• [0]
  • 算数・数学の学び方・教え方について、あれこれ

  • 投稿者:積分定数
 
 似たようなタイトルで遠山啓の本があったけど、まねしたわけではありません。掛け算の順序指導をしている教師とやり取りしていて、そもそも目指すべき方向が私と根本的に異なると思うことがあるので、算数・数学を学ぶ・教えるとはどういうことなのか、総論・各論、一般論・具体論含めて考えていきたいと思います。

投稿者
題名
*内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
URL
sage

  • [38]
  • Re: dfの定義

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 4月 1日(土)04時44分1秒
  • 返信
 
>>37
> twitterの方にも書きましたが、添付図の通り。
> 図のdfの定義に従えば接線の傾きはdf÷dxにぴったり等しい。
> たったこれだけの話をどうして普通に教えようとしないのやら。


積分の方も、原始関数を表す単なる記号・面積を求める演算を表す記号  とされているような気がします。「dy/dxは分数ではない」なら当然そう言うことになってしまう。

  • [37]
  • dfの定義

  • 投稿者:くろきげん
  • 投稿日:2017年 4月 1日(土)00時18分36秒
  • 返信
 
twitterの方にも書きましたが、添付図の通り。
図のdfの定義に従えば接線の傾きはdf÷dxにぴったり等しい。
たったこれだけの話をどうして普通に教えようとしないのやら。





  • [36]
  • 微分は比例定数

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 3月28日(火)22時46分58秒
  • 返信
 
■ 微分は分数だったはずでは?

 微分は比例定数である。前回、微分は分数でdy/dxは見た目通り、dyをdxで割ったものと見なして構わないと述べたが、y=axと見るか、a=y/x と見るかの違いに過ぎず、本質的には同じことである。




■  f(x)の変化はxの変化に、ほぼ比例する

 前回述べたように、[f(x+Δx)- f(x)]/Δx のΔxを0に近づけた極限値がdf/dxである。ここで文字をxをa、Δxをhに変更する。便宜的なもので深い意味はない。hが0に非常に近いと、[f(a+h)- f(a)]/h = f’(a) という近似式が成り立つことになる。

これを f(a+h)- f(a)= f’(a)*h と変形する。近似式だから厳密性は欠く。微積分の理解には、このような“厳密ではない大雑把なイメージ”が不可欠。ここで、aを定数、hを変数と見なせば、f(a+h)- f(a)はhに比例していて、比例定数はf’(a)となっている。

大雑把に言うと、関数f(x)のxをちょっと動かすと、それに応じてf(x)もちょっと変化する。その変化の度合いを表したものが微分係数ということになる。



■ 例 f(x)=x^3 の微分

f(x)=x^3(xの3乗)のx=2での微分係数(「微分」とか「導関数」とか「微分係数」とか色々な言葉が出てくるが、あまり気にする必要はない)を求めてみる。

(2+h)^3-2^3がhに比例しているとしたときの比例定数を求めればいいのだが、
(2+h)^3-x^3=12h+6h^2+h^3 で比例式にならない!

しかし、hは0に極めて近い微小な値である。そうするとh^2、h^3はものすごく小さな値となるので0と見なして、2次と3次の項は無視してしまう。
そうすると、(2+h)^3-x^3=12h となり、比例定数は12となる。

一方、[(2+h)^3-x^3]/hでhを0に近づけても同じ結果になる。
どちらも似たような計算をすることになるので、この例では、比例定数と見なすことのありがたみはさほど感じない。分数と見なすのも比例定数と見なすのも本質的には同じことだから、当然とも言える。



■ 積の微分

積や合成関数の微分の公式を求めるには比例定数という見方は有用かもしれない。

f(x)とg(x)のx=aでの微分係数をそれぞれ、f’(a) 、g’(a)として、f(x)とg(x)の積:f(x)*g(x)のx=aでの微分係数を求めてみる。

これは、
f(a+h)-f(a)=f’(a)*h
g(a+h)-g(a)=g’(a)*h
という条件の下で、f(a+h)*g(a+h)-f(a)*g(a)をhの比例式と見なして比例定数を求めるということである。

f(a+h)=f(a)+f’(a)*h  g(a+h)=g(a)+g’(a)*h  なので、

f(a+h)*g(a+h)-f(a)*g(a)
=[f(a)*g’(a)+f’(a)*g(a)]*h+f’(a)*g(a)*h^2

先ほど同様、hは微小だから2次の項は無視すると[f(a)*g’(a)+f’(a)*g(a)]*hとなり、比例定数はf(a)*g’(a)+f’(a)*g(a)となる。これが求めるべき微分係数である。

合成関数の微分の公式も同様に求めることが出来る。
微分を分数・割り算と見なしてこれらの公式を導くことも出来るが、若干の技巧を要する。
比例定数と見なせば、特に工夫することなく、粛々と計算して求めることが出来る。


■ 多変数関数

 高校数学ではあまり出てこないが、大学以降の数学や物理などでは変数が2つ以上の関数(多変数関数)の微分を扱うことがある。この場合も、変数をちょっと動かしたらそれに応じてどう変化するかを見ることになり、比例定数に相当するのは、その拡張概念である行列・線型写像(※)である。

(※)行列・線型写像は微積分同様極めて応用範囲が広く有用。比例概念の拡張と認識していると理解しやすい。かつては高校数学で扱ったが、残念ながら、学習指導要領の改訂によって、扱わないことになってしまった。

  • [35]
  • 微分は分数 dy/dxを「dx分のdy」と読んでも構わない

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 3月24日(金)22時19分41秒
  • 返信
 
「微分は分数ではないから、dy/dxを『dx分のdy』と読むのは間違い。『dy dx』と読むのが正しい」と言う人がいる。その人自身はちゃんと理解した上でそう言っているのだろうが、微積分を学ぶ人への助言としてはあまり望ましいものとは思えない。


■ 数式・数学記号の読み方は本質的ではない。

 記号の読み方は理解とは関係ない。極端に言えば仮に「×」を「たす」、「+」を「かける」と読んだとしても、正しく理解しているということはあり得る。
 とはいえ、敢えて一般的ではない読み方をする必要はない。「×」は「かける」、「+」は「たす」と読むのが普通だから、それに従った方がいいだろう。
 しかし、数式・数学記号の読み方は、完全に統一されているわけではない。高校数学以降で学ぶ数学記号は、人によって読み方が違うことはざらにある。「正しい読み方」に拘る必要はない。dy/dxの読み方は、「dx分のdy」、「dy dx」どちらが正しいのか?、などと悩む必要はない。どちらでも構わない。重要なのは読み方ではなく、概念の理解。



■ 微分は分数か?

「dy/dxを『dx分のdy』と読むのは間違い。」という人は、「微分は分数ではない」を理由に挙げるが、 [f(x+Δx)- f(x)]/Δx このΔxをどんどん0に近づけた極限値がdf/dxであり、 f(x+Δx)- f(x)=Δf とすれば、Δf/ΔxがΔx→0で、df/dxになるわけで、やはり df/dx は分数に見える。
 ではなぜ「微分は分数ではない」と言われるのだろうか?おそらく、極限値をあらわしているので普通の数とは違う、ということだろう。Δf/Δx であれば、Δxには0に近い具体的数値が入っていると考えることが出来る。Δx=0.1、0.01、0.001、とどんどん0に近づけていくと、Δf/Δx はある値に近づく、それをdf/dx と表す、ということであってdxに具体的数値が入るということではない。
 そうすると、「2/3は分母が3で分子が2の分数というのと全く同様に、dy/dxは分母がdxで分子がdyの分数と言うのは厳密性に欠く」というのも一理ある。ただし、そのような厳密なことに拘らないなら、「dxは0に極めて近い値で、dyはそれに応じた極めて0に近い値。dy/dxは見た目通り分数で、dyをdxで割ったもの」と捉えておいて問題ない。


■ 理解のためには、微分は分数、と捉えることが有益

 「微分は分数」と捉えると、厳密性に拘った場合に色々厄介なことになるので、それを回避するために「微分は分数ではない。微分という操作の結果がdy/dx」と説明されることが多い。しかし初学者が「微分は分数ではない」と思い込むと、微分のイメージを欠いたまま、「とにかく何か分からない操作があってそれで出てくる」と認識してしまうことになる。
 高校でやる微積分や極限は、「曲線も微小部分に着目し拡大したらほぼ直線」というような“厳密ではない大雑把なイメージ”が重要である。「厳密ではないから」ということでこのようなイメージを排除すると、理解を伴わないで公式を暗記することになりかねない。
 微積分や極限は、大学の数学で教えられている“εδ論法”によって厳密な裏付けがなされるが、高校数学レベルでの大雑把な直観的イメージなしでこれを理解するのは難しい。




■ まとめ

◆ 数式・数学記号の読み方は本質的なことではない。dy/dxをどう読むかは原則自由
◆ 厳密性に拘らないならdy/dxは分数と捉えて構わない。
◆ 微積分の理解のためには、dy/dxを分数と捉えることは有用



  • [34]
  • Re: 「問題解決型授業」について その4

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 2月28日(火)16時51分7秒
  • 返信
 
>>33

私自身が算数・数学をどのように理解してきたかを思い起こすと、授業の最中に分かったと言うよりも、それ以外のときにあれこれ考えて理解してきたように思う。

授業時間のみで、

与えられた問題を考えて、他の人の意見も聞いて、討論して、採取的な結論で腑に落ちる、

というのは無理だと思う。


「与えられた問題を考える」は、授業時間に教室でやる必要性はないのだから、ここを持ち帰りの課題とするというだけのこと。


私自身、小学校時代の算数の宿題は、計算をひたすらやらされて苦痛だった記憶しかない。

「こういうのを考えてきて」というような解法を教わっていない問題を与えられたのなら、面白く取り組めたのではないかと思う。

  • [33]
  • 「問題解決型授業」について その4

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 2月28日(火)16時41分2秒
  • 返信
 
>>32

問題を出すのは授業の最後にしたらどうだろうか?


分数の掛け算・割り算をやる前に
「2/3mで8kgのロープは、1mだと重さはどうなるのか?」というのを次の授業でやると予告しておく。「意欲がある人は考えてみて」と言っておく。


これなら、自分で考えたい子が時間を掛けて試行錯誤することが可能である。

考えてこない子もいるだろうが、それは仕方ない。


で、次の授業では、「考えてきた子もそうじゃない子も、ここで改めて考えてみて」として通常通りの問題解決型をやるなり、やり方を教師が説明するなり考えてきた子に説明させて助言するなりしてもいい。


授業をどうするかはともかく、


意欲がある子に問題を与えて、考える十分な時間を与える、というのがポイント


それが保証されるなら、授業が多少稚拙であっても、あるいは分からない子への対処が優先されることになっても、さほど問題ないと思う。

  • [32]
  • 「問題解決型授業」について その3

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 2月28日(火)16時28分44秒
  • 返信
 
>>31

私は算数・数学は、公式・解法を教わりそれに当てはめて解くのでは面白くないし身につかないと考えている。そういう意味では問題解決型授業が目指す方向には賛成だが、子供の発言を上手に制御して目標とすべき結論に持って行って全員が分かるような授業にするには、教師の側にも技量が要求されると思う。

また、子供が各自で考える時間は10分から15分ぐらいに設定されているようだが、これだと時間が短すぎる。問題にもよるし子供によるが、30分掛けたら自分で分かったような子も、15分で強制的に終了させられて他の子の考えを聞かないとならない、というのもどうかと思う。


時間制限なしに好きなだけ試行錯誤してあれこれ考えるのが望ましいと思う。


でもそうなると授業時間が足りなくなる。

  • [31]
  • 「問題解決型授業」について その2

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 2月28日(火)16時17分31秒
  • 返信
 
>>30

また、ネットなどで指導案を見ると、子供たちに議論させるといいうつつもある程度のシナリオが用意されている。

そうすると、そのシナリオにそぐわない子供の発言は望ましくないとなってしまう。子供の側もそれを察して、自分の役割を演じるようになりはしないだろうか?

分からない子にとっては最後まで分からないままになる、という批判があるが、分かる子が最初から正解に行き着いて理路整然とそれを説明してしまったら、それはそれでシナリオが台無しになりかねない。

子供を含めて授業の目的が算数を理解することではなく、シナリオ通りに演ずることになりはしないだろうか?


↓こういうシナリオにない子供の反応は嫌われてしまいそう
http://math.artet.net/?eid=1421816
>小5の「単位量あたりの大きさ」の学習で、「こみぐあい」を勉強しているときに、「広さが同じである場合は人数が多いほうが混んでいる」という話になったときに、ある子どもが「人数が少ないほうがおすもうさんだったらどうなるんだ?」というツッコミを入れたそうです。そのときに先生は「関係ない」というような反応をしたそう。

  • [30]
  • 「問題解決型授業」について その1

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 2月28日(火)16時07分5秒
  • 編集済
  • 返信
 
>>29

それ以外にも私は以下のようなデメリットがあると思う。


教師自身が誤った算数認識を持っていて、誘導尋問で子供たちに誤った考えを吹き込むことになる。

等分除・包含除の区別は便宜的なものでこんなもの区別する必要もないし区別できないのに、わざわざ教え込んでいる。
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t2/616

Cちゃんの答えは全く正しく極めて合理的な考えなのに、それを否定するために教師が誘導尋問する授業
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/936115.html

「たしざんできるもの、できないもの」などという誤ったことを教えている。
http://www.hm.aitai.ne.jp/~itoh/jugyou/tasizannk.htm


掛け算の順序を教えるためにがんばる花まる先生
http://elem.educ.kumamoto-u.ac.jp/blog/article.php?story=20140813091354728


問題解決だろうがTOSSのような号令で子供を動かそうが、間違ったことを教えている段階で駄目な授業。

問題解決型は、子供たちが自分たちで考えて、教師が想定する「正しい考え方」(実際は誤った考え方)に行き着く体裁になっている。

ということは、表面上どのように見えようと、教師が持って行きたい結論に誘導していると言うことである。教師の介入なしに子供たちだけで考えたのなら、「等分除と包含除は異なる」などという算数教育界の恣意的な誤った考えに行き着くはずがない。


http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html
4人乗りボートに2人だけ乗るのはいいのかどうか?という出題者が設定すべきことを子供に議論させている。

これを見ると、とにかく子供に議論させさえすればいい、と思っているのではないかと勘ぐってしまう。


教える側が何を教えるべきなのかを見失っていては、どんな授業法であっても、話にならない。

  • [29]
  • 「問題解決型授業」について その0

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2017年 2月28日(火)15時49分10秒
  • 返信
 
https://twitter.com/sekibunnteisuu/status/835578159168774145
ツイッターの方で話題になったのでそれに関連して、考えをまとめておく。

「問題解決型授業」というのは、算数の場合だと、いきなり解法や公式を教えないで子供に考えさせて議論させて結論に導くというものらしい。

ネットや指南書を読むと

問題を出す(「発問」というらしい)
各自が考える
何人かが発表する
討論
結論

というような流れが一般的なようである。

これに関しては以下のようなデメリットも指摘されている。


分からない子は、いろんな考えを聞かされても分からなくて、結局最後まで分からないまま

時間がかかるので進度が遅くなる

  • [28]
  • 余計なことは教えない 一次方程式編

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 8月21日(日)22時45分42秒
  • 返信
 
一次方程式で以下のような間違いをしてしまう生徒がいる。

A 【3x+2=14】→【3x=14+2】
B 【3×(2x+4)=10】→【3×2x=10-4】
C 【3x=12】→【x=12/(-3)=-4】
D 【3x+7+2x=20】→【3x-2x+7=20】



一次方程式は両辺に同じ操作をすることで未知数を求めることが出来る。
やり方によって楽になったり面倒になったりはするが、両辺に同じ操作をしている限り、間違った解に行き着くことはないはずである。

例 【3x+2=14】
両辺から2を引く→【3x=12】→両辺を3で割る→【x=4】
両辺を3で割る→【x+2/3=14/3】→両辺から2/3を引く→【x=4】



では、A~Dのようなミスはなぜ生じるのか?
これらをもう少し詳しく見てみる。

A 両辺から2を引くべきなのに、左辺から2を引いて、右辺に2を足している。
B 左辺の括弧内の4を引いて、右辺から4を引いている。
C 両辺を3で割るべきなのに右辺を-3で割っている。
D 左辺だけを式変形しているのだが、【3x+7+2x】→【3x+2x+7】とすべきを【3x-2x+7=20】としてしまっている。

実はこれらはすべて、ある余計なことを教えた結果誘発されたミスである。
その余計なこととは「移項」である。

中学1年の数学教科(書学校図書)では、

x-9=3
x=3+9

2x=6+x
2x-x=6

を例示して、
---------------------------------
等式では、一方の辺にある項を、符号を変えて他方の辺に移すことができる。
このような操作を、移項という
---------------------------------
と述べている。

しかしやっていることは両辺に同じ操作をするということである。「移項」などということをわざわざ教える必要はない。余計なことを教えることで、ミスを誘発してしまう。

■「項を移動させる」という考えに陥ることで誘発されるミス

【x-9=3】→両辺に9を足す→【x=3+9】
単に両辺に9を足しただけのことである。しかし「移項」を教えることで、「項の移動」と見ることになってしまう。そうすることで、AやBのミスが生じる。

A 【3x+2=14】→【3x=14+2】
B 【3×(2x+4)=10】→【3×2x=10-4】

Aは、左辺の「2」を符号を変えないでそのまま右辺に移動してしまっている。
Bは、左辺の括弧内の数字を取り出して右辺に移動させてしまっている。

いずれも、「項を反対側に移動させる」と発想することが原因である。


■「符号を変える」というのを過剰に行ってしまう。

【3x=12】→両辺を3で割る→【x=12/3=4】
この場合も、左辺の「3」が右辺に移動しているように見えるが、この場合は「移項」とは呼ばない。何か特別な名前がついているのかどうかは知らない。
 とはいえこれも「項の移動」に見えてしまう。「移項では符号を変える」というの覚えていると、
C 【3x=12】→【x=12/(-3)=-4】
という誤りをおかしてしまう。

D 【3x+7+2x=20】→【3x-2x+7=20】
このDのケースも、「項を動かしたら符号を変えないとならない」と思ってしまったのが原因である。


これらのミスをなくすには「移項」というのを教えなければいいだけである。

ところがなぜか、中学数学では何の役にも立たないでミスを誘発する「移項」を教えることになっている。なぜそうなってしまっているのか、理由は分からない。

 おそらく今後も、数学教育の専門家の怠慢によって、是非が検証されることもなく惰性で「移項」が教えられ続けるであろう。

自衛策として、一次方程式を解くには、『移項』などというのは全く意識しないで、両辺に同じ操作をして未知数を求めるようにすればいい。


  • [27]
  • 初めての文章問題に計算式は必要?余計なことは教えない

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 7月23日(土)19時25分33秒
  • 返信
 
小学校1年生で、足し算や引き算の文章問題を扱う。この段階で、もし数の概念を習得していなかったり、文章問題の意味が理解できないとしたら、足し算・引き算よりも先に、これらを身に着ける必要がある。

 学校で、小学校1年生に対して行われている「文章問題は足し算か引き算のどちらかで解く。キーワードに着目してどちらなのかを決定する」という指導だと、文章問題の意味を理解しなくても、数の概念が不十分でも、とりあえず正解が出せてしまう。
 「理解なしでも答えが出せる方法」というのは便利でいいと思う人もいるかもしれない。しかし実際は逆で、こういう解法に頼ってしまうと、算数・数学がどんどん分からなくなり、ますます解法の暗記に頼らざるを得なくなり、悪循環に陥ってしまう。

 ある解法が有効なのは限られた範囲だけである。キーワードに着目する方法は”逆思考の問題”には通用しない。学年が進むごとに覚えるべき解法がどんどん増えていくが、それと同時に、それらを適切に使い分けないとならない。しかし、理解しないでそれを行うのは不可能である。結局、高校数学あたりで行き詰ってしまうことになる。

 そうならないためには、小学生の段階から理解のための学習を行うことが望ましい。そのためには小学校1年生の足し算・引き算の教え方から改善する必要がある。

教える上で守るべき原則は以下の2点である。

■ 余計なことは教えない。
■ 予備知識なしで解けるさまざまなタイプの問題を、易しい順に与える。


まず、小学校1年生の段階の子が以下のような状態だと想定する。

◆数の概念を習得している。物の数を数えられる。
◆簡単な文章は理解でき、文章題の意味も理解できる。
◆足し算も引き算も知らない。

 この想定は十分現実的である。冒頭で述べたように、もし数の概念や文章読解が不十分であれば、まずはそこをしっかり教えるべきである。これらが不十分なまま足し算だの引き算だの教えて、文章問題でとりあえず正解を出させる手法を教えるというのは、砂上に楼閣を築く行為である。

 こういう状態の子に以下のような問題を出してみる。

A「3人いるところに1人来た。何人になったのか?」
B「3人いたが1人帰った。何人になったのか?」
C「3人がミカンを2個ずつ持っている。全部で何個か?」
D「6個のミカンを2人で同じ数ずつ分ける。1人何個か?」

Aは足し算の場面、Bは引き算の場面、Cは掛け算の場面、Dは割り算の場面
などというのは、余計なことであり教えてはならない。

子供は、足し算も引き算も知らないのだから、そんなこと意識することなく、素で考えるしかない。遊んだりお菓子の数を巡って兄弟と喧嘩したりとさまざまな経験を積んでいて、数の概念を習得していて問題文の意味が分かれば、この程度の数値なら、答えを出せるだろう。

「何人かいるところに1人来て5人になった。最初に何人いたのか?」という逆思考の問題も同様である。問題文が理解しにくいようなら「最初に( )人いた。1人来たので5人になった」の括弧に適切な数値を入れされるようにしてもいいかもしれない。

 簡単な数値で、様々なタイプの問題をランダムに出す。子供がこれらに正しく答えることが出来たら、問題文の内容を理解した上で答えを出していると判断していい。また、足し算も引き算も教えていないのだから、「これは何算の問題か?」などと発想していないことは明らかである。

 数値を大きくして、「8人いるところに15人来た。何人になったのか?」ともなると、答えを出すのが困難になるかもしれない。それでも、「8より15だけ大きい数」「8、9、10、・・・と数えればいい。大変だけど、十分な時間を掛ければ出来る」と思うかもしれない。こう認識していれば、答えそのものは出せなくても十分理解しているといえる。

 このあたりから、効率よく数を数える方法や加減乗除の演算や式が有効となってくる。これらは子供にとっては問題を解く手段となる。

 教える側は、これら加減乗除などを習得させたくて、問題を出す。だからそれらを使って問題を解いてほしいと思ってしまうのだが、数値が簡単でそれらを使わなくても答えが出せる問題にまで使わせようとするから、話がややこしくなる。

「3人いるところに1人来た。何人になったのか?」は足し算を知らない子供でもすぐに「4人」と分かる。足し算を使う必要性も必然性もない。

 ところが算数教育界では、こういう問題で足し算を使わせることが目的になってしまっている。必要性も必然性もないのに足し算を使わせようとするので、「この問題文は足し算の場面」などという強引なこじつけが必要となってしまう。これは間違った教え方である。

 教える側がある手段を使わせたいと思ったら、その手段を使わざるを得ない問題を与えるべきである。

 その手段なしで解ける問題でその手段の使用を強要すれば、子供は「このような問題では、このような手段を使わないとならない」と思い込んでしまう。そうすると、「問題パターンごとに解法パターンを覚える」という間違った勉強法に突き進んでしまうことになってしまう。

  • [26]
  • 「逆思考の問題」で混乱するのは必至

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 7月17日(日)13時54分13秒
  • 返信
 
 小学校1年で足し算と引き算を教わる。この段階で、「文章題は足し算か引き算で求める。」となってしまう。算数教育界では「演算決定」という専門用語まであり、子供がこのように発想することを肯定的に捉えている。さらにまた、キーワードに着目して演算決定するように教えている。

ネットに公開されている指導案より
---------------------------------
これまでに子供たちは、文章題について、たし算では増加場面や合併場面を学習し、ひき算で は求残場面や求差場面を学習してきた。その中で、たし算やひき算が適切に利用できるよう、文章中の「みんなで」、「ふえると」、「ちがいは」、「どちらが」などのキーワードに着目をして、演算決定の手がかりとすることを学んできた。
---------------------------------
http://www.oklab.ed.jp/sugaku/sidouan/sidouan_syo/s1/s1191108.pdf


 これ自体が、「問題が与えられたら、これまで教わった解法のどれかで解くはずである。」「どの解法を使うかは、問題文の意味を捉える必要はなくて、一部を見て判断すればいい」という態度を助長し、その後の算数・数学の学習において多大な悪影響を及ぼすことになる。「問題文に『組み合わせ』とあるからCで解く」「面積を求めるのだから、とにかく積分すればいい」と、問題文の断片から条件反射的に解法を判断するのは、数学が苦手になる近道である。


前回書いたように、これだと、「金魚がいて2匹取ったら3匹残った。最初は何匹いたのか?」というような、「逆思考の問題」で行き詰る。このあたりをもう少し詳しく見ると、実に馬鹿らしいことになっていることが分かる。

1年では以下のようなことが教えられる。

■足し算の意味は「ふえるといくつ(増加)」、「あわせていくつ(合併)」の2種類
引き算の意味は「のこりはいくつ(求残)」、「ちがいはいくつ(求差)」の2種類
■文章問題は、増加場面・合併場面・求残場面・求差場面のどれかに当てはまる。
■場面に即した式を作る。

では、以下のような場合はどうなるのか?

問題「水槽に金魚が4匹いる。3匹追加した。何匹になったのか?」
答案「式 3+4=7  答え 7匹」

「それだと3匹いるところ4匹追加したことになってしまって場面に即していない。4+3=7とするのが正しい」と矯正されることになるのか?

「掛け算の順序」は時々世間の話題となるが、「足し算の順序が違うからバツ」という例はそれほど多くは報告されていない。しかし、皆無でもない。

 実際の学校現場でどの程度徹底されているかは不明だが、教科書会社や算数教育の専門家の意見を総合すると、算数教育の世界では、「この問題は『4+3=7』が正しくて『3+4=7』は間違い」とされているようである。実に馬鹿馬鹿しい話である。

教科書会社:啓林館のサイトより
問題「車が5台あるところに2台来たら何台になるか?」
「5+2が正しくて、2+5は間違い」と教える授業。
http://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/jissen/0709/1nen/

【友人ら3人と公園に行ったら、そこにはすでに4人いた。何人になったか?】
この場合、「正しい式」は、「4+3=7」なのか?「3+4=7」なのか?

「3人」の側に視点を置けば、「最初は3人で、その後4人」と見えるし、公園に視点を置けば「最初は4人で、そのあと3人」と見える。

「3に4加わった」と「4に3加わった」を区別する意味はないし、ましてそれらを「3+4」と「4+3」の違いで表現する意味もない。

ちょっと考えたら足し算の順序に拘るなど馬鹿げていることが分かるが、算数教育ではそういう馬鹿げたことが大真面目に教えられていることがある。

 そして、すでに指摘したように、2年生になって、逆思考の問題で実に困ったことになる。

問題「教室に4人いるところに何人か入ってきて11人になった。入ってきたのは何人か?」


「足し算の意味」「引き算の意味」「場面に即した式」などと散々教わっていたら、この問題で「11-4=7」とするのは躊躇するだろう。

 そこで、「式 4+7=11  答え 7人」としたとする。
足し算の意味「ふえるといくつ(増加)」で、問題文の場面にも合致する。

ところがこれだとバツになる可能性がある。
算数教育の専門雑誌に掲載されたある論説は、この答案を
「式は、わかっている数量だけを使って書くという考えが出来ていない。」と断じている。
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t52/1-2

 これでは、答えがわかっても、さらにどういう計算で求めればいいかがわかっても、答案にどういう式を書けば丸がもらえるのか、大人でも判断に迷うだろう。学校では、逆思考の問題では、それまで散々教えてきたことを忘れたかのように、「この問題は『11-4=7』が唯一の正しい式」とするようである。

 「逆思考の問題は子供にとっては難しい」というが、わざわざ子供を混乱させるように有害無益なことを教えた結果ともいえる。

 これは小学校算数に限った話ではない。中学・高校の数学教育全般についても同様のことがいえる。

■ 余計なことは教えない。
■ 予備知識なしで解けるさまざまなタイプの問題を、易しい順に与える。

たったこれだけのことで、算数・数学教育は今よりずっとスリムになる。


  • [25]
  • 余計なことを教えない。算数「逆思考の問題」

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 7月13日(水)21時40分27秒
  • 返信
 
 算数教育には、「順思考の問題」「逆思考の問題」と言われているものがある。具体例を見れば、どういう分類なのかが分かると思う。

順思考の問題例
イ「5人いるところに3人やってきた。何人になるか?」
ロ「5人いて2人帰った。何人になったか?」

逆思考の問題例
A「5人いるところに何人かやってきて8人になった。何人やってきたのか?」
B「何人かいるところに4人来たので6人になった。最初は何人いたのか?」
C「3人帰ったので、2人になった。最初は何人いたのか?」
D「6人いて何人か帰ったので、4人になった。何人帰ったか?」

 算数教育の世界では、「順思考の問題は、場面の通りに式を立てて答えを求められるが、逆思考の問題だとそうはいかないから難しい」とされていて、小学校1年に足し算・引き算を教える際は順思考の問題のみを扱い、逆思考の問題は2年生以降で扱うことになっている。

上の例題の場合だと

順思考の問題
イは足し算の場面で答えを足し算で求める。
ロは引き算の場面で答えを引き算で求める。

逆思考の問題
A、Bは足し算の場面なのに答えを引き算で求める。
Cは引き算の場面なのに答えを足し算で求める。
Dは逆思考の問題にもかかわらず、引き算の場面で答えも引き算で求める。

という具合になっている。だから逆思考の問題は難しいというのである。


教師に算数の教え方を指南するサイトには次のように書かれている。
---------------------------------
はこの中から あめを 12こ とって たべたら、はこの中には まだ 18こ のこっています。はこの中には はじめ なんこ はいっていたのでしょう。
このような問題が出され、子どもたちが加減の演算決定をする場面があります。この問題の場合には、状況そのものは「減法」の場面です。しかし、答えを求めるのは「加法」です。このように、場面としては「減法」(加法)でも答えを求める際にはその逆算である「加法」(減法)で求める種類の問題は、「逆思考」の問題と呼ばれています。
このような場面では、いわゆる「キーワード」と呼ばれる「ぜんぶで」「あわせて」「ふえて」「へって」「ちがいは」などによって演算を決めるわけにはいきません。もう一度、数量の関係を確かめてみる必要があります。そのための1つの「数のモデル」として「テープ図」があり、これを機会に導入するのです。
---------------------------------
https://edupedia.jp/article/53233f95059b682d585b6594?km_saf_try_cnt=1


 算数教育では、問題文の状況を指して「これは足し算の場面」「これは引き算の場面」「どちらになるかはキーワードに着目すればいい」などと教えていることがある。これだと当然、逆思考の問題でうまくいかなくなる。そこで今度は「テープ図」なるものが教えられることになる。

 「取り敢えずその単元の問題だけは解ける、その場限りの安直な手段」が教え込まれ、単元が進むとそれではうまくいかなくなり、別の手段が教えられる。数学教育の悪いパターンが、小学校低学年からすでに始まっている。この結果、教える教師の側も、教わる生徒の側も、「算数・数学の勉強とは、問題パターンごとに解法を覚えること」となってしまう。こうなってしまわないためには、小学校低学年の段階から教え方を改良する必要がある。

 仮に以下のような状態の子がいたとする。
◆数の概念を習得している。物の数を数えられる。
◆簡単な文章は理解でき、文章題の意味も理解できる。
◆足し算も引き算も知らない。

 この子にとって、この飴玉の問題は、「引き算の場面」でもなければ「足し算で求める問題」でもなく、問題文に書いてあるとおり、最初にあった飴の数を求める問題に過ぎない。
 この問題では数値が大きいから難しいかもしれないが、「2個食べて3個残った。最初は何個あったか?」であれば、容易に答えを出せる可能性が高い。

 ところが余計なことを教わると、「2と3で足し算か引き算のどちらかをやればいい。食べた、残った、とあるから引き算だ。3-2=1 答え 1個」などとなってしまう。

 学校では、余計なことがいろいろ教えられていて、このことでかえって算数・数学の理解が妨げられることがありがちである。

  • [24]
  • x^xの微分

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 7月 7日(木)10時52分7秒
  • 編集済
  • 返信
 
x^xの微分はy=x^xの両辺の対数をとって・・・というのが定番だが、
全微分の考えも使える。
z=x^yとして、dz=[∂(x^y)/∂x]dx+=[∂(x^y)/∂y]dy
dz/dx=[∂(x^y)/∂x]+=[∂(x^y)/∂y]dy/dx
y=xだから、=[∂(x^y)/∂x]+=[∂(x^y)/∂y]

微分の定義に直接戻って

(x+h)^(x+h)-x^x
=(x+h)^(x+h)-(x+h)^x+(x+h)^x-x^x

ここで平均値の定理を使う、というのもあり。

私が思いつくのはこれぐらいだった。


で、高専の生徒に偏微分と全微分を教える過程で、x^xの微分をやってもらった。全微分を使って解いてもらいたかった。


ところが、x^x=e^(xlogx)と変形してあっさりといてしまった。

考えたらこれでもいける。自分がなぜこの方法に気づかなかったのか?
x^xの微分をいくつかの方法で出来ることがわかっていたからそれ以外思いつかなかったのだろう。

この生徒はそんな方法は知らないから、真っ先に思いついたのがこれだったのだろう。


直前にe^xの微分を前提にa^xの微分というのをやっていた。この場合、e^(xloga)と変形して合成関数の微分でやるのだから、x^x=e^(xlogx)と変形したのはごく自然なことだったのかもしれない。



数学を教えていて、生徒が思いもかけない方法で解いたら嬉しいものじゃないのかな?
>>23


  • [23]
  • 2次関数の接線を判別式で求めて何が悪い!?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 7月 7日(木)10時32分45秒
  • 編集済
  • 返信
 
2次関数の接線を判別式で求めて減点された事例がツイッターで流れていた。
微分の授業が終わった後のテストらしいが、微分で解くように、という指定はない。

減点の理由は「3次だと使えないから」というもの。

実際の問題は2次なんだから2次にしか使えない方法を使っても何も問題ない。3次がどうこういうのなら、3次の問題を出せばいいだけ。

この採点は、このブログ主の考えとも近い。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4766.html

どちらもくだらない駄目な教え方である。


さらに3次式で通用しない、というのも誤り。

むしろ、「なるほど微分を使わないでもこれで出来るが、3次以上ではどうだろうか?」と授業を膨らませる絶好のチャンスですらある。

で、x^nのnが自然数や負数、有理数まで拡張できるのか?となると面白いことになる。


「こういう方法で解いてほしい」と思ったら、その方法で解かざるを得ないような問題を出すのは出題者の義務。
問題を解く側は出題者の意図を忖度することなくとにかく出された問題を解けばいいだけ。
自分が解いてほしい解法と違うからと減点するのは言語道断。

http://


  • [22]
  • 「これ何算?」 高校数学での躓きは小学校で始まる

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 7月 5日(火)23時32分29秒
  • 返信
 
 前回のブログで、学校では算数・数学のカリキュラムが細分化されていて、出題パターンが限定されてしまい、問題を解くことが理解につながらないと述べた。今回は、小学校算数で具体的にどうなっているかを見ていく。

 国内には算数教科書を出版する会社がいくつかあるが構成はどれもほぼ同じである。ここでは学校図書の1年教科書に掲載されている問題を見てみる。
(※ もちろん、実際の教科書の問題文は、小学校1年生が読むことを想定して、表現はこれとは異なる。)


足し算の単元は【あわせていくつ】と【ふえるといくつ】に分かれている。
---------------------------------
【あわせていくつ】
「赤い花が5本、白い花が4本ある。あわせて何本?」
「白い兎が2羽、黒い兎が5羽いる。全部で何羽?」など。

【ふえるといくつ】
「自動車が4台停まっている。3台来ると全部で何台になるか?」
「鉛筆が5本ある。今日3本もらった。全部で何本?」など
---------------------------------

引き算も【のこりはいくつ】【ちがいはいくつ】に分かれている。
---------------------------------
【のこりはいくつ】
「金魚が5匹いる。2匹取った。何匹残るか?」
「折り紙が9枚ある。4枚使った。残りは何枚?」
「子どもが9人遊んでいる。3人帰った。残りは何人?」

【ちがいはいくつ】
絵が示されていて「男子は女子より何人多いか?」
絵が示されていて「ケーキの数は皿の数よりも何個多いか?」
絵が示されていて「赤い車と黄色い車、どちらが何台多いでしょうか?」
---------------------------------

同様に、掛け算の単元では掛け算を使う問題ばかり、割り算の単元では割り算を使う問題ばかりが出される。
そうすると子どもは文章題に対して「今は引き算を習っているから引き算をすればいい」となってしまう。これらが混ざって出されることもあるが、その場合も加減乗除の4つのどれかで解ける問題ばかりなので、「これは何算か?」と発想するようになってしまう。


 高校数学の「順列・組み合わせ」で、「これはCで解くの?Pで解くの?」となってしまう萌芽が、小学校算数の段階で作られることになる。

 「中学までは数学が出来たが高校で急にわからなくなった」というケースの多くは、このように、解法を覚えて当てはめるという勉強をずっと続けてきたことが原因である。
 高校数学ともなれば、問題パターンも多様で、それぞれの解法パターンを覚えて当てはめるという方法は通用しない。実は「急にわからなくなった」のではなく、それ以前から理解していなかったのが露呈したのである。

 こうなってしまったら、
■理解しているところまでさかのぼって勉強しなおす。
■これまでの勉強法を改める
ということが必要なのだが、長い間やってきた方法を手放すことが出来ず、公式・解法の暗記に四苦八苦する高校生が少なくない。しかし苦労しても理解にはつながらない。


 こうなる前に、小学校の段階からちゃんと理解していく学習法をした方が望ましいのは言うまでもない。そのためには、現在の教科書のカリキュラムに沿って勉強するのではなく、少し工夫する必要がある。

  • [21]
  • 何のために問題を解くのか?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 6月30日(木)23時14分45秒
  • 編集済
  • 返信
 
 学校の授業にしろ自宅での課題演習にしろ、数学の学習のほとんどは問題を解くことに費やされる。しかし、問題を解くことはあくまで手段であり、本来の目的は数学を理解することである。

 とはいえ、適切な問題に適切に取り組むのであれば、問題を解く際に、「この問題を解くのは理解のため」と意識する必要はない。問題を解くことを目標に努力していれば自然に理解が深まることになる。

 しかしながら現在の学校教育においては、カリキュラムの不備や教える側の認識不足もあり、適切な問題が出されず、問題を解くことが理解につながっていないケースが多い。


 例えば「3+2という問題しかテストに出さない」と宣言して、その通りに実行するなら、足し算の概念を理解しないでも、さらには数字の意味すら知らなくとも、とにかく「=5」と書くことだけを覚えればいいから、正解が書けても「理解している」とみなすことは出来ない。

 勿論これは極端な例だが、一般に問題のパターンが限定されていればいるほど、問題を解く側は、理解することよりも、その問題パターンに特化した解法パターンを覚えようとしがちになる。これでは、正解したからといっても理解しているとは言えない。

 現在の算数・数学教育では、単元が細かく分かれていて、各単元ごとでの問題パターンが限定されている。その結果、教師は「その単元に出てくる問題の解き方」を教え、生徒はそれを覚えることになってしまう。

 例えば、速さの概念は微積分や物理につながる重要なものだが、学校でよく教えられている「はじき」「みはじ」は、概念の理解なしに答えを出すだけのものである。「はじき」「みはじ」を覚えてしまうと、その後、微積分や物理を学習する時に困ったことになる。


問題を解くことの本来の意義
---------------------------------
 ◆正解できるかどうかで理解がわかる。
 ◆問題を解く過程で試行錯誤することにより理解が深まる。
 ◆正解するためには、理解しなければならないので、理解するように努力する。
---------------------------------

算数・数学教育の実情
---------------------------------
 ◆出題パターンが限定されているので、理解していなくても、正解できてしまう。
 ◆問題のパターンごとに公式・解法に当てはめるだけなので理解につながらない。
 ◆問題を解くために、理解ではなく、公式・解法の暗記に努める。
---------------------------------



高校数学あたりになると、問題のパターンも多様となり、解法を覚えるという勉強法は通用しなくなる。

高校になり急に数学がわからなくなったとしたら、

■それ以前の中学時代から実は理解していなかった。
■解法を覚えるという間違った勉強法をしてきた。

という可能性が高いので、勉強法を改める必要がある。


  • [20]
  • 「公式・解法を覚える→問題に取り組む」の順番を逆にしてみる

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 6月18日(土)18時29分31秒
  • 返信
 
http://sekibunn.at.webry.info/201606/article_1.html

 勉強しなければできないのは当然だが、勉強してもできるようにならないなら、今やっている勉強方法を疑ったほうがいい。塾で生徒を見ていると、「今まで間違った勉強をしてきたんのだろうな。これでは数学が分からなくなるのも当然だな」と思うことがしばしばある。

 多くの人は、「数学の勉強は解法・定理・公式を覚えて、問題に取り組むもの。解法を覚えるために問題を解く」と思っているようだ。教える側もそう思っているようで、高校の数学は教師が一方的に説明して、生徒が演習問題を解くというスタイルが多いらしい。しかしこれだと、与えられた解法に当てはめるだけになりがちで、理解は深まらない。

 大場数理学院では、「やり方を教わらないで問題に取り組むことで、解法・公式を自分で発見・獲得していく」という方法を推奨している。

   座標平面上の点(2,3)と直線4x-5y+3=0の距離を求めよ

 例えばこの問題を、「点と直線の距離の公式」に当てはめてるのではなく、公式を教わらないで、知らない状態で解くのである。

 当然、時間と手間がかかるが、このことで目の前の問題だけでなく数学全般に取り組む力が強化される。例えばこの問題のままでは難しいと思ったら、まずは原点からの距離を求めるなど、色々工夫することになる。やさしい簡単なケースから取り組んで、そこを手がかりに徐々に一般化していくというのは、数学全般で有効な方法である。なかなか解けなくて悲観的になるかも知れないが、そこであれこれ試行錯誤する経験が、数学全般を理解するのに役立つことになる。


多くの人がイメージしている数学の勉強法
--------------------------------------
【公式・解法を覚える】
「座標平面上の点(p,q)と直線ax+by+c=0の距離は、・・・」

【類題をやって公式・解法を定着させる】
座標平面上の点(2,3)と直線4x-5y+3=0の距離
座標平面上の点(-2,4)と直線x+3y-7=0の距離
座標平面上の点(-1,2)と直線7x+6y-10=0の距離
・・・


問題のタイプごとに解法・公式を覚えて当てはめていく。
大学入試対策に、膨大な数の公式・解法を覚えないとならない。
------------------------------------




大場数理学院の進める勉強法
----------------------------------------
【公式・解法を知らない状態でいきなり取り組む。】

最初はやさしいものから徐々に一般化していく。
座標平面上の点(0,0)と直線x+y-6=0の距離
座標平面上の点(0,0)と直線2x+3y-6=0の距離
座標平面上の点(0,0)と直線ax+by+c=0の距離
座標平面上の点(5,6)と直線x+y-6=0の距離
座標平面上の点(5,6)と直線2x+3y-6=0の距離
座標平面上の点(p,q)と直線2x+3y-6=0の距離
座標平面上の点(p,q)と直線ax+by+c=0の距離

公式が最初から存在するのではなく、徐々に浮かび上がってくるイメージ。

【少し間をおいてまたやってみる】
今度はもう少し速く導くことができる。
これをくり返していくと、公式をすぐに導けるようになり、公式を覚えているのか、導いたのかが曖昧になる。


 意識的に覚えようとしなくても自然に頭に入る。仮に忘れてしまっても、また導くことができる。

試行錯誤の経験が、座標空間での点と平面の距離という発展した内容や、まったく別の単元について考えるときに生かされることになる。

大学入試で、見慣れない問題に遭遇しても、それまでも「解法を知らないで初めて見る問題を解く」という経験を何度も経験しているので、「まあ何とかなるだろう」と取り組むことができる。
--------------------------------------


 この方法は、時間がかかり、効果がすぐには見えないが、本格的に数学を勉強したいと思っている人にはお薦めの方法である。


【数学 学び方】

  • [19]
  • 概念の潜在的理解

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 5月11日(水)22時20分24秒
  • 編集済
  • 返信
 
2/3個で100gだと1個での重さは?これを100÷2×3と解く子は、分数の割合の概念を潜在的に理解できている。

「1人3個のあめ玉を集めたら12個になった。何人があめ玉を持ってきたのか」を、3×4=12と解く子は、割り算や方程式の概念を潜在的に理解してる。

3を5つ足した数と3を4つ足した数を足すと、3を9つ足した数と同じである、と理解している子は、掛け算を習っていなくて乗法の演算記号「×」を知らなくても、潜在的に分配法則を理解している。


f(x、y)が最小値を取る(x、y)は、xで微分して0、yで微分して0となる(x、y)を求めればいい、と考えている人は、偏微分と言う言葉や∂という記号を知らなくて、偏微分の概念を潜在的に理解している。高校時代の私がそうだった。


 教える側は、このような概念の潜在的な理解というのがありえることを認識すべきである。

 用語や記号は概念の理解の本質でもなければ、理解しているかどうかの指標にもならない。

 用語や記号を使わなくても理解している場合もあるし、使っても理解していないということもある。

 潜在的理解していたら、形式・慣習などを教えるのはさほど手間はかからない。

  • [18]
  • 割り算の式を書かなくても割り算の概念を理解している

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 5月11日(水)21時52分36秒
  • 編集済
  • 返信
 
自己流で解いていると、壁にぶつかることが
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4766.html
例えば、「1人3個のあめ玉を集めたら12個になった。何人があめ玉を持ってきたのか」という問題で、 式(3×4)  答え(4人) とする子がいます。

 この子の頭の中では、3×x=12 という方程式をつくり、解いたのでしょう。でも方程式を作る力はもちろんないので(3×4)とすると12になるから、ということで考えたのです。

 考え方に間違いはありませんね。それなら、式は(3×4)でいいのでしょうか。

 この子は、わり算の概念ができていないので、かけ算で解いたのです。
 わり算という方法を教えてあげなければいけません。



仮にこの子が割り算も方程式も知らなくても、この子はそれらの概念を完全に正しく理解している。

3×( )=12の括弧を埋めることは、割り算そのものである。

>方程式を作る力はもちろんない
>この子は、わり算の概念ができていないので、かけ算で解いたのです。


という解釈はまったく当たっていない。

ブログ主は「文字xを使って式を立てる」「割り算の式であらわす」という形式を理解の証拠と見なしているようである。

というか、そういう形式で答えることを理解の定義としているようでもある。

http://


  • [17]
  • 自然な発想を邪魔しないで、むしろ発展させる教え方  分数の割り算を例に

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 5月11日(水)14時24分21秒
  • 返信
 
「セルフ塾のブログ」でのやり取りは決裂してしまったが、あのブログは算数教育のあり方を考える材料となるので、利用させてもらう。

分数のわり算。わり算はわる計算ではなく、1あたりを求める計算
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4763.html

このブログでは「1/3個で100gだと1個では?」を「100×3」と求めると駄目で、「100÷1/3」とさせるべきと言っているが、愚の骨頂である。

 ブログ主は「100×3とした子は分数の割り算を理解してない」と見なしているがそれがそもそもおかしい。

 その上で、この子がまだ分数の割り算を習っていない、あるいは理解してないとして、どのような教え方が望ましいのか考えてみる。

 まず、「100×3」としているのは潜在的には分数の割り算を理解していると見なすべきだろう。

 1/4個なら4倍、1/5個なら5倍、とすぐに分かるだろう。


「2/3個で100gなら、1個の重さは?」

これで、「1/3個なら50g」と気づけば、「50gの3倍」と求められるだろう。

気がつかなければ「1/3個の重さは?」と誘導問題を出すのも仕方ないだろう。
教える側がどのあたりでどの程度介入するかの匙加減は難しいだろうが、子どもが自由に考えて自然に効率のいい方法に気づくように促すのが難しい。


こうやって、「a/b個でcgなら、1個の重さは?」を、c÷a×bとおもめられるようになったら、それは実質的に分数の割り算を理解していることを意味する。

 あとは、「4個で100gなら1個の重さは?」を「100÷4」と求められることとつなげて、

a÷(b/c)とa÷b×cが同じことであることを納得させればいい。
分数の掛け算を理解しているなら、これらがa×(c/b)と同じになることを納得させればいい。


分数の割り算は他にも、

2/3×( )=4/5の括弧に当てはまる数を探す、だとか、

(4/5)/(2/3)というように分子・分母が分数になる形を作って、分子分母に同じものをかけても数は同じ、という性質を利用する

だとかいろいろある。

これらを独立にそれぞれやる中から、分数の割り算が理解される。


当該ブログではまず「1個の重さを求めるから割り算になる」として、「100÷1/3」という式を立てて、この計算をどうするかを論じている。


そう考えても構わないが、子どもがそう考えないとならない義理はない。


分子が1の場合なら、分数の割り算を経由しない方がむしろ普通だしエレガントといえる。

仮に「3/4個で・・・」を÷3×4と求めても、÷(3/4)に直させる必要もないだろう。

「÷3×4 ÷(3/4) どちらでも構わない。どちらも同じこと」

と分かっているなら何の問題もない。


ブログ主は、おそらく「分数の割り算を使う問題」という前提がありそれに拘ってしまっているのだろう。

 また水道方式の名前の由来である「一般から特殊」への拘りも感じる。

「まずは分子が1ではない一般的なケースが基本。これが出来れば、分子が1の場合も包括できる」ということだろう。

 そういう順序で理解してはいけないとは言わないが、子どもがその順序で理解しないとならない義理もない。


 特殊だの一般だのは固定的なものでもないし、要はできる問題からできる方法で求めていけばいいだけ。壁にぶち当たったらそこで試行錯誤すればいい。

 分数の割り算なしにすぐに求まるのに、分数の割り算を使わせようとするのは、駄目な教え方である。

  • [16]
  • 「田の字」について

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 5月 9日(月)12時28分13秒
  • 編集済
  • 返信
 
「セルフ塾のブログ」でやり取りした中には出てこなかったが、「田の字」に関しても気になる。

↓ブログ主の著書

中学数学・理科が「田の字表」なら解ける・わかる・点がとれる!
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%95%B0%E5%AD%A6%E3%83%BB%E7%90%86%E7%A7%91%E3%81%8C%E3%80%8C%E7%94%B0%E3%81%AE%E5%AD%97%E8%A1%A8%E3%80%8D%E3%81%AA%E3%82%89%E8%A7%A3%E3%81%91%E3%82%8B%E3%83%BB%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%83%BB%E7%82%B9%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%82%8C%E3%82%8B-%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9-%E4%BB%B2%E6%9D%BE-%E5%BA%B8%E6%AC%A1/dp/4756912613/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1345601916&sr=1-2

商品の説明
内容紹介
比例式で解く問題を、田の字表にわかりやすく整理して解くための方法を紹介。単位の換算、電気、二次関数、割合、比、三平方の定理などの問題を田の字表に整理しながら解いていく。

著者からのコメント
 (中学生のみなさんへ)
「かけ算?わり算?」の迷いにサヨナラを

 「あっ,文章問題だ。計算問題は得意なんだけどなあ。文章題だとかけ算なのか,わり算なのか,分からないよ」
 こんなことをつぶやいていませんか。

 この本をやれば,もうそんな迷いはなくなります。田の字表に整理し,それを簡単な方程式にして解くだけ。それで文章問題が解けるのです。かけ算なのかわり算なのか考える必要はありません。

 速度の問題で「み・は・じ」や「は・じ・き」でやっていませんか。速度の問題ならそれを覚えれば解けますね。でも,それは速度の問題にしか使えません。
 田の字は,もっといろんなのに使えます。目次を見てください。速度以外に,圧力,密度,濃度・・・・。こんなにいろんなことが基本的に同じ考え方でできるのです。公式を覚える必要もありません。田の字表に整理するこつをちょっと覚えるだけ。そのこつも簡単です。

 さあ,この本を読んで問題を解き,「かけ算?わり算?」の迷いにサヨナラしましょう。

 (親,教師など,指導者のみなさんへ)
 田の字で比例式が中学生の手に

 速度,圧力,密度などを比例式で解く方法がありますね。比例式は幅広く使えるすぐれものです。この田の字表による方法は,比例式を田の字にしただけなのです。だから,比例式で解ける問題はすべて解けます。

 なあんだ,それだけのことなのか,と思わないでください。
 田の字に変えたことにより,比例式の方法が中学生にも利用できるようになったのです。

 まずは整理のしかた。比例式だと横に長くなり,対応する値が離れます。それだけで何と何が対応するのか見分けきれません。田の字表だと,単位に着目し,横にくるのは単位が同じとします。そして上下は対応する値になります。それだけで田の字表は整理できるのです。

 比例式だと「内項の積=外項の積」で方程式を作りますね。これが中学生には難しいのです。どことどこをかけるのだったけ,という感じ。田の字だと,斜め同士をかければいいんだ,と教えるとすぐに覚えます。たすきにかけるとかけ算の×が似ていることも強調します。

 田の字にしたことにより,比例式の方法が中学生の手の届くものになったのです。




結局これでは「はじき」と同じことである。


私自身、表を書かせることがある。「田の字」と言わず、好きなだけ表を伸ばして、そこから法則性などに気づいてもらうことがある。

一方、「田の字」は4つの升目だけである。
使えるのは比例関係のみであるし、生徒が「タスキがけ」を知っていることが前提である。

ここでもブログ主は、「一般から特殊」といいつつも、比例関係にしか使えない「田の字」を推奨してしまっている。 好きなだけ表を伸ばすほうが一般性がある。


本のタイトルが「解ける・わかる」となっている。確かに、比例関係であれば解けるだろうが、果たして、「わかる」のか?

http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-2997.html

先日、テスト前、Askさん{卒業生:高校1年)が物理を教えて欲しいとやってきました。

 高校生でも田の字表を使った方がいいのがたくさんあります。

 それで、田の字で教えました。

 Askさんは田の字の方法は中学でかなり学んだので上手です。


http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-2943.html
先日、高校1年生のAskさんが、テスト勉強で物理を教えてほしいとやってきました。

 その時、「高校でも田の字表を使っているよ、田の字表を知らない人は、どのように計算しているのかなと思う」と言っていました。

 田の字表は高校になっても重宝しているようです。


この生徒は理解しているのだろうか?ちゃんと理解していれば、「田の字表などなくとも求めることは出来る」とわかるはずである。

「田の字の方法は中学でかなり学んだので上手」であるにも関わらず、理解していないとなれば、それはこの方法は答えを出すことは出来ても理解にはつながらないことを示しているのではないだろうか?
結局のところ、この生徒は「田の字」の使い方を覚えただけではないのか?

田の字を使うためには、比例関係にあることを確認しないとならない。
比例かどうか判断できるだけの能力があるなら、田の字など不要だろう。


さて、このブログに、高校生の範囲でも使えるのを思いつきで書いてみます。

 まずは、等加速度運動の速度です。

 等加速度運動の速度は時間に比例します。

 加速度をa,時間をt,速度をvとすると、
 田の字表は次のようになります。



結局のところ、「田の字」を使えるケースを覚えることになっていないだろうか?

  • [15]
  • 「セルフ塾のブログ」でのやり取り その9

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 5月 9日(月)11時24分25秒
  • 編集済
  • 返信
 
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4766.html#comment
ぼくは、あなたの発言は、
「よりよき算数・数学教育とはどうあるべきか、ということからの発言」
だとは思われません。

 ぼくの意見を素直に聞くという態度ではなく、ぼくをやりこめよう、そして、自己弁護をして、自分の意見に従え、というふうに感じます。

 だから、これ以上かかわりあいたくない。
 それで、今後のあなたのコメントは削除することにします。
selfyojji | URL | 2016/05/09/Mon 09:06[EDIT]


 ブログ主の教え方は、やってはならない最悪の教え方である、という私の認識は事実である。他の別の人が同様の教え方を推奨していたら、同じように認識したであろう。

 だからむしろそのことを率直に述べたほうがいいと思ったまでのこと。

 このような結果になったのは残念だが仕方がない。

http://


  • [14]
  • 「セルフ塾のブログ」でのやり取り その8 ブログへの多分最後のコメント 

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 5月 9日(月)02時19分17秒
  • 編集済
  • 返信
 
>これ以上の意見交換は不毛だと思います。
 それで、ぼくはこの意見交換を終わりにしようと思います。

とのことなので、私の意見を↓に書きました。
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t83/13

かなり厳しいことを書きましたが、selfyojjiさんへの人格攻撃が目的ではなく、あくまでよりよき算数・数学教育とはどうあるべきか、ということからの発言であることはご理解ください。

 今後もこのブログに関して、私が管理している掲示板やツイッターで論評することがありえますが、「ぼくはこの意見交換を終わりにしようと思います。」とのことですので、
逐一ここに報告することはしないつもりです。報告したほうがいいのであればその旨おっしゃってください。
 お付き合いいただきありがとうございました。

  • [13]
  • 「セルフ塾のブログ」でのやり取り その7 まとめ

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 5月 9日(月)01時59分57秒
  • 編集済
  • 返信
 
これ以上の意見交換は不毛だと思います。
 それで、ぼくはこの意見交換を終わりにしようと思います。



とのことなので、これまで書いたこととも重なる点もあるが、まとめる。

なお、当然ながら、ブログ主の人格を攻撃することが目的ではなく、あくまでブログの内容に関しての私の考えである。

なお「セルフ塾のブログ」に書かれたことに関しての考えであって、ブログ主であるselfyojjiさんが実際に塾でどう教えていたのかは分からない。

もしかしてブログで書いてある教え方に対して、積分定数が批判しても、実際にselfyojjiさんはそうは教えていなくて、私の批判はあたっていない、ということもありえる。

 結局は文面でしか分からないから仕方がない。
また、ブログとして不特定多数に公開されていて、小・中学生や教える立場の人も見る可能性が高く、ブログ主もそれを望んでいるのだから、ブログ主が実際に塾でどう教えたかとは独立に、ブログの内容で批判すべきことがあれば批判すべきだと思っている。

http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4763.html
ケーキ1/3個で100g。1個では何gか。
 上の場合と似ています。3個が1/3個になっているだけです。
 1個の重さを求めているという点でも同じです。

 だから100÷1/3 で求めるのです。

 1/3個で100gなら1個では300gというのは分かります。
 そして、式を書かせると
 100×3 と書く子が多いです。

 答えは正解になりますが、問題文の中の3が使われていません。
 だから、式は100×3ではいけないのです。

 式は、100÷1/3でなければいけないのです。


はっきり言うと、これはやってはいけない最悪の教え方である。
あのブログを読んだ小・中学生は、「100×3では駄目で00÷1/3でなければいけない」などというのは無視しないとならない。
算数・数学を教えている人は、やってはいけない最悪の教え方であると認識しないとならない。


 まず原則として、どんな方法であれ正解が出ている以上、基本的にそれは認めるべきである。

 とはいえ、教えたい側が望んでいない方法で解かれた場合に、望んだ方法に誘導することが全て否定されるわけではない。
効率の悪いやり方をやっていれば、「もっといい方法があるよ」と誘導することもありえる。

 「はじき」を使って解くという私が蛇蝎の如く嫌う方法も一応は認めざるを得ないが、その場合は、単純に公式を当てはめたら解けない問題を出して、理解することを促すことになる。


 しかし、今回のケースは、「ケーキ1/3個で100g。1個では何gか。」という問題で100×3と解いたというケースである。

この問題を100×3で解くのはもっともエレガントで簡潔で優れた解法である。

これを敢えて否定する指導などありえないし、あってはならない。

例え分数の割り算を知っていても、こういう場合には100×3と求めることが出来るようになることこそ、目標とされないとならない。

 そのためには、誰に気兼ねすることなく、教師の意図など気にしないで、「先生はどんな解法を望んでいるのだろうか?」などと余計なことを考えずに、算数・数学それ自体に取り組むようにさせるべきである。

 算数・数学は伸び伸びと自由に取り組むべきである。



 ところがブログ主はまったく逆のことを主張している。


 算数・数学教育の目的・目標は、このような問題で「100gの3倍」と発想できるようにさせることである、と私は考える。

 それをさせない指導と言うのは、そもそも算数・数学教育とはいえない。

 ブログ主は色々理由を述べているが、まったく説得力がない。

仮に指導上の都合で、「ケーキ1/3個で100g。1個では何gか。」を「100gの3倍」と発想することを押さえつけないとならないとしたら、そのような指導は間違っている。



では、ブログ主はなぜ「100×3」では駄目だといっているのか?


 わり算というのは、1あたり量(単位あたり量)を求めたり、いくつ分を求めるときに使う計算です。
 ここでは、1あたり量を求めることに限ることにします。

 ケーキ3個で300g。1個では何gか。
 300÷3 で求めますね。わり算です。分けています。そして、1個の重さを求めているのです。

 ケーキ1/3個で100g。1個では何gか。
 上の場合と似ています。3個が1/3個になっているだけです。
 1個の重さを求めているという点でも同じです。

 だから100÷1/3 で求めるのです。

 1/3個で100gなら1個では300gというのは分かります。
 そして、式を書かせると
 100×3 と書く子が多いです。

 答えは正解になりますが、問題文の中の3が使われていません。
 だから、式は100×3ではいけないのです。

 式は、100÷1/3でなければいけないのです。


不可解と言うほかない。a個でbgなら1個の重さは割り算で求められるが、それ以外の方法で求めてはいけない理由はまったくない。


その後、ブログ主は以下のような理由を書いた。

問題文の数を使って式を立てる
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4765.html

さて、式はなぜ書くのか。
 それは、自分がどのように解いたのか、その思考した過程を他人に知らせるためです。

これは、算数教育界に蔓延しているおかしな考え方である。思考を伝えたければ言葉を使えばいい。教える側も、「どういう風に考えたの?」と言葉で聞けばいいだけ。

なぜ、式と言う乗せられる情報がかなり限定されている簡潔な記号列で思考を伝えないとならないのか、まったくわからない。

いろいろ考えて、ああ、あなたはこのように考えたのですね、というのではなく、式を見たらすぐにその考えが分かるようにするのです。

ケーキ3個で300g。1個では何gか。 という問題で、100×3という式を立てた子がどのように考えたのか分からないとしたら、その人には算数・数学を教える資格はない。


でも、問題文の中の数を使って式を立てる、ということを指導するのは難しいことではありません。それが他人に自分の思考を見てもらう一歩です。

 小学生のときから、そのような指導をすべきだと思うのです。


 100×3 と書いてきたら、これではだめだ、文中の数を使って書き直しなさい、と言うのです。もちろん、そでができるように前もって指導する必要はあります。


何度も書いているが結局ブログ主からの回答はなかったことがある。


式を見たらすぐにその考えが分かるようにするのです。
という指示に従うなら、

問題文を見てすぐに「100gを3倍すればいい」と発想した場合
100×3 以外にどんな式を書けというのか? 


「考えを式で表せ」かつ「100×3は駄目」となると、
ブログ主は「3倍すればいい」と発想してはいけない」、と教えるべきだと主張していることになる。

一体、ブログ主はどういう生徒を育てたいのだろうか?


自己流で解いていると、壁にぶつかることが
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4766.html

ぼくは、自分なりに工夫して、問題を解くことは大切だと思っています。
 確かに、100×3は間違いではありません。

 だから、分数のわり算を習っていないときに、100×3という式を立てたら、無条件でほめてあげるでしょう。

 しかし、分数のわり算を教えた。しかし、問題文では1/3が与えられているのに、100÷1/3 ではなく、100×3 という式を立てた、ということは、分数のわり算を理解していないということです。
 逆に言えば、ぼくら指導者がその子が十分に理解できるように教え込んでいないということです。

 分数のわり算の意味はきちんと理解して欲しい。だからこそ、100÷1/3 という式を立てるように指導しなければいけないのです。



ここもまったく意味が分からない。分数の割り算を理解している人であっても、100×3と発想して式を立てるのは、ごく普通のことである。

分数の割り算を教えたあとだからといっても、掛け算で簡潔に短時間で効率よく出せるのだから、そのほうが合理的である。

分数のわり算を教えたから、例え効率が悪くても分数の割り算を使うべき、という発想は一体どこから出てくるのだろうか?

これでは教わる側は、与えられた問題の答えを求めることよりも、指導者の意図を忖度することに神経を使わないとならなくなる。

私が教える場合、等差数列の総和の公式を教えた直後に、もし1+2+3をこの公式に当てはめて解く生徒がいたら、不安になる。その生徒が、和の公式が成り立つかどうかを確認するために簡単な数値でやっているのならもちろん問題ないが、等差数列の和は公式を使わないとならない、と思い込んでいたら、その考えを訂正する必要がある。

この点もブログ主とまったく逆である。

ちょっと勘のいい子がいました。
 中1になり、方程式を学びます。

 でも、両辺を同じ数でわる、移項する、ということは教わっても、それは使わずに自己流で解いていました。
 適当な数を代入するのです。

 「3x+5=11 xは?」、というとき、勘を働かせてxに2を代入し、
 3(2)+5=11 成り立った、だからx=2 のように。

 間違いではありませんね。よく考えたものです。

 でも、解が分数になるような方程式になると、パニックにおちいて、「こんな問題が解けるはずがない」と怒っていました。壁にぶち当たったのです。

  新しい知識を学ぶとき、それが理解できないから、既知のもので代用するという場合は、新しい知識をきちんと教えるべきです。
 それをしないのは、指導の放棄です。



ブログ主は、「100×3を認める」というのを「分数の割り算を理解していなくても放置する」と勘違いしている節があるが、もちろんそんなことは誰も言っていない。

方程式を当たりをつけて代入して求めるのもなんら問題ない。


ブログ主は解が分数になると代入で求める方法が通用しなくなるといっているが、それなら解き方を教えればいいだけである。
代入で求められるケースまで移項などでやらせる必要はない。

 ブログ主は水道方式の影響か、「一般から特殊」というのを重視しているようだ。私はそのように教える順序を固定することに疑問があるが、いずれにしても、「一般から特殊」というのは教える側が配慮すべきことで、教わる側がそんなことを気にする必要はない。

 ブログ主はもしかして、「代入で求められるのは数値が簡単な特殊な場合である。それよりも移項などで求める方法がまずは基本で一般的」と考えているかもしれないが、

方程式と言うものを広く見た場合には、代入で求めるほうが一般的である。

例えば割り算の筆算、仮商を立てるというのはまさに当たりをつけて代入してもとめることになる。
2次以上の方程式や因数分解、代入して当てはまるものを見つける。
積分は、微分したらその形になる関数をあれこれ探すことである。
√1000の整数部分は? 当たりをつけて代入して求める

こうしてみてくると、移項などで求める、という一般的解法は、1次方程式という特殊なケースだから使えるのであって、代入で求めるほうがむしろ一般的とさえ言える。

つまり、特殊だとか一般だとか言っても、それらは相対的であり、また見方によって逆転するものであり固定されたものではない。

 さらに「一般→特殊」がいいか、「特殊→一般」がいいかと言うことも、それこそ一般的なことは言えないでケースバイケースである。


 以上長くなったが、再度もう一度言う。

1/3個で100g、1個の重さは?

100×3という発想を否定する指導は最悪である。

http://


  • [12]
  • 「セルフ塾のブログ」でのやり取り その6

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 5月 7日(土)20時58分19秒
  • 編集済
  • 返信
 
自己流で解いていると、壁にぶつかることが
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4766.html

>ぼくには、自分の主張を証明するデータは持ち合わせていません。積分定数さんもそのようです。
 お互いに自分の思いで語っています。
 これでは、かみ合うことはないでしょう。

そんなことはありません。私の主張は仮に「100×3」とする子は分数の割り算を理解していない可能性が高いとしても、「100÷1/3」と書かせるように指導する必要はないと言うことです。

 分数の割り算を理解していなければ分数の割り算を教えればいいだけのことです。

分数の割り算を理解しているかどうかを、「1/3個で100g、1個では?」を100×3とするか、100÷1/3とするかで判断したり

分数の割り算を理解させるために100÷1/3と書かせることに意味があるとは思えません。


この主張は、仮に「100×3」と書く生徒の100%が分数の割り算を理解していなくても成り立ちます。

その子が「100÷1/3と求めてはいけない」と思っていたら、「そんなことはない。」と教える必要はあるのでしょうが、「100×3とするべきではない」とする必要はないでしょう。


>これ以上の意見交換は不毛だと思います。
 それで、ぼくはこの意見交換を終わりにしようと思います。


了解しました。


>壁にぶつかるような問題を出せばいいのではないですか?


これに関して、私も同感だし、実際に作るのは難しくありません。もし実際に作るのが難しいとするなら、壁にぶつからないことになり、selfyojjiさんのこのブログの主張と矛盾することになります。

 等差数列の総和の公式を習った後に1+2+3をやらせて公式を使わなかったからと言って、理解していないと見做したり公式を使うように指導するのは馬鹿げています。

 1+2+・・・・・+1000 と言うような問題を出すべきでしょう。

分数の割り算を教える必要があるのは、分数の割り算が必要な状況があるからでしょう。だからそういう問題を出せばいいのです。

1/3個で100g、1個では?

では分数の割り算を使わないで難なく解けてしまうので、分数の割り算の必要性を感じさせるのは無理でしょう。

  • [11]
  • 「セルフ塾のブログ」でのやり取り その5 指導者が望む答案を書かせるには

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 5月 7日(土)16時43分18秒
  • 返信
 
自己流で解いていると、壁にぶつかることが
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4766.html

>例えば、「1人3個のあめ玉を集めたら12個になった。何人があめ玉を持ってきたのか」という問題で、 式(3×4)  答え(4人) とする子がいます。
 この子の頭の中では、3×x=12 という方程式をつくり、解いたのでしょう。でも方程式を作る力はもちろんないので(3×4)とすると12になるから、ということで考えたのです。
 考え方に間違いはありませんね。それなら、式は(3×4)でいいのでしょうか。
 この子は、わり算の概念ができていないので、かけ算で解いたのです。
 わり算という方法を教えてあげなければいけません。


3×4とした子は問題をちゃんと理解して正しく答えている。

割り算を理解していないとはいえない。割り算の式や言葉を知らなくても、このように解いていると言うことは割り算の概念を潜在的に理解しているといえる。

割り算とは掛け算の逆であり、12÷3の計算は、3×x=12 のxを求めることに他ならない。

仮に割り算の記号を教わって知っていて、割り算の概念を理解していても、3×4=12 と書くことはありえる。

この子にどうしても12÷3という式を書いてほしければ、問題に「等式の右側に求める数値が繰るような式を書きなさい」と指示するしかないだろう。

その指示がない状態で、「割り算記号を習ったのだから、等号の右側に求める数値が繰るような式を立てるのは当然のこと」とすべきではない。

 いちいち問題文に書くのが煩わしいからということで、これを暗黙の了解とするとしたら、

子どもに「暗黙の了解を覚える」という負担をかけることになる。しかも、暗黙の了解はこれだけではないとしたら、負担はより大きくなる。また、これがselfyojjiさんが教える際のローカルルールではなく、一般的なものと子どもが勘違いすることもありえる。


そうすると、「1日に2匹に分裂する単細胞生物が1匹いる。20匹以上になるのは何日後か?」という問題が解けなくなってしまう。


「等式の右側に求める数値が来るような式を書きなさい」と指示しなくても、そうせざるを得ないような問題を作ることは出来る。


1人帰ったので3人になった。最初にいたのは何人?

4-1=3 と求めても構わない。式を書かなくても構わない。理解していて正しい答えが求められるならそれで構わない。

何のため式を要求するのだろうか?その子が理解しているかどうかを確認するため?
しかしこんな簡単な数値では、式に書くまでもなくすぐに分かるから、式を書いてもそのこが理解しているかどうか分からない。そもそも正しい答えが得られている段階で「理解している」と見做すべきではないのか?

どう考えたかを知りたかったら、直接口頭で聞いてみればいい。



ここで、「答えが統合の右側」と明示しないで、3+1=4に相当する式を書いてほしいとする。
明示しないでなぜそのような式を書いてほしいのか、疑問もあるが仮にそういうことにしておく。

どうすればいいか?




a人帰ったのでb人になった。最初にいたのは何人?


と言う具合に、文字式を使う手もあるが、文字の導入は難しいと言う子もいるだろう。

7693人帰ったので749人になった。最初は何人?

計算式だけでもいいよ。その計算をしたら最初の人数が出るような式を出してくれたら計算しなくてもいいよ。

よほどの計算好きな子でもない限り、7693+749 とするだろう。


このように演算記号が残る答案も是認することは、その後の文字式指導の伏線にもなる。


「教えた方法があるからそれを答案に書くのが当然」ではない。


等差数列の総和の公式を教えた後であっても、1+2+3は普通に計算したほうが早い。

公式を使ってほしければ、公式を使わざるを得ない問題を出すべき。

そのような問題に触れることで公式のありがたさが分かる。

  • [10]
  • 「セルフ塾のブログ」でのやり取り その4

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 5月 7日(土)16時07分57秒
  • 返信
 
100×3とした子は理解していないのか?


まず、問題文の状況はちゃんと理解している。

また、分数の割り算を理解していないかどうかに関しては、控えめに言っても「不明」、ことによると÷1/3とする子よりも十分理解しているかもしれない。


1/3個で100g、1個の重さを求めるのに、分数の割り算は不要。分数の割り算を仮に理解していたとしても、3を掛けるという発想の方がエレガント。

十分理解していれば、÷1/3 と ×3 はまったく同じことと認識されて、無意識に楽な式である×3を書くことになる。

その状態の子に「÷1/3と書くように」と指導することは、理解の向上になんら寄与しない。


逆に、÷1/3で求めた場合はどうか?これも理解しているのかそうではないのかは不明である。


牛刀の使い方を教えた後に、鶏を切るのに牛刀を使っていなかったとして、「この子は牛刀の使い方を知らない」と判断すべきではない。

むしろ、鶏を割くのに牛刀を使っていたら「この子は何でもかんでも牛刀で切れると思っているかもしれない」と疑う必要がある。


3:6=14:x これを、内項の積=外項の積 の公式を使って解く子は公式を暗記しているだけで比の概念を理解していない可能性が高い。

すぐに28と出せる子は理解している可能性が高い。


だからと言って、「こういう場合には公式を使わないですぐに28と出すように」と指導することに意味はない。


まずはその子が理解しているかどうか見極める必要がある。

1:2:3=5:x:y

これも 内項の積=外項の積 で無理やり解こうとしていたら、比を理解していない疑いが濃厚。

その場合は改めて比について教えることになる。


selfyojjiさんの主張だとむしろ逆に、内項の積=外項の積 を教えた後は、3:6=14:xを

内項の積=外項の積を使った子は「理解している」とみなして、

一発で出す子がいたら、理解していないとみなして、内項の積=外項の積 を使うように指導する

となるように思える。



教わった方法でやった子は理解していないでやり方を覚えていただけ
教わった方法と別の方法でやった子は理解している

ということもありえるのだが。


また、「教わった方法は理解している。我流は理解していない」と見做すすようにしていれば、子どもは自分で試行錯誤するよりも、解法を覚えてそれを実行することに一所懸命になる。

 そして結果的にはみんなが教えたとおりに解くことになって、「みんな理解している」となりかねない。



1/a+1/bを通分してみて と中学生に言ったら困ってしまった子がいる。

文字式は理解している。1/2+1/3の通分は出来る。でもこれだと出来ない。

どうしてなのか分からなくて色々聞いたら「最小公倍数が分からないからできない」と言われた。

この子は「通分は最小公倍数でやる」と教わってそれを素直にやってきたのだろう。そして教師も「この子はちゃんと理解している」と見做しただろう。

一方で、1/2+1/8=8/16+2/16=10/16=5/8 とする子は「理解していない」と見做されていたかもしれない。

しかしこの子なら1/a+1/bは難なく出来たかもしれない。
また、「通分と言うのは分母を共通にすればなんでもいい。」と考えているなら、「通分は最小公約数でないとやってはいけない」と間違って理解しているよりも優れているとも言える。


もちろんこの子を放置していいと言う話ではない。最大公約数で通分するほうが楽であることを教える必要がある。

 私がここで言いたいのは、

教えた方法でやる
我流でやる

前者が理解していて、後者が理解していない、とは限らない。むしろ逆のこともありえるということ。

  • [9]
  • 「セルフ塾のブログ」でのやり取り その3

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 5月 7日(土)15時31分44秒
  • 返信
 
自己流で解いていると、壁にぶつかることが
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4766.html

>しかし、分数のわり算を教えた。しかし、問題文では1/3が与えられているのに、100÷1/3 ではなく、100×3 という式を立てた、ということは、分数のわり算を理解していないということです。

>分数のわり算の意味はきちんと理解して欲しい。だからこそ、100÷1/3 という式を立てるように指導しなければいけないのです。


ここでは2つの論点がある。

100×3とした子は理解していないのか?
100÷1/3と書くように指導すべきなのか?


前者に関しては後で論ずる。

後者に関して、一般論として以下のように問題を設定する。


ある問題に関して、解法AとBで解いた子がいた。どちらも正しい答えが求まる方法であるが、どちらにも、ちゃんと理解している子とそうでない子が混在しているとする。過去の統計から以下のようなことが分かっているとする。


解法Aで解いた子で 理解しているのは20% 理解していないのは80%
解法Bで解いた子は全員が理解している



この場合、解法Aを使った子に解法Aを放棄して解法Bを使うように指導することは有効であろうか?


まずこの問題をやらせることで、子供が理解しているかどうかを判断する材料にはなるだろう。

Bで解いた子は取り敢えず理解しているということでOK

Aで解いた子は理解していない可能性が高い。

そうすると、その子が本当に理解しているかどうか見極めるために他の問題を出したりすることになる。

あるいは、「理解していない」とみなして理解するように教えることもあるだろう。


しかしそれは「Bで解くように」と教えることを必ずしも意味しない。


解法AとBで理解している割合に有意な差があったとしてもそれは相関関係が提示されたわけであって、因果関係があるかどうかは分からない。

解法Bでやるようにと指導した結果、解法Bで解くようになっても理解が促された結果かどうかは分からない。


毎晩高級料亭で飲食する人に高所得者が多かったとしても、毎晩高級料亭に行くことで所得が上がるわけではない。


また、解法AかBかで、その子が理解しているかどうか推測できるにもかかわらず、「Bで解くように」と指導することで、理解していなくてもBで解く子が出てきてしまうかもしれない。

そうなると、AかBかで、理解しているかどうか判断することが困難になってまう。


理解させるために、Aで解いた子に「Bで解くように」と指導することが有効であるためには、

Aで解いた子は理解していない可能性が高い
Bで解いた子は理解している可能性が高い

という事実だけでは不十分。

Aで解いていた子がBで解くようにすることで理解が促される

ということにならないとならない。


100×3と書いた子に100÷1/3と書くように指導することで理解が促されるかどうか、私は疑問である。


「理解している」の定義を「Bで解く」としてしてしまうのもまずい。

selfyojji さんの主張を見ると、「ちゃんと理解しているのならそれが指導者に分かるように100÷1/3という式を立てるべき」というように思える。

そうすると子どもは、「理解しようとする」のではなく「100÷1/3という式を立てる」ことになる。

つまり、理解することではなく、指導者から「この子は理解している」と思われるような答案を書くことになる。

理解することと、「指導者に理解しているとみなされる答案を書く」ことは必ずしも一致しない。

指導者の責務は、その子が本当に理解しているかどうかを見極めることである。そのためにいろんな問題を出すこともあるだろう。その子の答案や返答、表情などから判断することもありえる。


「答案Aだと理解していないとみなす。答案Bだと理解しているとみなす。だから答案Bを書くようにしなさい」

と指導することではないはず。

  • [8]
  • 「セルフ塾のブログ」でのやり取り その2 矛盾した指示  

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 5月 7日(土)14時49分41秒
  • 編集済
  • 返信
 
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4765.html
>さて、式はなぜ書くのか。
 それは、自分がどのように解いたのか、その思考した過程を他人に知らせるためです。私はこのように考えてこの問題を解きました、ということを見せるためです。だから、自分だけが分かるような書き方ではいけないのです。




http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4763.html
>1/3個で100gなら1個では300gというのは分かります。
 そして、式を書かせると
 100×3 と書く子が多いです。
 答えは正解になりますが、問題文の中の3が使われていません。
 だから、式は100×3ではいけないのです。
 式は、100÷1/3でなければいけないのです。



ケーキ1/3個で100g。1個では何gか。


この問題を見て「100gの3倍だから300g」とすぐにわかった子はどうすればいいのか?


考えを式に表すように、とのことだから、100×3 式にしたら


「それではいけない」と言われることになる。


100÷1/3という式を立てることは、自分が思いついた方法と違うので、考えを式で表現する、という指示に反することになる。


ここでダブルバインドに陥ってしまう。


これを裂けるには、「100gの3倍だから300g」と思いつかないようにして、教わった方法が思いつくようにしないとならない。


これは算数・数学教育が目指すべき方向なのだろうか?


一方でこうも書いてある。


http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4766.html
>学習においては、できるだけスマートに解くように指導しています。
 スマートというのは、先人が考え出した合理的な方法です。それよりもさらにいい方法を自分で編み出しているのならもちろんいいです。すばらしい。


とのことだが、スマートさと言うことで言えば、100×3と発想するのがスマートともいえる。



問題文を見て幸か不幸か「100gの3倍」と発想してしまったら、
考え方を式に表現するために100×3とすべきなのか?

でも「それではいけない」という。

では、「100gの3倍」と考えても、式としては100÷1/3と書くべきなのか?

それでは、考えを式に表すことにならない。

では、「100gの3倍」と発想しないようにしないとならないのか?


それだと今度は「できるだけスマートに解く」という指導に反することになる。


どうにも困ったことになってしまいます。

  • [7]
  • 「セルフ塾のブログ」でのやり取り その1  想定・設定がアンフェアでは?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 5月 7日(土)13時32分38秒
  • 編集済
  • 返信
 
両者は、1/3個で100gのケーキ1個の重さは? と言う問題で、100×3=300 と式を立てて求めることに関して、

積分定数  何の問題もない、
selfyojjiさん 100÷1/3という式を書かせるように指導するべき

という具合に意見が異なっている。


自己流で解いていると、壁にぶつかることが
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4766.html
>まだ1/3程度ならいいのですが、帯分数のわり算が出てきたときに、壁にぶち当たってしまいます。
>それもできるが、30×4 にしたならまだいいのですが、そうでないなら壁にぶち当たってしまいます。
>新しい知識を学ぶとき、それが理解できないから、既知のもので代用するという場合は、新しい知識をきちんと教えるべきです。
 それをしないのは、指導の放棄です。


100×3という式を立てた子は壁にぶち当たる、として、きちんと教えないのは指導の放棄、とのことだが想定・設定がアンフェアに思える。

100×3という式を立てた子が100÷1/3と書いた子に比べて壁にぶち当たる可能性が高いかどうかは後で論ずるが

壁にぶち当たったら、それを乗り越えられるように教えるのは言わずもがなの当然のこと。「きちんと教える必要がない」とは誰も言っていない。


100×3という式を認めることと、きちんと教えることはなんら矛盾しない。

方程式を数値を当てはめて解く子の例が出されているが、

移項などを使わないで当てはまる数を見つけて解くことを認めることが、

分数が解になる場合には困ってしまっている状態になっても放置することを意味するわけではない。


 逆の状況を想定することも出来る。

2^x=8 や x^x=27

方程式を移項などを使って教わったとおりに解く子はこのような問題で困ってしまうかもしれない。未知数に数値を当てはめて解く子はこのような問題も解ける可能性が高い。

2x+3=11 を移項などで教わったとおりに解いた子が

2^x=8 や x^x=27 などを解けなかったとして放置するのは指導の放棄。

もちろんこんな方程式は中学では扱わない。しかし「方程式とは当てはまる未知数を見つけることである」と言うことが分かっていて、累乗の表記が分かっていれば解けるはずである。

これが解けないとして、1次方程式は教わった方法で解けるとしたら、その子は方程式は何なのか、というのを理解していなくて、教わったとおりに手を動かしているだけかもしれない。


100×3や、移項などを使わないで当てはまるxを見つける、という答案を認めることへの反論として「壁にぶち当たる」「きちんと教えないのは指導の放棄」ということが成り立つとしたら、

100÷1/3や、移項などを使っての標準的な解法を是とすることに対しても同様にして、「壁にぶち当たる」「きちんと教えないのは指導の放棄」という反論が成り立ってしまうと思います。


 そういうことではないと思います。100×3という式を認めることは、壁にぶち当たったときに教えないことをなんら意味しないわけです。

 解が分数になると出来ないのなら、できるように教えるのは当然です。そのことと、「あてはまるxを探し出す』と言う方法を認めることは矛盾しません。

  • [6]
  • 「セルフ塾のブログ」でのやり取り その0

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 5月 7日(土)12時59分21秒
  • 返信
 
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4763.html
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4764.html
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4765.html
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4766.html


このブログに関してやり取りをしているが、論点がいくつかあるのでこちらで自分の考えを書く。


ブログ主はmixiで知り合いとなりマイミクにもなっている。
英文法に関しては私と考えが近い。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-4763.html?q=%E7%A9%8D%E5%88%86%E5%AE%9A%E6%95%B0&charset=utf-8#comment

また私に水道方式や遠山啓を勧めてくれた人でもある。それまで名前を知ってはいたがちゃんと読んだことはなかった。

それで色々読んで、大いに参考になる部分もあった。
しかし、水道方式・遠山啓・銀林浩・数教協の教え方は大きな間違いが潜んでいると考えている。


 いずれにしても、両者の関係がどうであるかとは独立に、互いの考えを披露しあい異論があれば批判する、というようなことは健全なこと。

 当然のことだが、別に喧嘩しているわけではない。

  • [5]
  • 方程式を解くとは条件にあう数を探し出すこと

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 4月22日(金)10時16分19秒
  • 編集済
  • 返信
 
方程式を解くとは条件にあう数を探し出すこと

当たり前と思うかもしれないが、この当たり前のことが分かっていない生徒が多い。


方程式を教わった後に 0.2x+0.3x=5x とする生徒は多い。

同じものを違う式で表現するという式変形と、当てはまる数を捜し求める方程式の違いが分からないで

0.3x+0.7=0.1 という問題だと条件反射的に10倍して
3x+7=1 として解く

となっているので、0.2x+0.3xも見た瞬間に2x+3xとしてしまうことになる。


算数・数学全般がそうなのだが、各論での手順を教え込むことの弊害である。


まずは、移項とか小数なら全体を10倍するとか、そんな瑣末なことは後回しにして、

方程式を解くとは条件にあう数を探し出すこと

というのときちんと意識させるべき。



現在の方程式の教え方は、1次方程式 連立方程式 2次方程式 と言うような具合になっている。これだと教わる側も「1次方程式はこうやって解く」「連立方程式はこうやって解く」・・・と順に覚えていくことになりかねない。

 私はいきなり、x^x=27 というような問題をやらせることもある。

方程式を解くプリミティブな方法は、片っ端から代入して条件にあう数を見つけることである。

その上で、次々当てはめていくのは大変だから、効率よく見つける方法はないのか?、とか、アルゴリズムはないのか?ということで、各論に入ることになる。

「方端から代入して当てはまるものを探す」というのは、数学全般においてきわめて応用範囲が広い。


割り算
掛け算の逆算である。筆算するときに仮商を立てるのはまさに代入して当てはまるのを探す行為。


多項式の因数分解
(x+○)(x+△)=x^2+10x+16
○と△に好きな数を当てはめて展開して右辺と一致するかどうかを見ていく。
「たすきがけ」だの「足したら10、掛けたら16」など知らなくて、何度もやれば自然に身につく。


不定積分
x^3の不定積分は、F’(x)=x^3 を満たすF(x)を探すこと。まずは片っ端から当てはめていけば、いずれ正解に行き着く。


漸化式から数列を求める
これも片っ端から数列を入れてみる。


それぞれに関して、効率のいい方法などはあるが、まずはとにかく代入して当てはまるのを探す、という姿勢が重要。何度も代入していくうちに、あたりをつけられるようになる。


不等式も同様である。

x^2-10x+21≦0

最初は、「この条件を満たす整数をひとつだけでいいから見つけて」「見つかったら、それ以外にも見つけてみて」と言う具合にやる。


そうしないと、単に手順を覚えることになりかねず、そうなると、上に凸、下に凸、≦、≧、などでそれぞれ異なる手順を覚えることになりがち。

そうなったら数学がわからなくなるのは必至。

  • [4]
  • 公式を提示しないで分数の掛け算・割り算を教えてみた

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 4月21日(木)08時17分19秒
  • 返信
 
公式を提示しないで分数の掛け算・割り算を教えてみた
http://togetter.com/li/964852

  • [3]
  • Re: 高校数学 整式の割り算 指導案

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 4月11日(月)08時53分26秒
  • 返信
 
>>2

ポイントの一つは整数の割り算とのアナロジー。

だから、整数の割り算を見直す作業が必要。


そこで、余りを一意的に求めることよりも、「余り群」とも言うべき概念で捉えることが重要。

20を6で割った余り群は、2+7n n:整数 の形で書ける整数全体、というような捉え方。

余りを一意的に定めておくことはそれはそれで便利だから、教える。あくまで余り群の中の代表、というイメージで捉えるようにする。

整数xをaで割った余りをφ(x)で表す。

φ(x+y)=φ(φ(x)+φ(x))
φ(xy)=φ(φ(x)・φ(y))

と言う具合に、φが準同型写像になっていることも抑えておきたい。

φ(x+y)=φ(x)+φ(x) とならないのは、

a=6でx=11、y=10で考えると分かるが、細かい話ではある。



以上と同様の話が多項式の割り算でも言えることを理解させる。


例えば、因数定理を教えないで、「x^100をx+2で割った余りを求めよ」を出題する。

ここで、最終的な数値を求めなくても計算式だけで構わないとしておく。
これは、おそらく算数でも有効。文字式を導入しなくてもそれと同様の一般化抽象化が可能となる。

因数定理を知らないで取り組むとしたどうするか?

最初はx^3など、商も余りも求められるケースをやるのが順当だろう。

このように、

出された問題が難しければ、自分で易しい問題にアレンジして様子を見る、

というのが、数学のほかの単元の勉強にも有効。

ここから、(-2)^100が見えてくるだろう。

最初から、x-αで求めさせると、すぐに状況が見えてしまって面白くない。

次に、2x+3 などもやって、最終的にはf(x)をx-αで割った余りはf(α)となることを確認する。

実際に、x-αで割る筆算をすると綺麗にf(α)が出てきて面白い。


次に、f(x)をx^2-5x+6で割った余りを出す問題。

2次式で割るから余りは1次式以下。ax+bと置いて、

f(2)=2a+b
f(3)=3a+b

で連立を解けばいい。


発展

x^100をx^2+4で割った余り?

虚数を知っていればx^2-5x+6の場合と本質的には同じ問題だが、虚数なしで解けるのか?

x^1、x^2、x^3、・・・を割ってみて法則性に気づけば解くことが出来る。

ただしこれも、x^2+Aというタイプのものだけで、虚数解が複雑になるタイプだと、x^1、x^2、x^3、を割った余りを具体的に求めて法則を見つけるのは難しくなる。


x^100を(x-p)^2で割った余りは?

優秀な生徒にはこのような重解になるケースを出題するのも面白い。


解法をいくつか書いておく

A 余りをax+bと置いて、x=pを代入。両辺を微分してx=pを代入する。あとは連立方程式を解く。


B 取り敢えずpを代入してb=p^100-apを求める。
x^100=(x-p)^2・Q(x)+ax+p^100-ap
ここから移項したり式変形をしてaを求める。その過程でいろいろ面白いことに気づく。


C x-p=tとおく。(t+p)^100=t^2・Q(t+p)+tの1次式
左辺を2項定理で展開すればいい。tが1次と0次の箇所だけ。

100p^99・t+p^100 となり、t=x-pを入れることで

100p^99・x-99p^100 を得る。 この方法は昨日気づいた。(x-p)^3で割った余りなども容易に求められる。



Aは微分、Bはx^n-y^n=(x-y)(・・・・)の変形、Cは変数変換、それぞれ重要な概念。

微分を知らないでAの方法に気づいて微分の概念に自分で気づく、というのは考えにくいが、B、Cの方法を自分で気づくことはありえるし、
x^n-y^n=(x-y)(・・・・) という公式に自分で気づく可能性はある。


いずれにしてもあえて標準の問題から外れた問題に取り組むことで数学全般へのつながりが見えてくる。

  • [2]
  • 高校数学 整式の割り算 指導案

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 4月 8日(金)23時26分48秒
  • 返信
 
 高校数学ではなぜか多項式の割り算とは言わないで整式の割り算と言う。どっちもでいいから、私は馴染み深い多項式を使う。もちろん、単項式も多項式。

 ここのところは、なぜ割り算をするのか、という動機付けが難しい。この先数学を勉強すると、いろいろ面白いことになるのだが、最初の導入は天下り的になってしまう。これについては今後も検討課題。



【0】 余りのある割り算を思い出してもらう。

20÷6の商と余りを求めてもらう。当然、3・・・2となる。

次に、20を6と3と2で表してもらう。大抵20=6×3+2となる。

次に、20=6x+y となる整数の組をいくつか求めてもらう。
xは任意の整数が入り、それに応じてyが一意的に決まることを理解する。

このようなyが2+6n n:整数 などの形で表されることを理解する。
そのために、条件を満たすyのうち、100以上のもので最小のものは? というような問題も出してみる。

こうして、yが 2+6の倍数 なることを確認して、その中で、0以上の整数のもので最小のものを、余り と称していることを確認する。

今度は、20を0で割った余りを求めてもらう。「20」と答えられたら、割り算のイメージが、

20÷0ではなく、20=0×( )+( ) に当てはまる整数を探すというイメージに転換しているといえる。


【1】 多項式の割り算

多項式の割り算も同様で、f(x)とg(x)を与えて

f(x)=g(x)・Q(x)+R(x)を満たす、Q(x)とR(x)の組をいくつか求めてもらう。

今度は、それらのR(x)の中で次数が最も小さいものを求めてもらう。

このR(x)を 余り と定義する。
一意的に定まり、g(x)よりも次数が小さいことを確認する。


【2】 x^100+4x^23-7x^10 を
x-1 で割った余り、x+1で割った余り、x^2-1で割った余り を求めてもらう。

まともにやると大変だが、工夫することで簡単にもとまる。

x^5+3x^4-7x^3+2x^2+4x+1 をx^2-3x+2で割った余りを求めてもらう。


因数定理に気づかなければ、x-αで割った余りを求めてもらう。


因数定理を教えて、因数定理を使う問題を解いてもらうのではなく、
因数定理を教えないで、因数定理に気づかないと苦しい計算をすることになる問題を出す。


【3】 多項式の割り算を筆算のように行う方法などは、後でゆっくりやればいい。 

  • [1]
  • 教えたとおりに解いたのなら、それは理解していないのでは?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 3月17日(木)16時31分52秒
  • 返信
 
 「教えたのと違う方法で解いたからバツ」と言う人がいて呆れる事が多い。しかも「教えたの通りの方法で説かなかったということは理解していなかったから」という意味不明なことを言う人もいる。

 教える側が算数・数学を学ぶとはどういうことかが分かっていないといわざるを得ない。

 教えたとおりの方法で正解に行き着いた
 教えたのと異なる方法で正解に行き着いた

理解している蓋然性が高いのは当然、後者である。だからと言って、前者が理解していないとは限らない。


では、子供の理解しているかどうかを知りたいと思ったらどうするか?

理解しているなら正解で、理解していないなら不正解になるような問題を出せばいい。

それは、「教えた方法をそのまま真似するだけでは解けない問題」をだすこと。

例えば多項式の微分を学んだ状態だと、「指数を前に出して指数を1つ減らせばいい」と覚えるだけの高校生が実に多い。

そこで、「微分の意味は?」などと質問しても、曖昧な答えが返ってくるだけだろう。また、「指数を前に出して指数を1つ減らすこと」と答えても間違えとは言えない。代数学では微分をそうやって定義する。

 ここで、「1/(x^2+1)の微分は?」などと問う。多項式の微分しか学んでなくても微分の意味を理解していたら何とか解けるはず。


 3×6を解ける子が掛け算の概念を知らないで九九を暗記しただけなのか、ちゃんと解しているのかを知りたければ、12×3を解かせればいい。

 掛け算が何かを知っていれば、2桁の掛け算を習っていなくても解けるはず。

「こんなの習っていない」といったら、理解しているかどうかあやしい。


レンタル掲示板