• [0]
  • 引き算の求残・求補・求差 というムダ毛

  • 投稿者:積分定数
 
 引き算には、求残・求補・求差があるそうだが、・・・・

投稿者
題名
*内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
URL
sage

  • [35]
  •  岡山大学・算数・数学教育学会誌「パピルス」片山元氏

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年12月 9日(金)18時53分3秒
  • 返信
 
http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/5/51386/20160528110805434026/papyrus_015_007_012.pdf
さし絵・お話・式・ブロックをつなぐことが強調されている。「言語活動」「算数的活動」ともつながる。

  • [34]
  • 求残・求差・求補の作問 金田茂裕氏

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年12月 9日(金)18時51分36秒
  • 返信
 
http://ci.nii.ac.jp/els/110007071047.pdf?id=ART0009004837&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1481276843&cp=
求残・求差・求補の作問とあるけど、具体的にどうやるのかは書いていない。どのタイプの問題もおおむね解けるが、これら3つの区別を認識して問題を作るのは難しい、というように見えるのだが・・・

  • [33]
  • 行方不明だったサイトが見つかった

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2016年 4月 8日(金)14時54分33秒
  • 返信
 
おき場所が変わったみたいなので再掲

http://oyaryoku.blog.jp/archives/38153810.html
2015年07月27日
6,実は奥が深い1年生の引き算 ~よく分かっていない子はけっこういる~
今回も、まず、みなさんに問題を出します。


小学1年生の算数に関する問題ですが、侮ってはいけませんよ。



問題

次の6つの問題は、小学1年生の1学期に勉強する引き算の問題です。

同じ種類の引き算を見つけて、2つずつ3つの仲間に分けてください。



1,いちごが7こあります。5こ食べました。後何こありますか?

2,子どもが9人います。男の子が4人なら、女の子は何人ですか?

3,男の子が6人、女の子が8人います。どちらが何人多いですか?

4,お皿が5枚あります。ケーキが3こあります。お皿は何枚あまりますか?

5,くじ引きの棒が9本あって、3本が当たりです。はずれは何本ですか?

6,鳥が8羽いました。3羽飛んでいきました。残りは何羽ですか?



では、ヒントです。

「求残」「求差」「求補(部分集合を求める)」の3種類に分けてください。



はい、それでは、正解を書きます。

1と6、2と5、3と4がそれぞれ仲間になります。

1と6は、残りを求めるので「求残」です。

2と5は、全体の数と部分の数が分かっていて、残りの部分の数を求めます。

ですから、「求補(部分集合を求める)」です。

3と4は、2つの数の違いや差を求めるので「求差」です。



このように引き算と一口に言っても、種類があるのです。

もちろん、子どもたちに教えるときにはこのような難しい言葉で言う必要はありません。

全ての教科書で、1と6の「求残」は「残りを求める」問題、3と4の「求差」は「違いを求める」問題と言って教えています。

  でも、ここで少し困るのは2と5の「求補(部分集合を求める)」を表すいい言葉がないことです。

本当は「部分を求める」問題と言えばいいのですが、この言い方ではよけい分かりにくくなってしまいます。



つまり、2の問題で「女の子の部分」と言ったり5の問題で「はずれの部分」と言っても、子どもによく分からないのです。

ですから、この問題についても全ての教科書で「残りを求める」問題と言っています。

というのも、「部分を求める」問題は「残りを求める」問題に似ているからです。

つまり、全部から男の子の6人が減ったというように考えれば、「残りを求める」問題と同じになるのです。



でも、教師や親は、教科書では同じように「残りを求める」問題になっていても、「求残」と「求補(部分集合を求める)」という2種類の問題には質の違いがあることを理解しておくべきです。

というのも、子どもの中には、最初の「求残」は難なくできたのに「求補(部分集合を求める)」でつまずく子もいるからです。



「求残」では、例えば「1,いちごが7こあります。5こ食べました。後何こありますか?」のように、何かがはっきり減るので引き算だとすぐに分かるのです。



でも、「求補(部分集合を求める)」問題では、例えば「2,子どもが9人います。男の子が4人なら、女の子は何人ですか?」のように、何かがはっきり減るわけではないのです。

ですから、これが引き算だと分からない子もいるのです。



そのとき、教師や親が2種類の問題に質の違いがあることを理解していれば、その子のつまずきに応じた指導ができます。

つまり、「求補(部分集合を求める)」について理解できるように、積み木や図などを使ってピンポイントの指導ができるのです。



でも、教師や親が2種類の問題に質の違いがあることを理解していないと、「求残」はできるけど「求補(部分集合を求める)」でつまずいているということに気が付きません。

「引き算が分かっていない」という漠然とした判断のもとに、「求残」の問題をたくさんやらせることになりかねません。



さて、もう1つの「求差」、つまり「違いを求める」問題は、3種類の中で子どもにとって一番難しい問題です。

その理由も、先ほどと同じで、何かがはっきり減るわけではないからです。



例えば、「3,男の子が6人、女の子が8人います。どちらが何人多いですか?」でも「4,お皿が5枚あります。ケーキが3こあります。お皿は何枚あまりますか?」でも、何かがはっきり減るわけではありません。

ですから、これが引き算だと分からない子はけっこういるのです。



そういう子に効果があるのは、積み木や図を使って考えさせることです。

特に、積み木を使って考えさせるとよく分かるようになります。

例えば、男の子6人の代わりに黄色い積み木を6個、女の子8人の代わりに赤い積み木を8個使うのです。



そして、黄色い積み木と赤い積み木をすぐ横に並べて「男の子と女の子が手をつなぎます」と言います。

そして、「手をつなげた子を『減らし』ていくよ」と言いながら6ペアを隅の方へ移動します。



そうすると、赤い積み木が2個「残り」ます。

ここで大事なのは、「減らす」と「残る」という言葉に結びつけることです。

子どもが、「『違いを求める』問題も、結局は減らして残った分を求めればいいのだ」と分かるようにしてやればいいのです。

  • [32]
  • 遠山啓 教師のための数学入門 数量編

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2015年12月13日(日)00時54分54秒
  • 返信
 
遠山啓 教師のための数学入門 数量編 国土社 p63

指導上の問題点
 この1対1対応は低学年の算数では大切な問題点である。例えばつぎのような問題があったとしよう。
 「男の子が5人、女の子が3人いた。男の子は何人だけ多いか?」
これは二つの集合の個数の差をもとめる問題である。先生が何気なく
5人ー3人=2人
として、「男の子が2人だけ多い」という答えを出した。するとある子どもは先生に抗議を申しこんだ。「せんせい。男の子から女の子は引けません。」
 この子どもの抗議には重要な意味がある。なぜなら、この問題(求差)は残りを求める減法(求残)とは、かなりちがったもので、より程度の高いものだからである。
「男の子が5人いました。そのうち3人がおうちに帰りました。何人残ったでしょうか?」であったら、 5人-3人=2人
という減法は自然にでてきて、何の困難もない。ところが差を求めるためには、男の子と女の子のあいだに一対一対応という操作がはっきり意識されないと差を考えることができないのである。5人-3人のなかの3人は女の子ではなく、女の子と対応づけられた男の子なのである。
 そうすると残りを求めること、すなわち求残より、差を求めること、すなわち求差のほうがむつかしいのである。しかしこれまでこういう点があまり考えられていたようには思えない。ただ求残と求差をただ平面的にならべて分類していたようである。

  • [31]
  • 「香川県算数教育研究会」のサイトから

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2014年 6月 9日(月)08時41分42秒
  • 返信
 
「香川県算数教育研究会」のサイトから
http://www.kasanken.com/03shidouan-2/1nen/1-20130726-hikizan.pdf
p6
※求残と求差の図のカードを示して、 T:どっちのお話かな。手でやってみよ  う。

残と求差の区別、おはなし、ぶろっく、キーワード、 ・・・

見事に算数をこじらせいている。

  • [30]
  • Re: 一寸だけ

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年10月29日(火)16時56分47秒
  • 返信
 
>>29
> 「混沌」に目鼻を付けたら混沌は死んじゃった。という話を想起

その話、どこかで聞いた記憶があると思って検索したら、荘子なんですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%BE%E6%B2%8C
>物事に対して無理に道理をつけることを『渾沌に目口(目鼻)を空ける』と言う。

これまはまさしく銀林浩がやっていること。

 子どもの思考は合理的なこともあればそうでないこともある。大人もそうだけど。

 子どもの躓きに逐一理屈を付けて、「体系」などをでっち上げて、「ここではこれこれこういう理由で躓く」とかやりだして、ついには「ここでは躓くのが正しくて躓かないのはおかしい」という倒錯した迷宮に入り込んでしまっている。

http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t3/82-90

  • [29]
  • 一寸だけ

  • 投稿者:kankichi573
  • 投稿日:2013年10月29日(火)15時56分42秒
  • 返信
 
「混沌」に目鼻を付けたら混沌は死んじゃった。という話を想起

  • [28]
  • ブログへのコメント

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年10月29日(火)15時40分55秒
  • 編集済
  • 返信
 
http://blog.goo.ne.jp/katsu-sakai3/e/0e4a95c9f2c01776249c009763de3c71

 算数教育に関する日記をざっと読ませていただきましたが、研究会などによく出席されているようですね。

 そこで、「増加と合併を区別させるなんてナンセンス」という話にはならないのでしょうか?

 色々調べていくと、算数教育の研究会も時代によって色々あるようで、かなり以前は数教協・水道方式が影響力があったようですが、最近はTOSSや筑波大学附属小学校算数部が影響力を持っているようです。

 これらのどの潮流も、掛け算の順序・等分除と包含除・増加と合併・求残と求差の区別に拘っているようです。

 算数・数学においては、「違って見えたものが実は同じ事だった」という抽象化が非常に重要で、普通に考えたら、「どうやったら児童は両者が同じだと気づくか」という方向に行きそうなものですが、これら3つの潮流を含めて、算数教育界全体が、「どうやったら両者が区別できるのか」という逆の方向を目指しているようで、非常に理解に苦しみます。

 もしかしたらそれなりに合理的理由があるのかもしれないと思い、算数教育関係者の意見を色々見るように心がけているのですが、納得できる論拠に出会ったことがありません。

筑波大学附属小学校算数部の田中博史氏の主張もマッチポンプです。
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t2/616
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t2/620

これなども倒錯しています。
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t9/56
>あくまでこれは、わかっているものの論理であり理屈であって、ただ等しく分けようと操作していた子どもにとっては意識されていない問題意識なのである。
 このように等分除・包含除とかけ算の関係は子どもにとって見えにくく、等分除と包含除の意味の違いの理解も曖昧になりがちなのである。

分かってしまえば等分除も包含除もなくなり、ひとつ分もいくつ分もなくなります。

「等分除と包含除が同じというのは分かっている大人の論理であって、子どもにとってはそうではない」ということがよく言われますが、これだと子どもたちは「等分除と包含除の意味の違いの理解も曖昧になりがちなのである。」とある。

 そもそも違いはないし違いを認識するメリットは何もなくて、さらに子どもたちは違うと認識していないというのなら、

 一体全体、何を目的にこんなややこしいことを指導しているのか訳が分かりません。

 ある現役小学校教師からの情報によると、同僚の教師は筑波大学附属小学校算数部の研究会に熱心に参加して、合併の足し算では式の順序はどちらでもいいがブロックは両手でガチャンしか駄目、増加の足し算では一方の式の順序のみが正解で、ブロックは片手でガチャンとしないと駄目、と指導しているそうです。

 こんな馬鹿げたことが研究会で推奨されていると言うことに呆れてしまいます。

 現場の教員の方はこのことについてどう思っていらっしゃるのでしょうか?

  • [27]
  • ブログへのコメント

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年10月29日(火)14時31分56秒
  • 返信
 
http://blog.goo.ne.jp/katsu-sakai3/e/0e4a95c9f2c01776249c009763de3c71?st=0#comment-form

 以前新聞投書で、算数では、掛け算の順序が逆だとバツなるというのを知って、以来色々調べています。

 合併・増加、求残・求補という言葉もその過程で知りました。

当初は「これらの分類は便宜的なものにすぎないのはいくら何でも教えている人は分かっているだろう。」と思っていました。それを子どもに区別させる意味など全くないのは明白であり、それらを区別させるという指導があるなどというのは、発想すらしませんでした。

 ところが調べていくうちに、まさにそのように子どもに区別させる指導を、よりによって教科書会社が推奨していることが判明しました。
http://userimg.teacup.com/userimg/8254.teacup.com/kakezannojunjo/img/bbs/0002174.jpg
http://userimg.teacup.com/userimg/8254.teacup.com/kakezannojunjo/img/bbs/0002175_3.jpg

 教科書自体も最近になるほど、合併と増加、求残と求差の違いを強調するようになっています。
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t46/l50

 何でこんな馬鹿げたことを書いてあるのかと教科書会社(学校図書)に問い合わせたところ、
「子どもに区別させるという主旨ではない」という回答でしたが、「文面は区別させるとしか読みとれないので、書き換えてほしい」と要望しました。

 年々、増加と合併の区別などが強調されるようになったのは、「現場の先生の要望」とのことでした。

 http://kazemanabi.at.webry.info/201102/article_3.html#comment
この方も、「区別するように教えるようになっているから」という以上の理由はなさそうでした。
「求残と求差を同じとみなして何がまずいのか?」という質問に対して、「求残と求差がどちらも引き算ということが分からない子がいるから」と回答しているあたり、混乱しているようです。「どちらも引き算」と思えない子は「求残と求差を同じとみなすことが出来ない」わけで、話があべこべです。

 とにかくこの件に関しては、「これこれこういう理由でだから増加と合併、求残と求差を区別させる必要があるのです」と明確に語る人がいない状態です。

 もしかしたら私が知らないだけで、教えている教師自身が、「合併と増加を区別させることは是非とも必要である」と強く主体的に思っていて、それには合理的理由があるのかもしれない、

と思い質問させていただきましたが、龍馬さんに関しては、「区別は是非とも必要」という立場ではなさそうですね。

 教科書会社は「現場の先生の要望」といい、現場の教師は「そういうことになっているから」という状況です。

こんな馬鹿げた教え方をする教師もいるようです。
http://homegrown.jugem.cc/?day=20130713

 これはさすがに例外的でしょうが、いずれにしても、算数教育全体がおかしな方向に行ってしまっていると思います。とりわけ、教科書会社や算数教育の専門家と称される指導的立場の人の責任は重大だと思います。

 前のコメントにあるように、合併と増加など区別をさせる指導は、算数・数学を冒涜する教え方だと考えています。このような教え方が、算数教育界では当たり前のことになってしまっているのが未だに信じられません。

 誰も明確な理由を述べることが出来ないで、「とにかくそう教えることになっている」ということで、こういう馬鹿げた教え方が流布している現状に危機感を抱き、

 実際に算数教育に携わっている方の意見をお聞きしたくて質問させていただきました。失礼しました。

  • [26]
  • ブログへのコメント

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年10月29日(火)08時16分26秒
  • 編集済
  • 返信
 
http://blog.goo.ne.jp/katsu-sakai3/e/0e4a95c9f2c01776249c009763de3c71

しかし、合併と増加の違い、求残と求差の違いは曖昧ですよね。

8個の蜜柑がある。5人に1個ずつ配ったら何個あまるか?

 これなど、蜜柑と人の求差とも言えるし、8個から5個取り除いたと見れば求残、配り終わった状態で5人の手元のある蜜柑と、そうでない蜜柑があわせて8個あると考えたら求補

求残・求補・求差以外にも

蜜柑を5個もらったので全部で8個になった。最初は何個 増加前推論
5個持っていた。何個かもらったので8個になった。何個もらったか 増加量推論
8個持っていて、何個か食べたので5個になった。何個食べたか  減少量推量

などというのもあるようです。

「蜜柑を配る問題」「林檎を配る問題」「蜜柑を食べる問題」「林檎を食べる問題」などという分け方も可能でしょう。

 教える側が、「こういう問題だと子どもはすぐに出来るが、これだと戸惑うから、こっちの方から先にやろう」などと、教える上での配慮として、文章題を便宜的に分類することは有効かもしれません。

 しかし、子どもがそれらを区別する必要は全くないと思います。そもそも区別は不可能で、引き算や足し算を十分理解したら「区別できない」という認識にいたる訳で、「区別できない」という状態の方が望ましいと言えます。

重要なのは、どれも引き算と統一できることだと思います

 「どちらも同じ引き算」と認識させることが重要で、「区別させる」というのは逆方向だと思います。

ブロックでもおはじきでも、好きに操作すればいいと思います。自由に試行錯誤することが大切であって、「この場合はこうやる」という指導は、「算数・数学は問題ごとに“正しいやり方”があり、それを覚えればいい」という考えを子どもが持ちかねず、非常にまずい結果をもたらしかねないと思います。


算数教育で、

「あわせて」なら「両手でがちゃん」
「ふえると」なら「片手でがちゃん」
などという「ブロック指導」が、算数教育において行われていると知ったときには、唖然としました。

そのような指導は、抽象概念の獲得を阻害するように思えます。

http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t21/793


「大人にとっては同じ引き算でも、子どもにとっては求残と求差は異なる」と言う人もいるのですが、

もしそうであるなら、「子どもは求残と求差を異なるものとして認識する」ということであり、あえて「両者の違い」を教えるのは不可解です。

両者の違いが分からない(これは、正しい理解)子に、違いを教える

というのは倒錯しているように思えます。

 方向が全く逆だと思います。両者が違うと思っている子に、「同じ引き算だよ」と指導するべきだと思います。

5人いるところに3人やって来た。何人になった?

最初からいた人=5人
後から来た人=3人

この2つの合併とも考えられます。
自分を3人の側に視点を置けば、「3人で公園に行ったら既に5人いた」と見えるわけで、「3に5が足されている」とみなすこともできます。

「5に3が足されている」という見方だけが正しくて、それに対応するブロック操作のみが正しい、

という指導は間違っていると思いますが、いかがでしょうか?

合併と増加、どちらも同じと理解している子に、違いを認識させようとして、子どもが混乱してしまった例も報告されています。
https://twitter.com/SciCom_hayashi/status/157742787440295937

  • [25]
  • それで何か困るのだろうか?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年10月28日(月)20時27分20秒
  • 返信
 
http://blog.goo.ne.jp/katsu-sakai3/e/0e4a95c9f2c01776249c009763de3c71
たし算の合併、増加の操作が、
引き算にも大きく影響する。
ここが不十分だと子どもは
操作の違いがわからない。

  • [24]
  • お馬さんでは

  • 投稿者:kankichi573
  • 投稿日:2013年10月25日(金)21時46分10秒
  • 返信
 
>>22
「鼻差残した」なんてのは常套句だけど。
そうすると「あるレースにおけるA馬とB馬の着差を秒で表示しる」って問いはきっぱり求差と言えるのだろうか。

  • [23]
  • 文字通りの教科書的回答

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年10月25日(金)13時12分9秒
  • 編集済
  • 返信
 
http://homegrown.jugem.cc/?day=20130713

以下、抜粋

>2年生がなにかを35個作った。
1年生がなにかを27個作った。
2年生の方がいくつ多く作ったか。

>で、フツーにこういう式になる。35 - 27 = 8

>これは丸だった。
当然だ。

>問題はその次にあった「その式になるわけ」を答えさせる設問だ。
まぁ、問題文に「2年生の方がいくつ多く作ったか」とあるので、彼は「2年生の方がいくつ多く作ったかもとめるため」と答えるわな。

>しかし、結果は… 三角だった。
挙句に「2年生の方がいくつ多く作ったか」にアンダーラインが引いてあり、「ちがい」と朱書きされていた。

>我慢できず、持ち帰るというテストをまとめた冊子に、「何が間違いなのか理解不能」と先生宛てにお手紙を書いてしまった。

>翌日、返ってきたお返事には…
教科書P.57の[2]の応用問題です。

>はぁ?
教科書に載ってたわ、確かに。出題された文章そのままで。





要するに、「ちがいをもとめる」というように、文字通り教科書的回答を要求する問題だったと言うこと。


「考え方が大切です。式には意味があります。引き算の意味は、求残・求差です。」

ということがよく聞かれるが、それで行われているのがこんな授業である。

  • [22]
  • 求差の考えは求残と全く異なる演算です

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年10月24日(木)16時36分37秒
  • 返信
 
http://kiyotaka6.exblog.jp/18066599/
>たとえば1年生でしたら求残と求差を同時に教えるために子供たちが混乱を起こしています。
求差の考えは求残と全く異なる演算です。分けて教えるべきなのです。

混乱するなら分けて教えるべきと言うのは分かるが、「全く異なる演算」だろうか?

  • [21]
  • 文章の意味を理解する難しさと、解く難しさの混同

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年10月24日(木)09時42分49秒
  • 返信
 
文章問題を解く場合に、2つの点をクリアしなくてはならない。

A 問題文の意味を理解する
B 問われていることに対してふさわしい答えを出す。

私が高校生に問題を出すときも、「問題の意味は分かったか?」としつこく確認する。

 信じられないかもしれないが、問題の意味が分からないくても解こうとする生徒がいる。「みはじ」にあてはめるなどして、意味が分からなくてもとになく出てきた数値を何かすればいいという癖が身についてしまうとこうなってしまう。

AとBの難しさは別物である。双子素数が無限に存在するか否か?という問題の意味は私にも分かるが、これは未解決。

 かけ算の順序議論でも「子どもは文章の意味をちゃんと理解しないで、出てきた数字をその順番で掛けるから・・・」という順序派の主張があるが、

 もしそうであれば、文章の意味を理解させるのが先決ではないだろうか?

 「4人に3個ずつ蜜柑を配る」と「3人に4個ずつ蜜柑を配る」とで状況が違うことが分からない子に対しては、(1つ分)×(いくつ分)という順序を教えるよりも先にやるべき事があると思うのだが。

「Aさんはクッキーを5枚、Bさんは3枚持っている。どちらが何枚多いですか?」

これが本当に難しいのだろうか?数が数えられるのにこれが難しいとしたら、そもそも文章の意味が理解できていない可能性がある。

その場合、

「Aさんはクッキーを5枚、Bさんは3枚持っている。どちらが何枚多いですか?」
「クッキーが5枚あって3枚食べた。残りは何枚?」
「5個の蜜柑を3人に1個ずつ配ると何個残る?」
「男子5人 女子3人 どちらが何人多い?」

これらを「のこりはいくつ」「ちがいはいくつ」で分類させる指導など無意味だろう。

「5個の蜜柑を3人に1個ずつ配ると何個残る?」は、「蜜柑と人で異なるものを比べているから、『何個残る』という問題でも、『ちがいはいくつ』だよ」などとしたら混乱してしまいそうである。

「Aさんはクッキーを5枚、Bさんは3枚持っている。どちらが何枚多いですか?」

これを2枚と答えられたなら、それはちゃんと理解していることになる。

これを5-3と書いていいのかどうか出迷ってしまう、書くことに抵抗感がある

としても、それは「求差の問題そのものの難しさ」ではなくて、算数の慣習がよく分かっていないだけだと思う。

 5枚と3枚ぐらいなら計算なしで分かるが、数値が大きくなったときに、計算として引き算なら求められるということが分かっていたらその子は十分理解している。

 それでも、引き算の式を答案に書いていいのかどうか迷うかもしれない。

 そうだとすると、「式は状況を表す」という過剰な指導、答案に「しき こたえ」を書かせて採点対象にする弊害といえる。

式の意味づけを強調しすぎないで、単に答えを求める道具として扱うという道もあると思う。

  • [20]
  • 本当に、「求残より求差が難しい」のか?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年10月24日(木)09時15分16秒
  • 返信
 
 兄弟でお菓子を分けるときに、何個多いの少ないのと喧嘩になることはありがちではないのだろうか?

 「引き算とは、残りを求めるものだ」と徹底的に教えた後であれば、求差を引き算にすることに抵抗感を持つ子がいても当然とも言える。

 もし、引き算を「ちがいはいくつ」で導入したら、「のこりはいくつ」を引き算とすることに抵抗感を示すかもしれない。

 遠山啓は、途中で定義を変えないのが望ましいと述べていた。だから、「かけ算は累加ではなく、1あたり×いくつ分で導入すべき」という(それが伝言ゲームの末か「かけ算は累加ではない」と教える人がいるようだ。)

 そうすると、引き算は求差から始めるという理屈も成り立つ。

 8人遊んでいて3人帰りました。何人になりましたか?

最初にいた人数=8人 と 帰った人数=3人 の差を求める求差

増加前推量なども含めて、引き算は全て求差に帰着できる。


別に私は、求差から導入しろと言っているわけではない。ただ、「求残より求差が難しい」とされていることも含めて、ちゃんと調べた結果なのか?と言う当たりが疑問。

 血液型がB型の人はあ~たら、 というのと対して変わらない可能性だってある。

 「求残と求差の違いを子どもに区別させる」というアホな話が指導書に載っていることを考えると、「求残より求差が難しい」というのがちゃんとした根拠に基づいているかどうか怪しくなる。

  • [19]
  • Re: 求大・求小

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2013年10月24日(木)00時30分32秒
  • 返信
 
>>18
> http://www.jtw.zaq.ne.jp/wasukyo/kurabeeru.pdf
> >求差…「赤い花が、9本あります。青い花が、6本あります。どちらが何本おおいですか。」
> 求大…「赤い花が、9本あります。青い花は、赤い花より5本多いです。青い花は、何本ですか。」
> 求小…「赤い花が、9本ありま。青い花は、赤い花より3本少ないです。青い花は、何本ですか。」
> 東京書籍1年では、求差は1学期「のこりはいくつ ちがいはいくつ」の単元に、求大・求小は、教科書の最後の方に出てきます。これらの問題、合併・増加・求残などと違うところは、
> ①あわせる、やってくる、もらう(たし算)や、かえる、たべる、つかう(ひき算)などのような
> 動きや操作がない
> ②場面設定が「2つの量をくらべる」問題だということです。そこで、その違いを明確にした教具として《くらベール》を開発しました。お試しください。
>
> 大げさな道具を持ち出す必要があるのだろうか?
 
 
 和歌山県数学教育協議会の教具のようですね。
 こんなかんじのがたくさんあります。
 
▼ 和歌山県数教協 教具
 
▼ 和歌山県数教協 HP
 


  • [18]
  • 求大・求小

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年10月23日(水)22時47分42秒
  • 返信
 
http://www.jtw.zaq.ne.jp/wasukyo/kurabeeru.pdf
>求差…「赤い花が、9本あります。青い花が、6本あります。どちらが何本おおいですか。」
求大…「赤い花が、9本あります。青い花は、赤い花より5本多いです。青い花は、何本ですか。」
求小…「赤い花が、9本ありま。青い花は、赤い花より3本少ないです。青い花は、何本ですか。」
東京書籍1年では、求差は1学期「のこりはいくつ ちがいはいくつ」の単元に、求大・求小は、教科書の最後の方に出てきます。これらの問題、合併・増加・求残などと違うところは、
①あわせる、やってくる、もらう(たし算)や、かえる、たべる、つかう(ひき算)などのような
動きや操作がない
②場面設定が「2つの量をくらべる」問題だということです。そこで、その違いを明確にした教具として《くらベール》を開発しました。お試しください。



大げさな道具を持ち出す必要があるのだろうか?

文章の意味が分かれば、あてはまる数値を探せばいいわけで、いざとなったら虱潰しでも構わないと思う。むしろそういう経験が後々数学をやる上で生きてくる。

逆に、道具を使わないと出来ないのなら、それは本当に理解しているとは言えないのではないだろうか?

 こういう道具を使うことが有効だというデータはあるのだろうか?




  • [17]
  • 北海道地区数学教育協議会

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年10月23日(水)18時14分28秒
  • 返信
 
http://www7a.biglobe.ne.jp/~watmas/dosukyo/circle-news/circlenews41.htm
求差の問題に「雪達磨の頭」と「胴体」の「数の差」を選び、「頭と胴体の合体」と言う状況から、式と計算へ導く授業の有様が討議の対象になりました。「求差」と「求残」の違いと関連を明確にしつつ授業を組む必要性があるとの指摘がありました。

  • [16]
  • 1つの集合の一部を取り去る求残,求補,2つの集合の差を求める求差では,半具体物の 操作にも違いがある。

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年10月15日(火)21時25分27秒
  • 編集済
  • 返信
 
第1学年C組 算数科学習指導案
http://www.aes.akita-u.ac.jp/koukai/h22_koukai/sidoan/1Csansu.pdf
1つの集合の一部を取り去る求残,求補,2つの集合の差を求める求差では,半具体物の
操作にも違いがある。求残は,はじめにある数量の大きさから,取り去ったり減少したりし
たときの残りの大きさを求める場合に用いられる。求差は,2つの数量の差を求める場合に
用いられる。求補は,全体の数量からある数量の大きさをのぞいた量を求める場合に用いら
れる。それぞれのもつ減法の意味の違いはあるが,減法は1つの集合を2つの集合に分けた
ときの一方の集合の要素の個数を求める演算であることをふまえた上で,半具体物を用いた
活動と減法の意味とを関連付けることが大切な単元である。


秋田大学付属小学校のようです
http://www.aes.akita-u.ac.jp/index.html

「公開研究協議会 平成22年度」→「1C算数 指導案」

「本時案」の方は以前に見つけた物だけど、今回、秋田大学付属小学校のサイトからの物であることが分かりました。

  • [15]
  • 森川幾太郎氏の懸念

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年 8月31日(土)15時49分24秒
  • 返信
 
http://homepage3.nifty.com/ooiooi/rekisisouron.htm
>最後に、彼の授業の一例を、1年次の7月に、10以下の繰り下がりのないひき算についてその意味や計算に習熟することを目的に展開する学習の2時限目に展開された小単元「電車」の中で扱われた問題を紹介しよう。そこでは、求残も求差も同時に扱われていることに注意していただきたい。率直に私の感想をいえば、このような求残、求差をひき算学習の当初から混合指導して本当に子ども達は理解できているのだろうか、疑問である。例えば、藤原は問題づくりを重視している旨をいくつもの本で書いてはいるが、この学習の場で、求残、求差を意識した問題づくりに子どもが挑んだ、という立証は私が見た範囲では目にしたことがない。
とはいえ、この荒削りな乱暴な教材編成に魅力を感じる私もいる。教育内容の全てを教師がお膳立てして子どもが怪我をしないように、小石一つ拾い上げた道を進ませることが教育とは思えないからである。
①デンシャチンハ6センデシタ。10センダストオツリハイクラデスカ
②デンシャニハオトナガ9ニントコドモガ7ニンノッテイマス。オトナガイクニンオオイデスカ。
③デンシャニヒトガ19ニンノッテイマシタ。モウ7ニンニナッテイマス。ナンニンオリマシタカ。

 要するに、求残の問題も求差の問題も一緒くたに出すのでは、子供が理解できなくなるのではないかと懸念している。

 そのような懸念は理解できる。

この文章を書いた森川幾太郎氏は、

http://ameblo.jp/metameta7/entry-11237495210.html#main
>「学校の先生(の一部)が、「1つ分の数×いくつ分」の順序は、数学的にも算数的にも正しい順序である、と子どもたちに教え、自らもそのように信じているとしたら、それは、改めるべき間違いです」という結論には全面的に同意

といいつつ、

1皿4個で2皿 1皿2個で4皿 4×2の式に該当するのはどちらか?という問題を出している。(メタメタさんのブログに画像あり)

 森川幾太郎氏が、求残と求差を区別させる指導法に疑問を述べているのかどうか分からないが、おそらく述べていないだろう。

 算数教育関係者で、求残と求差を区別させる指導法(指導書で奨励されている指導法)を批判した例を見たことがない。


瀬戸智子氏
http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
>教科書作成のときは、どの順番で教えると子どもが速やかにたし算の演算になじむかと、研究されています。
順番としては「合併、添加、増加」がいいとされているのですが、この頃の算数は合併と添加が一緒に出てくるので、子どもたちは戸惑う場合があります。


「求差と求残、増加と合併が同時に出てきたら子供は混乱する」と心配しながら、

なぜありもしない、「求差と求残の区別」「増加と合併の区別」を子供に強要することで、子供が混乱しないのかを心配しないのだろうか?

 これらの区別が便宜的なものではなくて、本当にこういう区別があると思っているように思える。


なお私は、「そんな区別など無視して一緒くたに教えろ」という主張ではない。

「教える側が便宜的に問題を区別するのは一向に構わない」と以前から主張している。

 「教える側が配慮すべき便宜的区別」と「子供がしなければならない区別」を混同して論ずる姿勢もよく分からない。

 「子供に区別をさせるのはナンセンス」という主張に対して、「一緒くたに教えたら子供が混乱する」と反論する人は、物事を整理して考えることが出来ないのだろうか?

  • [14]
  • 実際にはどうなのか、質問してみた。

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年 1月15日(火)08時42分24秒
  • 返信
 
http://blog.goo.ne.jp/katsu-sakai3/e/84930e39dfc943d5d4701995aed37270?st=0#comment-form


  • [13]
  • Re: 私ならこうやりたい

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2013年 1月15日(火)08時08分28秒
  • 返信
 
>>11
> 文章の意味を理解すること、理解しているかどうか判断すること、簡単な数を理解すること、理解しているかどうかを判断すること
> が狙い。これなくしては、式を立てるとか言うのはナンセンス。

> 「求残よりも求差が難しい。蜜柑から人は引けないと思ってしまう」というのは、求残のイメージだけを最初にたたき込みすぎるからではないだろうか?


なるほど。確かに、立式してそれを計算して答を出すという手順にこだわったり、特定のイメージを植え付けたりするのは、たいへんよろしくないです。



  • [12]
  • 教える側が分かっていないのでは?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年 1月15日(火)07時44分14秒
  • 返信
 
http://kazemanabi.at.webry.info/201102/article_3.html#comment

>だから,式は同じものになるんだけど,具体物を使って説明すると,違うやり方になるんですよ

>この「引き算には2種類ある」っていうことが,案外子どもたちに定着していないのではないかと思わされる場面に遭遇するんですよね。

>こんな操作をしていてもそれに気付かず,「求残」と「求差」の考え方の違いが曖昧になったまま,

この人自身、引き算には本当に2種類ある と思い込んでいるように思えて仕方がない。

  • [11]
  • 私ならこうやりたい

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年 1月15日(火)07時39分39秒
  • 返信
 
式など関係なく、数が数えられれば解ける簡単な文章題を出す。

求差の問題も、6個蜜柑があって、4人に1個ずつ配ると何個余る?

のような感じ。おはじきやブロックを“自由に”使っていい。

割り算的な問題とかも出す。

文章の意味を理解すること、理解しているかどうか判断すること、簡単な数を理解すること、理解しているかどうかを判断すること

が狙い。これなくしては、式を立てるとか言うのはナンセンス。

そこから徐々に、式を導入していく。

「求残よりも求差が難しい。蜜柑から人は引けないと思ってしまう」というのは、求残のイメージだけを最初にたたき込みすぎるからではないだろうか?

食塩水2%100gと5%200gあわせると?を7%と答えてしまう

というの、「あわせる」=足し算、とたたき込むからではないだろうか?


速度の計算でとまどう子も、「時速4㎞で8時間あるくと・・・」を「1時間に4㎞あるくと・・・」とすると解ける場合が多い。(このとき時間を速さの倍数にするのがポイント。引っかけではあるけどね)

内包量がどうのという以前に、「その子がどこが分からないのか?」を探ることが必要。単に言葉の意味を知らないだけのこともある。

  • [10]
  • 私ならこうやりたい

  • 投稿者:鰹節猫吉
  • 投稿日:2013年 1月15日(火)00時49分24秒
  • 返信
 
 まず、単純な計算問題

5 - 3 = 2

を出題して、こういう場合は、「5は3より2大きい」「3は5より2小さい」という言い方をすると教えます。

 これは、知らないと分からないことだから、教えないとどうしようもない。

(文章題) 栗が3つある。リスが5匹いる。栗を1つずつ食べる。食べられないリスは何匹いる?

 これなら、1対1の対応は子どもには難しくて云々…なんてことはなくて、子どもでも自力で理解できると思うのですが…

 それで、「栗よりリスのほうが数が多いから、栗を食べられないリスがいる」と説明すればよろしい。

 単純に知らないと分からない事柄だけ単純明快な説明のしかたで教えてしまって、後は問題だけ与えて自由にやらせるのが一番良いと思います。


 それとも、単純な計算問題で用語の解説(用語の解説ってほど大げさなものだとは思わないけど)をすると、抽象的なので子どもには分からない(分からないと思わないけど)、素人はこれだから困る…とおこられてしまうのかな…


  • [9]
  • 球残と求差の区別が重要というブログ

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2013年 1月13日(日)19時05分54秒
  • 編集済
  • 返信
 
http://kazemanabi.at.webry.info/201102/article_3.html#comment

魚拓 http://megalodon.jp/2013-0114-1135-33/kazemanabi.at.webry.info/201102/article_3.html

だから,式は同じものになるんだけど,具体物を使って説明すると,違うやり方になるんですよ
小学校1年生の担任の先生には,こんなこと当たり前(のはず)ですよね。

ところが…ですね。
この「引き算には2種類ある」っていうことが,案外子どもたちに定着していないのではないかと思わされる場面に遭遇するんですよね。

  • [8]
  • 指導書 学図 求差の場面

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年12月28日(金)08時24分48秒
  • 返信
 
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t15/23

http://userimg.teacup.com/userimg/8254.teacup.com/kakezannojunjo/img/bbs/0002176.jpg

求差の場面(1)

ここでは、「いくつ多いか」という場面(求差)を扱う。場面を通して、「違い」を求めるときにもひき算を使っていいことを気づかせる学習である。
 求残の場面で引き算を定義づけ、求残の場面の操作を通して、図・式・答えという一連の思考を行ってきた。そしてこの求差の場面にであるのである。すでにひき算のイメージができている児童にとっては、求差も求残も同じようにひき算が成り立つことを、直感的に気づくであろう。しかし、求残と求差の違いにこだわり、求残のときのように果たしてひき算が成り立つのか、という「問い」を大切にした授業を展開したい。




直感的に分かっている子にとっては、自明すぎて、それを説明するのは困難ではないだろうか?

  • [7]
  • 算数教育指の専門家は、「引き算の3つ意味」は虚構であることを分かっていないのではないか?

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月 4日(火)14時28分58秒
  • 返信
 
 根上生也氏やドラゴン桜の文章が典型だが、求残も求補も求差も区別なくに教えてしまうことを懸念して、「教える側はこれらの違いをちゃんと意識するように」と言っている。算数教育の指南書の多くも同様。

 逆の方を指摘している例は皆無に近い。

 「求残・求補・求差は見方の違いに過ぎなくて、本来は区別がない。教える側はそのことを理解するべき」

という指摘がない。

だから、児童に求残と求差を区別させるなどというアホな授業が行われてしまう。

そもそも、算数教育の専門家は、「引き算の3つ意味」は虚構であることを分かっていないのではないか?

  • [5]
  • 児童に求残と求差を区別させる最悪の授業案

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月 4日(火)14時08分56秒
  • 返信
 
http://okudajuku.web.fc2.com/M2011point/1/1070/p1070.pdf

むしろ、「どちらも同じ引き算」というように統合させなくてはならないのに、わざわざ逆をやっている。

  • [3]
  • ドラゴン桜

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月 4日(火)14時05分33秒
  • 編集済
  • 返信
 
http://www.e-1day.jp/morning/column2/070621.html
>ドラゴン桜コラム わが子の「東大合格力」を引き出す7つの親力
実は奥が深い1年生の引き算レッスン49 (6/21更新)
 今回はまず、皆さんに問題を出します。小学1年生の算数に関する問題ですが、侮ってはいけませんよ。
〈問題〉 次の6つの問題は、小学1年生の1学期に勉強する引き算の問題です。同じ種類の引き算を2つずつ見つけて、3つの仲間に分けてください。
1.いちごが7個あります。5個食べました。あと何個ありますか?
2.子どもが9人います。男の子が4人なら、女の子は何人ですか?
3.男の子が6人、女の子が8人います。どちらが何人多いですか?
4.お皿が5枚あります。ケーキが3個あります。お皿は何枚あまりますか?
5.くじ引きの棒が9本あって、3本が当たりです。はずれは何本ですか?
6.鳥が8羽いました。3羽飛んでいきました。残りは何羽ですか?
 わかりましたか? ヒントをあげましょう。「求残」「求差」「求補(部分集合を求める)」の3種類に分けてください。
 はい、それでは、正解を書きます。1と6、2と5、3と4がそれぞれ仲間になります。1と6は、残りを求めるので「求残」です。2と5は、全体の数と部分の数が分かっていて、残りの部分の数を求めます。ですから、「求補(部分集合を求める)」です。3と4は、2つの数の違いや差を求めるので「求差」です。
 このように引き算と一口に言っても、3種類あるのです。もちろん、子どもたちに教えるときにはこのような難しい言葉を使う必要はありません。
 全ての教科書で、1と6の「求残」は「残りを求める」問題、3と4の「求差」は「違いを求める」問題として教えています。
でも、ここで少し困るのは2と5の「求補(部分集合を求める)」を表すいい言葉がないことです。本当は「部分を求める」問題と言えばいいのですが、この言い方ではよけい分かりにくくなってしまいます。
 つまり、2の問題で「女の子の部分」と言ったり5の問題で「はずれの部分」と言っても、子どもにはよく分からないのです。ですから、この問題についても全ての教科書で「残りを求める」問題と言っています。というのも、「部分を求める」問題は「残りを求める」問題に似ているからです。つまり、全部から男の子の6人が減ったというように考えれば、「残りを求める」問題と同じになるのです。
 でも、教師や親は、教科書では同じように「残りを求める」問題になっていても、「求残」と「求補(部分集合を求める)」という2種類の問題には質の違いがあることを理解しておくべきです。というのも、子どもの中には、最初の「求残」は難なくできたのに「求補(部分集合を求める)」ではつまずいてしまう子もいるからです。それはなぜでしょうか?
「求残」では、1の問題のように、「いちごが7個あります。5個食べました。あと何個ありますか?」のように、何かがはっきり減るので引き算だとすぐに分かります。
 でも、「求補(部分集合を求める)」問題では、2「子どもが9人います。男の子が7人なら、女の子は何人ですか?」のように、何かがはっきり減るわけではありません。ですから、これが引き算だと分からない子もいるのです。こういう子は、はじめに「引き算の問題です」と言っておけばできますが、実力テストなどでいきなり出てくると、わけが分からなくなってしまうのです。
 ですから、教師や親が「求残」と「求補(部分集合を求める)」という2種類の問題に質の違いがあることを理解していなくてはいけません。そうすれば、その子のつまずきに応じた指導ができます。それには、積み木や図などを使ってピンポイントの指導をすることが有効です。次回その方法をご紹介しましょう。




教える側は、教える上での便宜的分類に過ぎないことも、理解している必要があると思うが。

  • [2]
  • 根上生也氏「虚しい優等生を卒業してから教師になろう」

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月 4日(火)14時02分31秒
  • 返信
 
http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/7568/1/design1-14.pdf

教える上での配慮、ということを言っているのなら構わないが、本質的に異なると言っているようにも思える。当人はどういうつもりかはともかく、そのように受け取られるような書き方であることが問題。

 この例に限らず、算数教育の指南書には、求残・求差・求補、等分除・包含除などの説明に際して、「それらは本質的には区別が不可能であり、この概念はあくまで教える際に留意すべき便宜的なものである」という重大は文言が欠落している例が多い。例外はほぼ皆無。
 指南書の著者自身が、本当にそのような区別が本質的にあると思い込んでいる節がある。

  • [1]
  • ウィキペディアの説明は大変よろしい

  • 投稿者:積分定数
  • 投稿日:2012年 9月 4日(火)13時52分48秒
  • 返信
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%9B%E6%B3%95
初等教育における減法の指導 求残・求補・求差
5-2=3 という式には、すくなくとも3つの解釈が考えられる。

(1) 5つあったところから2つ取り除くと残りは3つである。
(2) 2つあるところに3つ補なえば全部で5つになる。
(3) 5は2よりも3だけ多い。
これらは、いずれも5を2と3の和として捉えているという点で本質的に同じであるが、視点の違いによって3通りの解釈があると考えられる。

算数の文章題を(1),(2),(3)の解釈に関連づけて、それぞれ「求残」「求補」「求差」と呼んで区別すべきであるとする主張がある。 しかし、このような区別は多分に個々人の感覚に依存するものであり、ある者には区別があるように感じられるが、他の者には区別をする必然性を全く感じないこともすくなくない。

(問 1) まりこさんの家にカニが5匹います。そのうち2匹が海に遊びにいきました。いま、まりこさんの家に何匹カニがいますか。
(問 2) まりこさんの家にカニが2匹います。あと何匹いれば5匹になりますか。
(問 3) まりこさんの家にカニが5匹、カメが2匹います。カニはカメより何匹多いですか。
出題者が(問 1),(問 2)をそれぞれ「求残」「求補」の問題として出題したとしても、問題を解く側はそのように考えるとはかぎらない。まりこさんの家に残されたカニの立場で考えれば「3匹残された」ということになるし、遊びに行ったカニの立場で考えれば「あと3匹いれば全員そろう」ということになる。「求残」なのか「求補」なのかは個々人の感覚によって異なるし、そもそもそのような区別じたい考えられないという者もある。

出題者が(問 3)を「求差」の問題として出題したとしても、問題を解く側はそのように考えるとはかぎらない。「カメがあと3匹いればカニと同じ数になる」と考えれば「求補」である。「カニとカメのペアをつくることを考えると、相手がみつからないカニが3匹いる」と考えた者にとっては「求残」である。そもそも「求残」「求補」「求差」を区別することじたい考えられないという者もある。

東京工業大学教授の遠山啓を中心として結成された数学教育協議会は、(問 1)に比べて(問 3)のような問題のほうが児童にとって理解しづらいと報告している。それゆえ、(問 1)のような問題を出題した後で(問 3)のような問題を出題するほうが教育効果が高いと推定される。このように、同様の問題であっても感覚的にわかりづらいことがあるため、教育上の配慮が必要になるという見解がある。 しかし、これは個々人の感覚に依存するものであり、児童の中には、出題者とは異なる正しい考え方で正解に到達する者もあることに注意すべきである。


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