どもなのである。時系列という点から考えると、問題②のほうは確かに被加数、加数の順番に重要な意味合いが込められていることになる。
 このように同じ「3+2」という「式」で表現されるにもかかわらず、その「式」の意味が異なるということを子ども自身が実感的に体験することは、言語としての「式」を理解する上で重要な体験だと考えられる。つまり、「3」と「2」という数字を記号「+」でつないで併記したものが「式」であるという認識ではなく、「式」は「話」を表しているという見方であり、1年生の子どもの発達段階としてはとても自然で理解しやすいわけである。
 ところが、例えば「3+2=2+3」というように交換法則を学習した子どもは、計算処理の過程では意味にこだわらずに式変形をしていくようになる。その典型は、第6学年の「分数のかけ算」や「分数のわり算」の計算処理の仕方であるが、意味を切り離して計算のきまりを式に適用していく中で計算方法を導き出していく。
 これらのことから考えると、算数科における言語活動を支える「式」は、子どもの発達段階に応じ、また学習した内容に応じて進化していくととらえられる。
 また、「=」(等号)や「<」「>」(不等号」も「式」の指導ではとても大事である。言い換えれば、前述の「3+2」の「式」と「3+2=5」の「式」の意味の違いを子どもが意識できているかどうかということである。
 演算の意味を表現している「3+2」という「式」と、「3+2」と「5」が等しいという関係を表現している「3+2=5」の「式」の違いを子どもに明確に意識させていることも、言語活動を支える言語として「式」を指導する上で大事にしなければならないことだろう。
 本特集が、「式」のよさを味わう授業について今一度いろいろな視点から検討する機会になれば幸いである。
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  • [75]
  • 分母が0 分子が0

  • 投稿者:ゴルゴ・サーディーン
  • 投稿日:2012年11月25日(日)21時58分9秒
  • 返信
 
twitterの使い方にはうといのでこちらに。
「分子が0の時は分母の数に関わらず答えは1」
などというのもあるそうですね。
これは a^0 = 1 をはき違えたという可能性があります。

  • [74]
  • ÷0=0?

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年11月25日(日)20時50分7秒
  • 編集済
  • 返信
 
twitterでは大騒ぎになっているようですね。
https://twitter.com/search/realtime/%23%E6%8E%9B%E7%AE%97
https://twitter.com/search/realtime?q=%23%E5%89%B2%E7%AE%97
https://twitter.com/search/realtime?q=%23%E6%95%B0%E8%AA%A4%E8%8B%A6
http://togetter.com/li/412606

私はあまりエネルギーを使う気になれませんね。
粛々と事実(証拠?)だけ集めていけばいいのでは。
しかし、油断ならないな>算数教育
隙さえあらばトンデモが入り込む。

http://blog.goo.ne.jp/timburton/e/462f2ae3f76d59692e57cce7fbf497a3
のフォントはイワタの細教科書体に見えますが、教材のためにわざわざ
フォント買うもんなんでしょうか。1書体だけなら8400円ですが。
それともよほどの大手なのか。
http://www.iwatafont.co.jp/font/img/pdf/gakusan/gsn_kyo_l.pdf

  • [73]
  • ÷0=0 の理由

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月25日(日)19時11分1秒
  • 返信
 
0÷3=0 でも、九九に0の段がないから、できない子がいる。

そこで、0÷何とか=0とする。

それでも、何とか÷0 0÷何とか が混乱する子もいるので、

0÷何とか 何とか÷0 どちらも0にしておく。

かけ算を含めて

「かけ算、わり算で0が出てきたら、とにかく0」で一件落着


案外、こんなくだらないことが理由だったりして・・・

  • [72]
  • 「積は一般には可換ではない」と言って順序を擁護した“理系”の見解は?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月25日(日)17時12分6秒
  • 編集済
  • 返信
 
 行列やら四元数やらを群論やら環やらを動員して、算数のかけ算の順序を擁護した困った“理系”の人たちは、この件に関してどういう見解なんだろうか?

 予想してみる。

■0で割ったら0と定義してもかまわない。a÷b×b=aは、「bが0でないときに成り立つ」としておけば問題ない。カントールが言うように数学は自由。
実数全体の集合×実数全体の集合から実数全体の集合への写像で、

(a,b)→a/b b≠0
(a,0)→0

というものを定義したってかまわない。



■ 長方形の定義を 「4つの角が直角で、かつ、正方形ではない四角形」としたってかまわない。
偶数の定義を「非負整数で2の倍数」としたってかまわない。


とか、どうとでもいえる。


「定義可能だからといっても、不合理でややこしくなるだろうが」

と言っても、

「不合理の定義が曖昧だから却下」となりそう。


■ 教師もいろいろ工夫してそう教えているのだろうから、直接小学生に教えることのない外野の人が無責任にとやかく言うべきではない。

なんていうのも定番。



まあ、どうとでも言える。

  • [71]
  • Re: 0は偶数でも奇数でもない?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月25日(日)16時32分53秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>70

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q136531888
>偶数の定義は「2で割り切れる数」としているものが多く
「0 は偶数」が一般的のようです。

http://www1.odn.ne.jp/haru/sansu/column_01.html
>偶数、奇数は自然数に限られています。自然数というのは、
     1、2、3、4、5、6、7、8、9、10 ・・・
のことで、0 やマイナスの数は含みません。
つまり、「0 や -1 は偶数でも奇数でもない」 が正解です。

http://sooda.jp/qa/266359
>”2で割り切れる自然数”、つまり、正の整数は、”0”を含みませんから、
偶数でも、奇数でも、どちらでもない(定義の範囲外)と言う事です。



「偶数、奇数は、非負整数を分類するものだから、0はどちらでもない」という流儀が一部にあるようだ。

指導要領や指導書はみていないけど、特に何とも書いていないのだろうな。

「正方形は長方形か否か?」問題もそうだけど、ちゃんと書かないので、不合理な考えや誤ったことを教えてしまう人が出てくるのかもしれない。

  • [70]
  • 0は偶数でも奇数でもない?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月25日(日)16時27分3秒
  • 返信
 
ちなみに私自身は小学校6年の時に、「0は偶数でも奇数でもない」と教わった。「偶数じゃないの?」と思ったけど、そのままスルーした。中学で「0は偶数」と教わって、「今度は偶数なんだね」と級友が言っていたのも覚えているので記憶違いではないと思う。

  • [69]
  • 9÷0=0 ネットで検索してみた

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月25日(日)16時24分49秒
  • 返信
 
http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20110607

こんなのがあった程度で、ほかはめぼしい情報は見つけられなかった。

 「かけ算の順序」ほど、猛威を振るっているのではないと思いたいが・・・・。

  • [68]
  • 私は、数学者と言う人たちが存在して数学が研究されているとは知らなかった

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月25日(日)13時53分12秒
  • 返信
 
 中学生の頃にルービックキューブがはやった。そのときに、「数学者の計算だと・・・」というのを読んで、「数学者」という存在を初めて知った。「数学」が研究の対象であることもこのとき初めて知った。

 「宇宙の研究」「動物の研究」みたいに、数学もわからないことがいろいろあって研究されているなんて、考えたこともなかった。

 それまで勉強してきた算数・数学は、完成されたものというイメージだった。四則演算で終わりだと思っていた。
数学の研究とは、何をするのか、いまひとつわからなかった。

 既にわかっていることを伝授する以外に、未完成だったり曖昧だったりよくわかっていないことがあることを伝えることも重要だと思う。

 が、算数教育にそこまで贅沢なことは望まない。

  • [67]
  • 敢えてタブーを犯すことで数学が広がる

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月25日(日)13時40分36秒
  • 編集済
  • 返信
 
 根号の中身は正でなくてはならない、

 みたいなルールをあえて無視することで複素数という新しい世界が見えてくる。

 数学にはそういう面白さがありますよね。

 超関数なんかもそうかな。


 教える内容は完成された整然としたものでなくてはならないのかもしれないが、実は隙間やほころびに面白いねたがあったりする。

 学校でそこまで明示的に教えなくてもいいとは思うけどね。そういうところまで追求する子であれば、教わる必要はないだろうし、下手に教えようとしたら、教える側も教わる側も混乱しかねない。

 現状の単純な算数ですら、いろいろ手を加えてわけのわからない代物にして自縄自縛と混乱に陥っているのだから、それに拍車をかけることはしたくない。

  • [66]
  • 本当は「0で割る話」も面白い

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年11月25日(日)01時24分29秒
  • 編集済
  • 返信
 
xy=1 のグラフを xy 平面に描けば漸近線がx軸とy軸の双曲線が得られます。

問題:x=0 および y=0 に対応するその双曲線上の「点」はどこにあるのか?

この問題の答はもちろん一通りではないのですが、
問題にされている「点」は無限遠にあると考えたくなる人は多いと思います。
実は上の問題はどこかに書いた次の問題の仲間になっています。

問題:放物線を写生するとどういう形に描かれるか?
特に地平線の近くで放物線はどのように描かれることになるか?

一般に何らかの意味での「極限」にあたる「点」が本当に点として存在する
世界を新たに作ると、数学的な議論と結果が著しく簡単になることがよくあります。

解析学を展開するために実数を考えることもそのような例になっているし、
上の問題たちを解くこともそのような例になっています。

絵を描くときも、実際には存在しない地平線を描いてしまうことになる。
座標の取り方を変えれば、無限遠も有限の座標を持つかもしれないのだ。
こういう方向でも色々な一般化が考えられる。

  • [65]
  • Re: 9÷0=0?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月24日(土)15時20分34秒
  • 返信
 
>>64

私自身は0で割ると無限大、というイメージは小学校時代に持っていたと思います。

半径無限大の円は直線、とか、平行線は角度が0とか、こういうイメージは確かにあった。
教わったというよりも、「どんどん~してみたら」というのを考える癖があったのだと思う。

 積極的に教えなくてもいいと思うけど、子供がそういう発想を話したときに、受け止めてあげてほしいですね。

 私の場合は、「言ってはいけないこと」と思い込んで、封印していたように思います。

  • [64]
  • Re: 9÷0=0?

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年11月24日(土)13時55分25秒
  • 返信
 
>>60
> http://blog.goo.ne.jp/timburton/e/462f2ae3f76d59692e57cce7fbf497a3
>
> 「0で割ったら0」と定義することは自由ともいえるが、そうすることで割り算で成り立っていた自然な性質が成り立たなくなることがある。そういう意味では自由とは言えない。

0で割ることって小学生にはどう教えているんでしたっけ?

分数の割り算を勉強したら、進んでいる子には
「どんどん小さい数で割っていくと、結果がどんどんおおきくなっちゃうんだよ~」
と極限の考え方をこっそりw教えてもいいのかもしれません。

  • [63]
  • Re: 中日新聞記事

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年11月24日(土)13時43分42秒
  • 返信
 
>>61
> http://ameblo.jp/metameta7/entry-11411603411.html
> メタメタさんが画像をアップしてくれていました。

画像直リンです。

http://stat.ameba.jp/user_images/20121124/01/metameta7/ee/c6/p/o0800114112299937326.png

  • [62]
  • Re: 9÷0=0?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月24日(土)10時49分37秒
  • 返信
 
>>60

私自身のことを思い出した。

高校時代に、{x|xは3以下} の最大値は3だけど、{x|x<3}の最大値はない、と教わった。そのこと自体は納得できたが、{x|x<3}において、3は、最大値ではないにしても何か特別なものだと思った。同じ、「最大値はない」でも、「自然数全体の集合には最大値がない」というのとは違うと思った。

 で、教師に、「3は何なんですか?」と質問したら、「じゃあ、3も最大値でいいよ」という返答。以来、最大値は3としていた。

 これはやっぱりまずいと思う。

 「高校ではやらないけど、特別な名前がついているよ」と一言言ってくれたら、「ああそうなのか」と納得したのにね。

 「上限」という言葉を知らなかったのかもしれないが、それでも、「それはそれでそれを表現することが必要なら、その場で定義すればいい。とりあえず、ある集合の最大値とは、その集合の元でないとならないから、この場合、3は集合の元ではなくので最大値ではない」というべき。

  • [61]
  • 中日新聞記事

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月24日(土)09時59分41秒
  • 返信
 
http://ameblo.jp/metameta7/entry-11411603411.html
メタメタさんが画像をアップしてくれていました。

  • [60]
  • 9÷0=0?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月24日(土)09時46分45秒
  • 返信
 
http://blog.goo.ne.jp/timburton/e/462f2ae3f76d59692e57cce7fbf497a3

「0で割ったら0」と定義することは自由ともいえるが、そうすることで割り算で成り立っていた自然な性質が成り立たなくなることがある。そういう意味では自由とは言えない。

 カントール曰く、「数学の本質はその自由性にある」

だから、マイナスの2乗をマイナスと定義するのも自由だが、そうして作った計算体系は、分配法則が成り立たなかったりして、非常にややこしい。

 結局、正の数の計算で成り立ついろいろな性質が維持されるように、マイナスの数の計算に拡張するにはマイナスの2乗はプラスにせざるを得ない。

  • [59]
  • 平行四辺形の面積が高さ×底辺ではなくて、底辺×高さとなる理由

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月23日(金)15時35分5秒
  • 返信
 
http://blogs.yahoo.co.jp/tamusi22/37281039.html
>子どもたちの説明は「4×6」と「6×4」に分かれるのですが,前者になる理由は4の塊がいろんな場所に現れてちょっと不自然です。それに対して後者の方は,1段に6つの単位正方形が並び,それが4段あるのでとても自然な感じがします。ひょっとするとそういうことがあるので「縦×横」が「底辺×高さ」と入れ替わるのかもしれません。


  • [58]
  • Re: 坪田算数 ①

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月22日(木)13時31分42秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>57

>  こういう解き方は、指導者が分配法則を説明しようと思ってこの問題を出していますから、思いの外の式なんです。だけど、答えは合っていますからね。答えが合っているから何か説明がつくんじゃないか。そしてそれを発表させて、他の子にいろいろ解釈してごらんなさいと言うと、ああでもないこうでもないと話しはじめる。本人とは違う発想で式変形をして説明する子もいるわけです。
>

たしかにほっとしますね。

順序論争に慣れていると、「分配法則を教えることが目的なんだから、それに合わせた式を立てるべき」などという人が出てきても不思議はない、思えてくる。

 しかし、ごく当たり前のことを言っているだけで、「この人はまともだ」評価しなければならないという、算数教育界の現状が恐ろしい。


> ↑ こういう具合ですから、順序主義容認派の算数教育業界人のなかでは、かなりまともな人だと思ってます。


そうなんでしょうね。あくまで相対的ということですが。

しかし、>>51あたりを読むと不安になる。

左右のさらにそれぞれ林檎がいくつあるかをメモしておきたければ、

右に林檎5個
左に林檎3個

と書けばいい。3+5 だけでは、置いてあるのは林檎なのか蜜柑なのかわからない。


結局、目的が何なのかわからない。

左右のさらに何がいくつ乗っているのかを記録するのに数式は不適切

というだけのことだと思う。


  • [57]
  • 坪田算数 ①

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年11月22日(木)00時56分23秒
  • 返信
 
 坪田耕三氏の坪田算数について、調べたことを書いていきます。

 私は、坪田耕三氏については、算数教育業界の人のなかでは、かなりまともなほうだと思っています。(今後、新たな情報が出てくれば、意見を変えるかもしれません。)

 坪田氏については、詳しく調べなければならないと思いつつも、最近たてこんでいて、あまり調査がすすんでいないので、私にも分からないところがたくさんあります。詳しく知っている方がいれば、協力して情報を出していただけるとありがたい。

 坪田耕三氏は、筑波大学附属小学校の教師を経て、筑波大学教授になりました。その後、早稲田、大東文化大、青山学院、で大学生を教えているようです。

 ハンズオン・マスという団体を作って、算数教育について研究しているらしい。

 「坪田算数ワークブック」「坪田耕三の算数授業のつくり方」などの著書があります。

 1つぶん×いくつぶん については、「考え方によって、1つぶんの数は変わってくる」という立場です。かけ算の順序については、「式の後ろに潜んでいる感覚」は「日本では、3×2は3個のかたまりが2個あるという意味」「外国では違う」「算数そのものは地球の裏側でも同じ」などと発言しています。積極的に順序主義を推進しているというほどではないが、順序主義を容認していると言えるでしょう。

 東洋館出版の「坪田耕三の算数授業のつくり方」から引用します。

「サイコロの合計は」と聞かれて「7×3」とか「1+2+3+…+」と答えたこの式で表現したことが、考えたことの内容なのです。式に表現するということは、ものすごく大事なことです。だから、教える側の我々は、「何のために式を書くのか」という問いに対して、はっきりとした答えを持っているべきですね。式に書くことの理由は2つ。
 みなさん、何のために式を書くのかを、小学生にきちんと言葉で言ってあげていますか。
 例えば、1年生に「右側のお皿におまんじゅうが2個、左側に3個、合わせていくつでしょう」
(中略)
 子どもは式を書くことの理由に納得すれば、きちんと式を書くでしょう。いま、おまんじゅうが右側に2個あって、左側に3個あるから合わせて5個。「5個」とだけしかノートに書いていなかったら、お皿の上にある状況があとでノートを見返したときに読み取れないわけです。
 1個と4個かもしれない。3個と2個かもしれないんです。だから、「君は5個と書いただけだけど、あとで振り返ってノートを見たときに、どういう仕組みでその答えになったのかがわからないでしょう。式を書いておくと、それがよくわかります。『2+3』って書いておけば、片一方に2個ともう一方に3個だということがよくわかりますね。あとで問題の仕組みがよくわかるために書くんですよ」と言う。これが1つの理由ですね。
 もう1つの理由は、子どもがどうやって答えを導いたかという思考の過程を示すために書くということです。
(中略)
 例えば、応用問題ですが、半径が12cmの円の中に、半径4cm円がある。「色のついた部分の面積を求めなさい」


↑ 坪田氏は、分配法則を使う問題として指導する方針であった。坪田氏の用意した模範解答は (12×12-4×4)×3.14 であった。ほとんどの子どもは、坪田氏の想定どおりの式を立てて問題を解いていた。ところが、想定外の式を書いた子どもたちがいた。 4×4×3.14×8 、もうひとりは 12×12×3.14×(8/9) であった。

 彼らに聞いてみたところ、つぎのように考えていたことが分かった。

 半径が3倍になっているから面積は9倍になっているはずである。それゆえ、色つき部分の面積は、小円の8倍、もしくは、大円の8/9倍である。

↓ ここからまた引用

 こういう解き方は、指導者が分配法則を説明しようと思ってこの問題を出していますから、思いの外の式なんです。だけど、答えは合っていますからね。答えが合っているから何か説明がつくんじゃないか。そしてそれを発表させて、他の子にいろいろ解釈してごらんなさいと言うと、ああでもないこうでもないと話しはじめる。本人とは違う発想で式変形をして説明する子もいるわけです。


↑ こういう具合ですから、順序主義容認派の算数教育業界人のなかでは、かなりまともな人だと思ってます。

  • [56]
  • 「大人になると、子供の気持ちがわからない」

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月21日(水)17時53分38秒
  • 編集済
  • 返信
 
「大人になると、子供の気持ちがわからない」
「大人は、子供の頃の気持ちを忘れてしまっている」

掛け算順序擁護の理屈としてよく出てくる。

私に関して言えば、「こんな寒い中、ウェットも着ないで魚突きをするなんて」と連れ合いにあきられている程度には、子供の頃とあまり変わっていない。

 算数・数学の認識も、小学校時代の感覚は覚えている方だ。

ついでに言えば、基本的な姿勢は今と変わらない。問題を素で考える。やり方は覚えるのではなく、試行錯誤して自分で理解する。小学校時代はこういうことは意識しなかったけど、絵を書いたり遊んだりする経験の中から自然にそういう言うことをしていたのだと思う。

小学校時代に、「20個を5個ずつ分けるのも、5人で分けるのも、どちらも20÷5だ、割り算には2種類ある」と思ったのを鮮明に覚えている。

 すぐに、「掛け算の一方を求めるのだから、同じことだ」と、気づき、
「割り算に2種類ある」は誤りだと悟った。

「大人になると、子供の気持ちがわからない」
「大人は、子供の頃の気持ちを忘れてしまっている」

といって順序を擁護する人は、子供の気持ちがわかるのだろうか?

  • [55]
  • ということで、

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月21日(水)09時05分48秒
  • 返信
 
全コメント欄でのTaKuさんの提案
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t2/954
>初心者用のスレを作るのはどうでしょうか 投稿者:TaKu 投稿日:2012年11月10日(土)14時16分16秒 返信
  掛け算の順序問題を最近知った人がこのスレに書き込むにはハードルが高いと思われます。
そういう人の為に新しいスレッドを作るのはどうでしょうか。


は、検討したいと思います。

  • [54]
  • 世論は重要

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月21日(水)09時01分48秒
  • 返信
 
 数日前のジャパンタイムスによると、イスラエルは4年前の軍事行動で国際的に非難を浴びたので、今回は「民間人に犠牲が出ないように気を使っている」という。

 現実に民間人が犠牲になっているわけで正当化できないが、それでも絨毯爆撃よりはまし。

 逆に言えば、世界の目がなければ、好き放題するかもしれない。

 ベトナム戦争時に米軍は核の使用まで検討したが断念した。国際世論の反発を怖れたのも一因といわれている。

 根本的な解決に至らなくても、よりましな状態、最悪な事態に生かせない、という意味では世論も多少は効果がある。


 算数教育に関しても、同様のことを思っている。調べれば調べるほど、「こんなことになっているなんて!いままで算数教育に携わっていた人は何をしていたんだ!」と愕然とすることがある。

 今それがようやく外部の人の目にさらされるようになってきた。

 具体的に何をどうすれば改善できるのかはわからないが、多くの人が算数教育業界の非常識を知ることが大切だと思う。

  • [53]
  • イスラエルによるガザ空爆反対

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月21日(水)08時43分2秒
  • 返信
 
 「掛け算の順序」と同様に、軍事攻撃を正当化するためのあれやこれやの屁理屈があるのだろう。しかし、現実に子供たちなど一般市民が犠牲になっている以上、容認できない。これに関しては、ハマスの側のロケット弾攻撃も同様。

 算数教育に関してもそうだが、あれやこれや考えて複雑になったら、原点に返って考えてみるのがいいのかもしれない。

 そもそも、人々が生活している場所に爆弾を投下することが正当化できるのか?

  • [52]
  • パンドラの箱

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月21日(水)08時15分34秒
  • 返信
 
 前述の文章を引用してくれた方はこうも述べています。

>『算数授業研究VOL.84秋号(最新号)』に掲載された山本良和さんの文「初めて出会う「ひき算」の意味を理解する」は、部外者の常識を越えていると思う。簡単なはずの引き算が「求残と求差の違い」、「求残の応用としての求補」などで複雑になっている。それを紙芝居を使って教える話。大人でもすぐには理解できないかも。


 筑波大学附属小学校算数研究部が出している「算数授業研究」というのは、毎回チェックしたら、いろいろ出てきそう。お金ももったいないし精神衛生上よくないようだから、やる気が起こらないが・・・

  • [51]
  • 作問、坪田耕三氏について、いやな予感が当たりそうな気配

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月21日(水)08時06分5秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>39で、坪田耕三氏(青山学院大坪田耕三特任教授)について書かれた記事と、作問について書いたが、ツイッターで、この人の文章が紹介されていたので孫引きする。

『算数授業研究VOL.82特集 式の「よさ」を味わう授業』http://www.toyokan.co.jp/book/b102630.htmlから、

>例えば、あさがおのたねにかかわって、昨日とれた数と今日とれた数を合わせた数を求めることを、加法の方式で表すことができる。また、8-3=5の式から、「砂場で8人の子どもが遊んでいます。3人の子どもが帰りました。子どもは5人になりました。」というようなお話を作ることができる。さらに6-3+7の式からは、「りすが6ぴきいます。3びきかえりました。そこへ7ひき遊びに来ました。りすは全部で何びきになりましたか。」などの問題をつくり、絵を用いて表すこともできる。「8-3=5の式から、お話をつくる」というのと、「6-3+7の式からは、問題をつくる」というのを区別して説明している。つまり、「8-3=5」の式は、等号の両辺に数値が書かれているものである。これとは別に、「6-3+7」の式は、等号が書かれていないものである。両者「式」だと説明しているのだから、一年生にもこのことの違いを指導しなければならない。なかなか難しいところである。前者は、sentence型の式と言われ、後者はphrase型の式と言われるものである。それをここでは「お話づくり」の式と「問題づくり」の式といって分けている。「お話づくり」では、式が場面の様子を表現していることとみれば納得がいくだろう。そして、「問題づくり」では式が解き方の過程を表現しているということに解釈できる。『式」で表現することのわけをこのように解釈すれば子どもも納得できるかもしれない。小学生の場合、「答えがわかってしまうのに、なぜ、式を書かなければいけないのだろう」と疑問を持つ子もいる。「右の皿にリンゴが5個、左の皿にリンゴが3個あります。合わせて何個のリンゴがあるでしょう。」といった場合に、頭の中で暗算して、すぐさま「8個だ」と言った子に、あえて「式を書きましょう」といっても何のために書くのかわからなくて、先生が言ったから仕方なく書くと思ってしまう子がたまにいる。これなどの場合には、「8個とだけ書いても、右と左の皿にそれぞれ何個のリンゴがあるかわからない。だから3+5=8と書いておけば、それぞれ何個かわかるね」と言って『式」を書くことのわけをいうことができる。

  • [50]
  • どういうレベルの子を想定しているのだろうか

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月21日(水)00時56分45秒
  • 編集済
  • 返信
 
http://malum.blog5.fc2.com/blog-entry-175.html
>かけ算・わり算の意味を整理すると、次のようになります。

<かけ算>
①「単位あたりの量」で「全体の量」を求める
   (1あたりの量×いくつ分=全体の量)
②「割合」で「比べられる量」を求める
   (もとにする量×割合=比べられる量)
③ 面積、体積を求める

<わり算>
①「単位あたりの量」で「1あたりの量」か「いくつ分」を求める
   (全体の量÷いくつ分=1あたりの量)
   (全体の量÷1あたりの量=いくつ分)
②「割合」で「割合」か「もとにする量」を求める
   (比べられる量÷もとにする量=割合)
   (比べられる量÷割合=もとにする量)
③ 面積から長さを、体積から面積か長さを求める

素因数分解など、上記以外にもかけ算・わり算が使わることがあります。しかし小学生としては、上記の意味を頭に入れれば十分です。



できる子はこんな分類など不要でナンセンス。
できない子は、こんな面倒なことを覚えられるのか?


どっちにしても、掛け算や割り算の素の意味さえ理解していればいいだけのことだと思うのだが・・・


 私自身が実際に小学生を教えているわけではないから、「そんなことはない。お前は間違っている」と言われたら反論しにくいのは正直なところだけど、

 「掛け算・割り算を使う場面を覚える」という発想は好きになれない。


>たし算・ひき算なら必ず同じ単位のはずで、これが式の決定の手がかりのひとつになります。


8個のみかんを5人に1個ずつ配ると何個残るか?

「個や人は単位ではなく、助数詞」とかいうのかな?

  • [49]
  • 関数をブラックボックスへの疑問

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月21日(水)00時43分16秒
  • 編集済
  • 返信
 
物体を投げ上げたときの高さ=1/2gt^2+vt

これをtの関数とみなすときに、tを入力すると、tに何らかの作用が働いて、1/2gt^2+vtが出てくる、というイメージになるのだろうか?

むしろ、時間の経過とともに位置が刻々と変わることから、時間が作用しているようにも思える。

 所詮メタファーなんだから、どっちがどっちに作用しているかなんてまじめに議論しても仕方ないのだけど、そもそもこのようなメタファーを持ち出す必然性がわからない。

 素直に時間の経過とともに物体の位置が変化している状況を理解すればいいだけ。

 さらにいうとこの手の定義域が連続の場合、ブラックボックスだと扱いにくいように思う。


 さらに、抽象化した一般概念としての「関数」を意識させることが取り立てて必要なのか?

 yがxの式であらわせるようなときに、逐一書くのが面倒だから、f(x)と書きましょう、見たいな約束事で導入すればいいだけな気がする。

 そこが難しいと感じる子に対しては、x^2とか具体的関数でやるようにして徐々に慣れていけばいいと思う。

 具体的数と文字との関係と同様。


 あるいは、私が考えるような疑問は当に解決済みなのだろうか?

http://malum.blog5.fc2.com/blog-entry-107.html
>【問】佐藤さんの家の畑は120a、山田さんの家の畑は150aあります。
>佐藤さんの家の畑は、山田さんの家の畑の何倍ですか。
>佐藤さんの家の畑の面積が変化したのではなく、2つの量を比較しているのですから、
>これを直接「倍の箱(ブラックボックス)」に入れることはできません。


そんなこと言い出したら、上の物体の位置に関しても、時刻tが変化して高さになるわけではない。

「ブラックボックス」に入れることができる量とか、入れることができない量とか、例によってくだらない余計な分類を増やすことになってしまっているように思える。

  • [48]
  • Re: ブラックボックス

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2012年11月20日(火)20時59分52秒
  • 返信
 
>>47
順序の問題は
文章題(入力)→ブラックボックス→式(出力)
ですね。
ブラックボックスの中身が人それぞれなのが話が進展しない原因の一つのように思えます。
ネット上の掲示板では、式(出力)に合うようにブラックボックスの中身をいじっているような印象をよく受けます。

  • [47]
  • Re: ブラックボックス

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年11月20日(火)19時42分27秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>43
> >>41
> > === 数教協 新兵器 新1くん の実力とは? ===
> > http://www.amis.eongr.jp/sukashiPDF/bunsuukakewari.pdf
>
> 簡単な話を、なぜややこしくするのだろうか?独自の体系というか文法があって、それにあわせて問題を解読させているようにも見える。
>
>  算数・数学は、答えが妥当かどうかを自分で検証できるのが魅力なのに、これじゃあ、その独自の体系に乗らないとならないわけで、算数・数学そのものとはずれてしまっていると思う。これは数教協だけじゃなくて、算数教育界全体が陥っている問題。
>
>
> 「ブラックボックス」ってわかりやすい?
>
> 私からしたら、算数教育業界そのものが、中身が見えないブラックボックス。

ブラックボックスは危険です。
ブラックボックスや自動販売機で関数を表現するのは、当然のことながら比喩であって
そのものではありません。
ところが、算数教育業界でありがちなことなのですが、
比喩として使っていたのにいつの間にか本体にすりかわってしまい、比喩の欠点まで
背負い込んでしまうということが見られます。


ブラックボックスや自動販売機にはどのような問題があるか。

よくこういう図が説明として書いてあります。

 入力→ブラックボックス[機能]→出力

この図の問題点は、
入力に入れたものが、いったんブラックボックスに飲み込まれて、そのあとで出力に出る
というイメージを与えるということです。
つまり、入力と出力は同時には存在しない。
入力が消えてから、しばらくたってから形が変わって出力に出てきます。
入力が変形して出力に変わると言ってもいい。


こうなってしまうと関数の写像としてのイメージは存在しません。
xとyが両方見えていて、その間の関連を線で結ぶ、と言ったイメージはブラックボックスにはない。

たとえば、

http://malum.blog5.fc2.com/blog-entry-102.html
というページでは、ブラックボックスを使って、あるものが変化してどう変わった、
という例しか示していません。とても怪しいです。
そこで次のページに行くと

http://malum.blog5.fc2.com/blog-entry-107.html
>【問】佐藤さんの家の畑は120a、山田さんの家の畑は150aあります。
>佐藤さんの家の畑は、山田さんの家の畑の何倍ですか。

>佐藤さんの家の畑の面積が変化したのではなく、2つの量を比較しているのですから、
>これを直接「倍の箱(ブラックボックス)」に入れることはできません。この場合は、
>「山田さんの家の畑を□倍すると、佐藤さんの家の畑と同じ面積になる」
>と説明します。

「直接ブラックボックスに入れることはできません」と来ました。 ひどい!

理解しやすくするために比喩を導入したはずなのに却って複雑になってしまっている例です。

ブラックボックスを使った説明で本当に理解が進むんだろうか?
そのページにも書いてありますがどうやら水道方式でよくブラックボックスが説明されているらしい。
ブラックボックスの(余計な)イメージは、確か遠山か銀林かのどっちかの本でみかけて、
これは危険だと思ったのですが・・・どの本で読んだか忘れました。探してみます。


ブラックボックスに限らず、算数教育で、比喩として導入したものが余計な
イメージまで導入してしまい、却って混乱を招く場面は多々あるようです。
比喩表現には危険!マークを貼って注意しましょう。

  • [46]
  • 「あわせていくつ」「ふえるといくつ」「のこりはいくつ」「ちがいはいくつ」

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月20日(火)14時51分43秒
  • 返信
 
http://www.kanazawa-city.ed.jp/izumino-e/sidouan/13isii.pdf
↑この指導案は、求残・求補・求差の区別をあからさまに児童に要求するものではないが、こういうような「3つのパターンが引き算」と教えることには疑問がある。

「3人来たので8人になった。最初は何人いた?」

こういう問題に対応できない。


国立教育政策所も同じことを懸念している。
http://www.pref.shimane.lg.jp/matsue_kyoiku/kyoikutenbo_46/kyoikutenbo_46.data/sansu_46.pdf
>文章題を解く際,「あわせて」「のこりは」などのキーワードのみに着目し,それを根拠にた
し算やひき算を立式する児童が少なくない。しかしこれでは「あとでシールを7まいもらったの
で,合わせて16枚になりました。はじめに何枚もっていたでしょう。」などの問題ではつまずい
てしまう。

しかし、その後に

>そこで,問題場面の数量関係を図などで表し,それらによって計算を意味づけること
が大切である。

と続く。

図で表すことはかまわない。しかし、「あわせていくつ」「ふえるといくつ」「のこりはいくつ」「ちがいはいくつ」などとキーワードに着目させる教え方だと、こういう弊害が出るというなら、

 その弊害を打ち消すためにどうこうするよりさきに、キーワードに着目させる教え方をしない方法を模索するのが先決だと思うが。

「あわせていくつ」「ふえるといくつ」「のこりはいくつ」「ちがいはいくつ」

これらの言葉で検索すると、算数関係の文章が多数ヒットする。

そのこと自体が今の算数教育のしょーもなさをあらわしていると思う。


  • [45]
  • 秋刀魚は目黒に限る

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月20日(火)10時15分2秒
  • 編集済
  • 返信
 
 シンプルに塩焼きにして大根おろしをたっぷり掛けてハラワタごと食べればおいしいものを、


 「1あたり量」だの、「ひとつ分」だの、「求残と求差の区別」だの、なんだのかんだのと、

 余計なことして、わざわざ不味くするんじゃねーよ。






なお


 魚が苦手な子に、骨をとってミンチにしてハンバーグにしたりするような工夫をすることまでは否定しない。

 しかし、全員に秋刀魚ハンバーグを強要する必要性がわからない。

 「塩焼きが食える子ならハンバーグも食えるのだから問題ない」のか?

 塩焼きなら食えるけど、秋刀魚ハンバーグにしたら食べられない子もいるかもしれないじゃないか。

なぜそんな子にまで秋刀魚ハンバーグを無理やり食べさせて、魚嫌いにさせるのか?


そもそも、「秋刀魚ハンバーグこそが秋刀魚本来の正しい食べ方」と思っている人すらいる。


まったく理解できない。

  • [44]
  • かけわり図 はじき

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月20日(火)10時06分37秒
  • 返信
 
数教協の「かけわり図」、広く教えられている「はじき」「みはじ」「くもわ」、・・・

 これらは、ある特定の型の問題を解くことに特化したものであり、問題文が変わると対応不可能になる可能性が高い。

 一辺が1mの正方形の板の質量が10kgである。ここから、一辺が30㎝の正方形を切り出した。この質量は?

 これだと難しくなると思う。

 そうならないためには、「このパターンの問題はこう答える」というような、「問題パターン」と「解答パターン」の膨大なリストを頭に叩き込むのではなくて、その場その場で考えるようにするべき。

 簡単な場合であれば、何度もやるうちに、「問題パターン」と「解答パターン」は自然に結びつくようになる。

 最初から、他人に与えられた「問題パターン」と「解答パターン」を覚えこむのはまずい。


 というのが私の考えだが、

「かけわり図」や「みはじ」で学習した子の方が、そのつど考える学習をした子よりも、将来的にも、理解が促されて、算数・数学が好きになる。

という説得力のある客観的データが提示されたなら、

「ごめんなさい。私の推測は間違っていました」

とあやまるしかない。

  • [43]
  • ブラックボックス

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月20日(火)02時42分2秒
  • 返信
 
>>41
> === 数教協 新兵器 新1くん の実力とは? ===
> http://www.amis.eongr.jp/sukashiPDF/bunsuukakewari.pdf

簡単な話を、なぜややこしくするのだろうか?独自の体系というか文法があって、それにあわせて問題を解読させているようにも見える。

 算数・数学は、答えが妥当かどうかを自分で検証できるのが魅力なのに、これじゃあ、その独自の体系に乗らないとならないわけで、算数・数学そのものとはずれてしまっていると思う。これは数教協だけじゃなくて、算数教育界全体が陥っている問題。


「ブラックボックス」ってわかりやすい?

私からしたら、算数教育業界そのものが、中身が見えないブラックボックス。

  • [42]
  • 算数教育業界中枢

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月20日(火)02時31分22秒
  • 返信
 
 「みはじ」「はじき」だの、「くもわ」だのという方法は、私は教わった記憶がないが、最近の小学校では教えていることがあるらしい。

 この教え方の是非はここではおいておく。

 こういった教え方のはやり廃りや揺らぎはある程度あると思う。

 「みはじ」などは、算数教育の専門家や大学の先生がこの方法を推奨して拡がったというよりも、現場で伝承されたかあるいは塾で習った人が教師になりこういう方法を持ち込んだのだと思う。

 いくらなんでも、算数教育の専門家がこんなくだらない方法を推奨しているなどとは考えにくい。


 掛け算の順序も、「単位のサンドイッチ」などというのは、現場での伝承の結果だと思う。


 「掛け算の順序」を積極的に推奨している人たちは、学校現場とは別にいると思う。

 サンドイッチだとか、「掛け算の順序をどちらでもいいとしてしまうと、割り算でもどちらでもいいとしてしまう」だとかの、場当たり的な方法や、とってつけたような理由


 これらは、「順序」を推奨している中枢の思惑からしたらゆがんでしまっていると思う。


 中枢の人は、彼らなりの一貫した体系・原理があり、「掛け算の順序」はその一つに過ぎないと思う。


 その体系とは、

昨年夏にくろきげんさんが見つけた、「式の意味」、私がよく言う「抽象化の否定。無駄毛」、

ということだと思う。


では、算数教育業界中枢とは何なのか?、誰なのか?

そこがよくわからないが、「2×8だと、2本足のたこが8匹」などという授業をやっている現場の教師や、「柱の体積は、高さを1あたり、底面積をいくつ分とすることができる」ということを知らなかった市教委指導主事、ということはないであろう。


消去法で残るのは、文科省・教科書会社・数学教育学者、あたりかな。


この3つの中で一番怪しいのは、数学教育学者だと思う。

  • [41]
  • Re: 中途半端に意味にこだわることの危険性

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年11月20日(火)02時05分49秒
  • 返信
 
>>34
> http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
> >「一皿にリンゴ3個がのっていて、そんな皿が4枚」と言うタイプの問題になるのですが、
> この段階では子どもにとって
> 「リンゴ」と「皿」がなぜ掛けることができるか、
> 不思議です。
> これは大人だって、すぐには答えることはできませんよね。
> 小学校かけ算導入時の子にとっては、それは本当に不思議です。

 書店の教育関係本のコーナーに行って、数教協の指南書をのぞいてみると、この類の問題では「リンゴ」と「皿」をかけていることを強調して、子どもに意識させるように、と書いてありますね。

=== 数教協 新兵器 新1くん の実力とは? ===
http://www.amis.eongr.jp/sukashiPDF/bunsuukakewari.pdf


p4
> 日本では、1あたり量×いくら分=全体量 の順に式を書くことになっている
↑ 知らなかった。

p15~16
> 整数を分数になおしてけいさんしましょう。と中の式もぜんぶかきましょう。
↑ こんなことまで、いちいち指図するのか…

 特に新1くんのところが秀逸。
 かけ算には3種類あるらしい。

 数教協には、せとともこ女史のような人が大勢いるようである。

  • [40]
  • 中日新聞投書

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月20日(火)01時51分15秒
  • 編集済
  • 返信
 
 「納得いかない掛け算の順序」というタイトルで、2年前に子供がばつをつけられたことを思い出したという話でした。

 「順序」を積極推進する人の意図はともかく、実際には単に「正しい順序に書かせること」が目的になってしまっているという推測を補強する内容です。


>子供はテストで式の順序を間違えて、答えはマルをもらっているのに式はバツでした。私たち夫婦は答案用紙を見て、どうも納得がいきませんでした。「掛け算って逆で解いても答えはおなじでしょう?私たち、そうやって習ったよね」といった具合です。


投書者の年齢は42歳。私よりも5つほど若い。

私もこのご夫婦も、順序を習ったのに忘れてしまった、とは考えにくい。
同世代の人に聞いてみても、「今は順序にうるさい見たいね。子供がそう教わっていて驚いた」という声が多い。


一方で、中学生に聞いてみると、順序を教わったという例がちらほらある。


「習った記憶がないという人は忘れてしまったのだ」説は信じがたい。


私はいやだけど、誰かテレビに出ることに抵抗ない人が、探偵ナイトスクープに依頼して調べてもらってくれるとありがたい。

  • [39]
  • 作問授業

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月20日(火)01時44分10秒
  • 編集済
  • 返信
 
http://www.asahi.com/news/intro/TKY201211160443.html?id1=2&id2=cabcbbbh
>【各務滋】映画にもなった冲方丁(うぶかたとう)さんの小説「天地明察」に算額というものが出てくる。江戸時代に、算術の難問を解いたり自分で新しい問題を作ったりした人が、板に書いて絵馬のようにして神社や寺に奉納したものだ。
 青山学院大の坪田耕三特任教授は小学校の先生だった10年ほど前、これを算…


ここから先は会員登録をしないと読めない。続きは、子供に問題を作らせるということをした、という話。

>「作問」という授業方法は明治期からあったが、一人一人の作った問題を読んで評価するのが大変で、徐々に減っていったそうだ。
 ただ、今の小学校の学習指導要領にも「算数的活動」がある。教科書の例題を応用して新しい問題を作る活動がその一つ。本格的な作問とは違うが、作る楽しみに変わりはない。聞くだけの授業よりも算数が好きになれそうだ。


 この作問というのは、私の頃はなかったと思う。


 で、「掛け算の順序」や「等分除・包含除」、「求差・求残・求補」の区別がうるさくなったのは、このことを関係しているというのが私の推測。



算数授業研究 VOL.80 特集 かけ算を究める
http://www.toyokan.co.jp/book/b99773.html
>坪田耕三  かけ算九九の歴史


 作問で算数が楽しくなるなら大いに結構。

 しかしその前に、「3を4つ足しても、4を3つ足しても、答えは一緒だ!そうか!、格子状に並べたら同じことだ!」という喜びを奪い去る授業を何とかするほうが先だと思う。



私も問題を作ってみました。


何人か人がいて、それぞれが同じ数の袋を持っている。袋の中には同じ数のおはじきが入っている。

各自の持っている袋の数は4つ。袋1つあたりに入っているおはじきの数と、人数の積は、20です。
おはじきの数は全部でいくつでしょうか?

正しい順序式を書きなさい。





今日は飲み会があるので出かけました。途中で、同じ飲み会に参加する友人2人と出会ったので、3人で会場に向かいました。会場にはすでに4人来ていました。全部で何人になったでしょうか?
正しい順序で式を書きなさい。

  • [38]
  • Re: 積分定数さん

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月20日(火)01時14分48秒
  • 返信
 
>>36
> 「かける数」「かけられる数」は、どの教科書でもしっかりと指導をしていると思います。教科書&教科書指導書通りに学習を進めていけば、この言葉を避けることは絶対にできないので。

どうもありがとうございます。

そうするとやっぱり、私自身は掛け算の順序も「かける数・かけられる数」も教わっていないとますます確信した。そんなばかげたことを教わったなら記憶に残るはず。



 私よりも年配で掛け算の順序を教わったという人もいる。だから、掛け算の順序が教えられるようになったのは最近ということではないのだろうけど、以前よりも強く教えられるようになりつつあるという印象はぬぐいきれない。

 おそらく、算数教育業界中枢(?)が推奨する教え方として、掛け算の順序や足し算の順序や求残やら求差があるのだろう。

 それがどの程度現場で教えられるのかは、地域や時代や個人によって揺らぎがある。

 全般的な傾向としては、昔は順序についてはどーでもいい、という雰囲気だったのが、最近はそうでもなくなってきた、

というのが今のところの推測。

  • [37]
  • せっかく長方形型に並べているのにどうしてという話

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年11月20日(火)01時07分39秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>35

ぼくは掛算の教え方に関する以下の事柄についてはずっと前から理解しているつもりです。
以下はすべて算数教育業界における習慣の話:

(1) 線で囲んである部分はかたまりとみなす習慣があり、
  線で囲んであれば一つ分の数が決まっているとみなす習慣がある。

(2) 単純にモノを長方形型に並べただけの図であれば
  モノの総数を掛算で計算するときに式の順序にはこだわらない傾向がある。

ちなみに(2)の傾向は数教協の銀林浩氏の著書でも共有されています。

ぼくが問題にしたいのは、

(A) せっかく長方形型に並べたのに一つ分と幾つ分の考え方にこだわるために
  何をかたまりとみなすかを指定することは決して合理的とは言えない。
  長方形型に並べられることがわかった途端に
  一つ分と幾つ分の考え方を経由せずに掛算を適用できるということは、
  掛算に関するとても大事な知識のうちの一つである。

(B) しかも文章題から得られた長方形型にモノが並べられた図では、
  例の単位のサンドイッチに一致するように、
  図の中にかたまりを指定するための線などが追加するようになっている。
  ひとたび長方形型に並べたならば、一つ分とみなされる数は
  縦の段数でも横の列数でも構わないはずである。
  (もちろん別の数でも構わない。)

というようなことです。

ぼくは教える側がどう感じるかではなく、
教わる側がどう感じる可能性があるかを問題にしています。

教える側は、長方形型に並べられた図に、
線を書き込んで何をかたまりとみなすかを指定しているつもりだったり、
くっつけて描くことによってかたまりが何かを指定しているつもりだったりしても、
教わる側は、掛算と長方形型に並べられた様子の関係に気付いてしまう可能性が
あると思います。長方形型に並べることができれば、
縦×横もしくは横×縦で総数が計算できることに気付いてしまうかもしれない。

気付き方の度合いは個人差があると思います。
なんとなく気付いていて大事な直観が芽生えつつあることを、
教える側はそう簡単に察知できないものです。
大学生相手に教えているぼくでさえそう思っているのだから、
小学校低学年の子どもの場合はもっと大変だと想像されます。

いずれにせよ、長方形型にモノが並べられた図を
小2の子どもたちは大量に見ることになります。
papapaさんはこれが事実であることを知っているはずです。
教える側の思い込みなんぞ知ったことではありません。
モノが長方形型に並べられていれば、子どもであろうと大人であろうと、
長方形型に並んでいるように見えるのです。あたりまえのこと。

本当に言いたかったのは以上のようなことです。

P.S. 図の再掲

http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t2/968
に引用した教科書出版の小2教科書にある図



http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t2/965
に引用した学校図書の小2教科書にある図




  • [36]
  • 積分定数さん

  • 投稿者:papapa
  • 投稿日:2012年11月19日(月)22時21分29秒
  • 返信
 
「かける数」「かけられる数」は、どの教科書でもしっかりと指導をしていると思います。教科書&教科書指導書通りに学習を進めていけば、この言葉を避けることは絶対にできないので。

交換法則をどのように指導するかと合わせて、学校図書の教科書をもとに近いうちにお答えします。(①教科書指導書が学校図書のものしかない②学校図書以外の教科書を使って教えた経験がないので…)

PS.ご存知のことと思いますが、啓林館のHPに学年別の「算数用語集」というページがあります。http://www.shinkokeirin.co.jp/keirinkan/sansu/WebHelp/index.html
積分定数さんが疑問視している算数教育独特の用語について教科書会社の見解が載っています。教科書会社のサイトとしては、一番丁寧で親切だと思います。

  • [35]
  • >前スレ968

  • 投稿者:papapa
  • 投稿日:2012年11月19日(月)22時02分49秒
  • 返信
 
くろきさん

教育出版の教科書でP8の画像を確認しました。区切り等のない、純粋な「アレイ図」と同じ意味の図でした。自分の(おそらく多くの小学校教員の)感覚ですが、□や〇で区切られたり囲まれたりしている図は、□や〇で囲まれている部分を「ひとつ分」にするという認識で見られていると考えられ、純粋なアレイ図とは全く別の図として認識していました。

自分が見られる5社(学校図書・啓林館・東京書籍・教育出版・大日本図書)の教科書を再確認してみましたが、文章問題に合わせて純粋なアレイ図と置き換えられる図(囲み等が一切ない半具体物の図)を用いているのは、教育出版だけでした。学校図書の教科書の記述を見ていただければわかると思いますが、自分はアレイ図は、(1)ひとつ分の大きさを自分で自由に決めていい場面(2)5×3=3×5のような交換法則の成立を視覚的に理解させる図として用いると認識していました。

事実、文章問題で出てきた数字を(自分にはできませんが抽象化して)アレイ図のように思い浮かべた子にとっては、5×3でも3×5でも、自由に決められるはずです。(自分にとっての逆順OKの根拠の一つ)

縦3列、横6列で構成された囲みのない図を「6×3=18」という立式の根拠に用いられてしまうとしたら…現場の教員にとっては「かけ算遵守」に反対できなくなる理由が増える気がします。

繰り返しますが、現場の教員にとっては(少なくとも2年生時点のかけ算は累加で説明できるので)アレイ図に表せば「逆順×は否定できなかった」のです。(逆に言えば、囲みありのアレイ図はかけ順遵守になる)この図を「かけ順遵守」に使うようなことがまかり通るようになれば…面積の逆順可もひっくり返ってしまうし、今以上にかけ順遵守派の人たちの正当性?を後押しするようになってしまうと思うのですが…

  • [34]
  • 中途半端に意味にこだわることの危険性

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月19日(月)14時19分33秒
  • 返信
 
>>21
>3年生の時に「個÷個」がなんで「人」になるのか、テストでは〇をもらっていても実はどうしてもわからず、質問してもきちんと教えてもらえなかった記憶が鮮明なので、間違いないと思います。


話がそれるが、このあたり、中途半端に意味にこだわることの危険性をあらわしていると思います。

http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
>「一皿にリンゴ3個がのっていて、そんな皿が4枚」と言うタイプの問題になるのですが、
この段階では子どもにとって
「リンゴ」と「皿」がなぜ掛けることができるか、
不思議です。
これは大人だって、すぐには答えることはできませんよね。
小学校かけ算導入時の子にとっては、それは本当に不思議です。


これもそうだし、「8個みかんがあって、5人に1個ずつ配ると何個余るか?」で、「8-5」に関して、「なぜ、みかんの個数から人数が引けるのか?」という類のこともそう。

最後のみかんの問題、「1個ずつだから、8個-1個/人×5人」と説明されることで子供が納得するのだろうか?


 しかし、単位(助数詞)がどうたら、なんて小難しいことをなど無視して、素朴に考えたら簡単な話である。


>「一皿にリンゴ3個がのっていて、そんな皿が4枚」と言うタイプの問題になるのですが、
この段階では子どもにとって
「リンゴ」と「皿」がなぜ掛けることができるか、
不思議です。


 本当に子供は不思議がるのか?おかしな入れ知恵、「数字には意味があります。単位に注目しよう。」などということをするから、不思議がるのではないか?

 そもそもこれを不思議がるとしたら、それは教え方がまずいと反省すべきであって、「子供とはそういうもの」などと子供の性質に帰着させるべきではないと思う。


 素朴に考えたら簡単な話を、あれこれこねくり回して、わけのわからない「体系」が出来上がっているような印象である。

  • [33]
  • 数学と算数教育

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月19日(月)14時02分32秒
  • 返信
 
 新しくここを読む人もいるだろうから、繰り返し私自身の立場を書いておく。

 割り算の等分除・包含除、引き算の求残・求補・球差、などという概念は数学的には全くナンセンス。

 ただし、算数教育においてそういう概念があることは否定しない。


 問題は、「教える側が留意すべき区別」を「児童に区別させる必要がある」と勘違いする教師がいるということ。

 そのような勘違いを誘発する背景として、算数教育業界全体が陥っている根本的な誤りがある。


 以上が私の認識。

  • [32]
  • 大学教育学部

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月19日(月)13時54分41秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>21
>また、大学によって授業名は違うのでしょうが「小学校算数科教材研究」「小学校算数科指導演習」等の授業では、かけ順遵守をしっかりと扱っています。(複数の新採教員に聞いたので間違いありません)


大学教育学部でどのような教え方がなされているかに関しては、私は以下のように推測します。

■まず、「包含除・等分除・求残・求差・・・・」などの、数学にはない存在しない概念は、教育学部で教えられている。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=70556124&comm_id=788787
の15あたりが参考になる。


■その扱いについては、大学で教える人によって濃淡がある。上のmixiのコメントだと「このような概念があることは教える側はある程度意識しておいたほういい。」という感じだけど、papapaさんのコメントによると「かけ順遵守をしっかりと扱って」いる人もいる。


 また、教育学部数学科専攻の先生の多くが所属すると思われる日本数学教育学会が、算数教育業界の外にいるとは、考えにくい。

http://math.e.chiba-u.jp/~kenkyu-kyogikai/SecondAnn.pdf

後援に日本数学教育学会が名を連ね、多くの大学の先生も参加している研究大会に、
朝日新聞花まる先生として紹介記事が出た教師も報告者として名を連ねている。

>【6】部会・分科会
><小学校部会>(会場:美浜打瀬小学校)
>7 学習指導法Ⅰ④


 教員養成に携わっていて、小学校教師になる人に算数教育について教えている大学の先生で、順序を批判したケースは、私が知る限りない。


 以上を踏まえると、大学教育学部もまた、順序指導の一翼を担っている可能性が高いと思います。そこまでいかなくても、「包含除・等分除・求残・求差・・・・」などの概念が数学的にナンセンスで、あくまで教える上での分類に過ぎない、ということをきちんと教えないことで、結果的に順序指導に加担しているというのは十分ありえると思います。

  • [31]
  • 私の甘い認識

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月19日(月)13時07分30秒
  • 編集済
  • 返信
 
 私は当初、順序問題が広く知れて、中学・高校の数学教師や数学者がこのことを知れば、「小学校の算数でなんてばかげたことを教えているのか!」という声が上がり、この問題は解決する、と期待していた。

 「掛け算の順序」などというのは数学への冒涜であり、到底容認できない。数学を理解した人の多くも同じ思いだろう

 そう素朴に信じていた。


しかし、この認識は間違っていた。



 数学を専門とする人自身が「順序」を積極的に主張したり擁護している事例がある。

数学者としては、銀林浩、根上生也、など。数学者ではないが著名人では、桜井進なども


 そこまで積極的でないにしても、「算数と数学は違う」という主張に同意してなのか、あまり首を突っ込まない人も多いと思う。

 「事情がわからないから首を突っ込まない」ならまだいいが、

「事情がわからないから俺は首は突っ込まないが、首を突っ込んでいるやつらがいる。そいつらは事情を知らないでえらそうなことを言っていやがる」と、首と突っ込んでいる人がどれだけ事情を調べているのかを知らないで、実質的に順序擁護の立場で首を突っ込んでいる例 http://blog.blwisdom.com/shikano/201011/article_3.html
>実際、世間で起きている色々なものに対する頭ごなしの批判ってのは、政治問題でもなんでも、ほとんどの場合、こいう、直感的にヘンな事が起きていたら、相手は自分より愚かなはずだ、自分よりも考えが足りないはずだという、かなり傲慢な態度から出て来ちゃっているような気がして、それがすごくいやなんだよね。


「批判する人はどれだけ事情を知っているのか?」という言い方は、具体的に批判する相手が不明確だと、単に「お前ら黙っていろ」という意味にしかなり得ないことがある。


 原発について、その仕組みからリスクから、産業構造から、すべてがわかった上で、賛成とか反対とかの主張をしている人はいないだろう。

 イスラエル・パレスチナ情勢に関しても、報道以上のことはわからない。

 しかし、だからといって、「お前は詳しい事情がわからないのだから、意見を述べるな」というのは納得できない。その人自身が「詳しい事情がわからないから、意見を差し控える」というのはありだが。

  • [30]
  • 中学校数学教員

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月19日(月)12時41分49秒
  • 返信
 
>>21

> 中学校教員養成課程で小学校の免許も取って小学校教員になった方、小学校教員で中学校数学の免許を持っている方はたくさんいます。でも、その方たちから「かけ順逆を×にするのはおかしい」という声は聴いたことがありません。指導書や算数教育書の記述が、新しい常識になるからでしょうか。ただ、昨年再任用でTTをしていた元中学校の数学の先生だけは、例のアンケートを実施した時に「なんでこれが×になるのかわからない。数学的には明らかに正しい」と言っていました。また、大学によって授業名は違うのでしょうが「小学校算数科教材研究」「小学校算数科指導演習」等の授業では、かけ順遵守をしっかりと扱っています。(複数の新採教員に聞いたので間違いありません)


 私、教員養成課程について詳しくないのですが、中学数学の免許を取るには、それなりに数学を勉強することが前提ですよね。

 そういう人でも、算数の掛け算の順序に関して過剰適応してしまう、あるいはそもそも疑問に思わないことがありうるということですね。

>元中学校の数学の先生だけは、例のアンケートを実施した時に「なんでこれが×になるのかわからない。数学的には明らかに正しい」と言っていました。

このあたりは、さもありなん。

 私が小学校教師に直接質問したところ、「教師になったばかりの頃は指導書を見て一生懸命順序を教えていたが、途中からこれって意味があるのかと思うようになってきた。中学校数学教員が赴任(人事交流とかでそういうことがあるらしい)したときに、『順序にこだわらせることに意味はあるのか?』と質問したら、『まったく意味はない』と言われた。それ以来、あまりうるさく指導しなくなった」と言っていました。

 先日の中日新聞(2012年11月5日)の記事でも以下のような報告があります。

>教員の間にも順序にこだわる教え方を危ぶむ声はある。岡山県総合教育センターの研修では、小学校の公開授業を見学した中学教諭から「こだわるとかえって混乱を来す」と指摘されたという。


 一方で、私自身が市教委の指導主事と話し合いをしたときに、中学数学専門の指導主事も同席していたのですが、「発展段階を考慮して教えている」と、小学校指導主事の援護射撃をしていました。具体的に掛け算の順序にこだわらせることが発展段階においてどう適切なのか、ということではなくて、一般論として「発展段階を考慮して教えている」ということをいっている印象でした。

 文字式に関して、「4人にa個ずつみかんを配る。みかんの総数は?」は、4aになるけど、それはあくまでa×4の計算結果、という立場をとるなら、一応小学校算数とのあからさまな矛盾はなくなる。

 だから、中学数学の免許を取る程度に数学を専門に勉強しても、「算数教育には算数教育の事情がある」ということで受け入れてしまうのかもしれません。


 私からしたら、順序を批判できない、受け入れる、という姿勢の人は、数学を本当に理解しているのか怪しいのですがね。

 

  • [29]
  • 中日新聞投書欄

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月19日(月)10時05分35秒
  • 編集済
  • 返信
 
今日の中日新聞で、先日の掛け算の記事を受けての投書が出たそうです。友人からの情報です。今夜、ファックスを送ってもらう予定です。

  • [28]
  • >papapaさん

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月19日(月)10時03分53秒
  • 返信
 
 貴重な情報ありがとうございます。取り急ぎ、お礼まで。

  • [27]
  • 「かけ算・その指導の移り変わりと私たちが行った提案 : 高橋誠『かけ算には順序があるか』を批判的に読む」

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年11月18日(日)20時06分49秒
  • 編集済
  • 返信
 
http://ci.nii.ac.jp/naid/40019408519

かけ算・その指導の移り変わりと私たちが行った提案 : 高橋誠『かけ算には順序があるか』を批判的に読む

森川 幾太郎
実践研究 : 数学教育実践研究会研究紀要 (25), 14-27, 2012-07
数学教育実践研究会

なかなか刺激的なタイトルですが、内容、著者ともによくわかりません。
雑誌名で検索すると、森川幾太郎氏以外のゲスト?は各号1~2人くらいみたいです。

森川幾太郎氏は山形大退官後福島大?
数学教育実践研究会会長のようです。

http://members3.jcom.home.ne.jp/sjk1962/index.htm

メタメタさんが呼ばれた講座の内容をまとめたみたいですね。
http://ameblo.jp/metameta7/entry-11237495210.html

  • [26]
  • Re: その人は如何にして順序主義者となりし乎

  • 投稿者:ゴルゴ・サーディーン
  • 投稿日:2012年11月18日(日)19時09分38秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>24
> ええと、まだ全然納得していないです。
> さすがに現時点で納得したと思われてしまうと、
> ぼくがものすごくいいかげんな人になってしまうのでそれは困ります。

了解しました。
「まだまだ疑問」という段階なのですね。

>>23 に書いた話はすべて「私はこのように見ています」というレベルの話です。

「もう少し実証的っぽい」判断材料をこれから探します。
( 『実証的っぽい』という言い方をするのは、例えばエセ科学の健康法などを批判するときに言うような
  完全に実証的な物を求めていると何も言えなくなってしまうと思うからです。 )

―――――――――――――――――――――――――――――――
【追記】
>>24で指摘された事により、私の頭の中で
 ・ちゃんと裏付けのある、事実
 ・裏付けの無いまま「当然、こうだろう」と思い込んでいた事
が混ざっていたことに気付きました。

  • [25]
  • Re: Re :前スレ992

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年11月18日(日)18時23分47秒
  • 返信
 
>>21
> >それから、papapaさんご自身は、何がきっかけで順序に疑問を持つようになったのでしょうか?
>
> 比例の表をたてに見ると「比例定数」が見つかります。
> 横に見ると「xを2倍、3倍…にすると、yも2倍、3倍…になる」という比例の定義が見つかります。
> 6年の比例の研究授業で、表をたてに見る見方を扱った時に、
> 「xとyの単位が違う」「今までに教えてきた『ひとつ分×いくつ分』が壊れる」
> と集中砲火を浴び「xの数値を〇倍したら、常にyの数値になる」
> という解釈は通じないのか、と反撃したら
> 講師の指導主事に「小学校では『y=X×きまった数』の時ならいいけど、
>『y=きまった数×X』の関係の時は、よくない云々」と言われてキレたのが
> 最大のきっかけでしょうか。指導時期1月で、3カ月たてば「y=aX」で
> 全て統一されるのに…ちなみに、今でも教科書では「y=きまった数×X」
> と「y=X×きまった数」をはっきり分けています。
> (で、自分はこの場面で必ず「トランプ配り」の考え方6年生に教えるようにしています)

この話をツイッターで紹介したら、

https://twitter.com/tsatie/status/270038003492220928
>何故この記事に出て来るような間抜けが、
>指導主事とかいう指導する立場に立てるのか疑問だなぁ、二つの意味で。
>一つは選ぶ側の根拠。もう一つは本人の自己判断の甘さ。両者恥ずかしくないのか?

https://twitter.com/tsatie/status/270038925198905344
>あ、当然の事だが恥ずかしくないから、平然と口にできるのだろう。
>しかし、其の自信?の根拠は何処にあるのだろう。
>結局は自分の頭の中で論理的に検討や判断をしていないのだろう。
>こんな人達に教えられたら、自分で検算やチェックするようにはならんよなぁ。
>道理で原発事故が起こるわけだ。

とやっぱりぶちキレてました。ぼくも当然の反応だと思いました。
ぼくも何かぶちキレた感想を書こうと思っていたのですが、先を越された感じ。
自分のことでなくてもキレてしまうような話だと思うので、
papapaさんは冷静になるのはさぞかし大変だったと思います。

具体的にはどのような表を扱ったんですか?
1段あたり15cmの階段が x 段あるときの全体の高さ y cm のような場合ですか?
これは「一つ分×幾つ分」&「一つ分の数は状況だけで決まっている」
の合わせ技のもとでは、y = 15 × x となりますかね。
比例定数は 15cm で何も問題ないですよねえ(助数詞も単位扱いすれば 15cm/段)。


  • [24]
  • Re: その人は如何にして順序主義者となりし乎

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年11月18日(日)17時46分37秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>23
> >>19
>  >ぼくの現時点での推測は、「大学の先生による算数科教育法で掛順こだわりを
>  >教え込んでいる所は存在するが、全体の割合としてかなり少ないだろう」です。

>
> papapaさんの情報で納得されたようですので

ええと、まだ全然納得していないです。
さすがに現時点で納得したと思われてしまうと、
ぼくがものすごくいいかげんな人になってしまうのでそれは困ります。

> 「あと出し」になってしまいますが、
> 私は
>  「教科書会社に影響力を持つえらい先生が順序主義なのだから、

数教協関係の人以外に具体的に誰がいますか?

教科書指導書の執筆はぼくが知っている情報では
大学の先生には基本的に仕事がまわることがなくて、
教科書会社と付き合いのある小学校の先生となるのが基本。
実際、現場で教えてないと教科書指導書の執筆は苦しいと思う。

>   当然、教育学部で順序主義が教えられている」と思ってました。

問題はそれがどの程度どの割合であるかということです。
これがどうもはっきりしない。

教科書会社の場合のように、

 すべての教科書会社の教科書指導書をチェックすると
 6社すべてが掛順こだわり派である

というような決定的な証拠が欲しいのです(もちろん否定的な証拠でも可)。

「教員養成課程における掛順こだわり教育の現状について
○○という文献をチェックすれば白黒付けられる」
というようなことがあれば良いのですが。

もしも「全国の大学の教員養成課程でこんなにひどいことを教えている」
とはっきり言えるような証拠が見付かったならば
そのような情報を広めること自体が掛順こだわり教育に対する対抗措置になると思います。
(そういう重要な情報は Wikipedia にも追加するべき!)

まず、そういう情報が学生のところに届くことが大事。
そして、今の学生相手ならば携帯やパソコン経由でインターネットにアクセスして
その手の情報を比較的容易に広めることができると思います。
小学生の保護者達に情報を広めるよりずっと楽だと思う。

しかし現状ではそのような広めた方が良い証拠はない。もちろん反証も存在しない。

>  >あと、次のようなケースもあると思います。
>  >(1) 小学校で、順序主義で教わる。
>  >(2) 中学・高校で数学を学んでも、掛算の順序はどちらでもよいことを知る。
>  >(3) 小学校と中学校以降に習ったことに整合性を持たせるために
>  >  「算数と数学では何が正しいかが違う。違っていても構わない」と考えるようになる。

>
> その通りだと思います。
> 順序主義の人に
>  ・「順序主義は中学高校で学ぶ内容にも通用する」

烏合の衆の中の順序主義の人ではなく、
教育関係者だとわかる事例でそのような人はいましたかね?

>  ・「順序主義は中学高校で学ぶ内容には合わない」
> の2種類がいるのは、観察できる通りです。

「順序主義は中学高校で学ぶ内容にも通用する」と思っている小学校の先生は
ものすごく少数派ではないでしょうか?

ぼくの印象では大抵の場合に「算数と数学は違う」という意見が出て来る
という印象なのですが。

>  http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t2/997
>  >3. しかし、掛算の順序が逆なら誤りになるというのは一般常識には反するので、
>  >気持ちの上でそれを正当化する理屈を求めざるを得なくなる。

>
> 頑強な順序主義者にはおそらくその様な葛藤は無いと私は見ています。

その「頑強な順序主義者」の教育関係者には具体的に誰がいますか?

> 前回あげた http://math.artet.net/?eid=1421510
>  >ともかくも、少なくとも25年前に「かけ算の順序」は定着していたようです。
>  >「1あたり」や「いくつ分」の言葉は見られませんが。当時の小学2年生はい
>  >まは32~33才かな? あの場にいた「もと小学2年生」は、いまごろツイッター
>  >で「小学校ではかけ算の順序にこだわってるらしい。びっくり。」とつぶや
>  >いているでしょうか、それとも、「かけ算の式には順序があるって“常識”でしょ」
>  >とつぶやいているでしょうか(^^)。

> とあります。
> 実際に「算数のガラパゴス性」などのコメント欄には「順序があるのが常識」と
> いう考えの発言が見られます。

ツイッターでは中学生らしき子が自分が教わった先生は全然順序にこだわってなかった
のようなことを言っているのを見たことがあります。
大人のあいだの議論にツイッターでの子どもの発言を引用するとまずそうなので
具体的にどの発言なのかを特定して紹介したりしませんが。
(ツイッターには子どもが結構いて神経を使わされます。
機械的に発言を拾って紹介できない。)

ツイッターの方では、ぼくが暴れ過ぎたせいかもしれませんが、
順序にこだわる教え方はひどいという声の方が圧倒的に大きいです。
さらに、そんな話を初めて聞いたという感想もよく出て来ます。

まだ全国の小学校にどれだけどのように掛順こだわり教育が蔓延しているかでさえ、
我々はほとんど何も知らない状態だと言った方が良いような気がします。
唯一の誰にでも言える強い証拠は教科書と教科書指導書の件。

P.S. もっとわかりやすく言えば、
新聞記者に紹介して記事のネタにしてもらうことが可能なタイプな証拠
が欲しいということです。


  • [23]
  • Re: その人は如何にして順序主義者となりし乎

  • 投稿者:ゴルゴ・サーディーン
  • 投稿日:2012年11月18日(日)15時02分3秒
  • 返信
 
>>19
 >ぼくの現時点での推測は、「大学の先生による算数科教育法で掛順こだわりを
 >教え込んでいる所は存在するが、全体の割合としてかなり少ないだろう」です。


papapaさんの情報で納得されたようですので「あと出し」になってしまいますが、
私は
 「教科書会社に影響力を持つえらい先生が順序主義なのだから、
  当然、教育学部で順序主義が教えられている」
と思ってました。

 >あと、次のようなケースもあると思います。
 >(1) 小学校で、順序主義で教わる。
 >(2) 中学・高校で数学を学んでも、掛算の順序はどちらでもよいことを知る。
 >(3) 小学校と中学校以降に習ったことに整合性を持たせるために
 >  「算数と数学では何が正しいかが違う。違っていても構わない」と考えるようになる。


その通りだと思います。
順序主義の人に
 ・「順序主義は中学高校で学ぶ内容にも通用する」
 ・「順序主義は中学高校で学ぶ内容には合わない」
の2種類がいるのは、観察できる通りです。

 http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t2/997
 >3. しかし、掛算の順序が逆なら誤りになるというのは一般常識には反するので、
 >気持ちの上でそれを正当化する理屈を求めざるを得なくなる。


頑強な順序主義者にはおそらくその様な葛藤は無いと私は見ています。
前回あげた http://math.artet.net/?eid=1421510
 >ともかくも、少なくとも25年前に「かけ算の順序」は定着していたようです。
 >「1あたり」や「いくつ分」の言葉は見られませんが。当時の小学2年生はい
 >まは32~33才かな? あの場にいた「もと小学2年生」は、いまごろツイッター
 >で「小学校ではかけ算の順序にこだわってるらしい。びっくり。」とつぶや
 >いているでしょうか、それとも、「かけ算の式には順序があるって“常識”でしょ」
 >とつぶやいているでしょうか(^^)。

とあります。
実際に「算数のガラパゴス性」などのコメント欄には「順序があるのが常識」と
いう考えの発言が見られます。

  • [22]
  • Re: Re :前スレ992

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年11月18日(日)08時05分33秒
  • 返信
 
>>21
>大学によって授業名は違うのでしょうが
>「小学校算数科教材研究」「小学校算数科指導演習」等の授業では、
>かけ順遵守をしっかりと扱っています。(複数の新採教員に聞いたので間違いありません)

おお、どうもありがとうございます。非常に参考になりました。
算数の教材を細かく作らせる演習の授業があるのか。
ぼくは高校の教員免許しか持っていないし、
ぼくが務めている大学は規模は巨大なのですが、
教員を養成するための学部が存在しないので、
その辺の事情がよくわかっていません。

やはり、「大学の教員養成課程で、掛順遵守主義を教えているところもあるだろうが、
少数派だろう」というぼくの推測は間違っていたのかもしれませんね。
ツイッターの方でも情報を募集しておきました。


  • [21]
  • Re :前スレ992

  • 投稿者:papapa
  • 投稿日:2012年11月18日(日)06時29分36秒
  • 返信
 
>順序に拘る授業はここ10年ぐらいで増えてきたような印象があるのですが、その当たりは実際はどうなんでしょうか?正確なことはわからないと思いますが、印象としてどうでしょうか?

研究授業は、基本人に見せるための授業なので、ことさら「指導法」に重点を置いた授業が展開される場合が多いです。で、私の市では(たぶん他市・他県もほぼ同様)2年生のかけ算の授業では「ひとつ分×いくつ分=全部の量」3年のわり算の授業では「包含除と等分除の区別をつけること」の授業がたくさん展開されていました。20年ちょっと前の話です。教科書はずっと昔から5+5+5という累加と「ひとつ分×いくつ分」を結び付けています。多くの先生の「かけ順遵守」の理由はこれなので、相当昔からあったと思います。最近この問題が特に大きく扱われるようになったのは、1.インターネット普及による情報の拡散2.何より親が教師や学校に対する疑問を堂々と発信するようになった、の2点がかなり絡んでいるように思います。ちなみに、私も約40年前に学習しましたが、その時すでにサンドイッチルールで教わりました。(もしかして最先端の授業だったのかも!!)3年生の時に「個÷個」がなんで「人」になるのか、テストでは〇をもらっていても実はどうしてもわからず、質問してもきちんと教えてもらえなかった記憶が鮮明なので、間違いないと思います。


>それから、小学校教員で大学時代に教育学部小学校教員養成過程で、数学科を専攻した人はいるのでしょうか?

中学校教員養成課程で小学校の免許も取って小学校教員になった方、小学校教員で中学校数学の免許を持っている方はたくさんいます。でも、その方たちから「かけ順逆を×にするのはおかしい」という声は聴いたことがありません。指導書や算数教育書の記述が、新しい常識になるからでしょうか。ただ、昨年再任用でTTをしていた元中学校の数学の先生だけは、例のアンケートを実施した時に「なんでこれが×になるのかわからない。数学的には明らかに正しい」と言っていました。また、大学によって授業名は違うのでしょうが「小学校算数科教材研究」「小学校算数科指導演習」等の授業では、かけ順遵守をしっかりと扱っています。(複数の新採教員に聞いたので間違いありません)

>それから、papapaさんご自身は、何がきっかけで順序に疑問を持つようになったのでしょうか?

比例の表をたてに見ると「比例定数」が見つかります。横に見ると「xを2倍、3倍…にすると、yも2倍、3倍…になる」という比例の定義が見つかります。
6年の比例の研究授業で、表をたてに見る見方を扱った時に、「xとyの単位が違う」「今までに教えてきた『ひとつ分×いくつ分』が壊れる」と集中砲火を浴び「xの数値を〇倍したら、常にyの数値になる」という解釈は通じないのか、と反撃したら講師の指導主事に「小学校では『y=X×きまった数』の時ならいいけど、『y=きまった数×X』の関係の時は、よくない云々」と言われてキレたのが最大のきっかけでしょうか。指導時期1月で、3カ月たてば「y=aX」で全て統一されるのに…ちなみに、今でも教科書では「y=きまった数×X」と「y=X×きまった数」をはっきり分けています。(で、自分はこの場面で必ず「トランプ配り」の考え方6年生に教えるようにしています)

長文になってしまいましたが、ある程度理解していただけたでしょうか。残った質問は、また別に答えさせていただきます。


  • [20]
  • 銀林先生の過ち(was: SI単位系のスタイルの量の乗法の交換法則)

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年11月17日(土)23時54分4秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>18

>  f(au,bv) = (ab)(uv) (a,bは数で、u,vは単位)
>  f(x,y) = f(y,x) (x,y∈Q)
> 交換法則の例として、
>
>  50km/h×3h = 3h×50km/h = 50km
>
> などが成立しています。
>
> 以上のように考えれば、量の乗法は普通の意味で交換法則を満たしています。

私もSIの量の考え方を支持します。


銀林先生が「量の世界では交換法則はなりたたない」とおっしゃるのは
(はっきり書いた文献をみかけないので推測なのですが)
銀林先生は、量を単位と数の積と考えなかったからだと思います。

つまり、単位は数値にくっついては交換しない。そのとき
交換法則は数値だけ交換して単位は式に張り付いて動かない(ただのラベル)とすると

50(km/h)×3(h) = 3(km/h)×50(h)

この左辺と右辺は明らかに意味が違います。

「だから量を考えると交換しない」

というのが銀林先生の考えたことではないでしょうか。
しかし、この考え方は誤りです。
量の世界では積の交換法則が成り立たない、と考えるのではなく、
積の交換法則が成り立つように量を導入する必要がある、 と考えるべきだった。

それが銀林先生の過ちです。

「そんなことを銀林先生が考えるはずがない」
とおっしゃる方は反論よろしくおねがいします。

  • [19]
  • Re: その人は如何にして順序主義者となりし乎

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年11月17日(土)22時33分52秒
  • 返信
 
>>16
> >>9
> >  【1】小学校で、順序主義で教わる
> >  【2】中学・高校で数学・物理を学んでも、順序主義が誤りだと気付かない
> >  【3】大学の教育学部で、順序主義を今度は「教える側の立場」として教わる
>
> twitterを見ていたら、この[3]についての疑義が出ていたので例をひとつ挙げて
> おきます。
> ここを読んでいる人にはおなじみのサイトで、教育実習のときに学生同士で順序問
> 題について議論しています。
>
> http://math.artet.net/?eid=1421510
> > まずは、各自ノートで練習問題を解いたあと、発表をしたようです。そのなかで、「8×3は○だけど、
> >3×8はどうなんだろう?」という疑問が出たもよう。だれが出してきたのか、先生なのか生徒なのかはわ
> >かりません。私のメモは次のようになっています。

おお、これは知りませんでした。どうもありがとうございます。
なるほど、小学校での実習で掛算の順序にこだわる教え方を学んでいるというパターンか!

ぼくの現時点での推測は、「大学の先生による算数科教育法で掛順こだわりを
教え込んでいる所は存在するが、全体の割合としてかなり少ないだろう」です。
この推測(割合の評価が重要)を覆す証拠があればすぐに意見を変えるつもりです。

ツイッターで筑波の大学生とちょっとやりとりしたことがあるのですが、
その大学生の方は掛算には正しい順序があると思い込んでいる節が見られました。
そしてその根拠は小学校でそう習ったから。
しかし、その大学生が大学でそのように習った感じには見えませんでした。

小学校のときに掛算には正しい順序があると習った人が、
大学を卒業して教師になったとき自分が小学生のときに習った通りに教える
というような事例はありそうです。

これからそのような事例が増えることが危惧されるのでやっかいですよね。

あと、次のようなケースもあると思います。

(1) 小学校で、順序主義で教わる。
(2) 中学・高校で数学を学んでも、掛算の順序はどちらでもよいことを知る。
(3) 小学校と中学校以降に習ったことに整合性を持たせるために
  「算数と数学では何が正しいかが違う。違っていても構わない」と考えるようになる。
(4) 以下はみんなが予想する通りになってしまう。


P.S. ツイッターで検索して見付けた大学での掛算こだわり教育関係事例を紹介しました。
http://twilog.org/genkuroki/date-121117 で2つ紹介してあります。

1. http://center.edu.wakayama-u.ac.jp/centerkiyou/kiyou_no16_pdf/2006_endou-sato_p91-.pdf
2. http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13537/1/4_p117-133.pdf

なんとか、この2つは見付けましたが、他にどんなのがあるのか?


  • [18]
  • SI単位系のスタイルの量の乗法の交換法則

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年11月17日(土)22時12分36秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>17 と同じ問題でぼくも悩みましたが、現在では以下のように決着をつけています。

Mさん相手なら以下のような数学的な説明の仕方も許されるはず。
ただし細部を厳密に述べるというような面倒なことはしません。
「数学素人向けにもっと詳しく説明しろ」という意見があれば
そのような説明も書いてもよいのでリクエストして下さい。

SI単位系のスタイルの量(SI単位系では「量の値」と呼ばれている)は
数と単位の積で表わされます。だから次のようにラフに定義してよいでしょう。
量(の値)全体の集合 Q とは数と単位の積全体の集合のことであると定める。

このとき、写像 f:Q×Q→Q を

 f(au,bv) = (ab)(uv)    (a,bは数で、u,vは単位)

と定めます。ただし単位全体の集合は積に関する可換群をなすものとします。
この写像 f が量(の値)の乗法です。この f は数の積と単位の積の可換性より
交換法則

 f(x,y) = f(y,x)   (x,y∈Q)

を満たしています。以下では f(x,y) を x×y もしくは xy と書くことにします。
交換法則の例として、

 50km/h×3h = 3h×50km/h = 50km

などが成立しています。

以上のように考えれば、量の乗法は普通の意味で交換法則を満たしています。
そして、多くの人は量の乗法の可換性を上の定式化の通りに実際考えている
と言って問題ないと思います。

補足。量の加法は通常同じ次元(単位)を持つ量どうしでないと不可という
ことになっているので、写像としては Q×Q の部分集合から Q への写像に
なるということになります。まあ、数学的には次元が異なる量どうしの
加法も許すことにして、量全体の集合 Q を拡張して Laurent 多項式環が
生成されるとみなすこともできるのですが。

P.S. 数学者であれば量の乗法や加法がLaurent多項式環の乗法や加法を制限した
ものとして定式化されることはすぐに思い付くはずです。それにもかかわらず、
銀林浩氏あたりがそれをできなかったのがとても不思議。

補足。実数体 R と文字 u, v で生成される Laurent 多項式環 R[u,1/u,v,1/v]
とは分母が単位 u,v の単項式になるような実係数の u,v の有理式全体のなす
環のことです。 u, v を単位とみなせば u^m v^n (m,nは整数)の単位が付いた
量をこの Laurent 多項式環の中で扱うことができます。


  • [17]
  • 交換法則は非常識?

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年11月17日(土)20時59分38秒
  • 編集済
  • 返信
 
また怒られそうなタイトルをつけました。

かけ算の交換法則は、常識的に考えられているよりも厳しい法則なのではないか、と考えました。


まずちょっと一般論を考えます。
2変数の関数f(x,y)とg(x,y)は、変数x,yの定義域が一致していて
定義域の任意のx,yについてf(x,y)=g(x,y)のときは同じ関数です。

同じ、という意味は、関数として扱う限りは区別がつかず、f,gという
記号でだけ識別できるということです。記述としては違うように見えますが
同じものとして扱う必要があります。(1)


交換法則とは、g(x,y)をf(y,x)とおいた場合に相当します。
つまり
任意のx,yについてf(x,y)=f(y,x)
このとき、f(x,y)とf(y,x)は同じ関数なので、区別がつかず、
記号でだけ識別できるということになります。記述としては違うように見えますが
同じものとして扱う必要があります。(2)


fがかけ算のときは、
任意のx,yについてx×y=y×x
このとき、x×yとy×xは同じ関数なので、区別がつかず、
記号でだけ識別できるということになります。記述として違うように見えますが
同じものとして扱う必要があります。(3)


ここまで合っていますよね。

(3)をもう一度言うと、
x×yとy×xは記述として違うように見えますが、同じものとして扱う必要があります。


見かけが違うように見えても、全く同じものと考える必要がある。
もちろん、意味も同じ。

常識的に考えると、x≠yのときにx×yとy×xは(記号列としては)違うことが書いてあるのですが、
交換法則が成り立つ場合は、同じとして扱わないといけない、ということです。
つまり、記号列としては見分けられるのだが、区別して扱えません。

一見、見分けられるように見える記述を区別してはいけない、ということは
常識とは一致していないことかもしれません。

もちろん、x×yとy×xに違う意味を割り当てることはできません。
ということは、かけ算の左と右に書くものの役割は任意に入れ替えることができる
という意味になります。(役割が同じということではない)
1あたりといくつ分という役割を割り当てたとしても
交換法則が成り立つかぎりはそれらの役割を任意に入れ替えることができることになります。

常識的には、みかけが違うものは違うと考えるのが普通ですから
なかなかここまでは言い切れないのではないかと思います。
かけ算の順序がもめるのは、交換法則が一見、常識からちょっと離れているからではない
でしょうか。本当は、きちんと考えられれば常識と離れていないのですが。

x×yとy×xは、表現が違っても同じものである
と言い切る必要があります。

  • [16]
  • Re: その人は如何にして順序主義者となりし乎

  • 投稿者:ゴルゴ・サーディーン
  • 投稿日:2012年11月17日(土)16時14分38秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>9
>  【1】小学校で、順序主義で教わる
>  【2】中学・高校で数学・物理を学んでも、順序主義が誤りだと気付かない
>  【3】大学の教育学部で、順序主義を今度は「教える側の立場」として教わる

twitterを見ていたら、この[3]についての疑義が出ていたので例をひとつ挙げて
おきます。
ここを読んでいる人にはおなじみのサイトで、教育実習のときに学生同士で順序問
題について議論しています。

http://math.artet.net/?eid=1421510
> まずは、各自ノートで練習問題を解いたあと、発表をしたようです。そのなかで、「8×3は○だけど、
>3×8はどうなんだろう?」という疑問が出たもよう。だれが出してきたのか、先生なのか生徒なのかはわ
>かりません。私のメモは次のようになっています。


  • [15]
  • Re: (無題)

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年11月17日(土)14時51分48秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>14
> [5×3] 「×」から学んだこと・2012年秋冬モデル
> http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20121115/1352985724
>
> >Q: 全国学力テストの採点では,乗数と被乗数を逆にしても,バツにしていない.なぜ教育現場では,かけ算の順序にこだわるのか?
> >
> >A: 簡単にいうとそれは,「2年のかけ算」と「高学年のかけ算」の違いです.
> >
> >全国学力・学習状況調査は例年,6年生が解答しています.そしてご指摘のとおり,平成22年度以降の小学校算数の解説には,「乗数と被乗数を入れ替えた式なども許容する」という注意書きが入っています.
>
> これって文部科学省の見解は、少なくとも6年生以降には掛け算の順序はどちらでもいい事になりますよね。
>
>
> ここだけ見るとブログ主は「高学年のかけ算」では順序はどちらでもいいと考えているように見えます。
> いつまで順序を意識して、どの段階で順序を気にしないのでいいのか、はっきりして欲しいです。


その記事の冒頭を見ると、

>いわゆるかけ算の順序論争において,「正しいか,間違いか」ではなく,答えや考え方が「受け入れられているか,いないか」という観点で,取りまとめるよう心がけました

とありますので、わだいのたけひこ氏(ブログ主)が集約できる範囲でマジョリティだと判断した考え方をまとめた(つもりの)ものだと思われます。たけひこ氏は事大主義のようですから、どう考えているかを問うのは無意味です。かけ算の順序関連の文献サーチをしてくれる便利なサイトとして扱うのがいいと思います。

(そのくせに、教育現場の声を吸い上げたりする努力をしているようには見えないんだよなぁ)

  • [14]
  • (無題)

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2012年11月17日(土)14時31分30秒
  • 返信
 
[5×3] 「×」から学んだこと・2012年秋冬モデル
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20121115/1352985724

>Q: 全国学力テストの採点では,乗数と被乗数を逆にしても,バツにしていない.なぜ教育現場では,かけ算の順序にこだわるのか?
>
>A: 簡単にいうとそれは,「2年のかけ算」と「高学年のかけ算」の違いです.
>
>全国学力・学習状況調査は例年,6年生が解答しています.そしてご指摘のとおり,平成22年度以降の小学校算数の解説には,「乗数と被乗数を入れ替えた式なども許容する」という注意書きが入っています.

これって文部科学省の見解は、少なくとも6年生以降には掛け算の順序はどちらでもいい事になりますよね。


ここだけ見るとブログ主は「高学年のかけ算」では順序はどちらでもいいと考えているように見えます。
いつまで順序を意識して、どの段階で順序を気にしないのでいいのか、はっきりして欲しいです。

  • [13]
  • RE:「かける数」「かけられる数」

  • 投稿者:ゴルゴ・サーディーン
  • 投稿日:2012年11月17日(土)14時25分32秒
  • 返信
 
>a×bにおいて、bにaが作用しているのか、bにaが作用しているのか何て、
>意識もしなかったし何も困ることはなかった。

実を言うと、私はつい昨日まで
 「四則については、
   演算子の左に書いた数を『○○される数』
   演算子の右に書いた数を『○○する数』
  と呼ぶ」

というだけの事だから難しくない、と思ってました。
( 「役に立たない」が、さほど知的負荷にもなっていない と。 )
もちろん、この考え方で「倍指向」とやらを支持するわけだはないんですが。

良く考えたら、こんなのダメですね!

  • [12]
  • 「これをちゃんとやらないと将来困る」の根拠は?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月17日(土)12時09分9秒
  • 返信
 
TOSSの脱力「かける数かけられる数」指導
http://www.eonet.ne.jp/~mnzbo645/kakekakerare.htm
これを単に丸暗記させたのでは、高学年になったころにはすっかり混乱してしまっている。

かけ算の順序でもそうだけど、この手の「学習が進むとときに、必要だから」というのはどれほど根拠があるのだろうか?

「混乱」というのは具体的にどういうことだろうか?

どっちがどっちでも構わないから混乱するというなら、別に構わないと思う。
どっちでもいいんだから。


正三角形の定義は、三辺が等しい、なのか、3つの角が等しい、なのか、どっちがどっちなのか混乱しても全く問題ない。

  • [11]
  • 「かける数」「かけられる数」

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月17日(土)11時57分39秒
  • 編集済
  • 返信
 
a×bにおいて、bにaが作用しているのか、bにaが作用しているのか何て、意識もしなかったし何も困ることはなかった。

非可換な積でも同様。

行列に関して、ABとあると、AがBに作用してるイメージは確かにあるが、そんな物無くても全然問題ない。

関数f(x)でも同様。xにfが作用している、ととるのが普通だろうが、xに具体的数値を入れるとf(x)の値が決まる、ととらえればfにxが作用している、とも見なせる。

というか両方見なせないとまずいと思う。

関数をブラックボックスとして導入するとしても、そのイメージだけで固定してしまうのはまずい。

半減期Tの放射性物質の物質量がMだとする。時間t後には、M(1/2)^(t/T)になる。

M(1/2)^(t/T) これは、時間tが作用を受けているのか?半減期の3倍の時間がたったので最初の物質量の1/8になった、と考えたら、むしろ、時間が作用したというイメージの方が自然な気がする。

 で、どっちのイメージでも構わないし、そもそも何に何が作用したか何て意識する必要もない。


引き算、わり算の場合、左が右に作用する、というイメージは、確かにあるが、

5-2を、5+(-2)  5÷2 を 5×(1/2)と 捉えるようになると、そういう意識も薄れてしまう。


いずれにしても、イメージや印象レベルのことであり、「こうイメージしないとならない」という話ではない。



算数教育に関して調べていくと、他の分野でもそうだけど、手段と目的が混乱してしまっていると思えることがしばしばある。

  • [10]
  • Re: スレッド記事数

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月17日(土)01時21分6秒
  • 返信
 
>>8
> >1つのスレッドに対して、最大5000記事投稿が可能です。
> と説明にあるのですが、1000しか書けないのは
> どうしてでしょうか?

「最大」とあるから、各コメントの文字数とか色々条件があって、それ以下で書き込めなくなることもあるとか?

  • [9]
  • その人は如何にして順序主義者となりし乎

  • 投稿者:ゴルゴ・サーディーン
  • 投稿日:2012年11月16日(金)22時00分37秒
  • 返信
 
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t2/997
>以下はぼく個人の推測です。
>
>ぼくは、長方形の面積を横×縦とすると誤りだと思ってしまうことと、
>掛算を一つ分×幾つ分の順序で書かないと誤りになるという考え方の
>関係は以下のようになっているのではないかと推測しています。
>
>1. 大学卒業時までは一般常識にしたがって掛算の順序には一切こだわりが無かった。


ここで言われているのは赤字の箇所のような事ですが、もっと広く「その人はなぜ順序
主義者になったか」
という事なら私は別のストーリーを考えています。
それは:
 【1】小学校で、順序主義で教わる
 【2】中学・高校で数学・物理を学んでも、順序主義が誤りだと気付かない
 【3】大学の教育学部で、順序主義を今度は「教える側の立場」として教わる
というものです。

  • [8]
  • スレッド記事数

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年11月16日(金)19時37分44秒
  • 返信
 
>1つのスレッドに対して、最大5000記事投稿が可能です。
と説明にあるのですが、1000しか書けないのは
どうしてでしょうか?

  • [7]
  • (続)一つ分×幾つ分の順序にこだわることと縦×横の順序にこだわることの関係について

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年11月16日(金)12時32分42秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>4
> http://q.hatena.ne.jp/1197768804
> 「例えば、3cm×4cmの長方形の場合、公式の学習の段階では、
> 1cm×1cmの正方形が、縦に3つ並び、その列がさらに横に4つ並んでいる、と見なす。
> つまり、縦の“3個”の列を基準として、その4倍である、“たて×横”の公式は、
> “縦3個が4列”という視点でできているのだから、
> この場合にも順序に意味があると見なされる。
> 従って、面積の学習の段階では、公式通り“たて×横”であるべき」

この話は
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t2/997
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t2/999
に書いたことと直接に関係がありますね。

http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t2/997 に書いた推測の変種になっている。
そちらの 4' を追加して 5 を次の 5' で置き換えれば本質的に同じこと。

4. まず次のように考えるようになる:

 掛算は「一つ分×幾つ分=全部の数」という「公式」で導入される。
 常識として「幾つ分×一つ分」でも正しい答が得られることは知っている。
 しかし、子どもたちには「正式の公式」に戻って
 「正しく」考えられるようになってもらわなければいけない。
 だから掛算の順序にこだわった教え方が必要なのだ。

4'. さらに次のように考えてしまう:

 文章題や図で示された掛算を使える具体的な状況ごとに
 どちらの数が一つ分になるかが決まっている。
 たとえばタコ2匹分の足の数を求める場合には8が一つ分になり、
 三輪車5台分の車の数を求める場合には3が一つ分になる。

このように理解しないと筋が通らない記述が教科書指導書や
算数の教え方について書かれた本よく書いてある。
だからこの4'を信じてしまうことになる。

5'. さらにこれの応用で次のように考えるようになる:

 長方形の面積もまた一つ分と幾つ分の考え方で導入される。
 例えば縦3cm、横4cmの長方形の面積の公式は
 1cm×1cmの正方形が縦3個が横に4つ分あるという考え方で導入される。
 つまり、縦が一つ分だとみなされる。
 これが教科書に載っている正式な長方形の公式の導入法である。
 ゆえに長方形の面積であっても縦×横という掛算の順序にこだわる必要がある。

少なくとも上の事例では、一つ分×幾つ分の順序にこだわる流儀と
長方形の面積の公式を縦×横とすることにこだわる流儀のあいだは
決して無関係ではなくなっています。

教科書やその指導書に「横×縦」の公式が書いてあっても、
それを「幾つ分×一つ分でも正しい答が計算できることと同じ」と解釈可能
であれば、「幾つ分×一つ分の式を誤りにするのと同様に横×縦も誤りになる」
というように考えていまうことになります。

とんでもなく非常識なことを信じてしまう場合には、
その原因がもっと基本的なところで非常識な考え方を信じてしまっていて、
そちらとの整合性を保つためにさらにデタラメ度の高い考え方も
信じてしまうということが多いと思います。
これは悪質なカルトが忠実な信者を増やすときの常套手段の一部にもなってますよね。

実際には、一つ分×幾つ分の順序にこだわる非常識なスタイルを信じた人は、
さらに文章題の内容だけで一つ分と幾つ分の数が決まってしまうという非常識な
考え方も信じてしまっていますよね。

何をかたまりと見るかを子どもに選択させる問題が載っている教科書の指導書でさえ、
それと矛盾する「文章題の内容だけで一つ分と幾つ分の数が決まる」ということを
前提にして、掛算の順序が逆だと誤りないし、子どもは理解していないとみなす
というようなことが書いてあるわけですよね。

これは長方形の面積を縦×横としなければ誤りになるというような非常識な考え方を
信じてしまうこととこれは非常に似ていると思います。
上の4と5'を要約すれば、

4'. 文章題や図だけでどの数が一つ分になるかが決まっている。

5'. 長方形の面積の場合には縦の長さが一つ分の数になる。

この手の整合性を求めるとまじめに勉強すればするほどおかしくなってしまうと思う。

ぼくはどこかでまじめに勉強すると損になるクズ知識(マイナスの教養)が
結構我々の社会に出回っているということは、大人になるまでのどこかで
学ばなければいけないことだと思っています。


  • [6]
  • 授業指南書よりも、算数・数学それ自体を勉強しよう

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月16日(金)10時46分19秒
  • 返信
 
 ここを読んでいるかもしれない、教師向けに。

 算数だけ教えているわけではないし、いじめとかいろんな問題に対処しなくてはならないだろうから、無理なことは言わない。指導書に頼るのも仕方ないと思う。指導書通りに授業をするとおかしな事になるなら、指導書を作っている側に責任がある。

 その上で、

算数指導に関してあれこれ読んで、熱心に研究する余裕があるなら、


同じ労力を


算数・数学それ自体の勉強に振り向けた方が有効だと思う。



自分自身がどうやって算数・数学を獲得したのか、

それ抜きでは、他人のやった授業実践や研究理論もあまり役立たないか、ときには有害になりかねないと思う。


8人いて5人帰った。何人残るか?
8個蜜柑がある。5人に1個ずつ配る。何個余るか

これがともに、8-3という構造になっていることを理解したら、


授業指南書で「求残」「求差」という言葉が出てきても、「これは便宜的にそう名付けているだけで、本質的な区別はないのだな。それを前提にした上で、子どもにとっては求残の方が易しくて求差は難しいのだな。授業をするときはこのことに注意しよう。」となると思う。


 それなしでいきなり指南書を読むと、

「残りはいくつ?」は求残で
「違いはいくつ?」は求差
なるほど、なるほど、早速子どもに教えなくては・・・

となりかねない。


  • [5]
  • 算数教育が複雑すぎるのが要因

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月16日(金)10時28分49秒
  • 編集済
  • 返信
 
 長方形を横×縦でバツ、平行四辺形は高さ×底辺、などという教師は、「4つの角が直角の平行四辺形」の面積はどう求めるのか?などと突っ込むまでもなく、アホ教師だと思う。


 ただ、そういう教師が出てくる背景というのはわかる気がする。


 つまり、本来は単純で美しいはずの算数が、複雑怪奇な物になってしまっていて、わかりにくい。


 例えば高校数学だと、問題集に解答例が載っているが、「別解」が示されていることも少なくない。答えの書き方も1つだけではない。模範解答に「a+1/3」とあるので、(3a+1)/3 はバツ、などという教師は多分いない。


 要するに、どんなやり方でも、間違っていなければ正解。

 そういうものだと思っていた。


 戦術的に、間違いにくいやり方、簡単に出るやり方、を推奨することはあるが、それはまた別の話。人によって合うやり方が違う場合がある。


 小学校算数の教育について研究して驚きあきれたのは、単純な話しをあれこれ複雑にして、訳の分からない物にしてしまっているということ。


 同じ答えが出るのに「この方法はいいけど、こっちは駄目」とか言い出したら、「教科書に書いてある通りの方法しか認めない」と言い出す人が出てきても不思議はない。

立方体の体積の式を、縦×横×高さとしたらバツで、正解は一辺×一辺×一辺、という事例に関して、国立教育政策研究所の人は「立方体と直方体を区別するためにそのような指導もあり得る」とこれを擁護していた。

 算数そのものではなくて、算数教育に関してあるていど複雑になったりするのはやむを得ないかもしれないが、その複雑な理論を教える側が留意すべき点、といことにとどまらず、子どもに教えようとしてしまっているのが、混乱の原因。

 求差と求残の区別を子どもに教えようとしてしまうこと自体が、

算数教育の理論(?)体系(?)が複雑すぎて、教える側が留意すべき事と子どもに教えるべき事の区別がわからなくなってしまっている証拠だと思う。

  • [4]
  • 縦×横にも三分の理?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月16日(金)10時14分11秒
  • 返信
 
http://q.hatena.ne.jp/1197768804
>研究編も確認したのですが、特に“たて×横”の起源とか、“横×たて”でも許されるとか許されないとかいう記述はありませんでした。
先輩に聞いてみたのですが、確実なことはわかりませんでした。
ただ、先輩は「式は逆にすべきではない」という見解でした。
理由は以下の通り。
「例えば、3cm×4cmの長方形の場合、公式の学習の段階では、1cm×1cmの正方形が、縦に3つ並び、その列がさらに横に4つ並んでいる、と見なす。
つまり、縦の“3個”の列を基準として、その4倍である、“たて×横”の公式は、“縦3個が4列”という視点でできているのだから、この場合にも順序に意味があると見なされる。
従って、面積の学習の段階では、公式通り“たて×横”であるべき」


ちなみにこの質問主、長方形の面積で順序に拘るのは疑問だとしながらも、それ以外の場合では順序はあるという見解のよう。

>「4人が200円ずつ募金したら全部で何円」
といった問題であれば、「200が4つだから200×4」というのはまあわかります。
(4×200だと、「200人が4円ずつ」になる)

>ただ、思うに、
「税抜き3500円の品物は、消費税5%込みでいくらになるか」
で、「式:1.05×3500」としたら、誤りとされる可能性はあります。(小数の乗法は5年生の内容)


私の場合、税抜き700円の商品にかかる消費税は100円で5円だから、5円の7倍と計算しちゃうな。小学生はそうやって計算してはいけないのかな?
そういう計算方法を思いつくのは出来る子だから、バツにしても構わないのかな?
出来ない子が一生懸命考えて、「100につき5だから、200だと10で、・・・」などと考えても、「そういう考えは間違いだ」というのかな?




小学校笑いぐさ日記 掛け算の順序のこと
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20111224/1324684685

このブログ主と同じ方なら、今は順序に疑問を持っていると言うことのようです。



  • [3]
  • >papapaさん

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月16日(金)09時58分26秒
  • 返信
 
 もう一つ質問させて下さい。

「かける数」「かけられる数」という言葉を覚えさせる教師がいるのでしょうか?

私自身、こんな言葉を覚えさせられた記憶はないし、こんな言葉があることなど、かけ算順序論争に関わるまで知りませんでした。小学校でやったのかもしれないのですが、重要ではないということでそのまま忘れ去ってしまったのかもしれません。

 常識で考えたら、こんな言葉覚えることに全く意味はないと思うのですが。

TOSSのこういうのを見ると、笑えてしまうのとともに恐ろしくなる。
http://www.eonet.ne.jp/~mnzbo645/kakekakerare.htm

  • [2]
  • 教科書での交換法則

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月16日(金)09時51分44秒
  • 返信
 
学校図書 算数3年 上 では、

>答えが7×6と同じになる式から、いろいろなきまりを見つけましょう。
>① 下の式の、□にあてはまる数を考えましょう。
>7×6=□    6×□=□


で、●が縦7個、横6個に格子状に並べてある図があって、縦の個数「7」、横の個数「6」が表記されいている。



そのとなりには、90度回転させた図があって、縦の個数「6」、横の個数「□」となっている。


その下に

>7×6=6×7

とある。

で、

>かけ算では、かける数とかけられる数をいれかえても、答えは同じになります。



とある。

色々突っ込みたい部分はあるが、とりあえず報告まで。


  • [1]
  • >papapaさん

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年11月16日(金)09時42分38秒
  • 返信
 
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t2/996
> PS.積分定数さん
> 993のご質問には、今晩か明日お答えします。

お手数おかけします。特に急ぐ話ではないので、時間があるときにお願いします。


といいつつ、さらにもう一つ質問です。


授業では交換法則をどのように教えているのでしょうか?


「3×4と4×3は数としては同じだが意味が違う」という順序派の教員の説明を聞くたびに、不思議な感覚に襲われます。


 私自身、小学生の頃から、1あたりといくつ分など区別する意味もないし区別できないと思っていて、それと、交換法則は、一体のものだと思っていました。そもそも意識もしてなかったので、それほど深く考えていたわけではないのですが。


 同じ問題に対して、1あたりといくつ分が逆転する見方を示して、だから、A×BもB×Aも同じ事、

 とはなっていないのでしょうね。もしこうして交換法則を理解させるなら、掛け算の順序など意味はないとなるはずです。


 九九をやったりして、経験的帰納的に成り立つとしているのでしょうか?


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