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  • [716]
  • Re: メタメタさんのペアノへの言及の仕方はトンデモ

  • 投稿者:メタメタ
  • 投稿日:2012年 9月21日(金)23時14分9秒
  • 返信
 
>>711
くろきげんさん,コメントありがとうございます。
「別にペアノの公理系は何が数で何が数でないかを決めているわけではありません。」

 確かに,私のブログの別の記事でも引用しましたが,ペアノが,
「数にどのような定義を与えることも教育において適当ではない。というのは,この観念は,生徒には全く明らかであり,定義はすべてそれを混乱させるにすぎないからである。‥‥数を定義することはできない。」(『ペアノ 数の概念について』1891年,小野勝次,梅沢敏郎訳・解説,100頁)と述べていること,
 また,「ここでは,数は定義されず,基本的性質が述べられている。これに反してデデキント(『数とは何であり何であるべきか?』1889年)は,数を定義しているが,まさしく前に述べた条件(5つの「原始命題」。いわゆる「ペアノの公理系」)をすべて満足するものを数と呼んでいる。かくして両者は明らかに一致する。」(105頁)と書いていることも知っています。(どれだけ理解しているかは別にして。)
 また,ペアノは,4番目の原始命題「1と呼ばれるものは何かに対応していない(何かの後者ではない)」について,方程式x^n=1の根の場合は,原始根がn番目の根の次のものであるから,4が成り立たないという例を述べた(104頁)後,
「同じ例を時刻の名前を用いて通俗的な形で述べることができる。最初の時刻は12時の次の時刻となる。したがって,条件1,2,3と5が成立し,4が成立しないものの類は整数に一意的には対応しないで,有限個であることが証明されるであろう。」(105頁)
と書いています。
 時刻の名前(江戸時代は十二支でした)などの循環するものは有限個であり,自然数の基本性質(ペアノの公理系)を満たさないことを念頭にしていました。


  • [715]
  • 初出かな?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月21日(金)15時53分46秒
  • 返信
 
http://twitpic.com/85xxew

「ずつ」に線が入っている。こんな事続けていたら、キーワードに着目する癖が付きそう。

 どれも掛け算の問題なのも気になる。

  • [714]
  • Re: 小数のかけ算・割り算、小6の半数近く理解せず

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月21日(金)15時14分51秒
  • 返信
 
>>713

> Aの生徒  普段順序通り立式できている生徒で、今回の成績が良い。
> Bの生徒  普段順序通り立式できている生徒なのに今回の成績が悪い。
> ということが判明したとします。
>
> 順序派は、Aの生徒とBの生徒の成績の違いを説明できるのでしょうか?

A 正しい順序で書けていて、今回成績がいい
B 正しい順序で書けていて、今回成績が悪い
C 順序はテキトー、今回成績がいい
D 順序はテキトー、今回成績が悪い

順序派の論拠に都合がいいのは、AとD。ただし、前回書いたように、相関関係があっても順序指導の有効性の証拠には不十分。

ここで仮に、A、B、C、Dの比率が全部25%だったとする。相関関係はないことになる。


それでも「順序指導は有効」という論を立てられるか?ちょっとやってみる。


■Cの子は順序を徹底することで理解が出来た。理解が出来た野順序は不要と自分で判断して順序を気にしなくなった。AもCも理解している以上、最初は順序を順序を徹底したはず。両者の違いは、理解した後に不要だからと気にしなくなったか、継続したかの違いに過ぎない。

■Bの子は順序をしっかり書けるから理解しつつある。今回はその効果がまだ出ていないが、そのうち出てくる。

■もし順序指導をしなければ、Aは丸ごとDになる。A,B,C,Dの比率は0、25%、25%、50% となっていたて、成績のいい子と悪い子の比率は、25%と75%になっていた。それが50%、50%というのは順序指導の賜。


ど~とでも言えそう。

  • [713]
  • Re: 小数のかけ算・割り算、小6の半数近く理解せず

  • 投稿者:おおくぼ
  • 投稿日:2012年 9月21日(金)13時05分56秒
  • 返信
 
>>712

> 「正しい順序」を書いてあるかどうかと、今回の成績に相関関係がある可能性は十分あると思います。
>
> 「正しい順序」を書く子は授業をちゃんと聞いていて指示されたことをきちんと守ることが出来るので、算数や他の科目の成績がいい
>
>  ということは十分考えられます。
>
>
>  だから、相関関係があっても、「順序を指導すれば理解力が上がる」「正しい順序を書けるかどうかでその子が理解しているかどうかが判断できる」という結論にもならない。

その通りだと思うのですが・・・。
例えば調べた結果、
Aの生徒  普段順序通り立式できている生徒で、今回の成績が良い。
Bの生徒  普段順序通り立式できている生徒なのに今回の成績が悪い。
ということが判明したとします。

順序派は、Aの生徒とBの生徒の成績の違いを説明できるのでしょうか?

  • [712]
  • Re: 小数のかけ算・割り算、小6の半数近く理解せず

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月21日(金)11時56分8秒
  • 返信
 
>>706
> >>704
>
> > 順序派
> >  ほら、意味をちゃんと理解していないでしょ。意味をちゃんと理解するために順序が大切なです。
>
> 普段順序通りに書いた生徒の、今回の成績を調べればわかるのでは?

「正しい順序」を書いてあるかどうかと、今回の成績に相関関係がある可能性は十分あると思います。

「正しい順序」を書く子は授業をちゃんと聞いていて指示されたことをきちんと守ることが出来るので、算数や他の科目の成績がいい

 ということは十分考えられます。


 だから、相関関係があっても、「順序を指導すれば理解力が上がる」「正しい順序を書けるかどうかでその子が理解しているかどうかが判断できる」という結論にもならない。

  • [711]
  • メタメタさんのペアノへの言及の仕方はトンデモ

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月21日(金)11時29分4秒
  • 編集済
  • 返信
 
http://ameblo.jp/metameta7/entry-11357467774.html
は過去の事実については色々参考になることが書いてあって面白いのですが、
次に引用する一節は撤回した方が良いと思いました。

>ただし,「数は1より始まる」と言ったペアノと違うのは,
>ペアノの公理系では,「1はどんな数の後にはならない」のに対し,
>甲子は癸亥の後にくるので干支が循環することなります。
>ペアノによれば,循環するものは数ではないのです。

ペアノは数学の形式化・記号化の達人であり、
ペアノ曲線(平面を埋め尽くす連続曲線)でも有名な数学者でもあります。

ペアノがその重要性を所謂「ペアノの公理系」の形で強調した
自然数全体が満たす性質は実はデデキントによっています。
自然数全体は無限個あるのでそれら全体が特徴付けると考えられる
必要最小限の性質を抽出することは自明な問題ではありません。
その非自明な問題をデデキントが解いて、
その結果をペアノが自然数論の形式化・記号化で採用したわけです。

デデキントが証明した定理をペアノは公理として採用したのですが、
これは数学ではよくあることです。

誰か(自分かもしれない)がとてもよい定理を証明したならば、
その定理の結論の条件を出発点にして新たな良い理論を構築できないかをよく考えます。
デデキントとペアノの関係をその一例とみなすこともできるでしょう。

現在ではペアノの時代とは違って記号論理学の体系が綺麗に整備されています。
そのおかげで様々な強さの「ペアノの公理系」を扱うことができます。
1階の述語論理でペアノの公理系を定式化した所謂 "PA" だけではなく、
様々な変種を定式化できるようになっています。
そのおかげでペアノの当時には考えることさえ不可能だった様々な
数学について研究することが可能になっているのです。

別にペアノの公理系は何が数で何が数でないかを決めているわけではありません。
メタメタさんは以上で述べたような数学に関わることにコメントする場合には
もっと注意した方が良いと思う。

ペアノは様々な概念の性質を適切に抽出して記号化・形式化する達人なので、
干支のような循環する「数」について記号化してくれと頼めば
たちどころに記号化・形式化の結果を示してくれるものと思われます。


■追記

数学ではよく正の整数 n で割った余りの世界をよく考えます。
たとえば、●が n=5 個集まるとそれらが消えて無くなってしまうような
状況を考えます。そのような世界では●を1個ずつ増やして行くと

0個→1個●→2個●●→3個●●●→4個●●●●→0個→1個●→2個●●→…

と循環することになります。こういう状況で、基数を扱っているのか、
序数を扱っているのかをどちらか片方に決めようとする議論は不毛だと思う。

掛算についても、本当はたくさんある掛算の解釈のうちの一つを
「掛算の意味」と呼んで特別扱いするというような不合理な考え方が
算数教育の世界に広まっています。
これと同じようなことを別の場所でやっちゃ駄目です。


  • [710]
  • Re: 算数教育の大きな流れ

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月21日(金)08時59分40秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>697
> 日本の算数・数学教育の大きな流れが纏めてあり参考になりました。
>
> 明日の算数・数学教育を求めて
> http://www.osaka-c.ed.jp/hensenpdf/webcur/wc04suug/wc0401.pdf

「現代化」あたりの議論を知りたい。正方形・長方形問題がこれに関係ありそう。


 しかし公式に文書に残ることのない算数教育の歴史、ってのは、調べるのは難しそう。

 例えば「日本の歴史」と言っても、法律や条令や役所の出した公文書だけで分かるわけではない。算数教育の歴史も同様。

 「みはじ」だの「はじき」だのがいつ頃どのように拡がったのか?掛け算の順序が浸透する過程は?

 これらについて調べるのは難しそう。

http://www.kisc.meiji.ac.jp/~eijisato/は、そう言うことを調べたりしていないのかな?

  • [709]
  • Re: 小数のかけ算・割り算、小6の半数近く理解せず

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月21日(金)08時50分6秒
  • 返信
 
>>708
> >>703
> > http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120919-00001570-yom-soci
> > 小数のかけ算・割り算、小6の半数近く理解せず
> > 読売新聞 9月20日(木)8時5分配信 読売新聞
> >
>
> >  深刻な課題が見られたのは、小6の算数。小数が絡む「□×1・2」や「□÷1・3」など四つの計算式のうち、式の答えが「□」に入る数字より大きくなるものを選ぶ問題の正答率が45・3%など、類似した小数に関する問題の正答率がいずれも低く、最高でも55・7%だった。
> >
> >  「5×1・2」のような単純な計算の正答率は高い傾向にあるという。
>
> これって、文字式の扱い方を理解していないだけなのでは。
> つまり未知数□を具体的に指定していない場合にどう考えるかということを
> わかってないのでは。もしかすると教えていないのかも。

□を使った式自体は扱うと思うし、問題文を読めば何を求められているのかは理解できると思う。

題意が分からなかったのなら、文章読みとり能力が不足しているし、題意が分かった上で正解できなかったというのは、それはそれで問題だと思う。

 やり方を習っていない初めて見る問題

だと、どうしていいのか分からなくなるのかもしれない。


>>638 でも書いたけど、「問題文を読んでそれについて解答を見つける」、というのではなくて、「こういう問題にはこういう方法で解くのが正しい」とされてしまうので、「やり方を教わるまでは解くことが出来ない」となってしまっている面があるのでは?

と思っている。

  • [708]
  • Re: 小数のかけ算・割り算、小6の半数近く理解せず

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年 9月21日(金)00時08分25秒
  • 返信
 
>>703
> http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120919-00001570-yom-soci
> 小数のかけ算・割り算、小6の半数近く理解せず
> 読売新聞 9月20日(木)8時5分配信 読売新聞
>

>  深刻な課題が見られたのは、小6の算数。小数が絡む「□×1・2」や「□÷1・3」など四つの計算式のうち、式の答えが「□」に入る数字より大きくなるものを選ぶ問題の正答率が45・3%など、類似した小数に関する問題の正答率がいずれも低く、最高でも55・7%だった。
>
>  「5×1・2」のような単純な計算の正答率は高い傾向にあるという。

これって、文字式の扱い方を理解していないだけなのでは。
つまり未知数□を具体的に指定していない場合にどう考えるかということを
わかってないのでは。もしかすると教えていないのかも。

だから、単純な計算の正答率は高いのにこの問題は間違う。
設問でも、□に具体的に数字を入れて比べてみれば良い、とひとこと書き加えれば
正答率が上がったと思います。さらには、□=5などと指定すればもっと上がる。

  • [707]
  • Re: 算数教育の大きな流れ

  • 投稿者:ゴルゴ・サーディーン
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)21時44分36秒
  • 返信
 
>>705
> >>698
> > その評価には賛同できません。
> >
> > 「小学校の算数に順序主義という物が存在していること」
> > および
> > 「それは間違いであること」
> > に言及していない文書が「調査・分析」と呼ぶにあたいするとは思えないのです。
>
> かけ算の順序ですが、算数教育そのものに大きな問題があるのではと感じています。
> 算数教育を大局的に見る事にも意義があると思います。
> 歴史をよく知らなかった私にとっては、とても参考になりました。

すくなくとも
 「教育に関してどんな世論が起こって
  それを受けてどんな変更が行われたか」
という事に関しては、あてにしても良いでしょう。
ですが、変更の結果子ども達の学力が上がったか下がったかという事に
ついては、そういう文書を作る人達の事実認識力を信用すべきとは思えません。

  • [706]
  • Re: 小数のかけ算・割り算、小6の半数近く理解せず

  • 投稿者:おおくぼ
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)20時56分32秒
  • 返信
 
>>704

> 順序派
>  ほら、意味をちゃんと理解していないでしょ。意味をちゃんと理解するために順序が大切なです。

普段順序通りに書いた生徒の、今回の成績を調べればわかるのでは?

  • [705]
  • Re: 算数教育の大きな流れ

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)20時01分48秒
  • 返信
 
>>698
> その評価には賛同できません。
>
> 「小学校の算数に順序主義という物が存在していること」
> および
> 「それは間違いであること」
> に言及していない文書が「調査・分析」と呼ぶにあたいするとは思えないのです。

かけ算の順序ですが、算数教育そのものに大きな問題があるのではと感じています。
算数教育を大局的に見る事にも意義があると思います。
歴史をよく知らなかった私にとっては、とても参考になりました。

個人的には
 必ず転換期が来ると信じられる。
 抽象的な面が強く意識されれば妙な考えが排除される可能性が高そうだ。
など考えて気を休めたりもしています。

  • [704]
  • Re: 小数のかけ算・割り算、小6の半数近く理解せず

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)12時24分45秒
  • 返信
 
>>703
> http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120919-00001570-yom-soci
> 小数のかけ算・割り算、小6の半数近く理解せず
> 読売新聞 9月20日(木)8時5分配信 読売新聞
>
>  文部科学省の国立教育政策研究所が、全国学力テスト4回分の傾向を分析した結果、小学6年生の半数近くが、小5までに学ぶ「小数のかけ算・割り算」の意味を理解していないとみられることが分かった。


順序派
 ほら、意味をちゃんと理解していないでしょ。意味をちゃんと理解するために順序が大切なです。


反順序派
 順序を徹底的に叩き込んでいる現状でこの結果。つまり、順序指導は理解の向上に役立っていない証拠。


順序派
 それは、順序指導が徹底していないから。もっともっともっと徹底的に順序を指導することで理解が促させる。





これが逆の結果で、小6の圧倒的多数が理解していたなら

順序派 ほらね。順序を教えることでみんな理解できるんです。

反順序派 高学年では順序の指導は緩む。にもかかわらず理解できていると言うことは、順序指導と理解度に相関関係はない。

こんな議論になる。

  • [703]
  • 小数のかけ算・割り算、小6の半数近く理解せず

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)12時17分40秒
  • 返信
 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120919-00001570-yom-soci
小数のかけ算・割り算、小6の半数近く理解せず
読売新聞 9月20日(木)8時5分配信 読売新聞

 文部科学省の国立教育政策研究所が、全国学力テスト4回分の傾向を分析した結果、小学6年生の半数近くが、小5までに学ぶ「小数のかけ算・割り算」の意味を理解していないとみられることが分かった。

 同研究所は、小6と中3が参加した2007年度から10年度までの4回分のテスト結果を今回初めて一括して比較調査した。全国学テでは同一問題は出題されないため、同種の問題を比較した。

 深刻な課題が見られたのは、小6の算数。小数が絡む「□×1・2」や「□÷1・3」など四つの計算式のうち、式の答えが「□」に入る数字より大きくなるものを選ぶ問題の正答率が45・3%など、類似した小数に関する問題の正答率がいずれも低く、最高でも55・7%だった。

 「5×1・2」のような単純な計算の正答率は高い傾向にあるという。

 同研究所では、「低学年で学んだはずの小数やそのかけ算、割り算の意味が理解できておらず、指導方法を再検討する必要がある」と指摘。全国学テの検証が学校での指導の見直しに役立てられていなかった面があるとして、全国の指導的立場の教員を集めて説明することを決めている。
.最終更新:9月20日(木)8時5分

  • [702]
  • Re: 単位のサンドイッチルール vs. 一つ分×幾つ分=全部の数

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)12時09分37秒
  • 返信
 
>>701> 小学校の算数の教科書をチェックしてみましたが、
> 「メートル×メートル=平方メートル」のような単位の仕組みに基いて
> 面積について説明している教科書は皆無でした。
>
> 「1辺の長さが 1cm の正方形の面積が 1cm^2 になる」という形で
> cm^2 という単位が天下り的に導入され、
> 面積は単位正方形が何枚敷き詰められるかで導入されています。
>
> たとえば縦が4cmで横が6cmの長方形の面積を求めるときに、
> 単位正方形が縦方向に4枚並んでおり、
> その4枚のまとまりが、横に6つ分並んでいると考えれば、
> 「式:4×6=24」「答え:24cm^2」が正解になるわけです。
> 単位正方形が横方向に6枚並んでおり、
> その6枚のまとまりが、縦に4つ分並んでいると考えれば、
> 「式:6×4=24」「答え:24cm^2」が正解になるわけです。
> 算数教育ワールドの「標準」に従えばこのようなことになると思います。
>
> 少なくとも教科書では「4cm×6cm=6cm×4cm=24cm^2」という教え方になっていません。

面積の導入であれば、単位正方形がいくつ分、で構わないと思うのだけど、それをずっと引きずるのはどうなんだろう。「単位はそのまま数値に付随して掛けたり割ったりする」というのを最後まで隠し通したいのだろうか?


 5人家族がいて、各自が1日に1個、林檎を食べる。7日間でこの家族は何個の林檎を食べたことになるか?

 狭義のサンドイッチ
(1個×7日)×5人=7個×5人=35個
(1個×5人)×7日=5個×7人=35個

広義のサンドイッチ
(1個/人・日 × 5人)×7日=5個/日×7日=35個
(1個/人・日×7日)×5人=7個/人×5人=35個

いずれにしても、1×5×7 か 1×7×5 とするべきで、7×5 5×7 は誤り。

サンドイッチ理論ではそうなるはず。


長方形の面積よりも扱いが難しくなってしまっている。3つの掛け算でなくては解けない。


単純な話をややこしくしているだけに思える。

  • [701]
  • Re: 単位のサンドイッチルール vs. 一つ分×幾つ分=全部の数

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)09時16分30秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>693
> つまり、単位・助数詞 を A、Bなどであらわすとすると
>
> A×B=A が本来のサンドイッチ
> (A/B)×B も、一般化されたサンドイッチ
> (1つ分)×(いくつ分)は、常にそう解釈可能だから、サンドイッチとは別。
>
> と言う理解でいいのでしょうか?

そういうことです。
さらに例を挙げて分かり易く説明して頂きどうもありがとうございます。

「4個×6=24個」のつもりで「4×6=24」と「立式」(←超要注意キーワード)することは
「答えが個のつく数になるので個がついている数を掛算では先に(左側に)書く」
のように教えることができます。

東京書籍や啓林館の教科書指導書にはこれと本質的に同じ考え方が書いてあるわけです。

この教え方が超有害だと考える理由は、それだと
「文章題の内容を理解せずに文中のキーワードをひろうだけ
で「正しい」順序で掛算を書く方法」を教えていることになるからです。

他にも「4個/人×6人=24個」の順序に書かせるために、
「ずつのついた数を掛算では先に書く」のようなやり方もあるようです。
たとえば「6人に4個ずつ」と書いてあったら「4×6」とずつのついた数を
掛算で先に書くことによって、文章題に出て来た順序とは逆の順番で
掛算を「正しく」書くことができるわけです。

もちろんこのようなことを教えることも超有害です。
文章題の内容の理解とは何も関係がない。
キーワードをひろってパターンマッチングで掛順を決めているだけ。

同様に文章題の内容を理解せずに「正しい」答えを出すための便法である
「きはじ」もやはり有害なのですが、
求まるのが掛算の順序のような役に立たない事柄ではなく、
距離や速さや時間ような役に立つ数値です。
要するに単位のサンドイッチ(一般化された場合を含む)は
「きはじ」よりも明らかに有害な教え方なわけです。
だから「超有害」という表現を使いました。

既出の参考情報:掛順が逆なせいでバツをつけられてしまった子どもの親が
インターネット上で相談したら、複数の人達が次々に
単位のサンドイッチ方式について教えてくれる様子を次の場所で見ることができます。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/1210/467390.htm?o=0&p=1

> 算数教育の現場で問題になっているのは、正確には、「1あたり×いくつ分」の固定ではなく、「一般化された単位のサンドイッチ」。
>
>  しかし、縦3m、横4mの長方形の面積は、3m×4m=12m^2としているように思う。
> 横1mあたり、面積は3m^2だから、3m^2/m×4m などと面倒なことはしていないと思う。
>
>  なんだか、場当たり的にやっているようにも思える。

小学校の算数の教科書をチェックしてみましたが、
「メートル×メートル=平方メートル」のような単位の仕組みに基いて
面積について説明している教科書は皆無でした。

「1辺の長さが 1cm の正方形の面積が 1cm^2 になる」という形で
cm^2 という単位が天下り的に導入され、
面積は単位正方形が何枚敷き詰められるかで導入されています。

たとえば縦が4cmで横が6cmの長方形の面積を求めるときに、
単位正方形が縦方向に4枚並んでおり、
その4枚のまとまりが、横に6つ分並んでいると考えれば、
「式:4×6=24」「答え:24cm^2」が正解になるわけです。
単位正方形が横方向に6枚並んでおり、
その6枚のまとまりが、縦に4つ分並んでいると考えれば、
「式:6×4=24」「答え:24cm^2」が正解になるわけです。
算数教育ワールドの「標準」に従えばこのようなことになると思います。

少なくとも教科書では「4cm×6cm=6cm×4cm=24cm^2」という教え方になっていません。



  • [700]
  • 絶滅危惧種?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)07時31分0秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>688
> >>687
> はい、間違いなくそういう文化・風潮はあると思います。

そうすると、↓のような事例は希有な例なのだろうか?

北海道算数数学教育会小学校部会
http://hokkaido-sannsuu.com/s_sidouan.html
http://hokkaido-sannsuu.com/pdf_sidouan/02/2nenkakezan3.pdf
>自分が計算しやすいように1あたり量を任意に決めてかけ算を使う経験の積み重ねが、乗法による処理の有効性に気づかせ、生活に生かそうとする態度を養うことになる。
>式から形式的に交換法則をとらえるのではなく、「前から見ると…」「横から見るとと…」などと1当たり量を柔軟にとらえる見方こそが大切である。

  • [699]
  • 指導書 と 指導要領

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月20日(木)07時01分40秒
  • 返信
 
http://docseri.hatenablog.jp/entry/2012/01/02/112235
>妄想科學倶楽部
掛け算と漢字と「理不尽」について
>私は教育関係者ではないので「何故、学習指導要領がそのように制定されているか」については知らない。

 論旨には概ね賛同できるが、指導書と指導要領を混同しているようだ。この手の混同は結構多い。

 我々も、この件にあまりなじみのない人に説明するときは、「文科省が作っている学習指導要領、すなわち指導要領」、「教科書会社が出している、文科省の検定が不要の指導書」、というように丁寧に説明した方がいいと思った。

  • [698]
  • Re: 算数教育の大きな流れ

  • 投稿者:ゴルゴ・サーディーン
  • 投稿日:2012年 9月19日(水)22時28分59秒
  • 返信
 
>>697
> 日本の算数・数学教育の大きな流れが纏めてあり参考になりました。

その評価には賛同できません。

「小学校の算数に順序主義という物が存在していること」
および
「それは間違いであること」
に言及していない文書が「調査・分析」と呼ぶにあたいするとは思えないのです。

  • [697]
  • 算数教育の大きな流れ

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2012年 9月19日(水)20時02分8秒
  • 返信
 
日本の算数・数学教育の大きな流れが纏めてあり参考になりました。

明日の算数・数学教育を求めて
http://www.osaka-c.ed.jp/hensenpdf/webcur/wc04suug/wc0401.pdf

>つまり、日常生活との結びつきが強くなると、学力低下という批判が起こり、抽象的な面が強くなると「ついていけない、理解が困難である」という批判が生じてきた。

今までも教え方が揺らいでいたようです。
現在は、抽象的な面が弱いうえに理解が困難な気がします。

過去の学習指導要領から何か読み取れないですかね。

学習指導要領データベース
http://www.nier.go.jp/guideline/index.htm

  • [696]
  • 包含除と等分除の統合

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月19日(水)12時12分15秒
  • 編集済
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今気づいたが、「等分除と包含除の統合」ということを主張している授業案が意外と多い。なぜだろうか?

掛け算の順序に拘ったのだから、毒を食らわば皿まで、で、「わり算には等分除と包含除の2つの異なる意味があります」で押し通してもよさそうなものだが。

実際そう言う人もいる。瀬戸智子氏なんか潔い。
http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
等分除と包含除は全く別の物だと最後まで言い切っている。


一方で、統合派も少なからずいるのは何故だろうか?


統合までの道筋はどれも似ている。

(1)掛け算に順序がある。1あたりといくつ分は異なる。
(2)わり算 1あたりを求めるのが等分除 いくつ分を求めるのが包含除
(3)等分除と包含除は違うのです。区別しなさい。
(4)実は統合できます。

こんなまわりくどい面倒なことが、どれも似たり寄ったりになっているというのは、元ネタがあるのではないだろうか?


ではなぜあれほど掛け算の順序・1あたりといくつ分に拘りながら、わり算ではそれを貫けないで、「実は統合できます。」などという、日和見主義を生んでしまうのか?



推測その1

等分除と包含除が異なるのに、両方とも同じ÷という記号を使い“わり算”とすることに子どもが抵抗を感じる。それを和らげる必要があるから。



推測その2

21÷3は等分除として考えたら、□×3=21 の□を求めることになるので、
にさんがろく、さざんがきゅー、しさんじゅうに、ごさんじゅうご、ろくさんじゅうはち、ちしさんにじゅーいち
と唱えることになり面倒くさい。3の段を使うには、21÷3は等分除であっても包含除とも見なせるとする必要がある。


しかし、「最初の立式と計算での式は別」とすれば、□×3=3×□として、3の段を使えばいいようにも思うが・・・・

  • [695]
  • 等分除・包含除について、papapaさんにお聞きしたのですが

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月19日(水)11時48分42秒
  • 返信
 
 12個の蜜柑を4人で分けるのも、3個ずつ分けるのも、12÷4という式になるのだから、式からその子が等分除と包含除に違いを認識しているかどうかを判断するのは不可能なわけですが、両者の区別をうるさく言う教師はいるのでしょうか?

 http://suugaku.at.webry.info/201102/article_17.html
に書いたように、掛け算の順序に拘る教師が、一方で「等分除も包含除もどちらもわり算だから12÷3でいいんじゃない?」とあっけらかんといっていて、整合性がないように思えました。


 “真面目な教師”は、等分除と包含除の区別にこだわるのではないかと思っているのですが、どうでしょうか?


http://www6.plala.or.jp/maeda-masahide/3warizan.html
>6÷2を図で表すと、等分除と包含除の2種類の図ができあがる。その意味の違いを考えていく授業である。

http://www.c-niiza.ed.jp/e-sakae/contents/kenkyu/sidoan_22/22%203-1%20sannsuu%20shidouan.pdf
>等分除には「にこにこわり算」、包含除には「どきどきわり算」を名前をつけて指導していく。等分除と包含除の違いを意識したうえで、2つのわり算は統合できることを理解させていきたい。

http://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/WebHelp/03/page3_03.html
>左は,全体をいくつかに同じように分ける場合で,等分除といいます。等分除は,□×3=6の□にあてはまる数を求める計算になります。右は,全体をいくつかずつに同じように分ける場合で,包含除といいます。包含除は,3×□=6の□にあてはまる数を求める計算になります。これらのわり算は,具体的な場面に合わせて,その違いをわからせるように指導することが大切です。

http://www.sogogakushu.gr.jp/tkf/img/warizan.doc
>5. 単元の評価規準
【関心・意欲・態度】・・・身の回りの生活から、除法の用いられる場面を見つけようとしている。
【 数学的な考え方 】・・・等分除と包含除の違いについて考えている。乗法九九を用いて除法の答えを見つける方法を考えている。

等分除と包含除の違いを考えることが数学的な考え方?



http://www.saitama-city.ed.jp/03siryo/sidouan/e/e_sansu/16nendo/0150402604%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E8%A8%88%E7%AE%97.pdf

 等分除と包含除を統合するというのだが、その前に違いをはっきりさせると言う。統合するには最初は離れていることが必要だから?教わる前に統合に気づいた子はどうすればいいのか?


http://www.kogumakai.co.jp/column/shimizu/shimizu016.html
>こうしたおはじきの操作を通して、二つの考え方の違いを理解してほしいと思います。

http://syosanke.cocona.jp/kakubukai/kenkyutyousaclub1/kenh21/jissen3.pdf
>等分除と包含除を統合的にとら. えさせるためには、相違点を明確に させることが. 必要となる。

これも統合の前に違いの認識が必要という立場。


http://www.pref.okayama.jp/uploaded/life/97801_318792_misc.pdf
>7. 等分除と包含除の違いを見分ける。 1つの式から2種類の除法の問題を作る 。



「等分除 包含除 区別」で検索すると一杯出てくる。

熱心な人ほど、区別に五月蠅いような印象がある。



数教協系の人は、 1あたりといくつ分の区別 等分除と包含除の区別 が 掛割図に必要で、それが内包量・外延量の理解につながる、というような考えであるように思える。


本屋でTOSSの機関誌を立ち読みしたときも、等分除と包含除の区別をさせるにはどうのこうのと書いてあった。

 流派によらず算数の教え方を積極的に公言する団体・個人は、「等分除と包含除の区別は必要」と考えていて、あまり気にしない教師も多数いる。「区別は不必要。そもそも区別できない。」と積極的に発信している団体・個人は、私の知る限り皆無に等しい。

  • [694]
  • 「反順序派も順序に意味があると認めている」という屁理屈

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月19日(水)11時05分33秒
  • 返信
 
 順序論争では、詭弁・屁理屈の類は珍しくないが、なんとも対応に困ることがある。

 掛け算に順序などない。1あたり×いくつ分、と固定させても、「4人に3個ずつ蜜柑を配る」という問題で、4を1あたり、3をいくつ分、とすることもできる。

という説明に、

「4×3 の 4を1あたり、3をいくつ分、と解釈していると言うことは、掛け算の左右に異なる意味があることを前提にしているのだから、順序に意味があることを認めているのだ」

という人が時々いて対応に困る。


1あたり×いくつ分 としたところで、どちらが1あたりでどちらをいくつ分にするかは任意に決めることが出来るので、1あたり×いくつ分という順序を固定したところで意味がないよ、という話が通じない。


 そもそも交換法則を理解した段階で、順序も1あたりといくつ分もどーでもいいと思っていたし、掛け算とは本来、1あたりやいくつ分の区別などない、そういうものだと小学校以来ずっと思っていた。

 何でこんな当たり前のことが通用しないのか・・・・

  • [693]
  • Re: 単位のサンドイッチルール vs. 一つ分×幾つ分=全部の数

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月19日(水)10時50分8秒
  • 返信
 
>>690

> 反省。ぼく自身も反省しなければいけません。
> 「4個×6=24個」のように答えの「単位」と掛算の左側の数の「単位」を
> 一致させるのが本来の単位のサンドイッチルールです。
> 単位のサンドイッチそのものではないのですが、
> 「4個/人×6人=24個」の順序に書くというルールも
> 単位のサンドイッチの同類とみなせます。
> 答えと完全に同じ「単位」ではないのですが、
> 答えの「単位」を「分子」に持つような「単位」を持つ数を掛算で左側に書いています。
> 「4個/人×6人=24個」の順序に書くというルールは、
> ついつい「一つ分×幾つ分=全部の数」の順序に書くというルールと同一視されがちで、
> ぼくも何度もその失敗を犯しています。この点は反省しなければいけません。
> しかし、実際には6の側を一つ分の数とみなすこともできるので、
> 「4個/人×6人=24個」と書いていても、
> 「幾つ分×一つ分=全部の数」を意味する式だと解釈することも可能なのです。
> 「4個/人×6個/(個/人)=24個」と書けばわかり易いでしょうか。
> この辺は混乱し易いところだと思います。
> 「4個×6=24個」や「4個/人×6人=24個」の順序で掛算を書くというルールをまとめて
> 「一般化された単位のサンドイッチルール」もしくは単に「単位のサンドイッチ」
> と呼んでしまうのが良いのではないかと思いました。
> そうすれば「一つ分×幾つ分の順序で書く」というルールと区別できます。
> 算数教育の現場で普及してしまっているのは、
> この意味での「単位のサンドイッチ」全般なのだと思います。
> それはもはや「一つ分×幾つ分の順序に書く」でさえない。
>

つまり、単位・助数詞 を A、Bなどであらわすとすると

A×B=A が本来のサンドイッチ
(A/B)×B も、一般化されたサンドイッチ
(1つ分)×(いくつ分)は、常にそう解釈可能だから、サンドイッチとは別。

と言う理解でいいのでしょうか?

4㎞/h で 3時間歩く時の距離。

■ 狭義のサンドイッチルール
4(㎞/h)×3(h)=12(㎞/h)
3(h)×4(㎞/h)=12(h)
つまりどちらも不可となる。さすがにこれはまずい。


■一般化したサンドイッチ
4(㎞/h)×3h=12(㎞) で正しい。
3(h)×4(㎞/h)=12(?) 左側の数値の単位が、右側の単位を分母とする分数になっていないので、不可。


■ 1あたり×いくつ分
4(㎞/h)×3h=12(㎞) は 1時間あたり4㎞で3つ分で正しい。
4(㎞)×3=12(㎞)としても同じ事。
3(h)×4(㎞/h)=3(㎞/(㎞/h))×4(㎞/h)
4時間歩くから時速1㎞あたり4㎞、という解釈も可能。


1あたり×いくつ分 の順に固定されていても、順序は両方OK。

算数教育の現場で問題になっているのは、正確には、「1あたり×いくつ分」の固定ではなく、「一般化された単位のサンドイッチ」。

 しかし、縦3m、横4mの長方形の面積は、3m×4m=12m^2としているように思う。
横1mあたり、面積は3m^2だから、3m^2/m×4m などと面倒なことはしていないと思う。

 なんだか、場当たり的にやっているようにも思える。

  • [692]
  • テイラー展開で三角関数を定義したときの周期性の証明案

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月19日(水)10時20分50秒
  • 編集済
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sinx=x-x^3/3!+x^5/5!-・・・・
cosx=1-x^2/2!+x^4/4!-・・・・

をそれぞれ、sinxとcosxの定義とする。

■この2つは微分可能な連続関数であり、
(sinx)'=cosx  (cosx)'=-sinx

■それぞれの2乗の和は1

■ 加法定理 が成り立つ。
sin(x+y)=sinx・cosx+cosx・sinx
cos(x+y)=cosx・cosy-sinx・siny


以上のことは比較的簡単に証明できる。


以上を踏まえて、この2つが周期性を持つことを証明する。


(1) cosx=0となる正の実数xが存在する。

このようなxが存在しないと仮定する。cos0=1であるから、0<xならば、cosxが常に正となる。

これは。(sinx)'が、0<xの範囲で常に正を意味する。つまり、0<xにおいて、sinxは単調増加。

sinxとcosxのそれぞれの平方の和は1だから、sinxは常に1以下。

つまり、sinxは上に有界な単調増加。よって、x→∞に対して、ある極限値をもつ。
そうすると、(sinx)'=cosxは、x→∞に対して、極限値0となる。
そうすると、(cosx)'=-sinxは、x→∞に対して、極限値0となる。


つまり、sinxもcosxも、x→∞に対して、極限値0となる。
つまり、(sinx)^2+(cosx)^2は、x→∞に対して、極限値0となる。
これは、、(sinx)^2+(cosx)^2=1が常になる立つことと矛盾する。

よって、cosx=0となる正の実数xが存在する。


(2)cosx=0となる正の実数xで最小のものが存在する。

A={x|0<x,cosx=0}は、(1)より空集合ではない。また、したに有界。よって下限が存在する。

p=infAとする。cosxの連続性から、cosp=0でなければならない。cos0=1だから、p≠0
よって、pは、cosx=0となる最小の正の実数xであることが分かる。



(3)sinp=1

cosp=0だから、 sinp=1またはsinp=-1だが、
0<x<pにおいて0<(sinx)’ sin0=0
ゆえに、sinpは正
よって、sinp=1


(4)あとは、加法定理でsin2pとcos2p、さらに、sin4pとcos4pを求めて、
sin(x+4p)=sinx cos(x+4p)=cosx を加法定理で確認すればいい。




 穴がないだろうか?高木貞治「解析学概論」で答え合わせをしてみるつもり。



 課題  幾何学的三角関数やπの定義との融合。

 dθ=(-ydx+xdy)/(x^2+y^2)による角度の定義。
 これを使っての三角関数やπの定義が、上記のような三角関数やπの定義を一致することに関しては、まだ示されてない。難しそう。

  • [691]
  • 子どもにトランプ配りを説明する機会は与えられているのか?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月19日(水)09時30分6秒
  • 返信
 
 そもそも、子どもがトランプ配りを説明する状況というのがあるのでしょうか?教師が「どうしてこういう順番で書いたの?」と質問でもしない限り思いつかないです。

http://ameblo.jp/metameta7/entry-10196970407.html
>ところが、答案を見た父兄の一人、Kさん(三八)は疑問を提起して、この問題では6を被乗数にして6×4と式をたてても正しいと指摘する。つまり、6人のこどもに1個ずつみかんを配れば6個いる。それを4回配ればいいのだから、この場合、6×4という式が成立つというわけだ。
この点について、担任の先生と教頭先生の話を総合すると――「Kさんのような考え方は認めるが、現実に授業のなかでそういう考え方をするこどもはいなかった。6×4と式をたてた子に聞いてみると、文章題のなかで6という数字が先に出ているから、というにすぎなかった。式は思考の過程を表すもので、答えさえあえばどちらでもいいというわけにはいかない。こどもの発達段階からみて、この場合、4×6と指導するのが最適の方法だ」

■トランプ配りという考えを認めている。
■子どもに聞いている。

このことだけで、この事例がすごくまともに見えてしまうのです。

>文部省初等教育課から文書で返答があったが、その一部。「指導の段階からみて4×6だけを正しいとする指導もあるだろうと考えます。・・・担任の先生は、算数の授業を通してこどもを一つの考え方だけに固定しようなどとは考えていないと思います。・・・ご心配される親の学校不信などのことが起りませんように、学校の先生方とお話合いしていただければ幸いと存じます」

>関係者や第三者の意見は――。

>西田芳雄・松原南小学校校長――こどもの発達段階、指導の段階を無視した教え方はできない。思考制限はしていないし、むしろ、いろんな考えを出してくれることを望んでいる。

>瀬戸川寛・大阪府教委指導主事――指導のあり方よりもテストの評価の仕方の問題だと思う。評価は、こどもにとって励み、刺激になるものでなくてはならない。その意味で、ペケにしたのには問題があるだろう。

>河原政則・大阪市教育研究会企画係長――こどもが期待通りの答えをしなかったからといってペケをするのはどうか。別の答えをした場合、もしかしたらそこにこども特有の思考があるかもしれず、その思考のプロセスをたどってやらなくてはならない。そのうえでもしその思考が指導の過程で発展しにくいものであれば、より合理的な思考へ導いてやればよい。


 市教委指導主事との不毛なやりとりをした立場からすると↑のような意見が、相対的にものすごく素晴らしく思えてしまうのです。

  • [690]
  • 単位のサンドイッチルール vs. 一つ分×幾つ分=全部の数

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月19日(水)08時44分51秒
  • 編集済
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>>688
> トランプ配りの考え方は、見方によって「一つ分」と「いくつ分」はいつでも変えられるから「6×4=4×6」を納得させることができても「一つ分×いくつ分=全部の数」を崩すことはできないと思います。

「一つ分×幾つ分の順序に書く」という話と
「一つ分と幾つ分の数はいつでも交換できる」という話は
別ですからね。

>(かけ順にこだわっている教師のほとんどは、子どもがトランプ配りの説明さえすれば逆順でも〇をつけると思います)

でも、これは本当ですか?

東京書籍の小2の算数教科書指導書と
啓林館の小6の算数教科書指導書にある掛算の順序を決める理屈は
決して「一つ分×幾つ分の順序で書く」ではありません。

東京書籍の小2算数教科書指導書には
「子どもが6人います。1人にあめを7こずつくばります。あめは何こいりますか」
という問題について次のように書いてあるらしい。

http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
>また、6×7では、6人が7つ分になり、
>答えは子どもの人数となってしまうことをおさえる。

「7こ×6=42こ」もしくは「6人×7=42人」のように
右辺の「答え」の「単位」と左辺の掛算の左側の因子の「単位」が同じになる
という(屁)理屈が指導書に書いてあるわけです。

啓林館の小6の算数教科書指導書には
「1冊x円のノートを8冊買います」
という状況について次のように書いてあるらしい。

>>619
>x×8 が 8×x になっている場合は、
>「8円のノートがx冊」という意味になってしまうので問題文とは合わない

「x円×8=y円」もしくは「8円×x=y円」のように
右辺の「答え」の単位と左辺の掛算の左側の因子の単位が同じになる
という(屁)理屈が指導書に書いてあるわけです。
(こちらの屁理屈は本質的に「2×8ならタコ2本足」と同じ。)

これらの(屁)理屈は本質的に単位のサンドイッチであり、
決して「一つ分×幾つ分の順序に書く」ではありません。

単位のサンドイッチ方式の教え方の裏には
「式だけで具体的場面を忠実に表現させる」
という極めて不合理かつ非常識な考え方があります。
実際には無理なことを実行するためのルールが
単位のサンドイッチだと考えれば辻褄があいます。
教科書指導書の忠実な信者にはトランプ配りによる説明は効果がないと思います。

papapaさんも認めるように教科書指導書の影響は大きい。
教科書指導書をまじめに勉強して忠実にしたがってしまった先生は
「一つ分×幾つ分の順序で書く」ではなく、
単位のサンドイッチの考え方で掛算の順序を教えることになるはずです。

繰り返しになりますが、掛算の順序にこだわる教え方の問題は
「式だけで具体的な場面を忠実に表現させようとする傾向」
というもっと一般的な問題の氷山の一角に過ぎません。

「自分の子どもに単位のサンドイッチ方式で掛算を書かせれば、
掛算の順序によって、バツを付けられたり、わかっていないと疑われたりする
というような無用なトラブルを避けられる」
という情報が親に伝わることもあるようです。
そして熱心な親ほどこの情報に出会ってしまう可能性が高い。

これは大変まずい状況です。
小2の段階で「文章題で示された状況を理解することなく、
文章題の中に出て来たキーワードだけをひろって、
「正しい順序」で掛算を書く方法」を教えるのは本当にまずい。

掛算の順序を単位のサンドイッチ方式とは逆に書いた子どもだけを
わかっていな可能性が高いとみなす行為が
このような状況を招いた原因になっています。

この点については、papapaさんも十分に理解していないのではないかと疑っています。
単位のサンドイッチ方式を否定しながら、
単位のサンドイッチ方式とは逆順に書いた子どもだけをわかっていないとみなして
質問を加えるというような行為を明確に否定しようとしないのはおかしい。
実際には単位のサンドイッチで掛算の順序の正誤を判定しているにもかかわらず、
一つ分×幾つ分の順序で掛算の順序の正誤を判定していると誤解しているのではないか?

他の4社の算数教科書指導書には、単位のサンドイッチ方式ではなく、
「一つ分×幾つ分の順序に書く。
しかし交換法則によって一つ分と幾つ分の数は自由に交換できる」
のように書いてあるのであれば、以上の意見の一部を撤回するつもりですが、
どうなんでしょうか?

ぼくの予想は次の通り。

 「交換法則によって一つ分と幾つ分の数は自由に交換できる」
 と書いてある教科書指導書は皆無でかつ、
 単位のサンドイッチを暗黙の前提にしていると疑われる記述を
 他社の教科書指導書でも見付けることができる。

啓林館のように小6の教科書指導書に書いてある場合もあるので、
小2から小6まで全部調べなければいけないと思っているのですが、
教科書指導書にアクセスするコストが高過ぎて、ぼくにとっては難しい状態。


> 本当にくずせないのは、半ば公式化した「一つ分×いくつ分=全部の数」なのではないかなぁ。こだわっているのは(自分が知る限り)どちらか片方だけを「一つ分」として固定することではなく、指導書や書籍にある「一つ分×いくつ分=全部の数」なので。自分が見たことがないのは「いくつ分×一つ分」でもいいよ!!という教育書です。(長文&意味が通じなかったらごめんなさい)

papapaさんが何を言いたいかはよくわかります。
「一つ分と幾つ分を自由に交換できる」という話と
「一つ分×幾つ分の順序でも幾つ分×一つ分の順序でもどちらでもよい」
では理屈の上では全然別の話です。そして、それなりにまともな算数教育書には
単位のサンドイッチではなく「一つ分(1あたり)×いくつ分=全部の数」の順序で
掛算について説明してある。そして、その逆順の扱いに関するまともな説明は皆無。
確かに大問題だと思います。

しかし、現実の算数教育の世界でひっくり返すことが難しくなっているのは、
「一つ分×幾つ分の順序」ではなく、
単位のサンドイッチルールの方だと思います。

「4×100メートルリレー」という言い方があることを
知らない教育関係者が存在するはずがない。
さらに、「数量×単価」(例:4×300円=1200円)のスタイルは日本でも一般的。
他にも注意深く日常社会生活での掛算の使い方を観察していれば
単位のサンドイッチルールに反する順序で掛算が使われている場合は非常に多い。
どうして算数教育ワールドは単位のサンドイッチルールを守ろうとしているのか?

わからないことだらけです。

反省。ぼく自身も反省しなければいけません。
「4個×6=24個」のように答えの「単位」と掛算の左側の数の「単位」を
一致させるのが本来の単位のサンドイッチルールです。
単位のサンドイッチそのものではないのですが、
「4個/人×6人=24個」の順序に書くというルールも
単位のサンドイッチの同類とみなせます。
答えと完全に同じ「単位」ではないのですが、
答えの「単位」を「分子」に持つような「単位」を持つ数を掛算で左側に書いています。
「4個/人×6人=24個」の順序に書くというルールは、
ついつい「一つ分×幾つ分=全部の数」の順序に書くというルールと同一視されがちで、
ぼくも何度もその失敗を犯しています。この点は反省しなければいけません。
しかし、実際には6の側を一つ分の数とみなすこともできるので、
「4個/人×6人=24個」と書いていても、
「幾つ分×一つ分=全部の数」を意味する式だと解釈することも可能なのです。
「4個/人×6個/(個/人)=24個」と書けばわかり易いでしょうか。
この辺は混乱し易いところだと思います。
「4個×6=24個」や「4個/人×6人=24個」の順序で掛算を書くというルールをまとめて
「一般化された単位のサンドイッチルール」もしくは単に「単位のサンドイッチ」
と呼んでしまうのが良いのではないかと思いました。
そうすれば「一つ分×幾つ分の順序で書く」というルールと区別できます。
算数教育の現場で普及してしまっているのは、
この意味での「単位のサンドイッチ」全般なのだと思います。
それはもはや「一つ分×幾つ分の順序に書く」でさえない。


  • [689]
  • Re: papapaさんにお聞きしたのですが、・・・

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月19日(水)06時46分16秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>688

> (かけ順にこだわっている教師のほとんどは、子どもがトランプ配りの説明さえすれば逆順でも〇をつけると思います)

本来なら「配り型を変えたら、逆転するね。だから順序だの1つ分といくつ分の区別なんて実はどうでもいいんだよ。」として欲しいところですが、実は、「子どもがトランプ配りを説明したら○」というレベルですら、私は疑念があります。

 以前、かけ順に関して市教委指導主事とやりとりしたときに、「4人に3個ずつ蜜柑を配る」をトランプ配りの説明をしたら、

 それでは問題文と配り方が違うからバツだ。問題文から「3個を1度に各自に渡した」と解釈するのが自然であって、それに対応するのは3×4であるべきで4×3ではない。問題文からは、結果的に3個ずつ配ったということで配り方までは指定していないという見方もできるが、そういう点からしたらこれは悪問。「3個の蜜柑を袋に詰めて、それを各自に渡した」、という具合に、具体的状況が分かるように問題文を工夫するべきだし、現場の教師はそう言う努力をしている。

というようなことを言われました。


当時は私は何を言われているのかサッパリ理解できなくて、話がかみ合わいませんでした。

トランプ配りは単に分かりやすいように説明しただけのことで、問題文における配り方とは関係ないつもりでいたので、袋に詰めて一度に渡そうがどうしようが、1あたりといくつ分は逆転できるよ、というつもりで言っていたのですが、通じていなかったようです。

今から思えば、指導主事は、「式には意味があり、問題文を忠実に表現しなければならない」というドグマ?に縛られていたのではないかと思います。

 この指導主事は長方形の面積を横×縦でバツには事実ならそれは酷いという見解でしたが、私が「柱の体積は、高さが1の平べったい柱を段々重ねにして考えれば、底面積が高さ分、となるけど、底面積1の細長い柱を束ねると考えると、高さが底面積分とも言えるから、柱の体積は底面積×高さでも高さ×底面積でも構わないはず」と指摘したら、「それは気づかなかった」と感心していました。

 私自身は小学生の時から当たり前のように気づいていたし、だからこそ順序なんかどうでもいいと思っていたし、順序をとやかく言われた記憶はありません。

 指導主事がこの程度のことを知らなかったということに、不安を感じます。

 ちなみに指導主事は2人いたのですが、もう1人の方は「そこまでの考えが出来る子であれば理解力があるのだから、教師が望んでいる式を立てることが出来るのではないか?」とも言っていました。


 それから、http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html の学校に直接質問の電話をしたときに、新聞に掲載された教師は不在で別の教師が電話口に出たのですが、ついでにこのあたりの事情を伺ったときに、トランプ配りの説明をしたのですが、「そんな考えは初めて聞いた。でもそれだと、4回渡すのを3回繰り返すのだから、12個ではなくて12回になってしまう。そんなややこしい話ではなくて、3ずつ4つぶんでだから3×4だよ、とそれだけのこと」と言われました。


それから、

http://suugaku.at.webry.info/201102/article_2.html
四人に五枚ずつ色紙を配ると言う問題に関して

2006年11月21日 朝日新聞「声」
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
「論理的思考の指導に時間を」 (小学校教員 31 歳)
15 日の 「算数の教え方」 の投稿について一言記したいと思います。
 抑々 4 × 5 には, 4 の五倍という意味があります。 4 人の五倍では答が 20 人になってしまいます。 これでは問題文の内容を理解しているとは言えないのではないでしょうか。 五枚ずつ四人にという文章題に当てはめると、五枚の四倍で答は二十枚、5×4 という式が妥当なわけです。 その文章に応じて式を作ることを、指導していかなければなりません。
 実はこういった論理的な思考の指導が、時間の制約等で軽視されていることが、国語力との関連で現代の子供達に学力低下を招いているのではないでしょうか。
 実際, 一つの学級に沢山の子供達がいるのであれば、一人一人にこのことを理解させるには、相当の時間を費やさねばなりません。
 教育基本法の本質を変えるのではなく、正当な学習環境を与えることが, 子供の学力向上には必要だと思います。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△


>抑々 4 × 5 には, 4 の五倍という意味があります。 4 人の五倍では答が 20 人になってしまいます。

投稿主は「単位のサンドイッチ」をルールだと思い込んでいるようです。
「サンドイッチ」は、「正しい順序」に書かせるための道具に過ぎない。そもそも「正しい順序」自体が「掛け算の理解を促すため、掛け算の理解度を見るため」という目的の手段(実際に手段として機能しているかどうかは疑わしい)に過ぎない。しかも、「順序で理解が促される、理解度が判断できる」というメリットがあると仮定しても、「サンドイッチ」によって機械的に「正しい順序」を書くことができるので、このメリットはぶち壊しになる。
http://suugaku.at.webry.info/201102/article_4.html
http://suugaku.at.webry.info/201102/article_9.html

「サンドイッチ」をルールだと思い込んでいる教師がいること自体が、この問題の根深さを物語っていると思うのですが、この似非ルールを適用すると、「4人に3個ずつ蜜柑を配る」を4×3とすると、12人となってしまい、トランプ配りも通用しなくなります。

  • [688]
  • Re: papapaさんにお聞きしたのですが、・・・

  • 投稿者:papapa
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)23時51分8秒
  • 返信
 
>>687
はい、間違いなくそういう文化・風潮はあると思います。
トランプ配りの考え方による「かけ順」については、(自分は最低限中学校前に6×4=4×6という感覚にするべきと思っているので)卒業前に時間をとって二本足のタコや六本耳のウサギを素材に取り上げて教え(考えさせ)ます。ただ…

トランプ配りの考え方は、見方によって「一つ分」と「いくつ分」はいつでも変えられるから「6×4=4×6」を納得させることができても「一つ分×いくつ分=全部の数」を崩すことはできないと思います。(かけ順にこだわっている教師のほとんどは、子どもがトランプ配りの説明さえすれば逆順でも〇をつけると思います)
本当にくずせないのは、半ば公式化した「一つ分×いくつ分=全部の数」なのではないかなぁ。こだわっているのは(自分が知る限り)どちらか片方だけを「一つ分」として固定することではなく、指導書や書籍にある「一つ分×いくつ分=全部の数」なので。自分が見たことがないのは「いくつ分×一つ分」でもいいよ!!という教育書です。(長文&意味が通じなかったらごめんなさい)


>>674の「目的から遊離した手段の一人歩きは、厄介である」には、全面的に同意です。

> >>684
>
> どうも有り難うございます。そうすると、掛け算の順序はおかしい、と意識しないと、順序の指導が当たり前になってしまう文化・風潮があるようですね。
>
> >(不勉強なのかもしれませんが、自分は教師向けの算数教育書で逆順OKという本は見たことがありません)
>
> これに関しては、私も今のところ、遠山啓の文章でしか知りません。
> http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/33805606.html
> >「この問題の答えとして、4×6 だけが正解であり、ほかを誤りとする理由はどこにもない。もともと算数の考え方は一通りしかないと思いこむのがおかしいので、多種多様な解き方があってよいのである。?ミカンを配るのに、トランプを配るときのやり方で配ると、1回分が6こ、それを4回配るのだから、それを思い浮かべる子どもは、むしろ、? 6×4=24 ?という方式をたてるほうが合理的だといえる。」
>
>
>  等分除と包含除は区別できない
>  求残・求補・求差は区別できない
>  合併・増加・添加は区別できない
>
> というようなことを明確に述べている算数指導指南書が皆無に等しいというのは、何とも恐ろしいことだと思ってしまいます。

  • [687]
  • Re: papapaさんにお聞きしたのですが、・・・

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)23時18分49秒
  • 返信
 
>>684

どうも有り難うございます。そうすると、掛け算の順序はおかしい、と意識しないと、順序の指導が当たり前になってしまう文化・風潮があるようですね。

>(不勉強なのかもしれませんが、自分は教師向けの算数教育書で逆順OKという本は見たことがありません)

これに関しては、私も今のところ、遠山啓の文章でしか知りません。
http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/33805606.html
>「この問題の答えとして、4×6 だけが正解であり、ほかを誤りとする理由はどこにもない。もともと算数の考え方は一通りしかないと思いこむのがおかしいので、多種多様な解き方があってよいのである。?ミカンを配るのに、トランプを配るときのやり方で配ると、1回分が6こ、それを4回配るのだから、それを思い浮かべる子どもは、むしろ、? 6×4=24 ?という方式をたてるほうが合理的だといえる。」


 等分除と包含除は区別できない
 求残・求補・求差は区別できない
 合併・増加・添加は区別できない

というようなことを明確に述べている算数指導指南書が皆無に等しいというのは、何とも恐ろしいことだと思ってしまいます。

  • [686]
  • 連投すみません

  • 投稿者:papapa
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)22時21分41秒
  • 返信
 
学校図書担当者の、「等分除・包含除」の確かめの式の考え方は、>>683でゴルゴ・サーディンさんが例示しているものと全く同じみたいです。失礼しました。

  • [685]
  • わり算のたしかめの式

  • 投稿者:papapa
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)22時14分34秒
  • 返信
 
>>667 ゴルゴ・サーディンさん、>>668 くろきさん
自分が確認した学校図書・啓林館・大日本図書・東京書籍・教育出版の5社の確かめの式は、みなその通りでした。(もう1社は手元にありません…)

この件について、学校図書の担当者にメールで問い合わせしました。

質問メール
わり算 のたしかめの式は、現行6社の教 科書全てが「わる数×商=わられる数」「わる数×商+あまり=わられる数」になっているかと思います。
しか し、これをたとえば等分除の場面で考えると、全体の大きさ÷人数(いくつ分)=一人分(一つ当たりの大きさ)が元のわり算の式となりますよね。
それ で、これをたしかめの式にあてはめると「人数(いくつ分)×一人分(一つ当たりの大きさ)=全体の大きさ」となり、2年生の 乗法で学習したことと矛盾するように思うのですが、どうなのでしょうか。また、 方程式(文字式)へのつながりを考えた場合Ⅹ÷8=6の時、Ⅹ=6×8として48を求め るのが自然なのではないのでしょうか。
①教科書 や指導書の公式的な記述によって、商×除数=被除数の確かめの式に×をつける現場の先生(実際にかなりいます)の対応は、正しいのでしょうか。
②現行6社全て(自分が確認したのは5社)の教科書の確かめの式の記述が、「わる数×商=わられる数」「わる数×商+あまり=わられる数」となっている理由は何か。

返信メール
先生もご存じのようにわり算の意味は2つあります。
ここで、a÷bを考えます。aは「わられる数」でbは「わる数」です。

まず包含除の場合、aの中にbがいくつ分入っているか考えます。その「いくつ分」mが商になります。
そして、余りがあればrとします。
このときは、a=b×m+r となります。
つまり、わられる数=わる数×商+あまり となります。

また、等分除の場合は、「一つ分」mがbこ集まってaになっています。このmが商です。たりない数が余りrとなりなります。
このときは、a=m×b+r となります。
つまり、わられる数=商×わる数+あまり となります。

わり算の意味を考えれば、このように2通りのかき方ができます。
しかしながら、単なる計算を考えたとき、(例えば6÷3)その意味は分かりません。
①したがって、確かめ算は、「わる数」「商」どちらを先にして計算しても問題ないと思います。

②わられる数=わる数×商+あまり は積の交換法則が前提で1つの式にまとめてあります。
これは、将来、aやbが小数や分数、さらには、正の数、負の数になった時は等分除的な考え方で説明するのが難しくなっていくことにも起因しているように思 います。
以上、参考になれば幸いです。

う~ん、わかったようなわからないような。この内容は>>668のくろきさんの仮説の答えにはなっているのでしょうか?



  • [684]
  • Re: papapaさんにお聞きしたのですが、・・・

  • 投稿者:papapa
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)22時03分2秒
  • 返信
 
>>679
大学の授業はさぼりっ放しだったので、全く記憶にないです。

1時間の授業をどう流そうか(教えようか)と考えると、やはり教科書会社が出している指導書を参考にする先生が(自分も含めて)ほとんどです。赤刷りではなく、分厚い「研究編」の方には、1時間の指導案例が載っています。それを参考にすれば、100%「かけ算の立式では順序が大切です。」となります。自腹で算数教育の本を買えば、かけ算では「一つ分×いくつ分」をどうやって理解させるか、「一つ分の大きさ」をどうとらえさせるか、という視点の本ばかりです。(不勉強なのかもしれませんが、自分は教師向けの算数教育書で逆順OKという本は見たことがありません)公開研究会等でここに関連する授業を見れば(自分はドット図を使った多様な見方は、また別のものと捉えます)、2本足のタコだったり、6本耳のウサギだったり、タイヤ5本の車だったりを素材に「一つ分」のとらえ方を大切にした授業ばかりです。前にも書きましたが、「真面目で勉強熱心な先生ほどかけ順にこだわる」というのが、現実なのだと思います。

教員になる前の自分は「3個/皿×5皿でも5皿×3個/皿でも答えは15個」が基本の考え方だったので、かけ順こだわりの教え方を知ったのは、教員になってからで、他人の授業見る⇒指導書読む⇒算数教育書読むだと思います。

自分は、全学年の担任を一応経験していますが、6年生担任が圧倒的に多いのです。この問題を真剣に考えるようになったのは「比例」の研究授業です。比例の表をたてに見ると「比例定数」を見つけることができるのですが、「2年生で徹底してきた『かけ算』の指導を無視している」という「怒りの」ご意見をもらったことと、教科書では(3カ月ごの中学校では全てy=axなのに)わざわざ正三角形のまわりの長さを持ち出して、y=きまった数×xとy=xかけるきまった数を分けて指導していることにどうしても納得いかないことの2点がきっかけでした…

PS.4年前に長期研修生として、1年間某国立大学で研修しました。(かけ順は、全く関係ありません)算数科教材研究という2年生向けの小学校教員養成課程の授業、3・4年生向けの算数教育講座では「かけ順指導」の方法を(前者では朝日新聞の2本足タコを教材に)取り上げていたかと思います。参考になれば幸いです。



> papapaさん御自身は「掛け算の正しい順序を指導すべし」というのを、どこで知りましたか?
>
>  学校現場での指導書や先輩教師の助言からでしょうか?
>
>  あるいは、大学の授業でしょうか?

  • [683]
  • Re: 順序主義の矛盾がまたひとつ

  • 投稿者:ゴルゴ・サーディーン
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)21時53分13秒
  • 返信
 
>>667
> ここを読んでいる皆さんならお判りいただけると思いますが、もとの割り算
>が文章題に答えるための「式」であった場合、上記の「公式」に単純にあては
>めた物は、2年生の順序主義の禁忌に抵触する式になっている可能性がありま
>す。

 じつはこの矛盾に気付いている小学校教師もいるようです。
http://www.aes.akita-u.ac.jp/koukai/h22_koukai/sidoan/3Csansu.pdf
(2ページ)
 >・わり算のたしかめ算の意味を理解できるように,包含除の場合は
 >  a÷b=cあまりd
 > のたしかめは,
 >  b×c+d=a
 > となるが,等分除の場合のたしかめは,
 >  c×b+d=a
 > となることを図と対応させながら考察する場を設定する。
 > しかし,計算結果のみをたしかめるときには,場合分けをしないで,
 >  除数×商+あまり=被除数
 > でもいいことを確認する。

計算結果のみをたしかめるとき、
 「どっちでも良い」
とはしないんですね…

  • [682]
  • Re: sin x と cos x について『解析概論』でカンニングしてみた

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)18時58分10秒
  • 返信
 
>>664
> >>658
> > sinxを2n+1次までテイラー展開したとき、イコール0の解の正の最小値をanとして、
> > n→∞ でanが収束値を持つことを示せば、これをπとおいて、
>
> それはかなりしんどそう。

しんどくて断念しました。もう少し考えてみます。

  • [681]
  • mixiでの報告

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)09時50分20秒
  • 返信
 
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=43770027&comm_id=4341118
605から、コミュメンバーによる行動報告があります。

  • [680]
  • 漢字テストの不思議

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)08時13分20秒
  • 返信
 
http://www.pideo.net/video/nicovideo/3daa19a3ddeec83f/

  • [679]
  • papapaさんにお聞きしたのですが、・・・

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)08時05分39秒
  • 返信
 
papapaさん御自身は「掛け算の正しい順序を指導すべし」というのを、どこで知りましたか?

 学校現場での指導書や先輩教師の助言からでしょうか?

 あるいは、大学の授業でしょうか?

  • [678]
  • Re: 関連はあるのか?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)07時59分0秒
  • 返信
 
>>676

> http://twilog.org/tweets.cgi?id=genkuroki&word=%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC

で紹介されていた http://commonpost.boo.jp/?p=22460&utm_medium=twitter&utm_source=twitterfeed

>スティーブン・ピンカーによると、古代の狩猟採集時代には多くの人々が殺人によって死亡していた可能性が高く、中世には暴力的な方法によって統制・統治が行われていたこといいます。そして近代に近づけば近づくほど、基本的には社会における暴力的傾向は小さくなり、死亡者も減少していると説明します。

 私は「農耕によって戦争が行われるようになった」と聞いたことがあり、てっきりそう思っていた。
詳しくない分野のことに関しては、よく分からないから、詳しそうな人の話を信じるしかないと思うのだが、誰が詳しくて本当のことを言っているのかの判断がこれまた難しい。

 「掛け算の順序」も、私の場合、「そんなのおかしい」と断言できるけど、多くの教師にしてみたら、どこの馬の骨とも分からない私の言葉よりも指導書の方が信頼性があると考えるのは無理もないと思う。指導書を変えないことにはどうしようもないですね。

  • [677]
  • 「求まる」は正しい日本語だ!

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)07時35分16秒
  • 編集済
  • 返信
 
 以前妻から「求まる」という言葉はないと指摘された。「え~、だって、『こうやって解が求まる』とか普通に言うじゃん」と思って辞書を引いたが、確かに載っていなかった。

 ネットで調べてみると、数学教師がよく使うようだ。

「求めることが出来る」が正しい日本語で、それを使いべきだろうか?

 数学を教えるときに、逐一そんな長ったらしい言い方をしてはいられない。


■ 頻繁に使う言葉は、正しさよりも、言いやすさの方が優先される。時間・時刻と同様。

■ 自動詞は、可能を表すことが多い。他動詞「折る」に対応する自動詞は「折れる」だが、これは「折ることが出来る」という意味でも使われる。
 また自動詞は「ある」が付く場合が多い。「曲がる」=「magaru」で「aru」がある。
 この点から見て、「求める」を自動詞化して「求めることが出来る」としたものが「求まる」とも言える。


以上の2点から見て、数学関係者が「求まる」というのは実に日本語文法に則った行為といえる。


「それでも、教師は辞書に乗っていない言葉を使うべきではない」と言うのは、「方言を使うな」というのに等しい暴挙だと思う。


PS この件を調べて気づいたのだが、数学の「求める」と、世間一般の「求める」とで、そもそも意味が違う。

 危ない状況で、「お~い、誰か助けてくれ~」と叫ぶ行為は、実際に助けが来るかどうかに関係なく、「助けを求めた」ことになるが、

 「3x+2=14の解を求めよ」という問題で「お~い、誰か解を教えてくれ~」と叫んでも「解を求めた」ことにはならない。

  • [676]
  • Re: 関連はあるのか?

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)07時27分46秒
  • 返信
 
>>669

ぼくは普段の会話で「じっぴき」と言う人に会ったことがありません。

今では「じゅっぴき」の方が多数派なのでは?
むしろ、ぼくの感覚は「じっぴき」を拒否するので、
ぼくの感覚にとっては「じっぴき」は誤り。
もちろん知識として「じっぴき」という言い方もあることは知ってますが。

ちなみに次のページでは「じゅっぴき」になっている。
http://www.guidetojapanese.org/learn/book/export/html/221
http://www.coelang.tufs.ac.jp/modules/ja_zt/gmod/contents_m/explanation/017.html

学校の先生は規範文法だけではなく、記述文法の考え方を学んでおくべきだと思う。
ぼくが教育関係者にいつもすすめているのはピンカーの本。
全部読む価値があります。(言語学関係に限らず。)
http://www.amazon.co.jp/s/ref=ntt_athr_dp_sr_1?_encoding=UTF8&field-author=%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%B3%20%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC&search-alias=books-jp
すでにピンカーさんが書いているようなことを当然の教養として使いこなしている人が
増えて来ていると思う。小説のネタにもなっていたりもするし。
http://twilog.org/tweets.cgi?id=genkuroki&word=%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC

http://d.hatena.ne.jp/shorebird/archive?word=The%20Better%20Angels%20of%20Our%20Nature
で紹介されている話は「暴力」に関するヒトの本性の問題が扱われており、
やはり様々な場面で重要になるはずの教養だと思う。

  • [675]
  • Re: 関連はあるのか?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)07時16分42秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>673
> >>670
> > 質問ですが、記号(+-×÷)の正しい書き順を教えているって本当ですか?
>
> その話はツイッターでも盛り上がったことがあります。
> 書き順関係のぼくの発言は次で読める。
> http://twilog.org/tweets.cgi?id=genkuroki&word=%E6%9B%B8%E3%81%8D%E9%A0%86
>
> 添付の画像は学校図書の教科書より。他の5社も同じ書き順でした。

私の書き順は、“まちがい”のようですね。数学教えていながらw


>
> 句点の書き順については
> http://inaw.exblog.jp/13329316/
> というネタもある。

私は旦那派だな。

  • [674]
  • 国語の教え方への疑問

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)07時10分10秒
  • 返信
 
 私自身、国語の教え方に関して疑問があるものの、詳しく調べていないし、私が疑問に思っていても、実はそう言う教え方の方が合理的であるということもあり得るし、算数以外に戦線を拡げるのも大変なので、以下については、あくまで疑問に思っている、つまり、「これはけしからん」ということの婉曲表現としての「疑問」ではなく、文字通り「どうしてそう指導するのだろうか?」という、「わからない」「なぜだろう」という意味の疑問です。


1 「習っていない漢字を使ってはいけない」というのはなぜ?「この漢字は既習か?未習か?」などと逐一覚えるのは、記憶力の無駄使いにしか思えない。自分の名前も、未習だと駄目など、意味不明。キラキラネーム対策?


2 漢字の読み方に関して。ひらがなは表音文字だけど、忠実に音を表しているわけではない。私の住んでいる県は「静岡県」だが、「しずおか」と言う人はほとんどいない。「しぞーか」という。この手のことは多いと思う。
 「体育」は、「たいいく」は「たいく」。「生物」は「せいぶつ」ではなくて、「せーぶつ」。「十本」の話はこの類だと思う。
 キーボードで「たいく」と打っても「体育」とならない。
「遠い」「王様」「大きい」「妹」、これらの漢字を書ける。読むこともできる。それとは別に「読み仮名」を覚えるのは記憶力の無駄遣いに思えるのだが、もしかしたらキーボードで打ち込むときに困らないように?
 「観音」というのは昔は「かんおん」と読んだらしい。「KANON」がリエゾン?によって、「かんのん」と読むようになったという。江戸時代の文章に「『かんおん』が正しいのに、あいつら『かんのん』などと言っている。」と嘲笑するやりとりが書かれている。
 その頃漢字の読み仮名テストがあったら、「観音」は、「かんおん」か「かんのん」か、どちらが正しいとされただろうか?


3 「次の文章の主語は何か?」
日本語に主語はない、というのが私の持論なので、これは疑問。


4  「横書き読点は、『、』でなく、『,』」は本当?
http://suugaku.at.webry.info/201102/article_10.html



私の考え

「そろそろ出発の時間だ」というのは、誤った使い方である。時間は時刻と時刻の間の長さのこと。「そろそろ出発の時刻だ」と言うべき。

 しかし、私も含めてそんなことを逐一気にする人はいない。「時間」と言う言葉で、「時間」「時刻」「時間帯」などを全て意味しているといえる。どの意味かは文脈で分かるから逐一言い分ける必要はない。

 「じかん」と「じこく」では、「じかん」の方が言いやすいというのもある。言葉は合理的な方向に進化するのだと思う。

 「ら抜き言葉」にしても、私の地方では方言として昔から使っていたし、可能と受け身を使い分けられると言う点では合理的である。

 ただ一方で、現状、巷に流布している言葉遣いを国語教育でどんどん追認していけばいいのかどうかは分からないし、算数教育のことで手一杯なので、「こうするべき」という明確な見解を持つには至っていない。


 ただ一般的に、目的と手段があったときに、目的が忘れ去られて手段が目的化してしまうというのは、社会にも学校にもありがちだと思う。

 真偽は不明だがこういう話を聞いた。ある学校で、環境教育の一環としてリサイクルへの理解を深めるためにと言うことで、児童に家庭から瓶や缶を持ってくるように指示した。ある家庭では、普段からジュース類は買わないので持って行くべき瓶缶がなくて、少ししか持っていくことが出来ず肩身の狭い思いをしたという。環境という面からしたら、瓶缶をそもそも使わないのがベストなんだけど、「沢山リサイクルしよう」という方向にずれてしまっている。

 私が小学校の時に給食で「三角食べ」というのがあった。「牛乳→パン→おかず」の順で食べるように指導されたので、私は忠実にそれを守っていた。パンを食べながら、「ここで牛乳を飲んだら美味しいだろうな」と思いつつも、「ルール違反」はしなかった。今から思うと、「均等に食べる」という主旨であったわけで、パン→牛乳でもよかったと思う。そもそも、「均等に食べる」のが必要なのかどうかすら不明。栄養面から「バランスよく食べる」という類の話との混同があったのかも知れない。

 「不必要なのに強要された」ならまだましだが、「運動中は水飲むな」のような、命を奪いかねないような指導すらあった。http://suugaku.at.webry.info/201102/article_11.html


 目的から遊離した手段の一人歩きは、厄介である。

  • [673]
  • Re: 関連はあるのか?

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)07時08分43秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>670
> 質問ですが、記号(+-×÷)の正しい書き順を教えているって本当ですか?

その話はツイッターでも盛り上がったことがあります。
書き順関係のぼくの発言は次で読める。
http://twilog.org/tweets.cgi?id=genkuroki&word=%E6%9B%B8%E3%81%8D%E9%A0%86

添付の画像は学校図書の教科書より。他の5社も同じ書き順でした。

句点の書き順については
http://inaw.exblog.jp/13329316/
というネタもある。

常にきれいに読み易く書くことはとても大事。
書き順があっているかどうかは読む人にとってはどうでもいい問題。



  • [672]
  • Re: 関連はあるのか?

  • 投稿者:papapa
  • 投稿日:2012年 9月18日(火)06時12分57秒
  • 返信
 
>>670
数字の書き方(左利きの子はつらそう)、+・-・×・÷やx、yの書き順等、全て教えることになっています。
> >>669
>
> > 十本、十匹の読みを「じゅっぽん」「じゅっぴき」としたら×になります。十のよみに「じゅっ」という読み方はないからです。
>
> 質問ですが、記号(+-×÷)の正しい書き順を教えているって本当ですか?

  • [671]
  • Re: 関連はあるのか?

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年 9月17日(月)21時36分8秒
  • 返信
 
>>670
> >>669
>
> > 十本、十匹の読みを「じゅっぽん」「じゅっぴき」としたら×になります。十のよみに「じゅっ」という読み方はないからです。
>
> 質問ですが、記号(+-×÷)の正しい書き順を教えているって本当ですか?



ゼロの正しいかきじゅん、マルの正しいかきじゅんはあるそうですよ。



  • [670]
  • Re: 関連はあるのか?

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年 9月17日(月)21時20分47秒
  • 返信
 
>>669

> 十本、十匹の読みを「じゅっぽん」「じゅっぴき」としたら×になります。十のよみに「じゅっ」という読み方はないからです。

質問ですが、記号(+-×÷)の正しい書き順を教えているって本当ですか?

  • [669]
  • 関連はあるのか?

  • 投稿者:papapa
  • 投稿日:2012年 9月17日(月)21時02分39秒
  • 返信
 
>>668 学校図書の教科書&指導書がどうなっているか確認してみます。

スレ汚しになってしまったらごめんなさい…
十本、十匹の読みを「じゅっぽん」「じゅっぴき」としたら×になります。十のよみに「じゅっ」という読み方はないからです。(最近では「じゅっぽん」も〇にすべき!!という意見も多いです)

自分は、「じゅっぽん」でも〇にする派なのですが…かたくなに「逆順×」にする人(主にベテラン女性教諭)とかぶっているので報告がてら…です。

  • [668]
  • Re: 順序主義の矛盾がまたひとつ

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月17日(月)07時30分52秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>667
>  ここを読んでいる皆さんならお判りいただけると思いますが、もとの割り算
> が文章題に答えるための「式」であった場合、上記の「公式」に単純にあては
> めた物は、2年生の順序主義の禁忌に抵触する式になっている可能性がありま
> す。

たぶん、文章題に答えるための「式」(「立式」の「式」)と
確かめ算の「式」(より一般には「計算」の「式」)は別物という理解なのだと思います。

文章題の解答欄が「式」「答え」に分かれているパターンが大部分で
「計算」の欄がある場合もある日本の算数教材の典型的スタイルに対応させながら、
小学校の先生が、

「しきはどうなるかなあ」
「けいさんはあっているかなあ」
「こたえはただしいかなあ」

のように言うことは珍しくないものと思われます。
算数教育ワールドの独特のスタイルを知らなければ問題なさそうに見えても、
実際にはその裏に算数教育ワールド特有のこだわりが隠れている。
(ここの読者で実際に小学校の先生をやっている方で「そんなことはない!」
と言える人がいれば大歓迎です。何も反応がないせいで不安は高まるばかり。)

算数教育ワールドには独特の「式」概念があるように思えます。

・文章題の「式」の解答欄に書き込んで正解になる式は
文章題の内容をできる限り忠実に表現した式でなければいけない。
そのような式を作る過程を立式と言う。

・立式における「式」と計算における「式」は異なる。

などなど。式は算数および数学における最も重要かつ基本的な概念なので
式に関する妙なこだわりを子どもたちに教えるのはものすごくまずい。



  • [667]
  • 順序主義の矛盾がまたひとつ

  • 投稿者:ゴルゴ・サーディーン
  • 投稿日:2012年 9月17日(月)00時52分46秒
  • 返信
 
ひとつ、興味深いことに気付きました。
割り算の確かめの計算に、公式のような物があるらしいです。

http://www.kyoto-be.ne.jp/ed-center/tangensp/2syudata/3san-amariwarizan/3san-amari-kihon/1tangen.pdf
  > わる数 × 答え + 余り = わられる数
  > 式をノートに書かせ、言葉で唱えさせて定着を図る。

http://www2.saga-ed.jp/school/n-kashima/kenkyu/H17/4nen/4nensidouan.pdf
(1ページ)
  >(被除数)=(除数)×(商)+(余り)

http://www.ii.jorne.ed.jp/sidou/3_zi_sidouan.pdf
(2ページ)
  > わる数 × 答え + あまり = わられる数

 ここを読んでいる皆さんならお判りいただけると思いますが、もとの割り算
が文章題に答えるための「式」であった場合、上記の「公式」に単純にあては
めた物は、2年生の順序主義の禁忌に抵触する式になっている可能性がありま
す。
 (2個め・3個めの学校で2年生に順序主義で教えているかどうか不明ですが
  1個めの物が本当に啓林館の物なら、これはアウトですね。)

 さて、先日から見ている掲示板に、こんなのがありました。
 http://6828.teacup.com/amajima/bbs?page=10&

 >5年 算数 投稿者:悩み  投稿日:2008年 3月 8日(土)16時25分30秒
 >   5年生の算数での問題です。
 >テストの問題で
 >問)□÷14=9の式の□を求める式を答えなさい。
 >答え) 9×14
 >というものがあります。14×9では間違えなのです。
 >しかし、割り算のたしかめ算は、
 >割る数×商=割られる数 と学習します。その考え方でいけば、14×9でも正解でいいのだとおもうのですが・・・・
 >
 >この違いは何なのでしょう?教えてください。

 その5年生のテストも酷いですが、この質問に対する常連回答者のレスもまた…

  • [666]
  • 『数』といううタイトルの翻訳本上下巻

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月15日(土)16時45分49秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>664 >>658 の sin, cos, π とは何かネタのつづき。

『数』というタイトルの翻訳本上下巻という面白い本があります。

http://www.amazon.co.jp/dp/443170602X
http://www.amazon.co.jp/dp/4431706038
↑この二冊をぼくは持っている。

http://www.amazon.co.jp/dp/4621063871
http://www.amazon.co.jp/dp/4621064118
↑現在の版。「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」となっていた。

その上巻の第5章のタイトルは「πとは何か?」です。
その§2では複素函数としての exp をベキ級数で定義して、
その周期が 2πi になるような正の実数πが一意に存在することを証明しています。
ぼくも複素函数として exp を扱うのはとても自然だと思う。

上巻は自然数、整数、有理数、実数、複素数、代数学の基本定理、πが扱われており、
さらにその最終章は有理数体の実数体とは別の完備化でp進数体が扱われています。

下巻では、Hamiltonの四元数、Cayley数、などが扱われており、
超準解析、Conwayの数とゲームの理論(超現実数の理論を含む)、集合論
の話も簡単に書いてあります。

上巻を理解できる理系の一般人はそれなりにいるかもしれない。
しかし、下巻は難しい話が多く、一般人だと撃沈する可能性高し。
おそらくこの本は難し過ぎてあんまり売れていない。
でも、この本は題材の選び方が非常に良い本だと思います。


  • [665]
  • 数教協と指導書

  • 投稿者:おおくぼ
  • 投稿日:2012年 9月15日(土)10時36分41秒
  • 返信
 
>>663

> 教科書指導書を誰がどのように書いており、
> あの内容の責任を取らされるべきなのは誰なのかについてもまだよくわかっていない。
> 現実の算数の教科書やその指導書にあるような「主流」のおかしな考え方について
> ぼくはもっと知りたいと思っています。
>
> 数教協の「主流」のおかしな考え方に影響を与えていることはありえると思います。
> 学習指導要領解説や算数教科書における「一つ分と幾つ分」の考え方は
> 数教協の立場では「1あたり量と幾つ分」とは異なるものなのでしょうが、
> 類似点が多いことは事実だと思います。
> 掛算の順序にこだわっている点まで類似してしまっている。
>

どうして類似しているのか不思議です。
この謎を誰かに解いて欲しいです。

メタメタさんは、啓林館が塩野直道のいた頃と変わってしまったことを指摘しています。
塩野直道については、『伝説の算数教科書“緑表紙”―塩野直道の考えたこと』(岩波科学ライブラリー:松宮哲夫・著)が詳しいです。

  • [664]
  • Re: sin x と cos x について『解析概論』でカンニングしてみた

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月15日(土)07時30分0秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>658
> sinxを2n+1次までテイラー展開したとき、イコール0の解の正の最小値をanとして、
> n→∞ でanが収束値を持つことを示せば、これをπとおいて、

それはかなりしんどそう。
べき級数で定義された連続函数の零点の存在は
べき級数による近似結果に中間値の定理を適用して示すのが基本です。

「解析学」で最も重要な基礎的な概念は「近似」だと思います。
そして「近似」の概念を数学的に支えているのは「不等式による大きさの評価」。
近似しても「誤差」がどの程度の大きさなのかがわからないとさすがにまずい。
不等式による大きさの評価の話を真面目にやると、
ε-δ論法による厳密な解析学の話に自然に繋がって行くことになります。
ε-δ論法を教えなくても、「不等式による大きさの評価」は教えるべきだと思う。

ε-δ以前の問題として、そもそも「不等式による大きさの評価」は
数学教育であんまり真剣に教えられていないような気がします。
おそらくその理由は「難しい」から。
「不等式による大きさの評価」は目的に応じて「どんぶり勘定」の具合を変えて
手抜きをするのが普通なのですが、「どんぶり勘定」の仕方の選択肢が無限にあって、
初学者は苦労することになるのだ。


  • [663]
  • Re: 内包量と外延量

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月15日(土)07時05分16秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>662
> 「内包量×外延量」と「外延量×内包量」は、数字が同じなら答えは同じはずですが、
>「内包量」と「外延量」は違うから交換法則は成立しない・・・というのが
>銀林浩さんの主張だと思います。

ぼくは銀林浩さんが何を言いたいかは理解不能だと思っています。
そもそも内包量の定義が曖昧過ぎて、数教協内部でも混乱しているように見える。

> もちろん内包量と外延量という区別が変なんですけど。
> このことは別スレッド「内包量と外延量について」で論じ尽くされていますけど、念のため。

実際には内包量と外延量の区別と、量の乗法の可換性は矛盾しませんよね。
掛算の順序と内包量と外延量の区別は無関係です。
(そこを混同している人達は掛算の順序と掛算の「意味」を混同していることになる。)

わざと、銀林さんの流儀に習って、ちょっと数学っぽく説明してみましょう
(cf. >>419 >>422 >>429 >>467 特に乗法(積)のような演算は写像として定義されること)。

Q = (量(の値)全体の集合) = (数と単位の積全体の集合) とおきます。
(もちろん言うまでもないと思いますが、Q は数(無次元量)も含むものとします。)
量の乗法 Q×Q → Q が数と単位の積を別々に取ることによって自然に定義されます。
数の積と単位の積は可換なので量(の値)の積も可換になります。
すなわち量の乗法は交換法則を満たします。

仮に量全体をG量とN量の二種類に分類したとします。
それはどのような分類の仕方であっても構いません。
しかもその分類は、曖昧であったり、分類漏れがあっても構いません。
しかし、量全体をどのように分類しようと、
量の乗法が交換法則を満たすこととは無関係であることは明らかでしょう。

銀林さんは「量(の値)は数と単位の積で表わされる」というシンプルな量の概念を
基礎にすえずに、余計なものをたくさん持ち込んだせいで、
情けない混乱の仕方をしているように見えます。

P.S. 以下は個人的な意見。

確かに算数教育についてまじめに勉強してしまった人は数教協関係者の書物に
触れてしまう可能性が高いと思います。その意味で数教協は掛順こだわり教育
の問題で無視できません。

しかし、数教協は算数教育の世界で主流ではありません。
教科書を執筆しているような先生方の方にもっと批判を集中させるように努力しないと、
批判のバランスが崩れてしまう可能性があるのではないかと思っています。

教科書指導書を誰がどのように書いており、
あの内容の責任を取らされるべきなのは誰なのかについてもまだよくわかっていない。
現実の算数の教科書やその指導書にあるような「主流」のおかしな考え方について
ぼくはもっと知りたいと思っています。

数教協が「主流」の方のおかしな考え方に影響を与えていることはありえると思います。
学習指導要領解説や算数教科書における「一つ分と幾つ分」の考え方は
数教協の立場では「1あたり量と幾つ分」とは異なるものなのでしょうが、
類似点が多いことは事実だと思います。
掛算の順序にこだわっている点まで類似してしまっている。


  • [662]
  • 内包量と外延量

  • 投稿者:おおくぼ
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)21時05分8秒
  • 返信
 
「内包量×外延量」と「外延量×内包量」は、数字が同じなら答えは同じはずですが、「内包量」と「外延量」は違うから交換法則は成立しない・・・というのが銀林浩さんの主張だと思います。

もちろん内包量と外延量という区別が変なんですけど。
このことは別スレッド「内包量と外延量について」で論じ尽くされていますけど、念のため。

「内包量×外延量」や「外延量×内包量」を物理学か何かの公式だと勘違いしている人がいる気がします。
そして公式は順序が大事だと思い込んでしまって・・・。

そして「内包量と外延量」を信じてしまっている人達は、別の概念を受け入れるのに抵抗しているような・・・。

  • [661]
  • 特殊が先か?、一般が先か?、 ではなく、 易しいのが先・難しいのが後

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)15時03分12秒
  • 返信
 
 「特殊と一般」は、特殊は一般に含まれる、という意味で使う場合と、「特殊は他と異なる特異なもの」と言う意味の場合があるが、どちらの意味であっても、「特殊→一般」や「一般→特殊」、どちらがいいかはケースバイケース。

 相対論は一般より先に特殊をやるのが普通。
隣接三項漸化式は重解になる特殊なケースは後回しにするのが普通。

 普通は面倒くさいけど特別な場合には易しい。
 特別な場合には面倒なことになる。

どちらもあり得る。


 易→難とすべき。

人は答えが分かってしまったら、意欲が萎えて別解にまで興味を維持するのは難しいと思う。
どんな場合でも出来る一般的な方法を先に身につけたら、簡単に出る方法を探す方が手間だと感じると思う。

1000や0.01の掛け算・わり算を筆算で求める子を見て、そう思った。


37×100  100のカタマリが37個だから3700

37×14   さてこれだとどうしようか?

ここで初めて筆算の登場になる。


分数のわり算も 3÷1/5 は 1の中に1/5が5個あるから、15
というような特殊な場合についてやってから徐々に、分子が1でない場合とか、割られる数(だったっけ?)が整数でない場合に一般化することで、逆数をかければいいというのを感覚的に習得できると思う。


 最初から   a/b ÷ c/d  という形でやってしまうと

2/3 ÷ 5 に戸惑ってしまう。

  • [660]
  • Re: その都度、基本に戻って考える

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)13時20分39秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>657
> >>654
> >その都度考える、これが回り道に思えるけど結果的に近道だと思う。
>
> これ基本ですよね。
> 答えがすぐに出るパターンを覚えて使うのではなく、
> その都度、基本に戻って考えれば正解できることを学ぶ。
>
> 基本に戻って考えるのは当然のことながら余計に時間が取られます。
> 初歩的な事柄であれば基本的な事柄から正解までの距離が小さい。
> しかし、学年が上がって行くにつれて、
> 基本的な事柄と正解までの距離が遠くなって行く。
>
> 基本→正解
> 基本─(試行錯誤)→正解
> 基本───(試行錯誤)──→正解
> 基本──────(試行錯誤)─────→正解
> 基本───────────(試行錯誤)──────────→正解
>
> 基本から正解までの長い道程を歩く(場合によっては走る)ことを
> 繰り返しているうちに長い距離を一挙に飛べるようになって来るわけです。
> これが思考力の進歩。
>
> 本当はそういう努力をしないといけないのに、
>
> パターン1→正解
> パターン2→正解
> パターン3→正解
> ……………………
> パターンn→正解
>
> のようなことを繰り返していると、
> いつまでたっても長い距離を一挙に飛べるようにはならない。
> むしろ余計に馬鹿になってしまう。
> しかも後に行くほどパターンの数が急激に爆発するようになる。
> というわけで、すみやかに算数もしくは数学がまったくわからなくなるわけです。
>
> 数学の研究をやっていると精神的に大変な思いをすることがあります。
> わからないってことは本当に苦しいことなんです。
> 何も理解できないまま合格点を取るために
> 算数や数学を勉強させられるのは地獄だと思います。
> 地獄まっしぐらのパターンに子どもを導くのは本当にまずいことだと思います。


 試行錯誤しているうちに、自然に頭の中にバイパスが出来てくるのに、最初から問題パターンごとにバイパスを作ろうとして訳が分からなくなる、というのはありがち。

 目的地ごとに道順を覚えるなんて、馬鹿げている。三平方の定理とサインの2乗+コサインの2乗=1を別個に覚えるというのは、魚屋と八百屋が隣り合っているのに、「魚屋への道順」と「八百屋への道順」を別個に覚えるようなもの。2次式の頂点の座標を求めた後に、実数解の存在の条件を求めるためにあらためて判別式で求めるのは、魚屋に行って帰宅してあらためて八百屋に行くようなもの。


 以前も書いたが、高校での公開授業での数学の教え方に疑問を感じた。

順列組み合わせの授業だが、「Cを使うか、Pを使うかを逐一考えるようでは駄目で、問題文を見た瞬間に分からないとならない」と教師が説明していた。

 その教師も私も、問題文を見た瞬間に分かるけど、それを目指したら駄目だろうが・・・

 その都度考えているうちに自然に無意識に出来るようになったと言うことであって、最初からそれを目指したわけではない。考えるといっても、もちろん、Cを使うのかPを使うのかを考えるということではない。その都度原点に帰って考える。結果的にCやPを使うことになる。そうこうするうちに、結果として、問題文を見た瞬間に式が立てられるようになる。

 最初からそれを目指したら失敗する。

 長島茂雄はバットが自然に動いてボールに当たるだとか、将棋の名人が半分眠りながら駒を打つとかいうのは、すごい域に達すると結果的にそうなるということであって、最初から眠りながら将棋を打っても上達はしないだろう。

http://


  • [659]
  • Re: なぜ子どもは、「これ何算?」と訊くのか?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)13時01分46秒
  • 返信
 
>>654
>  だから私はあえてはずした問題を出して理解しているかどうかを見る。

小学校低学年で、「バスから3人降りて5人乗ってきた。何人増えたか」という問題はまさしく、通常の問題からはずした良問。なぜこれを森毅は悪問というのだろうか?http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t10/32

足し算や引き算に、合併だの増加だの求残だのなんだのと、くだらない線引きをして分類するから、分類の隙間からこぼれ落ちる問題を、「悪問」といっているだけではないのか?

「あわせていくつ」「ふえるといくつ」「のこりはいくつ」「あといくつ」「ちがいはいくつ」といった類の“キーワード”があれば、難なく解けるのに、このバスの乗降問題が解けないとしたら、ちゃんと理解していない可能性がある。

 しかしこの手の問題も頻出となれば、「ありがちな問題パターン」として暗記の対象となってしまうので、結局鼬ごっこになりかねない。

 大学受験の問題が、徒に複雑になってしまうケースはこれだと思う。やたらと面倒な、置換積分と部分積分を駆使した積分の問題を出すので受験生もその対策をするのだけど、実は積分の意味そのものは理解していない、なんてことがありがち。

  • [658]
  • Re: sin x と cos x について『解析概論』でカンニングしてみた

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)12時05分50秒
  • 編集済
  • 返信
 
仕事も数学もさぼって、海でひと泳ぎしてカワハギと鱸を突いて、今、シャワーを浴びて一休み。
魚を突いた瞬間と、数学でひらめいた瞬間はよく似ている。突いた魚をばらしたときの残念感は、「いける!」と思って検証したら全然駄目だったのと似ている。


>>656

> ぼくは最初からカンニングする気満々だったので(意気込みが違う!)、
> 『解析概論』の索引を真っ先に見て、「三角函数」を探しました。
> sin と cos の話は pp.191-192 にあります。


どうも有り難うございます。ありました。自分で考えて、後で答え合わせをしようと思います。


>
> Taylor展開で sin x と cos x を定義すれば、
> それらの加法定理はべき級数の形式的な計算だけで証明できます。
> 問題は、それらの周期性(要するに円周率が出て来る話)を
> どのようにすっきり綺麗に扱うかです。
> sin(π/2)=1, cos(π/2)=0 にあたる式が得られれば
> 加法定理と合わせて三角函数の周期性が得られます。
> このπ/2という数をどのようにすっきり特徴付けるかが問題。

sinxを2n+1次までテイラー展開したとき、イコール0の解の正の最小値をanとして、n→∞ でanが収束値を持つことを示せば、これをπとおいて、後は加法定理で、と思っているのですが、うまくいくかな・・・

 これによって周期性が証明できても、幾何学的定義との融合は未完。

 (-ydx+xdy)/(x^2+y^2)で、原点を一周したときの定積分の値の半分として定義したπと一致することを示さないとならない。

 むずかしそう。最終的にはカンニングしてしまいそうだなw

> 基本的なことをしっかりしつこく繰り返し考えているうちに、
> もっと先まで進める直観と知識と思考力が自然に身に付いてしまう。
> こういう心の仕組みを小学校のうちに経験して納得できてしまえば
> 一生のあいだ楽をできると思う。

 「掛け算は累加ではなくて、全く新しい演算」というような導入に反発を覚えるのは、そこなんですよね。3+3+3+3+3 と書くのは面倒くさいから、3×5 単なる足し算の繰り返しの簡単な表記。

 だから、分からなくなったらなじみ深い足し算に戻ればいい。そんなことを繰り返していけば、いつの間にか足し算とは独立の掛け算という演算が理解できるのに、「これまでとは違う」という面ばかりを強調されることで、新しい「きまり」を覚える羽目になる。

 算数・数学の一つ一つのステップは、全く新しいことが天から降りてくるのではなく、既知の概念の自然な拡張だと思う。そう言う意味では、私の中では小学校算数から専門の数学まで一つのつながりになっている。

  • [657]
  • その都度、基本に戻って考える

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)09時56分56秒
  • 返信
 
>>654
>その都度考える、これが回り道に思えるけど結果的に近道だと思う。

これ基本ですよね。
答えがすぐに出るパターンを覚えて使うのではなく、
その都度、基本に戻って考えれば正解できることを学ぶ。

基本に戻って考えるのは当然のことながら余計に時間が取られます。
初歩的な事柄であれば基本的な事柄から正解までの距離が小さい。
しかし、学年が上がって行くにつれて、
基本的な事柄と正解までの距離が遠くなって行く。

基本→正解
基本─(試行錯誤)→正解
基本───(試行錯誤)──→正解
基本──────(試行錯誤)─────→正解
基本───────────(試行錯誤)──────────→正解

基本から正解までの長い道程を歩く(場合によっては走る)ことを
繰り返しているうちに長い距離を一挙に飛べるようになって来るわけです。
これが思考力の進歩。

本当はそういう努力をしないといけないのに、

パターン1→正解
パターン2→正解
パターン3→正解
……………………
パターンn→正解

のようなことを繰り返していると、
いつまでたっても長い距離を一挙に飛べるようにはならない。
むしろ余計に馬鹿になってしまう。
しかも後に行くほどパターンの数が急激に爆発するようになる。
というわけで、すみやかに算数もしくは数学がまったくわからなくなるわけです。

数学の研究をやっていると精神的に大変な思いをすることがあります。
わからないってことは本当に苦しいことなんです。
何も理解できないまま合格点を取るために
算数や数学を勉強させられるのは地獄だと思います。
地獄まっしぐらのパターンに子どもを導くのは本当にまずいことだと思います。

算数や数学の知識も重要ですが、
算数や数学は頭の使い方を鍛える場であるということを忘れると、
結果的に算数や数学の知識を習得することも
絶望的な状況になってしまいます。



  • [656]
  • Re: sin x と cos x について『解析概論』でカンニングしてみた

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)08時03分18秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>651
> > 三角函数をテイラー展開で定義する話に戻る。
> > 議論を完結させるためには複数の経路があるのですが、
> > 高木貞治著『解析概論』ではどうしていたかなと思って、
> > ついさっき「カンニング」してみたのですが、
> > 予想通りで、楕円函数の導入法との類似の方法で2頁ほどで鮮かにやっつけていました。
> > (本当は「予想通り」ではなく、以前読んだことを覚えていただけだったかもしれない。)
>
> どの辺りに書いてありますか。ちゃんと全部を通して読んでいないので、見つけられません・・・・

ぼくは最初からカンニングする気満々だったので(意気込みが違う!)、
『解析概論』の索引を真っ先に見て、「三角函数」を探しました。
sin と cos の話は pp.191-192 にあります。

Taylor展開で sin x と cos x を定義すれば、
それらの加法定理はべき級数の形式的な計算だけで証明できます。
問題は、それらの周期性(要するに円周率が出て来る話)を
どのようにすっきり綺麗に扱うかです。
sin(π/2)=1, cos(π/2)=0 にあたる式が得られれば
加法定理と合わせて三角函数の周期性が得られます。
このπ/2という数をどのようにすっきり特徴付けるかが問題。

数学の世界で周期は定積分で表わされることになっています。
実はここで楕円函数の話と関係して来るのだ。
独立な周期が2つ(それらは定積分で表わされる)が出て来るケースが楕円函数。
『解析概論』pp.191-192でも定積分でπ/2を表わしていました。
その定積分を不定積分化したものが sin の逆函数。
sin の逆函数の不定積分表示を一般化すれば
楕円函数の逆函数が得られ、独立な周期が2つあることがわかる。

2次式の平方根を含む不定積分(原始函数のことではない!)の話
(要するに三角函数の話)の一般化として、
3次もしくは4次式の平方根を含む不定積分を扱うと、
三角函数に関する議論の自然な一般化で色々なことがわかってしまい、
あっと驚くことになるわけです。二重周期函数(楕円函数)の発見!
ただし実数から複素数に拡張して考えなければいけない。
本当に自力でそこまで行けたら、
ほとんどアーベル並の天才ということになるかと思います。

基本的なことをしっかりしつこく繰り返し考えているうちに、
もっと先まで進める直観と知識と思考力が自然に身に付いてしまう。
こういう心の仕組みを小学校のうちに経験して納得できてしまえば
一生のあいだ楽をできると思う。


  • [655]
  • 掛順こだわり教育に関する議論で重要なのは国際単位系の体系そのものではなく、その量(の値)の扱い方の標準的スタイル

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)07時50分52秒
  • 編集済
  • 返信
 
ぼくが国際単位系の話を好んで持ち出すのは
「量の値は数と単位の積で表わされること」とはっきり解説されているからです。
数教協的な曖昧さや妙なおまけは一切付いて来ない。←これ大事!!!

そして、みんな知っているように、
2つの量(の値)の積は、2つの量を数と単位の積で表わして、
数と単位の積を別々に取ることによって得られるわけです。たとえば

4時間×50キロメートル/時間=(4×50)(時間×キロメートル/時間)=200キロメートル

数の掛算だけではなく、単位の掛算はもちろん可換なので、
量の掛算も当然のごとく可換になります。

学校教育の目標はこういうスタンダードで合理的なスタイルを教えること。
算数教育業界の特殊なスタイルを教えることを目標にすることは論外。

追記:リットルを筆記体の l と書くか L と書くかの話は
まさに人が決めた「きまり」の問題だということを
強調する良い機会かもしれませんね。
筆記体の l を L に書き変えても算数や理科の本質は何も変わらない。
単に人が決めた「きまり」が変わっただけ。
その点を誤解させないように注意した上で、
人が決めた「きまり」が変わる理由についても説明する。
実は人が決めた「きまり」が変わる経緯は、決して純粋に合理的ではなく、
非本質的とは思えないようなややこしい話になってしまう。
小学校高学年から中学校にかけて、
そういうややこしい話にも触れた方が良いような気がします。

そして、できれば、「学校のきまり」という用例が標準的な「きまり」という言葉を
数学的法則や自然界で普遍的に観察される規則性の意味で使うことは
禁止してもらいたいと思う。人が決めた「きまり」は人の都合で変わることある。
しかし、数学的法則や自然界で普遍的に観察される規則性は変わらない。
この違いは非常に大きい。人が決めることができない領域が存在することを
知ることは、子どもにとってとても大事なことだと思います。

さらに追記: >>653 でMさん紹介のリンク先に目を通してみました。
http://www.tokyo-shoseki.co.jp/e-mail/qanda/q-es-math.htm#q15
には吹き出してしまいました。斜体の筆記体の l を立体の筆記体の l に
書き変えることも検討していたんですね。何か勘違いしているような…。最後に

> なお,「g」(グラム)や「a」(アール)は,
>一般的な立体の字形は小学生では書きにくいこと,
>「t」(トン),「μ」(マイクロ)の立体の字形は
>他の文字と混同する恐れがあることなどの理由から,
>それぞれ筆記体の字体を直立させたような字形の書体にしました。

と書いてありました。印刷物と手書きで同じ字体を使うことは無理です。
印刷物には印刷物特有の字体があり、手書きには手書きに向いた字体がある。
そこら辺の事情を無視して、手書きをし易いようにグラムとアールを
印刷物である教科書でも「筆記体を直立させたような字形の書体」に
してしまうってのは、ちょっとおかしいと思いました。
「印刷物ではグラムはこのように立体で印刷されている。
手で書く場合にはこのように筆記体で書いてよい。」
のように教えるべきではないでしょうか?
算数教育業界は世間一般で通用しているスタイルを子どもに教えるのではなく、
独自の「きまり」を作って教え込むことを平気でやろうとする。


  • [654]
  • Re: なぜ子どもは、「これ何算?」と訊くのか?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)07時50分39秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>640

> ベースになる正しい頭の使い方を繰り返していると、
> 頭の使い方がどんどん効率的になって行きます。
> 頭の使い方が成長して行くおかげで、
> より複雑なこともやすやすと理解できるようになって行く。
>
> 単に覚えただけで思考力アップに失敗した子どもは
> すみやかに理解の限界に達することになります。
> それが小学校の段階になるか、中学校の段階になるか、高校の段階になるか、
> 大学の段階になるか、大学院の段階になるか、は様々でしょうが。
> 小学校の段階だと相当にまずい。

私の経験だと、高校の段階で破綻するというのが多いと思います。

 まあそう言う生徒がうちの塾に来るケースが多いのでそう感じる面もあるのですが。「中学までは数学は出来たのだが・・・」という生徒もよくよく訊いてみると、小学校レベルの割合や比率あたりからあやしい。

 高校数学がそれまでと違うのは、問題のパターンが様々だからだと思います。

 中学校で、グラフの変化の割合というのをやるけど、1次関数と原点を頂点とする2次関数程度だから、y=ax^2のx=pとx=qでの変化の割合は、a(p+q)と覚えれば出来る。

 関数のグラフを描くのも、1次関数が多いので、「y切片と傾きでグラフを描く」と覚え込めば出来てしまう。

 だから私はあえてはずした問題を出して理解しているかどうかを見る。

 y=x^3とか。グラフの意味が分かっていれば、xに数値を代入してyを求めてグラフ用紙に点を打つという作業をするのだけど、意味も分からず「y切片が・・・」と覚えているだけの生徒は、何をしていいのか分からなくて固まってしまう。



 私は「みはじ」や、水道方式でよく推奨される「かけわり図」に対して懐疑的。つまりこれは、比例の場合にしか使えないのだけど、それをずっとやっていると、使えない場合にも使ってしまうのではないだろうか?

 変化の割合をa(p+q)と覚えるようなもの。

 例えば、「20㎞歩く。時速4㎞で3時間歩いた。あと何時間?」とか、「10㎝×10㎝の正方形の紙の重さが5g。30㎝×30㎝の正方形の重さは?」ではどうか?

 機械的操作に習熟すると、紙の重さの問題を15gとしかねない。

 その都度考える、これが回り道に思えるけど結果的に近道だと思う。



 覚え込む方法でも、途中で挫折することなく何とかなると、それはそれで(周りが)困る。
そう言う人が数学教師になってしまう例も見受けられて、
三角関数の公式 sin(θ+90°)=cosθ などを暗記させる教師がいる。
生徒も素直で、それらを暗記しようとする。

 「そんなもの、単位円を描いてちょっと考えれば出てくるよ」というと生徒は「ああ、そうか!」と驚くので、こちらが驚いてしまう。

  • [653]
  • Re: 助数詞について、量について、そして掛算の可換性について

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)07時32分45秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>650
> >>645
>
> > そういう経緯から予想するとまだまだ浸透するのに時間がかかりそうですが、それにしても日本では
> > 「国際単位系を取り入れよう」という掛け声でリッターの表記を小文字の筆記体のlから
> > 大文字の立体のLに置き換える程度でしか認識されていないのはあまりにもがっかりです。
>
> うーん。それはふしぎなでたらめですね。リッターはSI単位じゃないし、
> 大文字にするのとSIも関係がなさそうなのに。
> http://en.wikipedia.org/wiki/Litre
>

参考まで
http://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/catalog/text/teisei/kou/pdf/scietei1907_liter.pdf
http://www.dainippon-tosho.co.jp/j_school/update/2011/06/post_22.html
http://www.tokyo-shoseki.co.jp/e-mail/qanda/q-es-math.htm#q15

どうも、検定意見がついて直せと言われたから直しました、って態度ですね。
(啓林館が一番ひどい)

一応、リッターはSI併用単位ですので使うのはかまわないんです。
小文字は1と見分けがつきにくいから、と言っていますね。

  • [652]
  • Re: おねえさんといっしょ! みんなで数えてみよう!

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)07時28分15秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>631
> ユーチューブのトップの画面にでてきます。
>
> 『フカシギの数え方』 おねえさんといっしょ! みんなで数えてみよう!
>
> http://www.youtube.com/watch?v=Q4gTV4r0zRs&feature=g-logo-xit
>
> 『数学ガール』の結城浩さんも絶賛です。


再生したら途中でエラーが出たのですが、

n×nの場合、何通りになるのか一般的な式ってあるのでしょうか?

最短距離というなら高校数学の定番問題だけど、同じ所を通らなければ遠回りしてもいい、となるとかなり難しそうなんですが。

映像に出てくるなら、その前にじっくり考えたいのですが、そういうのがないのであれば、無駄な努力はしたくない。こういう態度はよくないのだろうが、時間は有限なので仕方ない。


追記 もう一度やったらちゃんと見れた。面白い!逐一数え上げるようですね。うまいアルゴリズムがあって時間が短縮できるということですね。

  • [651]
  • Re: sin x と cos x について『解析概論』でカンニングしてみた

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)07時19分56秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>641

> これはとても面白い問題です。
>
> sin x や cos x についてよく理解すれば、
> それよりも難しい楕円函数への道が自然に開かれることになります。

以前ここで、楕円関数とか複素平面における線積分が話題になったときにふと思い立った疑問です。

>
> 単振子の運動方程式を「θが微小である」と仮定して
> 三角函数で解くというのはよく教科書に書いてあることですが、
> 現実に揺れている振り子の動きはどう見ても微小じゃない!
> 実際には楕円函数が必要になるのだ。

振り子の運動の厳密解は昔取り組もうとしてすぐに断念した。

 ただそれ以前に、私はそもそも、バネの弾性力が変位に比例、というのがあやしいと思っていた。小学校か中学の理科でやったけど、変位に比例だなんてあまりに出来過ぎていると思った。バネを伸ばした状態で長時間放置したら伸び癖がついて元に戻らなくなるのではないかと思った。

 高校で数学などを勉強しているうちに、微分可能な関数であれば、xの微小変位とyの微小変位がほぼ比例すると見なせるということで、バネの弾性力もそう言うことだなと理解した。そうすると、バネに限らず、液体や気体を含めて、きっちり比例しなくても、微小変位に関してはほぼ比例だから、単振動になると理解した。

 数年前、ふと、気体の音速は断熱膨張の式から出てくるのでは、と思ってやってみたらちゃんと出てきて少し感動した。

 電気抵抗で電圧と電流が比例するだとか、摩擦力が垂直抗力に比例するだとかも、厳密な理論があるわけではなくて、「滑らかなグラフの一部を切り取って拡大したらほぼ直線」という類の話だというように納得した。

 そんなわけだから、振り子の運動は、「まあ振幅が微小なら、単振動ってことでいいや」と思っていた。


>
> 三角函数をテイラー展開で定義する話に戻る。
> 議論を完結させるためには複数の経路があるのですが、
> 高木貞治著『解析概論』ではどうしていたかなと思って、
> ついさっき「カンニング」してみたのですが、
> 予想通りで、楕円函数の導入法との類似の方法で2頁ほどで鮮かにやっつけていました。
> (本当は「予想通り」ではなく、以前読んだことを覚えていただけだったかもしれない。)

どの辺りに書いてありますか。ちゃんと全部を通して読んでいないので、見つけられません・・・・

  • [650]
  • Re: 助数詞について、量について、そして掛算の可換性について

  • 投稿者:TN
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)06時45分28秒
  • 返信
 
>>645

> そういう経緯から予想するとまだまだ浸透するのに時間がかかりそうですが、それにしても日本では
> 「国際単位系を取り入れよう」という掛け声でリッターの表記を小文字の筆記体のlから
> 大文字の立体のLに置き換える程度でしか認識されていないのはあまりにもがっかりです。

うーん。それはふしぎなでたらめですね。リッターはSI単位じゃないし、
大文字にするのとSIも関係がなさそうなのに。
http://en.wikipedia.org/wiki/Litre


  • [649]
  • 美優先生の問題と物理教育

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)01時45分5秒
  • 返信
 
 
> 行きは時速4km、帰りは時速6kmで往復しました。
> 往復の平均速度は時速何kmでしょうか?


 柑乃美優嬢のブログに書き込んでみました。

http://ameblo.jp/kanno-miyu/entry-11350490332.html
> 「6:4の重みづけの加重平均? こういうときは、調和平均という言い方があるんだよ。」
> とか、
> 「小学生だから、かけ算の順番をまもって 6×4 + 4×6 だね。」
> とか、言い返してくると思ったのに…

 このひとつ前の書き込みを消えてしまった(たぶん、事務所の指示で、「邪魔だから消せ」ということになった?)のですが、消えた書き込みは、

> ・かつおぶしねこきちくんの答案
> (しき)
> 6 + 4 = 10 時間で、
> (6 × 4) × 2 = 48 km 歩いたので、
> (こたえ)
> 48/10 = 4.8 km/h
> (せつめい)
>  行きと帰りの道のりが同じことが分かっているので、「行きに6時間かかるなら、帰りは4時間」ということで、行きと帰りの所要時間の比がでます。(かけ算の交換法則の応用ですね。)そういうわけで、10時間で48キロということで、平均時速が分かります。
>  たろうくんとはなこさんの家は何キロ離れているかは分からないけれど、行きと帰りの所要時間の比は 6:4 (=3:2) であることは分かるので、「6:4 に重みづけした加重平均」になりますね。

 6:4に重みづけした加重平均と考えると、内分点の公式そっくり。
a と b の調和平均 m は、  (m-a) : (b-m) = a : b になっていて、 1/m = (1/a + 1/b)/2 であると分かる。

 直感的には、縦軸に時速、横軸に時間のグラフを描いてみるとすぐ分かる。
 階段状になっているグラフを平たくならすためには、差のところを a:b に分割すればいいとすぐ分かる。

 高校物理の教材にも使えると思いました。
 


  • [648]
  • SI について

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)01時25分22秒
  • 返信
 
 教育的には、SIが最も合理的でしょうね。

 esu やら emu やら ガウス単位系 もありますけど、電磁気学は最初はSIで教育するのが断然合理的なのは間違いないですからね。

 光速を1とするだの、ディラック定数を1にするだのは、日常生活からかけ離れすぎていて問題外。


  • [647]
  • Re: sin x と cos x について『解析概論』でカンニングしてみた

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)01時14分49秒
  • 返信
 
>>641
> >>637
> >
> >  今考えているのは、sinxやcisxのテイラー展開をsinxやcosxの定義としたときに、これらが周期関数になることの証明。三角関数の幾何学的定義は一旦忘れて、知らない振りをして純粋に無限級数と見なしたときに、三角関数の性質はどこまで出せるのか?加法定理や2乗して足したら1だとか、sinxを微分したらcosxになることなどは、この定義から出てくる。では周期性は?大雑把な方針はほぼ見えた。
>
> 現実に揺れている振り子の動きはどう見ても微小じゃない!
> 実際には楕円函数が必要になるのだ。


 いま、カンニングしたところです。

 しかし、振り子の問題って、確か、 いちばん下での運動エネルギー = 真上(180度回ったところ)の位置エネルギー になるようにすると、いちばん下から180度回るまで無限に時間がかかるのですよね…
(質量を無視できる剛体棒の先に質点がくっついているとすると)

  • [646]
  • 「掛算の正しい順序」の起源

  • 投稿者:おおくぼ
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)00時45分43秒
  • 返信
 
>>645

> かけ算の順序は、問題の本質として量や単位の理解の話があると私は最初から思っているのですが

個人攻撃なのですが・・・銀林浩さんの『量の世界』 (1975年)の悪影響が大きいのでは?

  • [645]
  • Re: 助数詞について、量について、そして掛算の可換性について

  • 投稿者:M
  • 投稿日:2012年 9月14日(金)00時17分16秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>644

> P.S. ぼくが述べているような話を大学の教員養成課程で教えるべきなんでしょうかね?
> ぼくが述べているようなことを「算数科教育法」のような授業で
> お勉強の一環として習ってしまうと、変に誤解してしまうような気もします。
> しっかりと数学とその応用先について勉強して経験値を上げて、
> 正しい常識と教養を身に付けることの方が本筋の勉強の仕方だと思います。
> そのためには大学で数学やその応用先について直接学ぶ時間を大幅に増やして、
> その分だけ他の必要単位を減らさないと駄目ですね。これもまた頭の痛い問題。

私の意見としては、
「グラフの軸の目盛や表の要素を数値で書くために
軸や表の項目を、量/単位のかたちで書く」
(量=数値×単位 を書きなおすと 数値=量/単位となるから)
というあたりまで「高校までに使いこなせるようにする」(可能なら中学で)

ようなレベルに、初等教育、中等教育の指導要領を整理しなおして、やっと
国際単位系(SI)を本当の意味で取り入れたことになるのだと思います。

小学校では、/記号を使わず÷記号を使っているとか、式に単位を書き込むことを
禁止(?)しているとか、いろいろ難しいところはありますが、
ここでも議論しているように、まずは「ルールとして教えてそれを墨守することを
強要する」というくだらないやりかたを突き崩すのが最優先な気がします。
そうしないと、初等・中等教育で国際単位系の導入の方向へつなげるなど望むべくもない。

そのためには教員に一定の認識を持ってもらう必要がありますが、
大学で教えるなら教員養成じゃなくて一般教養で「常識として」国際単位系を教える
ようでないといけないと思います。

いまだに、超一流雑誌レベル(NatureとかScienceとか)ですらSIが浸透しているとは
言いがたいです。国際単位系の量の理念はもともと化学畑のほうから出てきているので
どっちかというと化学系の雑誌では比較的前から使われているのですが
それでもまだまだです。もう40年くらい前からSIの量の概念はずーっと
あったのですが、21世紀にはいってやっとのことでISOとかJISに採用されるように
なりました。(物理屋さんや工学屋さんに納得してもらうのに時間がかかったのかもしれません。)

そういう経緯から予想するとまだまだ浸透するのに時間がかかりそうですが、それにしても日本では
「国際単位系を取り入れよう」という掛け声でリッターの表記を小文字の筆記体のlから
大文字の立体のLに置き換える程度でしか認識されていないのはあまりにもがっかりです。

かけ算の順序は、問題の本質として量や単位の理解の話があると私は最初から思っているのですが
ほとんどまったくSIが話題に出ていなかったので、とりあえずSIを紹介して回って、
少しづつ考え方の合理性が理解されつつあるのでそれについてはよかったと思っています。

しかし、算数教育関係のセンセイの頭の固さっていったいどこまでなんだろう。
現状がわかっていくにつれ嘆くばかりです。北海道のあのセンセイとか筑波大関係の連中とか…
いや、じっぱひとからげにしては失礼なのかもしれませんが。
算数教育関係でもちゃんとSIを導入しようという意見もあって救いなんですが、
どうにも非主流のように見受けられます。

  • [644]
  • 助数詞について、量について、そして掛算の可換性について

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月13日(木)22時02分31秒
  • 編集済
  • 返信
 
題名は結構重要かも

>>643

>自分の記憶をたぐると、〇個×△人=□個という習い方(サンドイッチ理論)をして
>その時には腑に落ちました。

不幸な算数教育を受けてしまったものですね。

>しかし…わり算の学習で□個÷△人=〇個は問題ありませんが、
>どうして〇個÷□個=△人になるのかが、どうしてもわかりませんでした。
>(その当時理由を教わった覚えはありません)

単位のサンドイッチの類似のバージョンとして、

○個×△=□個

のような掛算では交換法則が成立しないなどと言う人もいるみたいですね。
本当に困ったことです。

しかし、○個×△=□個なら「個」のような助数詞(これは決して単位ではない)を
本物の単位のごとく違和感がない形で使っていることになります。もちろん

△×○個=□個

でも違和感を感じないのですが。

余計な「人」を削除して、「○個×△=□個」としても単位のサンドイッチが
駄目であることには変わりがありません。「△」が「△人」になっているから
単位のサンドイッチが駄目だと思っているとしたら、
かなり致命的な誤解をしていると思います。

>で、単位量当たりの学習で人口密度の単位が(人/k㎡)であることを知り、
>さらに今まで疑問に思わなかった〇個の単位が本当は〇個/人であることを知りました。

助数詞の扱いをちょっと誤解していると思います。

「個」や「人」は普遍的な単位ではなく、言語依存の助数詞です。
「助数詞は無次元量を表わしているだけなので無視できる」と思っている人にとっては
3, 3個, 3個/人 はすべて完全に同じ意味になります。4 と4人も同じ意味になる。
だから、3個×4人=3個も誤りではありません(それだけが正しいという説は誤り)。
これはこれで正しい考え方です。

しかし、日本語で助数詞はあたかも単位のごとく使われます。
助数詞を使って習ったことは単位の学習にも必ず影響するはず。
だから、算数教育では単位の扱いとは異なる助数詞の使い方は避けるべきだと思います。
たとえば、3個×4人=3個という助数詞付きの式を子どもに見せるのは止めた方が良い。
3個×4=4×3個=12個 や 3個/人×4人=4人×3個/人=12個 なら違和感がないです。
(「3個×4」でも「3個/人×4人」でもよい。片方だけが正しいという考え方は誤り。)
こちらのタイプの助数詞付きの式であれば子どもに見せても良いと思います。
ただし、この段落の内容はぼく個人の意見です。
算数教育の世界では助数詞の扱いについて長い議論があるようです(詳しくは知りません)。

>分数のかけ算、そしてわり算の学習をした時に、
>今まで???だったことが、〇個/人÷□個=△人になるということに気が付いた時は
>ものすごく感動しました。(6年生で分数のかけ・わりをやる時に必ず触れます)

3個/人×4人=4人×3個/人=12個 のような助数詞の使い方を経由して、
世間一般で通用している量(=数と単位の積)の積の扱い方のスタンダードに
習熟して行くのは悪いことではないと思う(これも個人的意見)。

> 「抽象化」と考えても、「中学校への橋渡し」と考えても、
>式に単位をつけることは好ましいこととは言えません。でも…

しかし、これは誤りだと思います。
算数教育もしくは数学教育の文献にそのように書いてあるのでしょうか?

実際に数学が使われる場面で、中学校の文字式の意味での文字が
単なる数ではなく単位付きの量を表わすことがよくあります(むしろ普通!)。
中学校では ax^2 のような式を扱いますが、
実際の応用場面では a や x が次元を持った量になっていることは非常に多い。

たとえば物理の教科書には H = mv^2/2 + kx^2/2 のような式が書いてあるはず。
ここで m は質量、v は速度、k はバネ定数、x は位置で、H は全エネルギーです。
すべての文字が次元を持った量になっています。

たとえば x = 15.3cm のように x が数 15.3 と単位 cm の積で表わされた
長さの次元を持った量を表わすことは本当によくあります。
これは結構便利で、x = 15.3cm = 0.153m のように書くことができます。
数と単位を分離しない方が自然な場合は非常に多い。

しかし、非常に残念なことに、文字が数を表わすだけではなく、
量の値(数と単位の積のこと)を表わしていることが普通であることを、
しっかり意識させる教育はどこでも十分にされていないと思います。

文字式の形式的な計算に習熟するときに単位にこだわる必要はまったくないのですが、
だからと言って、実際の応用場面で文字が単位付きの量を表わすことが普通であることを
まったく教えないのも馬鹿げています。

> 分数のかけわりを学習した後なら、
>「個/人×人でも人×個/人でも、答えにつく単位は個になる」で、
>逆順OK!!というのは、あまりにも数学を理解していない素人考えなのでしょうか。

分数をやってなくても掛算の順序はどちらでも問題なしです。

算数教育業界の特殊ルールではなく、世間の常識という意味であれば、
何の制限を付けなくても、掛算の順序はどちらでも正しいことになります。

それでは「一つ分(1あたり)×幾つ分の順序で書く」のスタイルで
掛算を導入した場合にはどうか。交換法則を学んでその意味
(一つ分(1あたり)と幾つ分の数は自由に交換できること)を正しく教わったならば
(実際、その正しい考え方を示唆する図が小2の算数の教科書にもあったりする)、
「一つ分(1あたり)×幾つ分の順序で書く」というルールは実質的に無意味になります。
だから小2の時点で十分に掛算の順序はどちらでも良いことになっているわけです。

個人的な意見では交換法則を教わる前であってもバツをつけるのはまずいです。
掛算の順序が逆の子どもだけを特別に呼び出すのもまずい。
世間の常識に反する考え方を子どもの心に植え付けるのは止めるべきです。

算数教育の目標は、算数教育業界独自の理論を子どもに教えることではなく、
世間一般で通用する算数レベルの正しい常識を子どもに身に付けてもらうことです。
算数教育業界の人達が独自の理論を教科書指導書などの経路を使って、
教育現場に浸透させてしまったのはかなりひどいと思います。
どれだけの人が被害にあっていることやら!

P.S. ぼくが述べているような話を大学の教員養成課程で教えるべきなんでしょうかね?
ぼくが述べているようなことを「算数科教育法」のような授業で
お勉強の一環として習ってしまうと、変に誤解してしまうような気もします。
しっかりと数学とその応用先について勉強して経験値を上げて、
正しい常識と教養を身に付けることの方が本筋の勉強の仕方だと思います。
そのためには大学で数学やその応用先について直接学ぶ時間を大幅に増やして、
その分だけ他の必要単位を減らさないと駄目ですね。これもまた頭の痛い問題。


  • [643]
  • (無題)

  • 投稿者:papapa
  • 投稿日:2012年 9月13日(木)20時35分12秒
  • 返信
 
>>639
内容を読んで、深く考えてのレスではないので「的外れ」だったらごめんなさい。

自分の記憶をたぐると、〇個×△人=□個という習い方(サンドイッチ理論)をしてその時には腑に落ちました。しかし…わり算の学習で□個÷△人=〇個は問題ありませんが、どうして〇個÷□個=△人になるのかが、どうしてもわかりませんでした。(その当時理由を教わった覚えはありません)
で、単位量当たりの学習で人口密度の単位が(人/k㎡)であることを知り、さらに今まで疑問に思わなかった〇個の単位が本当は〇個/人であることを知りました。分数のかけ算、そしてわり算の学習をした時に、今まで???だったことが、〇個/人÷□個=△人になるということに気が付いた時はものすごく感動しました。(6年生で分数のかけ・わりをやる時に必ず触れます)

「抽象化」と考えても、「中学校への橋渡し」と考えても、式に単位をつけることは好ましいこととは言えません。でも…

分数のかけわりを学習した後なら、「個/人×人でも人×個/人でも、答えにつく単位は個になる」で、逆順OK!!というのは、あまりにも数学を理解していない素人考えなのでしょうか。

→かけ算の入り口は、便宜上「一つ当たり×いくつ分」で指導するが、少なくとも出口では「逆にしても同じ式と考えられる」のように…実際、自分はそのように6年生に指導しているので、(トランプ配りの様に「一つ当たり」を拠り所にしても逆の式が成立することも併せて指導)この考え方が根本から間違っているのなら、今まで指導してきた子供たちに心の中で「ごめんなさい」をし、今から改めるしかないのですが…




  • [642]
  • 式について

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2012年 9月13日(木)20時01分19秒
  • 返信
 
式だけから子どもの考えは分かりませんが、「唯一の正しい考え方」と結びついて「唯一の正しい式」があると思い込んでいるのが一番の問題だと思います。
式以外の表現方法を取り入れても、「唯一の正しい書き方」が出来てしまう恐れがあります。

「答えが正しくなる式は概ね正しい」という考えに変わる必要があるのではないでしょうか。


個人的には、一つの問題から複数の式をかかせるのが面白いのではないかと考えています。
色々な考えで問題が解ける事のとっかかりになるのではと思っています。

  • [641]
  • sin x と cos x について『解析概論』でカンニングしてみた

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月13日(木)19時12分0秒
  • 返信
 
>>637
>
>  今考えているのは、sinxやcisxのテイラー展開をsinxやcosxの定義としたときに、これらが周期関数になることの証明。三角関数の幾何学的定義は一旦忘れて、知らない振りをして純粋に無限級数と見なしたときに、三角関数の性質はどこまで出せるのか?加法定理や2乗して足したら1だとか、sinxを微分したらcosxになることなどは、この定義から出てくる。では周期性は?大雑把な方針はほぼ見えた。

これはとても面白い問題です。

sin x や cos x についてよく理解すれば、
それよりも難しい楕円函数への道が自然に開かれることになります。

単振子の運動方程式を「θが微小である」と仮定して
三角函数で解くというのはよく教科書に書いてあることですが、
現実に揺れている振り子の動きはどう見ても微小じゃない!
実際には楕円函数が必要になるのだ。

三角函数をテイラー展開で定義する話に戻る。
議論を完結させるためには複数の経路があるのですが、
高木貞治著『解析概論』ではどうしていたかなと思って、
ついさっき「カンニング」してみたのですが、
予想通りで、楕円函数の導入法との類似の方法で2頁ほどで鮮かにやっつけていました。
(本当は「予想通り」ではなく、以前読んだことを覚えていただけだったかもしれない。)

これは個人的な意見なのですが、
『解析概論』は具体例の計算をつまみ食いするだけでも、とても面白い本だと思います。
証明は全部とばして、具体的な計算への応用例だけを全部ひろって読むだけで相当な力が付くと思う。
具体的な計算の紹介の仕方もかなり名調子でそれもいい感じです。

ぼくが学生時代には「毎日1ページずつ読みなさい」のようなことを言われたのですが、
必ずそもそういうマジメな読み方をしなくても非常に面白い本であることに後で気が付いた。


  • [640]
  • Re: なぜ子どもは、「これ何算?」と訊くのか?

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月13日(木)11時49分19秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>638

文章題の解答欄が「式」と「答え」に分かれていることの悪影響は大きいですよね。

(1) 算数の正しい理解の仕方(正しい頭の使い方)

とにかく正しい答えが出るなら何でもあり。
正しい答えを出すための方法はたくさんある。

(2) 算数が苦手になるための最短コース(間違った頭の使い方)

答えを出すための「正しい」方法はものすごく限られている。
たとえば「正しい立式」をしなければ理解したとは言えない。
最終的に正しい答えを出す方法を見付けても、
先生が指定した「きまり」にしたがわないと誤りになる。
試行錯誤を恐れる。(途中の議論で失敗することを恐れる。)

本当にこうなってしまったら、その子は算数を何も理解できずに終わると思う。
何も理解できないまま、テストで合格点を取る努力を続けるのはつらすぎる。
覚えるのではなく、理解すること、頭の使い方を鍛えることが大事。

ベースになる正しい頭の使い方は

基本を確認→試行錯誤→正解に到達
→試行錯誤で見つけた正しいやり方を整理する
→もっと優れた効率的なやり方がなかったかについて考える

です。「文章題の内容を忠実に式で表現しないと誤りになる」という縛りは
あまりにもきつく、将棋で言えば飛車角落ちくらいのハンディキャップになると思う。
それじゃあ、算数ができなくなって当然だと思う。

ベースになる正しい頭の使い方を繰り返していると、
頭の使い方がどんどん効率的になって行きます。
頭の使い方が成長して行くおかげで、
より複雑なこともやすやすと理解できるようになって行く。

単に覚えただけで思考力アップに失敗した子どもは
すみやかに理解の限界に達することになります。
それが小学校の段階になるか、中学校の段階になるか、高校の段階になるか、
大学の段階になるか、大学院の段階になるか、は様々でしょうが。
小学校の段階だと相当にまずい。

こういう話は運動部に入っている高校生相手にはすぐに通じるようです。
運動部の連中は毎日基礎体力トレーニングをかかさないし、
その意味を体験としてよく知っているからです。

頭の使い方は体の動きと違って目に見えませんが、完全に同じことです。
少年少女時代に体を鍛えておけば役に立つのと同じように、
頭の使い方の基礎体力も鍛えておけばやっぱり役に立つことになるわけです。
(しかもあちこちで気分の良い思いをたくさんできることになる。)

算数教育を通して、効率的でない頭の使い方を子どもに強制するのは相当にまずい。
何のための算数教育かということになってしまいます。


  • [639]
  • 単位を付けて「立式」させる試み

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月13日(木)10時05分48秒
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>>629 の続きです。

「内包量」に関する研究
河口希, 井上正允 - 佐賀大学教育実践研究, 2012 - portal.dl.saga-u.ac.jp
佐賀大学教育実践研究 第28号 平成23年度 (37~50) 37 研究論文
http://portal.dl.saga-u.ac.jp/bitstream/123456789/119602/1/kawaguchi_201203.pdf

で、ぼくが参考になったと感じたのは38-39頁の以下の引用部分です。
(画像として写真1と写真2を添付しておきます。)

====================================================================

 小論では、筆者が2011年1月~2月にかけて付属小学校5年生を対象に行った
「内包量」に関する授業についてとり上げる。今回は計10時間の授業実践の
うち2時間の授業(「混み具合」を数値化する)に焦点を当て、分析したい。
なお、今回の授業では式の組み立て単位(人/km^2など)はもちろん、単位や
助数詞を記入することを徹底した。これは、どのような量を計算しているか、
3つの量の関係を子どもたちに意識させるためである。

 筆者自身、小学校でかけ算を初めて学習した際、組み立て単位をつけて式
をかくよう指導された経験をもつ(写真1・2)。当時の日記も出てきたが、
それには、「算数がわかるようになったよ。」と書かれていた。確かに、
式に単位をつけてかくことで、なんだか分かった気になったことを覚えて
いる。

 しかし、写真1の「7まい/人」の「人」と「5人」の「人が約分により
消えることは、"決まり"として教えられ、「なぜ消えるのか」疑問に感じる
こともなかった。しかし、学年が上がり、中学生になった頃だったか、
単位の約分について「あっ!そういうことだったのか…と気づいた。
組み立て単位をつけて立式することは、このときだけだったような気がする。
当時は「1あたり量」と「速さ」が同じ構造をもつなど考えもしなかった。

(ここまでがp.38より。以下はp.39より)

 10時間の授業実践後、子どもたちに「式に単位をつけてかくこと」に対し、
アンケートを実施した。36人のうち21人が単位をつけて立式することに
好印象を抱いており、「分かりやすい」「単位をつけることで、自分で見て
すぐに分かる」「式の意味が分かった」などの意見が挙がった。その一方で、
「面倒くさい」「単位をつけなくても分かる」「単位を考えるのに時間がかかる」
などの意見も挙がった。実際、正しい単位をつけて立式できる子は少なく、
習得には相当な時間がかかることも分かった。

====================================================================

ぼくは「内包量云々」よりも
上に引用した部分に書かれていることの方が重要だと思いました。

大学院で算数教育を専攻にすることになるような子どもでさえ
(そのような子どもの算数に関する理解力は平均よりは確実に上だったはず)、
式に単位や助数詞を書かせても、

>写真1の「7まい/人」の「人」と「5人」の「人が約分により消えることは、
>"決まり"として教えられ、「なぜ消えるのか」疑問に感じることもなかった

となってしまったとか、小学校5年生でも、

>単位をつけて立式できている子は少なく、

とか、結構重要な情報が書かれていると思いました。

この一つの事例だけで「単位を書かせること」に関する結論を出すのはまずいので、
この手の事例をもっと探すことが必要なのではないかと思います。

合理的でかつ実際に世界的にスタンダードになっている量に関する考え方は
国際単位系の解説にもあるように「量の値は数と単位の積で表わされる」です。
そして量の値の積は数と単位の積を別々に取れば得られる。
数の積だけではなく、単位の積も可換なので、当然量の値の積も可換になる。
量の値の割算も数と単位の商を別々に取れば得られる。
もちろん、そういう形式的なことだけに注目しては駄目で、
その裏には量に関する考え方や直観が存在するわけです。
これが合理的でかつスタンダードなスタイルです。
このスタイルを算数数学教育のどこかの段階で身に付けてもらうことは
とても大事なことだと思うのですが、
「内包量」のような余計でかつ定義もはっきりしない概念について
こだわり続けている様子はちょっと理解不能な感じ。

算数は中学・高校・大学での数学よりも、
現実の社会や生活にずっと近い話題を扱うことになっているのに、
数教協独自の理論(しかも内包量の定義さえ明確でない似非理論)
に基いて量概念を算数で教え込もうとするのはおかしいと思う。
実際に量の概念が使われている様子とその合理性を十分理解した上で、
算数を習った子どもが標準的な量概念の扱いをスムーズに行なえるように
なるように工夫して教えてもらいたいものだと思います。

 

  • [638]
  • なぜ子どもは、「これ何算?」と訊くのか?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月13日(木)09時24分41秒
  • 編集済
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>>616で、

12個の団子を4つの袋に分ける場合、いくつずつかを問い、みんな、3個と正しく答えを出しているにも関わらず、どうやって出したのかとか、正しい式はどれだとか、これはわり算なんだろうかとか、くだらないことをグダグダ議論させる授業を紹介した。

 こういうのや、最終的な答えだけでなく式も併せて「答え」となっていることで、「答えに行き着くまでの正しいやり方」という幻想が、教える側にも教わる側にも生じるのではないかと疑っている。

 小学生は「これ、何算で解くの?」、順列組み合わせの問題に取り組んでいる高校生は「これ、Pで解くの?それともC?」と質問してくる。

 自分なりに考えて、とにかく答えを出せばいい

という風潮になればいいのだが、「答えさえ出ればいいのではない。過程・考え方が大切」といって、「正しいやり方」が強要される。

 消しゴム7個、黒鉛筆20本、赤鉛筆15本ある。消しゴム1個、黒鉛筆3本、赤鉛筆2本で1つのセットを作る。何セット出来るか?

 実務であればちゃんと求められるであろう子が、算数の問題として出されると「分からない」という。式が立てられないからである。


 式は単なる道具にすぎない。

と言う認識が拡がって欲しい。

  • [637]
  • 数学者になったつもりで、

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月13日(木)08時50分57秒
  • 返信
 
 私は生徒に教えるときに、「数学者になったつもりで、色々研究するつもりで数学に取り組んで欲しい」と言っている。

 自分自身、わからない数学にあれこれ取り組んだりする。くろきげんさんのフリーズパターンは、最初の部分で躓いて停滞状態。

 今考えているのは、sinxやcisxのテイラー展開をsinxやcosxの定義としたときに、これらが周期関数になることの証明。三角関数の幾何学的定義は一旦忘れて、知らない振りをして純粋に無限級数と見なしたときに、三角関数の性質はどこまで出せるのか?加法定理や2乗して足したら1だとか、sinxを微分したらcosxになることなどは、この定義から出てくる。では周期性は?大雑把な方針はほぼ見えた。

 理学部物理学科を目指している生徒がいて、教師になりたいという。

 受験まで時間がないが、ここでがんがん詰め込んで、仮に合格しても大学に入ってから困ることになるし、そこで何とか単位を取って教員になっても、解き方を教わって何問も演習問題を解くという、その子自身がこれまで受けてきた授業を繰り返すことになりかねない。それは、私としてはいやだから、未知の問題を時間を掛けて試行錯誤して数学や物理の面白さを知って欲しい。

 ということを説明して、その子も親も納得した。


 私自身がこういうように数学に取り組み、数学・物理を教えているので、「この問題はこうやって解くのが唯一の正解」などというのは、馬鹿げているとしか思えない。4人に3個ずつ蜜柑を配る。○を描いて数えたって構わない。

 瀬戸智子氏が典型だが、熱心に真面目に、等分除とか包含除とか求差とか求補とかを説明して、それが子どもの理解に寄り添う教えかただという人は、未知の問題に無手勝流に取り組む、という算数・数学の一番面白い部分を経験していないのではないのだろうか?

 算数指南書を読んで、お勉強して、等分除とか包含除とか三用法とかあれこれ覚えるよりも、算数・数学そのものに挑んだ方が教える上で得る物があると思うのだがどうだろうか?

但しその場合も、参考書に書いてあるやり方を覚えるという「お勉強」では意味がない。

  • [636]
  • Re: Google Scholar で内包量について検索してみて見付けた最近の文献

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月13日(木)08時20分32秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>629

> 最先端の数学の研究者は
> まだ理解していない概念を理解しようと努力しているわけです。
> これはまだ算数の概念を習得していない子どもの立場に近い。

 これは同感です。だから、「このやり方は正しいけど、そのやり方は間違っている」などというのはおかしいと思う。その子にとっては未知のことなんだから、我流で何とか答えを出すのが本来の姿。正しい推論に基づいて正しい結論に至ったなら、回り道していようが、エレガントでなかろうが、それは正しい。

 酷い話だが、エレガントな方法の方が、「教えたやり方と違う」ということでバツになる場合すらある。


 根上生也氏も
虚しい優等生を卒業してから教師になろう!
http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/7568/1/design1-14.pdf
で、「数学者は小学生に似ている」と、同様のことを言っている。(2ページ目)

 しかし根上生也氏は1ページ目で「こういう子どもたちの理解の仕方を無視して・・・」ということを言っている。

 「子どもたちの理解の仕方」が一律であるかの如く思っていないだろうか?
 これは森毅や瀬戸智子氏にも言える。

 「添加と合併なんて、同じ事じゃん」と最初から見抜く子どもはいないのか?
 「求残、求補、求差なんて区別することないじゃん、結局同じじゃないか」と子どもが気づいてはいけないのだろうか?

 求残とか子供用の言葉になっている。「のこりはいくつ」とか「ちがいはいくつ」とか言う具合。
 等分除・包含除も、「ニコニコわり算」「ドキドキわり算」などと言うらしい。このような言葉があること自体、等分除と包含除の(実際には不可能な)区別を子どもに意識させていることが窺える。

 「子どもの理解に寄り添う」という「配慮」によって、複雑な「体系」が出来上がってしまう。「のこりはいくつ?も、ちがいはいくつ? も結局同じ事じゃないか」とその体系からはみ出す子は「出来る子だから、無視すればいい」、そのうち、教える上での便宜であることすら忘れ去られてしまう。

  • [635]
  • 式に単位を付けることへの疑問

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月13日(木)07時36分9秒
  • 編集済
  • 返信
 
 時速60㎞で3時間進んだときの距離は?

60km/h   3h    単位に着目すると (km/h)×(h)=(km)だから、・・・

これって、「みはじ」と同じ事にならないだろうか?


物理を教えるときに、「単位を確認するように」としつこく言うようにしているが、それはあくまで確認。「単位を手がかりに求めよ」とは言わない。

バネ定数k(N/m)のバネの伸びがr(m)、弾性力によるエネルギーは?

誤った解答例

力=kr 距離=r  エネルギー=力×距離=kr^2
単位も(Nm)=(J)でエネルギーとなっている。

後から見て、「なるほど、単位も数値と同様に掛けたり割ったりできて、それで辻褄が合う」と理解することは大切だが、最初からそれを意識して、それを手がかりに解くのはまずいと思う。

また、時速60㎞で3時間進んだときの距離は、

1時間で60㎞だから、その3倍  としても何ら問題ない。
60㎞+60㎞+60㎞=180㎞ でも構わない。

3時間だから、1時間に1㎞進むとしたら3㎞、その60倍  と考えたって構わない。

掛け算は累加ではない、だとか、内包量・外延量とかに拘る人は、「そういう考えは間違っている」と言いそうで不安である。

  • [634]
  • 東京書籍教科書

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年 9月13日(木)00時52分55秒
  • 返信
 
 また、すこし、教科書を調べた結果をまとめときました。

http://blogs.yahoo.co.jp/jdapgtwmjg/7195933.html
http://blogs.yahoo.co.jp/jdapgtwmjg/7231816.html


  • [633]
  • Re: Google Scholar で内包量について検索してみて見付けた最近の文献

  • 投稿者:ゴルゴ・サーディーン
  • 投稿日:2012年 9月12日(水)21時53分53秒
  • 返信
 
>>630
> ざっと読みました。色々考えるところがあるのですが、とりあえず気になった点。
>
> >春から私の教員生活が始まる。式に単位をつけてかくよう指導するなどの工夫をしながら、
>量と演算の関係について意識できるような子どもを育てていきたい。その際、重要な概念が
>「1あたり量」や「内包量」である。

私が気になったのはこっちですね。
 >このように,小学2年生で学習する(1あたり量)×(いくつ分)=(全体量)は、
 >小学校の算数から中学・高校で学ぶ数学までを一貫してつないでくれる。

内包量・外延量が中学高校で学ぶ内容にもあてはまるなどと考えるのは高校の物理
が出来ない人だ、という事を広めなくてはと思います。

  • [632]
  • ありがとうございます

  • 投稿者:papapa
  • 投稿日:2012年 9月12日(水)20時28分25秒
  • 返信
 
<<612

くろきさん、画像アップの仕方を大変丁寧にご教授いただきありがとうございます。来週末くらいにでも、がんばって練習→アップをめざします。

まずは御礼まで。

  • [631]
  • おねえさんといっしょ! みんなで数えてみよう!

  • 投稿者:おおくぼ
  • 投稿日:2012年 9月12日(水)14時43分58秒
  • 返信
 
ユーチューブのトップの画面にでてきます。

『フカシギの数え方』 おねえさんといっしょ! みんなで数えてみよう!

http://www.youtube.com/watch?v=Q4gTV4r0zRs&feature=g-logo-xit

『数学ガール』の結城浩さんも絶賛です。

  • [630]
  • Re: Google Scholar で内包量について検索してみて見付けた最近の文献

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月12日(水)08時33分39秒
  • 返信
 
>>629
> ぼくは Google Scholar http://scholar.google.co.jp/ をよく使っています。
> そこで内包量について検索して、次の文献を発見しました。
>
> 「内包量」に関する研究
> 河口希, 井上正允 - 佐賀大学教育実践研究, 2012 - portal.dl.saga-u.ac.jp
> 佐賀大学教育実践研究 第28号 平成23年度 (37~50) 37 研究論文
> http://portal.dl.saga-u.ac.jp/bitstream/123456789/119602/1/kawaguchi_201203.pdf

ざっと読みました。色々考えるところがあるのですが、とりあえず気になった点。

>春から私の教員生活が始まる。式に単位をつけてかくよう指導するなどの工夫をしながら、量と演算の関係について意識できるような子どもを育てていきたい。その際、重要な概念が「1あたり量」や「内包量」である。

それでいいのだろうか?



> この宮下氏は例の宮下英明氏です。
> http://m-ac.jp/me/ を見る限りにおいて彼が重視しているのは
> 数学と呼べる代物ではないことは明らかだと思う。

単なるトンデモさんなら無視すればいいけど、ああいう人が国立大学で教員養成に携わっているのだからウンザリする。

  • [629]
  • Google Scholar で内包量について検索してみて見付けた最近の文献

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月12日(水)07時08分36秒
  • 編集済
  • 返信
 
ぼくは Google Scholar http://scholar.google.co.jp/ をよく使っています。
そこで内包量について検索して、次の文献を発見しました。

「内包量」に関する研究
河口希, 井上正允 - 佐賀大学教育実践研究, 2012 - portal.dl.saga-u.ac.jp
佐賀大学教育実践研究 第28号 平成23年度 (37~50) 37 研究論文
http://portal.dl.saga-u.ac.jp/bitstream/123456789/119602/1/kawaguchi_201203.pdf

今年の3月に発表された論文のようです。

まだ内容にざっと目を通した程度なのですが、
個人的に残念だったのは p.42 に次のように書いてあったことです。

>数学者である遠山は、数学教育の立場に立って量と数の関係を説明し、
>数学教育研究者である宮下は、親学問である数学を重視する立場に立つ。

この宮下氏は例の宮下英明氏です。
http://m-ac.jp/me/ を見る限りにおいて彼が重視しているのは
数学と呼べる代物ではないことは明らかだと思う。
あれを「数学を重視する立場」と言われるとぼくは本当に困ちゃうよなあ。
p.42に引用されている図2と類似の図式は最近ツイッターで教えてもらった
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:TamSAgcU6doJ:m-ac.jp/me/instruction/subjects/number/composition/tensor_product/order/+site:m-ac.jp/me+%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AB&cd=5&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja
でも見ることができます。

概念の習得について真剣に考えたことがある人であれば
「数が先か量が先か?」のような問い自体を発するはずがないとぼくは思います。
色々やっているうちに複数の互いに関係している概念の理解が
同時にかつそれぞれについて少しずつ深まって行くのが普通だと思う。
数と量の概念についても同様だと思う。
どちらが先かのような議論自体が算数教育に有害だと思う。

あと、大学で数学の授業を受けた算数教育関係者の多くは、
数学の真の姿が見えるところまで連れて行ってもらっていないと思います。
だから「学問的記述」と書いているところを「数学」と平気で言い直せるのだと思います。
(リンク先のPDFファイルのp.42を見て下さい。)
おそらく「学問的記述」はすでに数学的に完全に理解されている事柄を
論理的に簡潔に整理して説明することを意味しているのだと思います。
そういう活動は決して数学そのものではない。数学のほんの一部でしかない。

あえて一般人から最も遠いと思われる最先端の数学研究の話をしましょうか。
最先端の数学研究では、おぼろげな概念や夢だけがあって、
正しい定義を論理的に厳密に無駄なく述べることが不可能な場面が普通にあります。
数学は研究は世界的な共同作業なのでそのような概念についても
他の数学者たちに説明する必要が生じます。
そのような場合には厳密な定義は不可能なので、
数学の専門家ならよく知っている様々な具体例を挙げて
裏に隠れているかもしれない数学的仕組みについて夢を語ったり、
直観的な理解について説明したりするわけです。

最先端の数学の研究者は
まだ理解していない概念を理解しようと努力しているわけです。
これはまだ算数の概念を習得していない子どもの立場に近い。

もちろん違う点もあります。
算数を習っている子どもはすでに算数を理解している大人から概念を教わるのですが、
数学の研究者の場合には自分でがんばるしかない。
扱っている内容の抽象度も桁違いです。

しかし、新たな概念やアイデアを理解するプレッシャーに常にさらされている
という点では立場は共通しているのです。
大人になってからも、まるで子どものときのようにそのようなプレッシャーに
さらされ続けているのが数学の研究者なのです。

(ぼくは学生に対して、小学校のときに様々な概念を習得したことを思い出して、
そのときにやったことを大学レベルの数学でも実行しなさい、と教えています。
ただし大学生になると計算ドリルを強制されることもないし、
手取り足取り教えてもらえなくなるので、
自分で計画を立てて様々なことを実行しなければいけない。
その自分の意志で計画を立てること自体が重要な経験なのだと思います。)

ぼくは大人になってからも新しい概念を習得するプレッシャーにさらされた
ことがあるという経験は算数数学教育について語るときに重要だと考えています。
算数数学教育に専門的に関わる人達には定期的に
新しい数学的概念の習得を経験してもらうのが良いかもしれませんね。
それがどんなに大変なことか、概念の習得過程で心がどのように変化するか、
などなどを実際に経験してもらう。

  • [628]
  • 正方形はひし形

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月11日(火)16時22分37秒
  • 返信
 
朝日新聞 花まる先生 4年生算数 次々発見、図形のひみつ
http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201209100075.html
>■みんなが見つけた「ひし形の九つのひみつ」
>(6)正方形と長方形は2本の対角線の長さが同じだが、ひし形は違う

「正方形はひし形」とちゃんと教えてくれているだろうか?

「ひし形は、一般には違う」を簡略して、「ひし形は違う」と言っているならまあいいけど・・・

>>598の私のコメント
>集合論で、集合Aと集合Bの直積を考えると、A×BとB×Aは集合としては異なるが、自然な全単射を入れることで濃度が等しいことが示せる。

これは誤り。



>>600のくろきげんさんのコメント
>このとき、A×B と B×A は一般に集合として異なるが、それらの濃度は等しくなる。


こちらが正しい。



私はうっかり「一般に」という言葉を入れ忘れたのだが、ある程度分かっている人なら文脈で察してくれると思う。

花まる先生のケースも、「対角線がたまたま等しい場合があって、その場合はひし形でありつつなおかつ正方形となるが、一般には等しくない」ということを簡略化して書いてあるだけだと願いたいのだが、

 この間、算数教育の酷さを色々知ったので、不安になってしまう。

  • [627]
  • Re: 中島健三

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月11日(火)11時51分12秒
  • 返信
 
>>626

これはおそらくツイッターでのぼくによる以下の質問へのコメントですね。
https://twitter.com/genkuroki/status/245276523408523265
おおくぼさん、さんきゅ!

http://ameblo.jp/metameta7/entry-11228643963.html
http://ameblo.jp/metameta7/entry-11247693509.html
の画像内の話は「くだらない」の一言で済ませて問題ない内容だと思います。
中島健三の名は後者にあったんですね。
前者だけを見ていたので気付きませんでした。

掛算の交換法則は、
どのような場合であろうと掛算が適用できる状況であれば
見方を変えることによって「直積型」の理解が可能なこと
を意味しているという解釈も可能です。

教える側(この場合にはさらに教師に教える側)が
掛算とその応用先の区別をしないのはまずいです。
それだと、まるで複数の異なる掛算があるかのような誤解を広めることになります。
使っている掛算は全部同じで、単に応用先の状況が違うだけ。


  • [626]
  • 中島健三

  • 投稿者:おおくぼ
  • 投稿日:2012年 9月11日(火)10時23分45秒
  • 返信
 
メタメタさんの記事の画像を見ると、中島健三さん(メタメタさんの推測)が順序数と基数の違いで掛算を説明していることがわかります。

文部省曰く「順序数では交換法則が成立しない」

http://ameblo.jp/metameta7/entry-11228643963.html

「直積」と交換法則

http://ameblo.jp/metameta7/entry-11247693509.html

ちなみに中島健三さんには『新しい算数と集合』 (1969年)という本があります。
私は未読です。



  • [625]
  • Re: 黒木哲徳著『入門算数学』第1版第1刷のp.43より

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月11日(火)00時28分30秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>622

> 黒木哲徳著『入門算数学』第1版第1刷のp.43より
> > 量のかけ算では1あたり量を明確にするためにも、自転車の車輪(1台あたり
> >車輪2つ)やタコの足(1匹あたり8本)のように、その都度変わらない普遍的な
> >ものから導入すると混乱せずに考えやすい。

これって、「不変量は1あたり量、可変量はいくつ分」という誤解を与えないだろうか?

どちらを1あたり量、どちらをいくつ分とするかは便宜的なものにすぎないし、不変量と可変量の区別も絶対的ではない。時間が固定されていて速度を色々かえる、というのもあり得るのだから、こんなイメージは何の役にも立たない。このようなイメージを持つのは構わないが、持たなければいけない義理もない。

  • [624]
  • RE: ほとんどマッチポンプ

  • 投稿者:ゴルゴ・サーディーン
  • 投稿日:2012年 9月10日(月)22時02分16秒
  • 返信
 
>こういうことをするのはほとんど反社会的行為だと思います。
>どうして現場の先生たちの怒りの声が聞こえて来ないのか。
>一つの理由は「そんな暇はないから」だとは思いますが。

私は他の2つの理由として
 「上下関係」
 「同調圧力」
を挙げたいです。

これは、先日紹介したサイトの他のページです。
http://www.d1.dion.ne.jp/~amajima/asg0108.htm
ここに、経験年数の少ない教師に対する先輩からの講評のようす
があります。
こんな具合に先輩から指導され、また同輩の皆が授業研究のこう
いうありかたを受け入れている…
こんな中で仕事をしていれば、彼らの使う言葉で彼らと同じよう
な事を語るようになるのが成長だという考えに染められて行くの
も当然だと思えてきます。

  • [623]
  • Re: 疑問だらけです

  • 投稿者:TaKu
  • 投稿日:2012年 9月10日(月)21時55分19秒
  • 返信
 
>>73
> http://homepage3.nifty.com/ooiooi/rekisikakezan.htm
> >子どもが体験でき量場面をもとに計算式をつくり、また計算式を量場面で解釈する、と計算式を量場面と結びつけて理解できる能力を育成することにあった。
>
> 私は、量場面をもとに計算式をつくる能力と、計算式を解く能力があればいいと思っています。
> 後半部分は必要性があるのでしょうか。
>
> 「計算式を量場面で解釈する」と「計算式を量場面と結びつけて理解できる」の違いもよく分かりません。
> 分かる方がいれば教えて下さい。

自己レスですが、何となくイメージ出来ました。
「計算式を量場面で解釈する」は「式の意味」で、「掛け算の意味」(1あたり量×いくつ分)等に相当すると思われます。
「計算式を量場面と結びつけて理解できる」は「文章題」⇔「式」であり、タコ足の問題に相当すると思われます。
四則演算の全てに考えを当てはめて、合併・添加・求残・求差・等分除・包含除・・・になったのではないでしょうか。

  • [622]
  • 黒木哲徳著『入門算数学』第1版第1刷のp.43より

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月10日(月)17時29分20秒
  • 編集済
  • 返信
 
添付の画像は黒木哲徳著『入門算数学』第1版第1刷のp.43より。
そこには次のように書いてあります。
言葉使いが数教協的ですが、数教協の外に出ても適用できる話になっています。

黒木哲徳著『入門算数学』第1版第1刷のp.43より
> 量のかけ算では1あたり量を明確にするためにも、自転車の車輪(1台あたり
>車輪2つ)やタコの足(1匹あたり8本)のように、その都度変わらない普遍的な
>ものから導入すると混乱せずに考えやすい。

これは読み方によっては、
「1あたり量」とみなされる数字が具体的状況だけでは
決まらないことへの配慮だとみなすことができます。

算数を理解していない人達は、
速さは1あたり量だが、時間は1あたり量にはなり得ない
と思っているかもしれませんが、それは誤りです。
教える側がこのレベルで誤解しているのは非常にまずい。

たとえば、使える時間が時間が最初から決まっていて動かせず、
移動の速さだけを変えることが可能なときに、
定数である「使える時間」は「移動の速さ1単位あたりに移動できる距離」を
意味していると考えることができます。
たとえばキロメートルを時速で割ると km/(km/h) = h と時間になる。

九九もしくは自然数での掛算の交換法則(数学畑の人は可換性と言うことが多い)は
1あたりの数と幾つ分の数の立場は見方を変えればいつでも交換できること
を意味していると解釈できます。

連続量であっても掛算は交換法則を当然のごとく満たしています。
自然数での掛算と同様の理屈で1あたり量と幾つ分の量は
見方を変えればいつでも交換できるわけです。

ある程度以上の理系の教育をしっかり受けた人であれば、
○○の変化率を変えたときに出力の××がどのように振る舞うか
のような問題を必ず扱ったことがあるはずです。
具体的な計算では○○の変化率で偏微分したりする。
そういう話に上の話はつながっています。

もとの話に戻ると、実際には1あたりと幾つ分の立場は見方によっていつでも
交換可能であることを知っておきながら(しかもそれは交換法則の「意味」そのもの)、
それを子どもに見えないようにするための工夫について
『入門算数学』と題された本に書くのはいかがなものかとぼくは思いました。

自転車の車輪の数やタコの足の本数を扱っていても、
見方によってはそれぞれが登場する場合の「1あたり」が2と8にならないことも
ありえます。これが当然だと思っていない人は「1あたり」の概念を理解していない。
理解していない人が子どもに正しい考え方を教えられるはずがない。
おそらく教科書指導書を書いている人達は理解していません。

ちなみにこの本は教育学部での教科書として使われている場合もあるようです。
他にもおかしな説明の仕方がされている部分があります。

 

  • [621]
  • Re: ほとんどマッチポンプ

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月10日(月)12時20分28秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>620

> これってほとんどマッチポンプなんですよね。

全くその通り。でも、余りにもアホらしい算数教育専門家の発言を散々見てきたので田中博史氏の文章は、相対的にまともに見えてしまうのが恐ろしい。

どの辺が「まとも」かというと、

 等分除と包含除、1つ分といくつ分は見方のよって逆転するということ自体は認識している点。

 「そんなの当たり前だろうが!」などと言う人がいるかもしれないが、算数教育の指南書を見ると、算数教育専門家の専門家はそもそもこのことを分かっていないのではないのだろうか、と不安になる。遠山啓も「等分除と包含除は分離量では区別がないが、連続量では意味が異なる」という誤った主張をしている。http://suugaku.at.webry.info/201103/article_4.html

 その点、田中博史氏は分かった上で、1あたりといくつ分の区別を強要しているが、教育上の配慮だという。

 他の専門家が嘘だと自覚しないで嘘を教えいているのに対して、田中博史氏は嘘だと自覚しながら嘘を教えている。

 どっちがより酷いのか、なんだか分からなくなって来たが、掛け算の指導で子どもがトランプ配りに気づいて「1つ分といくつ分なんか区別できない」と看過したときに、「いや~、ばれちゃったか。よく気づいた。素晴らしい」という可能性があるのは後者の方である。

 でもやはり五十歩百歩。1あたりといくつ分の区別という虚構を掛け算では維持しながら、わり算で解消するというややこしいことを何故やるのか理解できない。


 ちなみに他の順序派はわり算をどう指導するかというと

◆等分除と包含除の違いなどさして気にしない。
1つ分といくつ分を掛け算では執拗に拘りながら、わり算に関しては、12÷4は12÷4としか書きようがないからだからか、等分除・包含除など気にしない。

◆等分除・包含除に拘りを持っていて、子どもにこの区別をさせようとする。

この両極端にあるようだ。

  • [620]
  • ほとんどマッチポンプ

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月10日(月)10時18分26秒
  • 返信
 
>>616

『算数授業研究』Vol.80 の掛算特集号を読むと、他がひどすぎるので、
田中博史さんが一応それなりに何を言っているかわかる文章を書いていることが
目立っていましたよね。

しかし、その田中さんは、不思議なことに、
一つ分と幾つ分の数を見方を変えることによっていつでも交換できる
という掛算の交換法則の「意味」を教えない方が良いという方針なのに、
割算の場合には自慢げに等分除と包含除の統一の授業について語っている。
詳しくは http://www.twitlonger.com/show/g3fmao を見て下さい。

これってほとんどマッチポンプなんですよね。

(1) 掛算の交換法則の「意味」を教えない掛算教育法を積極的に広める。
子どもたちはずっと一つ分(1あたり)と幾つ分の数は文章題の内容だけで
決まってしまうと思い続けることになり、割算の授業で支障が生じる。

(2) 掛算の交換法則の「意味」を教えてもらわなかったせいで
困っている子どもたち相手に等分除と包含除が本質的に同じことであることを教え、
その授業実践を素晴しい授業実践として自慢げに宣伝する。

こういうことをするのはほとんど反社会的行為だと思います。
どうして現場の先生たちの怒りの声が聞こえて来ないのか。
一つの理由は「そんな暇はないから」だとは思いますが。


  • [619]
  • 啓林館の小6算数教科書『わくわく算数6上』の紹介

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年 9月10日(月)09時00分40秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>612
> 小6に導入された文字式でも掛算の順序を気にしている疑いがあるので、
> その辺に関してもかなりの不安を持っています。
> 啓林館の教科書および教科書指導書は完全にアウト。
> 個人的には啓林館の小6上の算数教科書が教科書検定に通ったこと自体が不思議。

何も根拠を示さずにこのように語るのはフェアでなかった。以下で根拠を示そうと思う。
添付した画像は上から順に

(1) 啓林館の小6算数教科書『わくわく算数6上』のp.58にある問題の抜粋
(2) その指導書朱註のp.58にある問題☆3の部分
(3) 同じ朱註の同ページにある問題☆1(ア)とその解説の抜粋

1. 啓林館の小6算数教科書『わくわく算数6上』のp.58にある問題☆3について

まず問題☆3の方を見て下さい。それは以下のような問題です。

>1個x円の弁当を3個まとめて買うと、80円安くなります。
>このときの代金を表している式は、次のどれですか。

>(あ) x×3+80
>(い) 3×x+80
>(う) x×3-80
>(え) 3×x-80

答えが教科書の157ページに掲載されています。
そこを見ると答えは(う)だけになっています。
啓林館の立場では、小6にもなって、
しかも中学校数学に繋がる文字列を扱っているのに、
掛算の順序が逆の(え)は正解にならないのです!

「教科書検定に通ったこと自体が不思議」とぼくが思った理由は
このように教科書を見るだけで掛算の順序に露骨にこだわっていることが
明確に確認できる記述があるからです。しかも文字式を扱っているのに!

指導書朱註の方(二つ目の画像)でも答えは(う)だけになっています。

2. 啓林館の小6算数教科書『わくわく算数6上』のp.58にある問題☆1(ア)について

それは次のような問題です。

☆1(ア)の問題
>1冊x円のノートを8冊買います。
>代金をy円としてxとyの関係を式に表しましょう。

これはまだ小学校の問題なので y=8x と書くことはできません。
しかし、普通の常識では 8×x=y, x×8=y, y=8×x, y=x×8 のすべてが
正解でかつこの中でどれが特に好ましいかも決まっていません。

教科書のp.157にある答えは x×8=y のみです。
算数教育ワールドの悪習として、答えが書いてあるページに書いてある答えのみ
が正解なのか、単に正解の一例を示しているのか、はなはだ曖昧です。

しかし、その曖昧な点は教科書指導書の朱註の方では最悪の形で解消されることになります。
読者の便のためにそのすべてを以下に引用しておきましょう。

啓林館『わくわく算数6上』の指導書朱註p.58より
>つまずきと対策 文章の表現にそった式を

> 数量関係を表す式を立てるとき、左辺と右辺が反対になっている児童が
>よくいる。それを正しいと考えている児童もいれば、勘違いだと考えてい
>る児童もいるため、その扱いにはきちんと触れておきたい。☆1の(ア)でいえば、
>x×8=y でも y=x×8 でも正しいが、「1冊x円のノートを8冊買い、
>代金がy円であるときの関係式」という文章の流れからいけば、x×8=y
>を推奨したいい。ただし、x×8 が 8×x になっている場合は、「8円のノー
>トがx冊」という意味になってしまうので問題文とは合わない。常に式の
>意味をしっかりと意識させることが大事である。

算数教育ワールドにおける悪しき教義

「式は文章題の内容をできる限り忠実に表現しているものを書かなければいけない」

が全開の解説文です。タイトルも「文章の表現にそった式を」になっている。

式は「超」を付けたくなるほど簡潔な表現なので、
具体的な状況や考え方を忠実に表現する能力を持っていません。
もちろん自然言語による表現に付随する様々な細かいニュアンスを
表現する能力も持っていません。

式を書いたり、模式図を描いたり、グラフを描いたりしながら試行錯誤することを
ぼくはすべて小学校で習得したと思っています。
(大学生にも「いたずら描きをしながら考えなさい」と教えています。)
それによって文章による表現を使った思考とは別種の思考が可能になることを学ばない限り、
算数レベルのことであっても自由に扱えるようにはならないと思います。

y=x×8 よりも x×8=y を推奨する理由が

>「1冊x円のノートを8冊買い、代金がy円であるときの関係式」という文章の流れからいけば

というのも意味不明。

文章の中に y が後に出て来たから式でも y を後に書くべきだと言いたいのでしょうか?
そういうくだらないことにはこだわってはいけない、とはっきり教えるべきなのに!
Aを計算してBになることを A=B と書く場合が多いので勘違いしている人が多いかも
しれませんが、A=B と B=A は完全に同じ意味です。

さらに

>8×x になっている場合は、「8円のノートがx冊」という意味になってしまう

と単位のサンドイッチの考え方がここにも書いてあった!!!
(単位のサンドイッチについては http://www18.atwiki.jp/kakezan/pages/15.html を見よ)

さすがにこれは論外にひどすぎると思います。
中学校に繋がる文字式の話を教えていて単位のサンドイッチ!!!
これを書いた人は多くの人たちに迷惑をかけたことを謝罪するべきです。
そしてこれを書いてしまうような人は算数教育に関わるべきではないし、
関わらせるべきでもないと思います。

 

  • [618]
  • 「元素のふしぎ」展@国立科学博物館

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月10日(月)07時34分5秒
  • 返信
 
 昨日、国立科学博物館での特別展「元素のふしぎ」展に行ってきた。一般受けするようなテーマでもないだろうから空いているだろう、と思ったのが、混雑していた。「理科離れ」とかいうけど、ああいうのを見ると、とてもそうとは思えない。

 その後は、http://h-i-d.co.jp/art/に行った。こちらも大混雑。

世の中にはこんなにも、元素好きや金魚好きが多かったのか!?

PS 「元素のふしぎ展」で初めて知ったのだが、環境への配慮から鉛を使わない半田が増えているらしい。でも、魚釣りのオモリやウェットスーツのウェイトは鉛だよね。そちらは代替品への移項はないのだろうか?単なるオモリだから代替品がありそうだけど、酸化皮膜を作って水に錆びないのがいいのだろうか?

  • [617]
  • Re: かけ算の順序に拘るから、等分除・包含除の授業は・・・

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月10日(月)07時04分28秒
  • 編集済
  • 返信
 
私自身は、かけ算の順序も等分除・包含除の違いも教わった記憶がない。

 わり算を習っている頃に、ふと「あれ?わり算って、20÷4は20を4等分するのと20を4ずつ分けるのと、2つあるな・・・」と思ったことがあって、すぐに「なんだ、かけ算の逆なんだから、どっちでも同じ事だ」と気づいた。以来、ここ数年のかけ算の順序問題に取り組むまで、そんなことはすっかり忘れていた。

 私は、今でこそ数学は大好きだが、小学校時代の算数はひたすら計算ばかりやらされていてウンザリした記憶ばかりがある。だから算数はあまり好きではなかった。もっと考えさせてくれる授業をして欲しかったと今でも思う(これは、中学・高校の数学の授業でも同様。だから今自分が受けたかった授業を塾でやろうと色々模索している)が、12個の団子を4つの袋に分ける場合3個ずつと答えが分かっているのに、ああでもないこうでもない、などと「考えさせる授業」など受けなくて幸いだったと思う。もし受けていたら、混乱した可能性もある。

 教師の話や説明を聞いていても途中から分からなくなる私のような人間がなぜ算数・数学で躓くことなく、躓くどころは、教わる前に公式や定理を発見して、今ではそれを教えることを生業に出来るのか?

 算数・数学は、正しいものは正しい・間違っているものは間違っている。正しい・間違っている、は誰かが決めるのではなくて、そもそもそうなっている。だから、自分で考えれば正しい結論に行き着く。だから教師の説明を聞き逃しても、さほど支障はない。

 しかし、恣意的なルールはこうはいかない。さらにそのルールがそもそも本質的に不合理な場合が少なくない。「ふえるといくつ」と「あわせていくつ」は違う足し算だから区別しろ、などと言われたら、私は混乱したかも知れない。

  • [616]
  • かけ算の順序に拘るから、等分除・包含除の授業は・・・

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月10日(月)06時44分8秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>612

> さらに、等分除と包含除を □×b=c と a×□=c の違いで区別しているのもかなりおかしい。
> 掛算の順序と等分除と包含除の考え方は本来無関係のはず。
> それ以前の問題として、掛算の順序と一つ分(1あたり)と幾つ分という考え方も無関係です。
>
> 本来無関係の考え方を結び付けて「式の立て方・読み取り方」に関するルールにしてしまうから、
> 毎年インターネット上で掛算導入の季節になると大騒ぎになるわけです。
>
> また、一つ分と幾つ分の数は考え方によっていつでも交換できます。
> それが一つ分と幾つ分の考え方に基いた掛算の交換法則の意味だと考えられます。
> 等分除と包含除の区別は一つ分と幾つ分の区別に等しいので、
> 等分除と包含除も考え方によっていつでも交換できることになります。
> それによって割算の概念が一つに統一され、等分除と包含除の両方を
> a÷b と同じ記号で書くことが合理的であることを納得できるようになるはずなのです。

授業構成再考 (算数授業研究シリーズ) 全国算数授業研究会(筑波大学の田中博史氏が関わっている)のp112からが、まさにのあたりを扱う授業。

>3年わり算 違うけど同じだよ-対立する意見を大切にする授業構成-

というタイトルで、

(1)わり算を包含除として導入する
(2)12個の団子を4つの袋に分ける場合、いくつずつかを問う。みんな、3個と正しく答えを出す。
(3)どう考えて3個となったのかを問う
(4)「12÷4=3」「4×3=12」「3×4=12」「□×4=12」「1つずつ分けたんだ」などの意見が出る。
(5)「いろいろ出たけどみんな正しいかな」と議論させる。
(6)4×3は誤り、という結論になる(あるいは、そういう結論にする)。
(7)4×3と3×4の両方が違うという児童が出現。「3個ずつ」というのは最初から分かっていたわけではないから、□×4=12の方であるべきだという。みんな納得。
(8)12÷4=3でいいのか?と問う。ほとんどの子は「いい」と言い切る。
(9)前回の授業の確認。つまり、わり算は包含除で導入していたので、12÷4は4×□=12の□をもとめる計算になってしまうことを確認する。
(10)論争させる。「わり算でいいと思う人」15名  「わり算と違うと思う人」24名
(11)昨日のわり算とは意味が違うが、両方ともわり算の仲間にする、という結論にする。
(12)トランプ配りで包含除も等分除と見なせるとして、統合する。

これを、児童同士に議論させて考え方を深める授業だと自賛しているのだが、甚だ疑問。


■そもそも、包含除と等分除を統合できるなら、なぜかけ算の段階でそれをしない?交換法則はどうやって教えているのか?帰納的に、逆でも同じ答えになる、としているのか?
4×3=12は誤りだと明言しておいて、「等分除と包含除は統合できる」などというのは、ご都合主義に思える。わり算の記号は「÷」しかなくて、等分除と包含除を書き分けられないからこうせざるを得ないのだろうか。

■活発な議論がなされているように見えるし、実際議論されているのだろうが、私から見たら、議論の主題は、算数教育ムラの慣習、きまり(法則や定理ではなくて、人が決めた恣意的なルール)にあうかどうか、ということであって、算数・数学それ自体とは関係ないように思える。議論して正しい結論が出るような性質の物ではない。
「12÷4=3」「4×3=12」「3×4=12」「□×4=12」「1つずつ分けたんだ」
これはどれも正しい。私が教師なら、「みんな正しいね」の一言で終わりにするだろう。

■かけ算の順序や等分除・包含除は出来ない子のための手段だという人がいるが、出来ない子がこんな授業を受けたら、訳が分からなくなって混乱するのではないだろうか?学習院初等科の授業実践だからそのような子はいないのかもしれないが、・・・・・・


4袋では3個ずつ、と出している段階で、この子たちは理解している。それをあれこれ茶々を入れて議論させる意味があるのだろうか?

 包含除として導入した後に、子どもたちが12÷4という式を正しいと認識した場合、じゃあなぜ正しいのかを考えさせることは意味があるとは思う。子どもたち自身が、トランプ配りの方法に気づけば素晴らしい。しかし、それはかけ算の段階でやっていればいい話。

 交換法則を知っている状態であれば、いくら最初に包含除でわり算を導入したところで、等分除であってもわり算で答えが出ると思うのは極当然だし、しかもこれは全く正しい。


高校数学で例えるとアホらしさがより鮮明。

 100個の物から97個を選ぶ方法は?

選ばない3個を選択すると考えて 100C3と計算したとする。
そこで教師が「nCr はn個からr個取り出す方法が何通りか、という意味だけど、そうするとこの問題で100C3でいいのだろうか?」と問題提起して議論させる。

すげーアホらしい。


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