• [0]
  • 田中博史教諭 「3年生までと高学年では違う」

  • 投稿者:かつおぶしねこきち
 
 筑波大学附属小学校算数研究部 田中博史教諭 の主張によると、3年生までと高学年では指導のあり方が違ってくるという。

 田中氏の主張について考える。

投稿者
題名
*内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
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sage

  • [15]
  • 田中博史氏考案の 「遊び」

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年10月18日(木)01時21分58秒
  • 返信
 
 田中博史氏は、遊び道具をいろいろ開発されているようです。

 写真は、文溪堂の九九カルタという教具だそうです。

「5×8」
読み札 : 1はこに5こ入りのチョコレートが8はこあります。

「8×5」
読み札 : チョコレートが5はこあります。1はこは8こ入りです。

 まず、カードの表に式とアレー図をつけました。九九の式を暗記する数としてとらえるだけでなく、量感を養うことを目的にしているからです。これまで、この形式のカードにアレー図がついたものはありませんでしたから、これだけでも子どもたちのイメージは豊かになります。
 次にカードの裏に、その式の具体的な場面の例を文章でひとつつけました。つまりこれがそのまま文章題になっています。
 カードの答えの数を見て5×8の答えを取ろうとすると、これまでは40の答えが2まいあって、どちらの式かわかりませんでした。このカードなら数の横に文章題も書いてありますので、それを読み取ることにより、判別することができます。

(文溪堂 田中博史の楽しくて力がつく算数授業55の知恵 p48)


↑ これは、いくらなんでもひどすぎると思いますが、田中博史氏考案の遊び全部がこんなにひどいというわけでもないようです。


 出席番号を3で割った余りで グー チョキ パー の3組に分けて鬼ごっこをする。グーはチョキを追いかけてパーから逃げるというふうにする。つぎに、6で割った余りで6組に分けてから2つの組を合併して3組に分けなおす。前回と違う組み合わせにするように指示する。6で割り切れた組と3余った組を合併すると、前回3で割り切れるものどうしでつくった組み合わせと同じになる、というようなことを考慮することになる…

というようなのもあるそうです。

  • [14]
  • 抽象度の高さは 具体的で詳細な図<具体的だが省略された図<かなり抽象化された図<式 のはずなのに

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年10月17日(水)07時48分21秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>12 >>13

同じ図であっても、抽象化のされ具合は様々であるということは
別に田中博史氏に指摘されるまでもなく、当然の常識だと思います。

しかし、鰹節猫吉さんの言う通りで、

>「式で具体的状況を表現&図で抽象化」という発想は異様である。

というのは異様だと思う。やはり、

 文章題や図で示された具体的を式によってできるだけ忠実に表現させる

という教え方のもとで掛算の順序にこだわるのは止めた方が良いと思う。
算数で初めて式を導入するときに必要なことはそういう極端で非常識な考え方ではないはず。

あとテープ図だけに特にこだわることにもかなりの違和感を感じる。
学習指導要領解説にも登場する所謂「主流派」のスタイルでは
テープ図にこだわるのは当然だということなのでしょうかね?

数学的概念に関する認知発達心理学に関するスレッドの
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t17/14
で紹介したグリフィン、ケイス、シーグラーの幼稚園児向けのカリキュラムでは
幼児に数の概念を直観的に身に付けてもらうために
温度計、ボードゲーム(これは蛇と梯子ゲームか?)、数の列、並べた物体
など見掛けの異なる様々な数の表現が登場する道具を用いて、
楽しいゲームを毎回してもらうという話を紹介しています。
見掛けが違っていてもどれにも同じ数の直観を適用できることを
遊びによって習得した子どもの数学的進歩のスピードは素晴しかったということが
報告されているようです。

これに類する「遊び」が小学校算数でも必要な感じがします。

掛算の順序とかテープ図とかにこだわりのある人たちには
効果的な「遊び」を設計することはきっと不可能だと思う。
そのような人達が設計した「遊び」がへたに効果的だったりすると
むしろ破壊的な結果をもたらす可能性さえあると思う。


  • [13]
  • テープ図 と かけ算の式 に対する扱いの差

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年10月17日(水)00時21分15秒
  • 返信
 
 テープ図を描くときに、りんご8個を表すテープの長さとみかん20個を表すテープの長さが同じであっても、「これは、抽象化して考えるということを勉強するところですから、それでいいんです。」ということになるらしい。

 なぜ、式にたいしては、こういうふうに考えないのだろう。不可解である。

 テープ図を書くときは抽象化することを勉強する時間、立式するときは具体的な状況を定められた書式にのっとって記号にすることを勉強する時間、というのは不思議である。

 式のほうが、具体的な状況を表現する力が弱いというのは明白ではないのか? 応用範囲を広げるために、あえて具体的な状況を表現する機能を切り捨てたのが式であるとも考えられるからだ。 「林檎が8個あった、5個食べた、残りは?」も「ミカンが8個あった、5個残っている、いくつ食べたか?」も 「8-5」 である。林檎でもミカンでもかまわないし、残った数を求めるときに使ってもいいし、食べた数を求めるときに使ってもいい。

 「式で具体的状況を表現&図で抽象化」という発想は異様である。

 「図は考えるために描くこともあるし、説明に使うこともある」という、まともな意見をもっている人がこんな異様な考え方をもっているというのがなんとも不可解でどうしようもない。

 「考えるときは、式も図もグラフも…使えるものは何でも使う、他人に説明するときも何でも使う、式だけでは不十分な場合が多々ある。」というのが普通の人間が考えることではないのか?

 「イメージが大事だから、かけ算の順序にこだわる」というのも不可解である。「絵を描いたときにひとかたまりになっている数を×の左側に書く」ということらしいが、これでは、「同じ数ずつのかたまりがいくつかできているのが見える」という場合にしか応用がきかないだろう。


  • [12]
  • 田中氏の主張 5

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年10月16日(火)23時28分58秒
  • 返信
 
「田中博史の算数授業のつくり方」 (つづき)

□ イメージができるのに、抽象化できないという子どもへの対応

参加者 I : 結びつけるようにと話をされていましたが、絵が描ける子であっても、線分図やテープ図と結びつけられない子がいると思うのですが、どうしてでしょうか。

 素晴らしい質問ですね。絵に描くことができても、今度はなかなか図にならない。その抽象化のステップの問題ですよね。先ほどの絵の抽象化のステップの次が、今度は図の抽象化ですね。そこにテープ図という位置づけができます。
 図というものは2通りありまして、1つは、人間が物事を考えるために描くもの。もう1つは、考え終わった人が説明のために描く図です。
 教科書などの図は、ほとんどが説明のための図です。つまり、よく中身がわかっている大人が子どもに考えさせるときに、説明するために使っている図なので、きれいに整理されています。あのきれいに整理された図を最初から子どもが描けるは ずがありません。
 だから最初は、例えば「りんごがこれだけあって、後からみかんをもらって」という、こういう図でいいわけです。
 りんごが8個で、みかんが20個だとしても、大きさのバランスはどうでもいいのです。とりあえず、こういう図と、きれいに描かれているこの図が同じなんだということの理解が、子どもにはできないわけです。これをまず結び付けてあげない といけません。
 そこで、これも私が開発した3・4年生のドリルに載っているのですが、今度は左側に絵があって、右側にテープ図がある。つまり、具体的な絵と抽象的な図を結ばせるというのをやります。
 その次のステップは、こちらを文章にして、こちらをテープ図にして、結ばせることもやります。3番目のステップとしては、テープ図を見て、分を考えるという練習をさせます。
 高学年で、表から問題文をつくる活動は講座Ⅲでやる予定ですので、そのときに紹介しましょう。
 『さんすう忍者』(文溪堂)という子ども向けの本があります。この低学年版に、絵が段々に図になっていくステップを、マンガでずっと解説しているものがあります。これも同じです。書かせるのではなくて、最初は「選ばせる」ということを やっています。最初から書かせると時間もかかりイメージがわからないので、ともかく選ばせます。選ばせる活動をしていくと、だんだんそのイメージが一致していきます。こういう場合にはこういう図を書けばいいんだな、と子どもが学びます。
 そのうち今度は、例えば、提示したものの中に正解がないものも与えます。「さあ、この文章題に合うテープ図を探しましょう」とやったとします。子どもたちは、どうもこの中には正解がないなと気づきます。そして、正解はなんだろうと聞い て書かせれば、それはテープ図を書く時間になります。
 しかしこの場合も、手がかりは必要です。何もないのに書けません。テープ図の見本の典型的なものが選択肢の中にあるわけですから、子どもたちは提示されているものを手がかりにして考えます。これらをもとにして、自分が一致するような図 を見つける時間になります。当然、テープ図の書き方自体を教えるという時間も必要になります。
 第1段階は、正解があるもので結ばせる。第2段階は正解がないときにそれを補うという授業を行います。これで図が書けるという頭脳になっていくのではないかと考えます。


> りんごが8個で、みかんが20個だとしても、大きさのバランスはどうでもいいのです。とりあえず、こういう図と、きれいに描かれているこの図が同じなんだということの理解が、子どもにはできないわけです。これをまず結び付けてあげないといけません。

 5×4 でも 4×5 でも、かけ算の順序はどうでもいいのです。とりあえず、順序が逆であっても、4人乗っている船が5艘あると解釈できるということの理解が、算数教育業界の大人たちにはできないわけです。これをまず結びつけてあげないといけません。

  • [11]
  • このスレッドをツイッターで紹介しておきました

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年10月15日(月)19時27分1秒
  • 返信
 
https://twitter.com/genkuroki/status/257607826975907840

#掛算 http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t16/l50 筑波大学附属小学校算数研究部の田中博史教諭曰く【「船が5そうあります。1そうに4人ずつ乗ることにします。」このような問題文になっていると子どもたちは必ず式を間違えますよね。「5×4」と書きます】

https://twitter.com/genkuroki/status/257609183816466432

#掛算 http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t16/l50  筑波大学附属小学校算数研究部の田中博史教諭は強力な掛順こだわり教育推進派の先生。かなりの影響力を持っている。その算数研究部は日本の算数教育界の主流派でかつ掛順こだわり教育の推進派でもある。 http://www.twitlonger.com/show/g3fmao

https://twitter.com/genkuroki/status/257612129979490304

#掛算 田中博史氏は「これでテストで×になったり○になったりでは子どもも可哀そうである」 http://www.twitlonger.com/show/g3fmao  と述べているが、ぼくは掛算の順序について「治療」される子どももかわいそうだと思う。 http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t16/8

https://twitter.com/genkuroki/status/257612900628324352

#掛算 正しく絵を描けるほど掛算の文章題を理解していても掛順を徹底しなければいけないと考えているのは田中博史氏だけではない。 https://twitter.com/genkuroki/status/252998419860299777/photo/1  のような事例もある。「掛算の順序」のことを「乗法の意味」と呼んでいることに注意。

https://twitter.com/genkuroki/status/257614603238903808

#掛算 日本の算数教育界での主流の考え方のもとでは、「掛算の文章題の内容を正しく絵で描けて」かつ「掛算で正しい答を求めることができる」だけでは不十分であり、「掛算の順序を正しく書ける」ようになることが重要だ、ということになっているのだろうか?さらなる情報を求む。


  • [10]
  • 田中氏の主張 4

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年10月15日(月)01時27分32秒
  • 返信
 
「田中博史の算数授業のつくり方」 (つづき)

◇ 文章題に強くなるためには
 
 現場は時間があまりないから、正直「絵を描け」という活動をずーっとやってはいられないですよね。
 私は最近『算数の力』(文溪堂)というドリルを開発したのですが、この中には、左側に文章が並んでいて、右側は絵になっていて、これを、線で結ばせるページをつくってみました。大人でも思わず考えてしまいますよ。
 次のページは絵を、式と結ばせるものです。
 この2段階で文章題指導をやっていくのです。こうすることで、子どもが本当に文を読み取っているかどうかわかるようにしました。
 ドリルの中には、絵を描かせるページもあります。でも最初は見本の絵を「なぞるのでいいよ、なぞって絵を描くのでいいよ」と言うようにしています。まあ、1問ぐらいは描かせたいですね。だから一番最後の問題のところには、入れ物だけ書いてあります。中身は自分で決めさせます。こういった小さなステップで子どもたちに絵を描く力をつけていこうというのが、このドリルノートの特徴です。
 これも今日プレゼントしますからね。高学年用と低学年用と両方入っています。
 低学年のドリルを見てもらえますか。では、ちょっとやってみましょうか。
 はい、ストップ。今、自分の目が行ったり来たりしたの、わかりましたか。大人でも、読んでおいて、見て、また1回確かめたでしょう?この作業を子どもにさせなければいけないのですよ。子どもが読むということは、そういうことです。子どもの目がこう動くところをみてほしいのです。子どもはそのとき、一生懸命に文の中の要素を読み取ろうとしているわけです。機械的に、「わかっていることは何ですか。尋ねていることは何ですか」と聞いても、子どもは真剣に考えません。やはり子どもが読まざるを得ない状況をつくるという意味で、こういう絵の選択肢は有効です。
 先ほど言った、文章を読んだら絵にすることを普段やると、子どもの作品がいっぱい残ります。それをこのドリルのように選択肢として使うこともできます。いくつかの種類の絵が残っているわけだから、その絵を貼って、そのときにやった問題文のどれかを読んで「さあどれでしょう」とやれば、ドリルと同じ役割のものができますね。
 では、今度は、絵と式を結ぶものです。
 絵に描くことができたら読み取ることができたと判断していいと、私は言いました。絵に描いた瞬間に文章を自分のイメージ化したことになります。
 次は式に結び付ける段階で、子どもが式の意味がわかっているかどうかチェックすることができます。子どもたちが1つの正解にたどり着くまでの小さなステップですね。それを見てやろうとすると、ちょっと優しい気持ちになれます。「ああなんだ、この子、文は読めているじゃないか。式が書けないのは、私が意味をちゃんと伝えることができなかったんだな」と気づけます。また、「この子は文を読んで絵に描くことはできないけれど、絵を見て式と結ぶことはできている。ということは、かけ算の意味はわかっているな。この子には読解力というか、文章を読んでイメージさせることをたくさんさせなければいけないな」ということにも気づけます。
 子どもによってやらせる場所が変わってくるようになります。
 もちろん最後は自分で絵や図をかけるようにしていかなくてはなりません。このドリルには、右のように、そのためのページもあります。


↑ 田中氏は、順序にこだわるおかしな思考回路をもつように洗脳しているという意図でやっているわけではないということである。

 問題文・イメージ・式 がリンクするようにするため、

「問題文から絵になおす。 → 絵と式が対応づけられる。」

というふうにしなければならないということである。

・ 子どもが絵を描けるようにしなければならない。

・ 絵が描けるようにするために、絵をなぞらせるドリルや「式にあう絵を選びましょう」というドリルをやらせる段階が必要。

ということらしい。

 なぜそういうことが必要なのか、その理由は、「イメージが大事だから、問題文・絵・式がリンクするようにせねばならぬ。」「現場は時間がないので、絵をたくさん描かせる時間がないから、順序こだわりドリルをやらせる。」というようなことを言っている。

 数学教育協議会みたいな壮大な思想や世界観は出てこない。

 ドリルを見ると 「たし算の正しい順序」 も 「かけ算の正しい順序」 もしっかりまもられていることが分かる。

 発達段階を考慮して、なぞるドリルやら選ぶドリルやらを作ってくれているらしいが、ありがた迷惑で、むしろ勉強の邪魔をしているようにも感じられる。
 


  • [9]
  • 田中氏の主張 3 (画像)

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年10月11日(木)02時49分10秒
  • 返信
 
 すみません、画像、貼り忘れました。


  • [8]
  • 田中氏の主張 3

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年10月11日(木)02時45分21秒
  • 返信
 
(つづき) 「田中博史の算数授業のつくり方」

◇ 文章題を扱うこれまでの授業との違い
 
 今までの算数の授業では、文章を読んだらすぐに式にしていました。だから、つくられた式がちゃんと読み取ってつくった式なのか、いい加減に書いてつくった式なのか、採点する教師にはわからなかったのです。でも、一度絵にさせれば、ちゃんと読み取っているかどうかがわかります。その絵を式にします。いずれは、この3つの関係がきちんとリンクして成り立つことを我々は求めていくわけです。この相互関係が成り立つときのイメージ力が、今後、活用できる力になっていくだろうと思います。これは、先ほどのイメージ九九トランプの話のときにも言いました。
 やはり数に図形のイメージをもつ、子どもが自分なりのイメージに置き換えるということが、他の場面でも使える力になります。
 低学年の文章題指導で、私が「絵に描くことをいっぱいやらせましょう」と言うと、ある先生が次のように言いました。「確かに絵を描くときはとても楽しそうですが、どうも図工をやっているような気になって不安です。これで算数といえるのでしょうか」と。
 「子どもが大作の絵を描き、いつまでたっても抽象化しません」と言うから、「本当にたくさん絵を描かせていますか」と私が聞き返したところ、それほどたくさんは描かせていないのです。文章題を読んでは絵に描く。たくさん描かせる。それだけでいいんです。式や、答えを求めさせないで、お話を読んだら絵に描くことをいっぱいやらせると、子どもはそのうちに飽きてきます。その典型がこの写真です。(笑)
 「船が5艘あります。1艘に4人乗ります。」というお話です。
 1艘目は、頑張って描いたんでしょう。青で色をぬり、4人の人間が立っているのがわかります。2艘目をご覧ください。ほら、色が変わって、人間が寝そべっています。(笑)。3艘目。色がなくなりました。おそらく、色をぬるのに飽きたのだと思います(笑)。4艘目。全く違うタイプの船です。これは、同じタイプの船を描くのに飽きたのですね。そして5艘目(笑)。これ、途中じゃないんですよ。「どうしたの」と聞いたら「うん、もういい」という返事でした(笑)。このような絵になっても算数ではいいんだよと教えてあげるのです。これで十分だよ、と言ってあげればいい。
 次のノートは、女の子の場合です。女の子はやはり心が大人でして、絵だけではなくて、その中に「4人」とだけ書いてあるんですね(笑)。これでちゃんと場面の状態を把握しています。
 このように描いたのに、もし式を「5×4」と書いたとすると、この子は読み取りができないのではなくて、式の意味を間違えて覚えているだけとなります。治療するところが変わりますよね。
 式を「5×4」と書いた子どもに「ちゃんと文章を読んでごらん」といくら指導してもだめです。この子は逆に覚えているわけですから。絵が図にできたら、その後で算数の言葉に表し直して「4×5」と書くんだよと、ここは確認していいところです。「こういう絵のことを4×5と言うんだよ」と教えるのです。


↑ 絵に描かせて、絵の中でひとかたまりになっているものが「1つぶんのかず」なわけですね。

 「かけ算の順序が正しい」(笑)かどうかとイメージできているかなんて関係ないと思うのですが、田中氏の頭の中では、絵・図・文章・式をリンクさせるためにはかけ算の正しい順序を教育しないといけないことになっているらしい。

 どうやらそれが、 「活用する力」 とやらになるらしい。

 そのためには、是非とも、絵に描かせて、絵の中でひとかたまりになっているものが「1つぶんのかず」であると教育しなければならないらしい。

 sparrowhawk さんのいう 「指導のプロセス」 というやつですね。
 


  • [7]
  • 不可解

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年10月10日(水)08時08分7秒
  • 返信
 
足し算の所では、足し算の問題ばかり、だから子どもたちは何も考えずに足し算にする、

というなら、色々な問題を混ぜたり、ダミーの数を入れたりすればいい、というのは既に反順序派が指摘している。

そもそも何のための順序だったのか?「本当に正しい順序がある」と思い込んでいる論外なケースもあるが、主な理由として挙げられるのは、

■ 問題文の意味を考えさせるため
■ 理解しているかどうかを判断するため

田中博史氏によると、順序では、この2つの目的のどちらも達成できないようだ。

 だったら、順序指導が無意味なのかもしれない

と思わないのだろうか?


上の2つの理由以外に、「かけ算で順序はどちらでもいいとしてしまうと、割り算でも順序はどちらでもいいとしてしまうから」というのがわりとある。

 「割り算は順序が重要」と教えればいいだけな気がするのだが。

  • [6]
  • Re: 田中氏の主張 2

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年10月10日(水)01時38分1秒
  • 返信
 
>  ところが、この前2年生の子に聞いてびっくりしたことなのですが、「そろそろ式は反対に書かなきゃいけないころだ」と言うんです(笑)。「何で?」と聞くと、「プリントは、後の方になるとそういうふうにしないとバツになることが多い」と言うのです。そういえばそうですよね。まとめのテストの文章題の終わりは、必ず式が逆になる場合の問題が多いのです。まあ、統計的にみる力は素晴らしいものがあるかもしれませんが(笑)、それではやはり意味がありません。


 算数教育の専門家の先生がくだらないことにこだわって一生懸命ひっかけ問題をつくっているんだけど、子どもはそれを見破って「試験対策法」を開発しちゃっているわけですね。

  • [5]
  • 田中氏の主張 2

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年10月10日(水)01時31分41秒
  • 返信
 
東洋館出版社 プレミアム講座ライブ 田中博史の算数授業のつくり方 p62~

1・2・3年生の文章題指導

□ 文章題で考えるとは?

 次に、文章題指導の話をします。
 1・2・3年生の学習では、文章題が非常にたくさん出てきます。低学年のうちは、子どもたちは簡単だと勘違いして、得意になっているようですが、実は、高学年になって算数ができなくなる子の多くは、低学年から考えることをしていなかった子に多いのです。
 実は、低学年時代は、考えなくても正解になってしまう問題が多いのです。たし算のときはたし算ばかり、ひき算のときはひき算ばかりです。子どもたちは何も考えなくても、文章題は○になります。市販のテストには「たし算」とタイトルが書いてあります。そこに出てくる文章題がたし算以外のはずはないんです。(笑)
 このような体験ばかりしてきた子どもたちが、高学年になってだんだんわからなくなっていくのは、小さい頃から、考えることをさせてこなかった授業に原因があると考えています。そこで私は、子どもたちが今、算数の時間に学んで出会う文章、それから絵、図や表やグラフ、式、こういったものを、大人がどのようにしてイメージをリンクさせていくのかを考えました。例えば、次のような文章題を考えさせてみます。「船が5そうあります。1そうに4人ずつ乗ることにします。」このような問題文になっていると子どもたちは必ず式を間違えますよね。「5×4」と書きます。今まで文の中に出てきた順番に数を使って式を書くだけで、ずっと丸をもらえていた子たちは、必ずこういう問題で引っかかります。
 ところが、この前2年生の子に聞いてびっくりしたことなのですが、「そろそろ式は反対に書かなきゃいけないころだ」と言うんです(笑)。「何で?」と聞くと、「プリントは、後の方になるとそういうふうにしないとバツになることが多い」と言うのです。そういえばそうですよね。まとめのテストの文章題の終わりは、必ず式が逆になる場合の問題が多いのです。まあ、統計的にみる力は素晴らしいものがあるかもしれませんが(笑)、それではやはり意味がありません。
 そこで、この文の後に「何人乗ることができますか」と聞くのを一度やめて、絵にしてみようと指示をします。絵にすることでイメージ化させるのです。文章題は読んだら絵にさせます。絵にするところが考えるところです。正しく絵が描けたら、文章を読み取っていることになります。読み取った絵を見て式をつくるところは、教えていいと思います。「この場面を、このような式に書くんだよ。」と教えます。算数の式は外国語と一緒で、子どもにとっては新しい言葉ですから、教えなければいけません。


↑ 「正しく絵が描けたら、文章を読み取っていることになります。」と、もっともなことを言っているいっぽうで、「読み取った絵を見て式をつくるところは、教えていい」とか「式は言葉」とか言ってかけ算の順序にこだわってます。

 田中氏の主張によると、絵をたくさん描かせると子どもが飽きてくるので抽象化した図を描くようになるということであります。

 それで、田中氏は、「式は言葉」であることや図の描き方を教えるためのドリルをつくったというのですが、それがまたかなりヘンです。

(つづく)

  • [4]
  • Re: 4マス関係表は「きはじ」の類似品

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年10月 9日(火)12時18分35秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>2

> 「ひとまず数表でも書いてみるかな」という発想で、実際に数表を書くことにし、
> まだわかっていない部分はひとまず空欄にしておく、というようなことは、
> 算数をマスターしていたら誰でも当然思い付かなければいけないことだし、
> 実際にそういう発想が欠けていると後で困ると思います。

同感です。表を書いて、色々やってみれば得る物も多い。何度もやっていれば、必要な部分だけ選りすぐって書くことも可能になると思います。

4マスというのは、無駄を廃した最小限の部分だと思うのですが、
「無駄がなくて簡潔だからわかりやすい」とは限らない。

むしろ出来ない子は、長い表を作って思いっきり無駄をすることが必要だと思う。そうして納得できるまでやれば、「ここは省略していいな」とかわかってくるし、それが不安なら、納得できるまでやるようにすればいい。


 物理を教えている生徒は、瞬間の速さを、時間0.1の間の平均速度、0.01の間の平均速度、と計算するので、「時間hの間の平均速度としておいて、あとからhをすごく小さくしたら、と考えればいいんだよ」と言ったのですが、どうも不安なようで、具体的な微小時間でやろうとします。

 「最初からhでやっても大丈夫なんだ」と本人が納得するまでやってみればいいと思っています。


 効率のいいやり方への移行を、無理に外部注入すると、後々まずいと思っています。

 指を折って数えるのをいやがる教師もいると聞いたことがありますが、私は「当分はそれで構わない」と思います。徐々に離陸させることは必要かも知れませんが。


 私自身、対数や三角関数の微分や指数法則など、今では自由に使いこなせますが、最初はその都度、原点に帰って確認しながら使っていました。

  • [3]
  • 比例関係にしか使えない

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年10月 9日(火)11時59分42秒
  • 返信
 
1/2乗の説明で、1時間に2倍に増えるバクテリアがいるとする。
今、1gとしてグラフを書いて、というと、0時間後1g 1時間後2g 2時間後4g、・・・・、と点を打つのだけど、「30分後は?」と訊くと「1.5g」と答えるケースが多い。全てのグラフは比例か一次式だと思っているらしい。グラフを完成させるように促すと、点と点を直線で結ぶ。ここで、何かおかしいと気づく。

 何とか図とかをやれば、比例の問題は解けるようになるのだろうけど、ある問題を解くために特化した方法を習得しても他の問題に使えないばかりか、かえってマイナスになりかねない。

1mで6.5㎏ 0.6mでは?

2mだと13㎏、3mだと・・・、だから、○mの倍は○をかければいいな。
だとか、0.1mだと1/10だから、0.65㎏、だからその6個分で


その都度こういうことをやっていた方が、後で伸びると思う。

その都度やっているうちに、段々無駄な部分を省略して、結果的に何とか図を使うのと同じ事をやることになる。

こういう流れが理想だと思う。


こういうと、

「現実に算数教育に携わっていないくせに」とか「出来ない子にはこの方法がいいんだ。数学が得意だったお前にはわからないだろう」

などと言われかねないが、

高校生に数学や物理を教えている立場からすると、

「この問題はこれさえマスターすれば解ける」というような、教え方はやめて欲しい。


 方程式の解き方、などもそう。片っ端からxに代入するという原始的方法から始めて、段々効率的方法を身につけるのが望ましい。

 ax+b=c をxについて解くことが出来なかった子は、そう言う経験をしないままに、「分数や小数の場合は、まず全体に同じ数を掛けて小数や分数をなくしてからやる」というのを試行錯誤の結果から見つけたのではなく、「そうやるべき」という規則として覚え込んでしまったのだと思う。
 だから、a、b、cが整数なのか、分数・小数なのかがわからなくて、立ち往生してしまった。

  • [2]
  • 4マス関係表は「きはじ」の類似品

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2012年10月 9日(火)06時29分20秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>1 の4マス関係図の部分に反応。
このスレの本題とは別の話題になってしまうことをお許し下さい。

4マス関係表はどう見ても「きはじ」の類似品ですよね。
確かに「きはじ」よりも良い点があるとは思いますが、
「きはじ」の悪い点(内容を理解しなくても答が出せること)はそのまま温存されています。
これを何のためらいもなく積極的に教えるのは止めてもらいたい。

y と x が y=ax という比例関係にあるとき、仮に上段を x、下段を y にすれば

p │q
─┼─
ap│aq

のような4マスの表を書けます。これが4マス関係表です。
p または q が 1 ならば本質的に「きはじ」と同じ。

添付の画像は

(*) 田中博史、「目的は、「置き換え」の力を育てること」、算数授業研究 Vol.80 (2012)、pp.66-67

にある図の部分です。

メタメタさんによる田中博史氏の4マス関係表への反応が
http://ameblo.jp/metameta7/entry-11134967859.html
http://ameblo.jp/metameta7/entry-11134977342.html
にあります。全然大したことがないものがあたかもすごいものであるかのように
反応している点が気になるところ。この程度のことであれば誰でも思い付くはずなので、
誰が新規提案したかなんて問題はどうでもよいことだとぼくは思いました。

ちなみに、上の(*)の最初の部分で田中氏は

>最近、提案している4マス関係表はいろいろなところで話題をよんでいるようだ。
>私としては比例数直線以外の思考ツールの活用方法が算数教育界で話題になるだけでもうれしい。

と述べています。なんとなく、そのあとの文章を読むと、
田中氏は4マス関係表について自慢げに述べているようにも見える。

算数教育界とは不思議な世界です。

「ひとまず数表でも書いてみるかな」という発想で、実際に数表を書くことにし、
まだわかっていない部分はひとまず空欄にしておく、というようなことは、
算数をマスターしていたら誰でも当然思い付かなければいけないことだし、
実際にそういう発想が欠けていると後で困ると思います。

複雑な状況では数表を4マスですますことは不可能になりますが、
どんなに状況が複雑になっても「ひとまず数表でも書いてみるかな」という発想は役に立つ。

図を描いたり、グラフを描いたり、数表を書いたり、文章を要約したり、……と、
様々なことをしながら考えることは算数で習うはずの大事な事柄です。
本当に大事なのは、それらを「きはじ」のようにパターン化して使うのではなく、
一般的な思考のツールとして自由に使えるようになることです。
「数表を書く」「ひとまず空欄にしておく」という発想を4マス関係表のような使い方をした途端に
「ひとまず数表でも書いてみるかな」のようなあらゆる場所で通用する考え方とは
まったく別物になってしまいます。


  • [1]
  • 田中氏の主張 1

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2012年10月 9日(火)00時20分40秒
  • 返信
 
東洋館出版社 プレミアム講座ライブ 田中博史の算数授業のつくり方 p140~

□ 3年生までの指導のあり方

参加者 F : 3年生までの指導で、気をつけることはありますか。

 3年生までは問題を生活場面に置き換えることができます。だから、できるだけ具体的な絵を描いて自分なりのイメージをもたせて解決させたほうがいいです。先ほど5年生で4マス関係図を見て提案したときに、「この表、3年生でも使えますね」と言った人がいましたけど、3年生では必要ないと私は考えます。

 3年生はやっぱり具体的に絵を描いて、その具体的な絵の場面で認識するほうがまだいいのです。4マスの関係で解かないと、ハードルを越えられないような場面になったら使うというのがよいのです。道具は必要になるまで使わないというのが大切です。「先生、そうか、こういう文章題はこういう表に整理するとすっきりするね」と感じることがならば、今まで低学年でやっていたものを、この表に入れることができるかなあともっていって、整理に使うというのは意味があります。

 では、整理してみますね。上の図で800がわからないときは、かけ算を使います。低学年でやったかけ算はここがわからない問題です。
 200がわからないとき、これはわり算です。いわゆる等分除になります。4mを1mにしたと考えるのだから、1mにあたる量を求めるものだから、800÷4ですね。これが等分除です。
 しかし、4mがわからないとき、何回分、何m分になるかがわからないときですから、ここは同じわり算でも、包含除です。
 このように表に整理することを、高学年で便利だなあと思った子どもが、「今まで低学年習ったこともこのようになっているの」と聞いたときにあてはめてみるのはいいと思います。すると「なんだ、要するに、今まで習った文章題というのは、この4つのところがわからなくなるだけなんだ。ここがわからないときはかけ算だった、ここがわからないときは等分除だった、ここがわからないときは包含除だった」というように、子どもが整理することに意味があります。でも、3年生までのときはやはり、絵を描いて具体的な場面を把握して認識すると言う世界で頑張り続けたほうがいいですね。頑張れなくなったときに、壁に出会ったときに乗り越える手段として比例関係の表を使うのです。
 ちなみに、今、この1mの場所が1つ余っていますね。この1mがわからない場面は、4年生までの文章題では出てこないんです。ここがわからない場面というのは、高学年で比を使った問題になったときに出てきます。

↑ 引用 おわり


 4マス関係表とやらがそんなに素晴らしいもんだとも思わないですが、とにもかくにも3年生までと高学年とは違うんだと言ってますね。

 で、低学年の子どもに絵を描かせると言ってますが、実際、どんなふうにして絵を描かせるのか、次回はそのあたりを見ていこうと思いますが、かなり???なことをおっしゃってます。


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